ナガセの選択
ECOのバイオプラントを見つけてから、一週間が経過した。
俺は無事にaceLOLANの親機設定を終え、前進基地に最適なロケーションを探して、海岸線を北上していた。
左手にはなだらかな草原が続き、その奥には俺が出てきた森が鬱蒼と生い茂っている。右手には浜辺があり、その向こうには海が遥かな水平線を見せている。俺は浜辺の確認をしつつも何が来ても森に逃れられるよう、その二つの中間を黙々と歩いていた。
海からは冷たい浜風が吹き付け、俺の体温を少しずつ奪っていく。俺はマントに深く顎を埋めて、鼻先をかすめる潮の香りを楽しんでいた。
「なかなかいい場所が見つからないな……」
前進基地の絶対条件として、敵に見つかりにくいことだ。ゆえに入り江の様な地形が望ましいのだが、今まで歩いてきた海岸は、綺麗な直線を北へと伸ばしていた。そして遮蔽物のない直線の海岸が続いているという事は、輸送中の海上でも敵に見つかりやすい。
幸い近くに森があるので、そこに前進基地を置くこともできる。だがそうすると森を開拓して、重機が通れるようにしなければならない。敵に見つかるリスクが高まるのは必然だった。
妙案がないかと頭を捻らせながら、オストリッチを進ませる。そのうち進行先の地平線で草原が途切れ、土が剥き出しになった。俺は土地の変化に反応し、警戒を強めながらもオストリッチの足を速めた。
剥き出しの土が近づくにつれ、奥に小さな石畳が見える。そして俺は、大きな川に行き着いた。
川幅は目測30メートルぐらい。川の両端には河原があるが極めて小さく、構成する石も砂利のように小さかった。
視線を川の流れに逆らわせると、森の中へと続いている。更にその大元を探って、川に集中させていた視線を分散させた。すると森の向こうにそびえる山脈が視界に入ってきた。どうやら山に水源があり、ここまで流れてきているようだ。
早めに川の存在を知れてよかった。渡河にはとても労力がいるから、川の先に前進基地を築かなければな。
それに川自体も嬉しい発見だ。輸送船に川を遡上させれば、森の中に前進基地が築ける。この場合、海と川で繋がっているので森を切り開く必要もない。俺は進路を変えて、川沿いに森を目指した。
道中、俺は流れる川にぼぅっと視線を向ける。先ほどから胃が空腹を訴えて、くるると鳴っている。
「腹が減った……何か食い物でもないか……」
持ってきた食料は、ほとんど食べてしまった。一応非常食はあるが、これは俺が怪我をしたり、オストリッチをなくしたりして、動けなくなった時のためだ。今はヘイヴンから一番遠いところにいるので、出来れば手を付けたくない。
川の流れに目を凝らすが、綺麗に澄んだ水は川底の砂利を透かすだけ。魚影がなければ、貝も見当たらなかった。
山菜を探した方が現実的だな。しかし山菜は熊や大山猫、異形生命体の食糧でもある。これまで何度も鉢合わせて、危ない目を見たから気が引ける。遠征が長引き、気力が減退している今はなおさらだ。
「くそが。熊や大山猫は、大きな音を出せば逃げていく。だが異形生命体はその逆だ。大きな音に興味を持つ。タチが悪い。神経がゴッソリ持っていかれる」
俺は未練がましく、川に視線を戻す。そして眼に入ったものに、電撃を浴びせられたような衝撃を受けた。
川縁に小さな土だまりがあった。川の脇の大地が大きく崩れていることから、何かが森から川に滑り落ちた際にできたらしい。その何かは森の中から、木々をなぎ倒して川に落ちていた。そして自らが作った土だまりでひと踏ん張りし、森の中に戻っていた。
土だまりには足跡が残っている。硬い機械の脚と、柔軟な生き物の脚が合わさってできた、奇妙なスタンプだ。
俺はオストリッチから飛び降りると、足跡の傍らに屈みこんだ。
足跡は劣化が進んでおり、輪郭が歪みを帯び始めていため、個体の識別は難しい。ひとまず写真に全体像を収め、足跡の大きさを計った。
長さ130センチ。幅70センチ。型は――アメリカの陸上機か? ダガァか、グラディウスか――確証がもてない。しかしアメリカ機ならば、ヘイヴンから逃げ伸びたアメリカ兵が付近にいるのかもしれない。
