ピオニーの惨憤窮Pクッキング 三品目
数分後。
アタシらは床の掃除を終え、椅子に座り直す。そしてピオニーが目の前に、ことりと皿を置いた。
「三品目です」
皿には今までと違い、ドームカバーが被せられている。周囲の景色を反射する鉄のドームに遮られて、中に何が入っているか分からないようになっていた。アタシは口の端を歪めながら、ドームカバーを指でつついた。
「何よ。どうして急にこんなもんかぶせたのよ」
ピオニーは両手を腰に当てて、表情をムッとさせた。
「それは皆さんが怒るからでぇす」
なに一人前に腹を立てているんだ。自業自得だぞボケ。ちらと隣のサクラを見ると、目元を手で覆って項垂れていた。
「怒られるって分かる物を……出さないでよ……」
「ですが未知なる可能性を秘めていまぁす。これはぁ……えと~……その~……イダイなるココロミの一歩的なぁ、あれになるはずでぇす! 最初の一口を食べればぁ、きっと皆さんも気に入ってくれまぁす!」
ピオニーは胸を張って、自信たっぷりに力説する。そしてドームカバーのつまみを指で挟んだ。
「まぁ~、食べて見てくださァい」
ピオニーがドームカバーを持ち上げようとする。だがその直前に、サクラがピオニーの手首を掴んで止めた。
「仮によ。仮の話しね。もしこの中にあるのがマシラの肉片だったら、あなたを公式に調理係から解任します」
ピオニーは困ったように、首を傾げた。
「でもぉ~、これが私の生き甲斐でぇす……非公式にお料理さん続けまぁす……」
「変な料理を出されて、私たちが全滅する危険を見過ごせるわけないじゃない。それにナガセは異形生命体の肉を食べる事を、全面的に禁止しています。いい? やめるなら今のうちよ」
サクラは机の上に身を乗り出し、鼻先がくっつかんほどにピオニーへ顔を寄せた。ピオニーはその圧迫感に、一瞬視線を横にそらす。どうやら三品目は、これまでの何よりもろくでもない物らしい。
だがピオニーは決意を固めて、だらしない表情を引き締める。そして堂々とサクラの顔を見返すと、やんわりと彼女を椅子に座らせた。
「大丈夫でぇす。じゃじゃぁん~!」
ドームカバーが持ち上げられる。
皿の上には、茶色く変色した、節足動物が鎮座していた。
バッタだ。
この時ばかりは、アタシとサクラは阿吽の呼吸となった。二人がそれぞれピオニーの手首を掴み、無言でドームカバーを皿に降ろさせる。皿とカバーが激しくぶつかる金属音が、静まり返った食堂に響いた。
見間違いか? いや。確実にバッタだった。でもピオニーの奴、変なもんを出したら調理係を解任するって脅されてたよな。それなのにバッタを出したのか?
ああ。アタシは馬鹿だ。アホに何を期待しているんだろう。アホはアホだから自分が如何にアホな事しているのか気付かないんだこのアホ。
アタシとサクラが黙っていると、アホはにっこりとほほ笑んだ。
「バッタです」
「見りゃわかるわよボケェ!」
アタシは絶叫すると、座ったまま地団太を踏む。
「流石に擁護できない……」
サクラの震えた声が、アタシが床を蹴りつける音に混じった。
「何で怒るんですかぁ? もっとよく見て下さいよぉ~」
ピオニーは、アタシとサクラのドームカバーを押さえる手を振りほどく。そして再びカバーを持ち上げ、中の昆虫を見せつけた。
バッタの体長は、平均的な6センチぐらいだ。普通、身体の色は緑色だが、皿の上の物は茶色く変色している。よくよく見てみると、カラメルみたいなものが全身に染みついていた。タレか何かをかけたのだろう。そしてご丁寧に串で、一本につき三匹刺してある。何でこんなゲテモノを作ろうと思ったのだろう。もし許されるなら、拷問してでも聞き出したいものだ。
「おいおいおい……アタシがいっちばん、女どもの中でサイコセンスだと思ってたけど、あんたがぶっちぎりよ……なんでバッタなんか……ちょっと待ちなさいよ――」
このバッタ、見覚えがある。というか今朝も見た気がするわん……そう、アタシらが汗水たらしてせっせと育てている麦に、へばり付いてる害虫どもだ!