しかし――泥を触る。足跡は指の柔らかな圧力にすら耐えられず、脆く崩れた。
ヘイヴンが陥落したのは遅く見積もっても去年より前だ。だが足跡はまだ新しく、最近つけられたものだ。人攻機といえど、兵站なしではもって半年だ。ごくごく最近、どこかの基地から人攻機が、この付近を通過したと考えるのが妥当だ。
俺は地面に頬を当てて、より足跡の詳細を探る。
「人攻機のみ、随伴歩兵、並びに支援車両ナシ……何故ここを歩いていた? 本隊からはぐれたのか……」
足跡の持ち主を、標的Xと命名。調査を続行する。
俺は足跡がやってきた森の方へ視線を移す。森にはXの痕跡がくっきりと残っている。Xは森をかき分けるというより、森を掻き乱しながら歩いていたらしい。足跡の歩幅は乱れ、踏みにじるように土が抉れている。森の木々はその体躯をぶつけられたのか、傾いたり、折れているものがいくつもあった。まるで酔っ払いの行進だ。
「機体のコンディションがかなり悪かったのか――」
俺は折れた木に注目する。そして視線を鋭くした。
木には異形生命体のおぞましい、赤茶けた肉片が少量こびり付いていた。
「異形生命体に襲われていたのか――だな……」
今度は足跡が、川に滑り落ちた後、向かった方に視線をやる。Xは来た時と同じよう、森を掻き乱しながら、海岸へと歩いていた。
正体を確かめねばなるまい。俺はオストリッチに飛び乗ると、Xを追って森を進んでいく。足跡は地面の傾斜を登り、木々の密度が薄まる方へと向かっていた。この調子だと、海を臨む岬に辿り着くだろう。
視界が徐々に開け、浜風が鼻をくすぐるようになる。すると突然、むせかえるような腐臭が鼻に突き刺さった。俺は思わず鼻を抑えこむ。足跡のある方から、風が凄まじい悪臭を運んでいる。
ガスじゃない。肉が腐り、溶ける臭いだ。
かなりの規模だろう。密閉された死体置き場なんかの比じゃない! 僅かに呼吸をしただけで、頭痛を伴う眩暈に襲われた。
悪臭から逃れるため、オストリッチから転げ落ちて地面に伏せる。そして大地にキスをするように呼吸を繰り返した。
「人間一人ではこう酷くないぞ! 一体何が腐ってやがる!?」
包帯を取り出して水で湿らせる。顔に巻きつけて簡単なマスクにすると、悪臭が和らいだ。
俺はオストリッチを放置して、匍匐前進で岬へと急いだ。
視界が広がる。
突き抜けるような青い空に、延々と続く広大な海。岬はその中央で大地を押し上げつつ、海へと突出して崖を形成していた。気にもしなかったが、時刻は夕方らしい。海へと沈みつつある太陽が、茜色に世界を装飾している。
幻想的な光景の中、その人攻機は岬にいた。俺に背中を向けて、崩した正座で草の上に座り込み、腕はだらしなく放り出されている。頭部は天を仰ぐように上を向いているが、胴体は背中を丸めて前へ傾いていた。人攻機には海鳥が集り、装甲の隙間に嘴を立てて、何かを啄んでいた。
悪臭がさらに激しくなり、臭気に目が刺され、涙に視界が歪む。俺は目を凝らし、必死で人攻機の特徴をとらえた。
ダガァに似た、スリムで鋭角の目立つ容姿をしている。だが継ぎ目のない装甲で人工筋肉を防護するダガァと違い、この人攻機は蛇腹のように装甲板を重ねてある独特なものだ。こんな手の込んだ人攻機は数少ない。
「グラディウス。アメリカ陸軍の高性能機だ」
こう臭いがきつくては、調べるのは難しい。それに逆光でよく見えない。俺は風上であるグラディウスの正面に立つため、周囲をぐるりと回った。すると足が滑って、姿勢を崩しそうになる。足元に視線をおとすと、そこはグラディウスから滲み出た何かでぬかるんでいた。
一体何だ? 泥を手ですくい、鼻先に持っていく。オイルの臭いはしない。錆びた鉄の匂いがする。
まさか。
俺はグラディウスの正面に回りこむ。
俺の動きに驚いて、装甲を啄んでいた海鳥が一斉に飛び立つ。その際、彼らが咥えていた肉片が、水飛沫のように飛び散った。