「これアタシたちの作物を食い荒らすクソッタレじゃないのよ! あんた筋金入りのアホね! 何でこんなもの食おうと思ったのよ!」
アタシはテーブルに拳を叩きつけた。ピオニーは怯まず、笑顔のまま話を続ける。
「ナガセとプロテアがぁ、焼いてむしゃむしゃしてるのを見たんでぇす。何でもナガセがいた世界ではぁ、これの何十倍もの大きさをした昆虫がぁ、うじゃうじゃいたそうですよぉ~。みゅーたんといんせくと――ミューセクトっていうらしいですぅ! ナガセはそれらと戦いながらぁ、どんな味がするのか気になっていたらしくてぇ、夢が叶ったって喜んでいましたぁ!」
「見たからなに!? 喜んでいたからなんだよブゥゥゥス! じゃあアンタはナガセが喜び勇んで、すっぽんぽんのままマシラの群れに突っ込んだら、後を追いかけてくの!? 頭おかしいんじゃないの!?」
ピオニーがアタシの罵倒に、また表情をムッとさせる。
「それはあなたですよぉ、ナガセがそんな事するはずないしぃ、私が戦闘さんできる訳ないじゃないですかぁ……ちょっと考えればわかりますよねぇ……」
アタシは軽くキレて、テーブルの脚を蹴りつけた。
「例え話の揚げ足とってんじゃねぇわよ! ムッとするな殴りたくなってくる。じゃあテメェにわかるように口を利いてあげるわん! ナガセはこれに関して何を言ってた! 『美味しかった』なんて言ったら、今ここでテメェのケツに手を突っ込んで、アヘアヘ言わせてやるわよ! アタシが聞いてるのは、昆虫を食わせる事に関して何か言ってたかってことよこのアホォ!」
「黒光りゴッキーだけはぁ、止めとけって言ってましたぁ~」
アブねぇ! これだけはマジでアリガトナガセ! そんなもん食わされてたまるか!
「当たり前よこンのダァホが! つぎ舐めた口利いたらドタマ撃ち抜いて何色のミソ詰まってるか確かめてやる! サクラ! こいつヤベーわよ! さっさと調理係解任して、次の奴隷を探さなきゃ――サクラ……?」
アタシはサクラの方を見て絶句した。彼女は串を手に持ち、口をもごもごと動かしていたのだ。串に刺さっているはずのバッタは一匹少なく、確実に一つ口に含んでいた。
アタシの背筋に悪寒が走る。虫を食うなんて信じられない。アタシは急いで席を立つと、サクラから距離をとった。
「うっげぇ! 何食べてんのよキモいわね! お願い今すぐ呼吸するのやめて死んでくれない!?」
サクラは食べる事に集中して、アタシのありがたいお言葉を無視しやがった。どうやらバッタを口に入れたはいいが、噛めないでいるらしい。顎を上下に動かさず、左右に揺らしている。やがて覚悟を決めたのね。きつく目を瞑って、思いっきり咀嚼を始めた。
次の瞬間、サクラの動きがピタリと止まった。やっぱマズかったか……ゲロ吐くかもしれないから、離れとこー。
サクラの異変に、ピオニーも心配そうにしている。ちょっと考えればこうなる事は分かっていただろーに。
皆が注目する中、サクラは口に手を当てた。これは派手にぶちまけるか? アタシは期待に胸を膨らませる。だが彼女は、口からは感嘆の吐息を漏らしただけだった。そしてなんと、瞳から一筋の涙をこぼした。
「これが……一番おいしい……」
サクラは涙を拭いながら、小声でそう言った。そして咽喉を鳴らしてバッタを嚥下すると、堰を切ったようにぼろぼろと泣き出した。
「わぁぁぁい! 大成功でぇぇぇす!」
ピオニーが万歳をして、食堂を走り回る。アタシは何が起こっているのか分からず、眼をしばたたかせる。そしてサクラに念を押した。
「マジで言ってんのかよ……アンタミミズで舌が馬鹿になってるんじゃあないの……?」
「エビみたいな味がする……本当に……」
サクラは悔しそうに唸りながら、串のバッタを二匹、三匹と口にしていく。彼女はサクサクという小気味のいい音を立てながら、おいしそうにバッタを頬張った。
う……。こうして美味そうに食っているのを見ると、アタシも食べたくなってきた。アタシは獣に怯えるような慎重な足運びで、自分の席に戻る。そして皿の串を一つ摘まんだ。
いつ見てもキモい。でっかい目玉に、カニの脚みたいな歯の並ぶ口。翅が毟られているため、ぷっくり膨れた腹が剥き出しになっているが、ここが一番キモい。寄生虫とかが入っていそうだ。
果たしてこれを口に入れる快感は、踏み潰すものを上回るのだろうか。アタシはバッタを見ないように目を瞑り、串にかぶりついた。