グラディウスは改造品だった。正規品は装甲と骨格だけだ。装甲の隙間から見える人工筋肉の部分には、カーボンナノチューブ筋肉が使われていない。血の通った異形生命体の赤茶けた肉が使われているのだ。肉は海鳥たちに啄まれる事で、ズタズタ切り裂かれて、大地に大きな血の染みをつけているのだった。
グラディウスの手足の関節は、肉が大きく剥き出しになっている。そして小さな穴がいくつも空いていた。穴から腐りかけの目玉、千切れかけの舌がぶら下がっている事から、きっと関節の隙間には、目と口が密集していたのだろう。
首の付け根にも、肉が剥き出しの部位がある。そこには大きく裂けた口があり、不揃いな歯が生えている。口はユートピアの夕日に向かって、歪んだ笑みを向けているのだった。
俺は口元を手で覆って唖然とした。
「異形生命体が……人攻機で……武装していやがるのか……」
人攻機の傍には、戦歩ライフル(人攻機専用突撃銃の総称)が転がっている。俺はライフルの排薬孔を改めた。
「しっかり撃った跡が残っていやがる……イカレゲノムめ……」
俺の声は、恐怖に震えた。
簡単に推測すると、グラディウスの躯体に、異形生命体が寄生したと考えるのが妥当だろう。
俺の脳裏に、甲一号目標の事が思い浮かぶ。甲一号目標はバイオプラントの栄養を吸収する事で、過剰に成長した個体だ。後々の検証でジンチクかヤマンバが、食肉プラントに偶然飛び込んだ結果、生まれたものだと推測できた。
しかし――この標的Xは違う。偶発的に生まれるものではない。人攻機のドッグの近くに、育成プラントなんてないからだ。誰かが異形生命体を人攻機の骨格に纏わせた上で育成し、装甲を着せてやらねばならない。
ショウジョウには出来ない芸当だ。やはり知性的な異形生命体――領土亡き国家の残党がいるようだ。
計画を練り直さなければ。
俺たちのヘイヴンに最も近いのは、遠征で発見したECOのバイオプラントだ。その向こうにAEUのドームポリスがあり、こいつらには人工衛星を撃墜されて準戦闘状態である。そしてそのさらに奥にあるのが、アメリカの機動要塞だ。標的Xはここの出身である可能性が高い。何故なら俺たちが制圧したヘイヴンに、標的Xの痕跡が欠片も無かったからだ。
唯一の希望であるミクロネシアの機動要塞、天嵐は最北端に位置している。AEUと領土亡き国家をかわして、最北端に行くのは不可能に近い。航続距離と戦力を両立できないからだ。前進基地の構築も無意味だ。アメリカ機動要塞が敵性存在だと分かった今、彼らの支援は期待できないし、防御を想定しなければならない。だが俺たちの人数では、必要な数の陣地を維持できないのだ。
残されたプランは、まだ話の通じそうなAEUと、万全な状態で会見する事だ。
つまり。
AEUとの接触は避けられない――!
ぎりっと、唇を噛みしめる。俺の顔は複雑に歪んだ。
AEUは蛮族ではない。古き歴史を持ち、黒人と白人が手を取って生まれた、立派な文明国だ。きっと彼女たちにも、礼節を尽くしてくれるはずである。
しかしドームポリスを支配しているのが、AEUだとは限らない。人の皮を被った化け物――領土亡き国家かも知れないし、モラルを亡くした暴徒かも知れない。そうなれば、彼女たちの人権はないに等しい。
全身の古傷が、昔を思い出させるように、ずきずきと痛みだす。ダンに撃たれた足、リーに折られた腕、リタに切り裂かれた腹、アロウズに噛まれた耳。
俺は見てきた。戦争の火が人の心を焼いた結果、弱者がどのように灰になっていったかを。奴らは笑顔で近づき、甘い言葉をつぶやきながら、背中に隠したナイフで突き刺してくる。恐喝し、欲しいものを奪い取り、全てを失わせた上で踏みつけてくる。
彼女たちが毒牙にかかってからでは遅いのだ。
ここはユートピアだ。過去はマグマと共に流れ、命が芽吹いた。穢れた過去が残っているというのなら、俺が地獄に叩き落してやる。
「念のためだ。戦闘ではない。殺しを教えなければ……」
彼女たちの無垢が穢されるよりも、彼女たちが自ら無垢さを捨てる方が、何万倍もいいに決まっている。
選択できる。
それが自由というものだろう?
この日、俺は川の周辺に、前線基地の候補を三つ見つけた。
そしてヘイヴンへの撤退を決心した。