スナック菓子に似た、サクッとした歯ごたえがする。そして口の中に、エビの風味が広がった。アタシはバッタが粉々になるまで噛み砕き、唾液と共に飲み込んだ。
美味かった。クセもないし、舌触りもいい。何より口の中に残るような不快感がない。
「ホントだ……エビみたいな味がする……」
あまりにも意外過ぎて、それ以外の感想が出てこないほどだ。
あれ? どうしてだろう。急に目頭が熱くなってきた。アタシは服の袖で涙を拭う。だけど涙は枯れることなく湧き続け、アタシの頬を濡らしていく。理由は分からない。だが滅多に感じることの無い虚しさが、胸を抉って大きな穴を空けやがった。
何でこんなに涙が出るのだろう。こんなゲテモノが美味しいことが許せないのかな。それとも今までこの味を知らなかった自分が許せないのかな。残念だけど、アタシにこの感情を理解することはできない。唯一分かったのは、きっとこれからも分かる事はないだろうという、確信に近い何かだけだった。
「何でだよ……何でこんなに美味いんだよぉ……」
アタシは鼻をすすりながら、夢中になってバッタを頬張った。
ピオニーが厨房から大きな壺を持って来て、テーブルの上に置いた。陶器製で、抱えるほどの大きさがあるそれは、液体で満たされているらしい。テーブルに乗せた際に、中で水が跳ねる音が微かにした。
「生きたまま秘伝のタレに二週間漬けこみましたぁ。それを軽くあぶるんでぇす。たったそれだけでできるぅ、簡単料理でぇす」
ピオニーが壺の蓋を開ける。中の暗がりを覗き込むと、粘度の高い液で満たされていて、そこにバッタがぷかぷかと浮いている。死んでピクリともしない奴もいれば、瀕死で触角をひくひくさせている奴もいる。中々面白い光景だった。
アタシは壺の中から目を離すと、バッタを貪りながら考えた。
「この害虫、頼んでもいないのにガンガンわくからね……それにただ殺すぐらいなら、食った方が有意義でしょ」
アタシは意見を求めてサクラに聞いてやった。彼女は泣きながら、自分の皿の串にがっついていた。
「常食にも、非常食にも、間食にもつかえるわ。長持ちしそうだから、戦闘の合間にも使えそう。それに美味しい。美味しいのよ。美味しいのだけど……その……見た目が……ネ……」
それならアイハバ・ナイスアイディアよヒスヤロー。
「粉々にすりゃあ、このクソッタレが何だか分からなくなって、丁度いいんじゃあないのん?」
「そうね……すりこぎで粉にすれば、色々な材料に混ぜれるしね。ピオニー。ニューラーメンだけど、このバッタの粉、スープか麺に混ぜれば、かなり改善が見込めるんじゃないの?」
「それいいですねぇ! また試してみまぁす!」
ピオニーはサクラにサムズアップをした。
驚いたけど、バッタはまぁまぁ良かったねぇ。アタシは串で歯の隙間を掃除しながら思った。そして膨れて大きくなったお腹を撫でる。そろそろお腹もいっぱいになってきたし、アホにツッコミを入れるのも疲れてきた。もう十分付き合ってやっただろう。
「ピオニー。まだ試食会は終わんないの?」
アタシが聞くと、ピオニーは深々と頭を下げてお辞儀をした。
「さっきのバッタさんで、終わりでぇす。皆さぁん。本当にご協力ゥ、ありがとうございましたぁ~。これから頂いた意見を元にぃ、改善をはじめまぁす~」
アタシはガッツポーズした。よぉし! これでサクラに許された。これからデカいツラしてヘイヴンを歩き回れる。アタシは席を立ち、すっかりこってしまった身体を伸びをしてほぐした。
「じゃあお片付けさんしますねぇ~」
ピオニーは壺の蓋を閉めると、両手で抱え直す。そして意気揚々と、厨房へと走っていった。
「はしゃぐのはいいけど、危ないから走らない方が良いわよぉ~」
サクラが串を舐めながら、ピオニーの背中にそう呼びかける。ピオニーは走りつつ、肩越しにサクラを振り返った。やめとけよ……お前トロイんだからさ。
「はいはいはい大丈夫大丈夫ゥ~! さぁさぁ忙しくなって――ハワァ!」
思った通り。前を向いていなかったアホは、床に落ちていた皿を思いっきり踏んづけた。アタシが薙ぎ払った、ハンバーグの皿だ。アホは見事に足を滑らせて、素っ頓狂な悲鳴を上げながら前のめりに倒れ込む。
壺はピオニーの手を離れて、宙に弧を描いて飛んでいった。そして重力に引かれて、地面へと落ちていった。
あ~あ……やっちまった。アタシのせいじゃないからな。
こうして試食会は、無事に終わった。




