萌芽‐1
俺がこのドームポリスに辿り着いてから、十日余りが過ぎた。
「サクラ。アジリアを知らないか?」
俺はドームポリスの個室を覗き込み、そこではたきを振るう黒髪に聞いた。彼女はライフスキンについた埃を払いながら、俺を振り返った。
サクラとは従順な黒髪に俺がつけた名前である。アジリアとは金髪の名前だ。俺に彼女たちの名をつけるほどのセンスはない。かといって彼女たち自身に名付けさせたところでろくな名前をつけないだろう。事実サクラは俺の名前を名乗ろうとした。そこで花の名前を付けることにした。それなら何も問題ないだろう。
サクラは少し不満そうに頬を膨らませながら返事した。
「しらない。べつにアジリアじゃなくてもわたしがきくよ。なにをすればいいの?」
「いや。アジリアに用がある。本人じゃないと駄目だ」
「わたしもいっしょにさがすよ!」
「いい。掃除を続けてくれ」
俺ははたきを放り出してついて来ようとするサクラを押しとどめて、部屋を後にするとドームポリスの中を歩き始めた。あちこちから物を動かす音がし、女たちが埃やゴミを掃き出す姿が目立つ。
今我々は、ドームポリスの復旧を兼ねて、全体の清掃中である。
十日前、俺が惰眠を貪っている内に、アジリア率いる女たちがあらかた片付けてくれた。しかし細かいところは手付かずな上、残された物資の確認も済んでいない。まず行動を起こす前に、どんな手札があるのか確かめたい。今だって彼女たちにライフスキンを着せているが、早い所まともな服を着せたいのだ。
しかし――
「プロテア」
俺は物陰でコソコソしていた女に声をかけた。捨てられていた茶髪の女である。黒人で背が高く、すらりとしたしなやかで頑丈そうな身体つきをしている。髪はちぢれたミドルヘアで、軽く編み込んでいた。
彼女は俺の声を聴くと、悲鳴を上げて飛び上がった。
「何をライフスキンの胸の布にくるんだ? 出すんだ」
プロテアは引きつった笑顔を浮かべながら俺の方を向くと、両手を広げて身の潔白を示した。
「なにって……ナガセ。これおっぱいだよ。なにもかくしてないよ」
俺が彼女の胸を見る。成程。なかなか立派なものを持っているようだが、胸の布を押し上げて、谷間から妙なでっぱりが飛び出ている。
「そんな尖った乳があるか」
俺は無造作にライフスキンの布を捲り上げた。異物をくるんでいる布は、元々有機ELのディスプレイなので、肌が露出することはない。だが胸が揺れるのを見ると俺にも罪悪感が湧く。
俺は溜息をつきながら、地面に転がったペットボトルを拾い上げた。プロテアは俺からそれを奪い返そうとする。
「ナガセ! かえしてよ! わたしがみつけたんだからわたしのだよ!」
「ここにあるのは皆のものだ。皆が最もいいかたちで使う為にあるんだ。はい。勝手に物資を取ろうとしたから罰だ。外縁一周」
不届き者には鍛錬を兼ねて走らせている。俺は曲線を描くドームポリスの廊下を指した。プロテアは泣き顔になって、呻き声で不満を訴える。だが俺が腕を組んで睨み返すと、すごすごと廊下を歩いていった。
「走るんだ!」
俺は大声を上げる。ようやくプロテアは、チンタラと走り出した。あの調子だと俺のいない所で歩くに違いない。身体は大人でもオツムは道理の効かない子供だ。仕方ない事と言えば仕方ない事だが、流石にこれは放ってはおけない。
俺の背中を誰かが叩く。見るとかつて見張り台にいた赤髪の女が、にっこりと俺に微笑んでいた。リリィだ。彼女は白人で、背は低く俺の腹ぐらいの高さしかない。それは彼女の年が若いのか、そういう体型なのかは分からなかった。
「ナガセ。はしってきたよ。もうばつおわりだよね」
彼女はそう言うと、箒を持ってその場から去ろうとした。俺は彼女の腕を掴むとその場に止まらせた。
「走ったにしては随分と時間がかかったな。それに汗の一つもナシ。息も上がっていないな」
俺が聞くと、リリィは眼を反らして唇を尖らせた。
「あ、え~と。サクラがじゃました。だからおそくなった」
俺はこめかみに青筋を浮かべながら、近くの個室を指さした。
「サクラはそこで掃除しているが?」
「じゃあデージーがじゃました」
リリィは悪びれなく答える。
「じゃあってお前……アイアンワンドォ!」
埒があかない。もう使うまいと思っていたが、これでは致し方ない。まともにドームポリスが回る前に、規律が乱れてみんな死ぬ。それぐらいなら使ってやる。どうせ後で地獄を見るのも、今地獄を見るのもそう変わりない。
『サー。ご命令をどうぞ』
ドームポリス内のスピーカーから電子音声が響いた。俺の目につくところにいる女たちが作業の手を止め、声の主を探して天を仰いだ。
「こいつらのライフスキンに鎮圧用の端末はあるか」
『サー。データベースによると、付随しております。しかし今現在、サーによって外部端末への接続を禁じられております。解除なさいますか』
「ライフスキンの鎮圧用端末にのみ許す。これからはポジティブリストを作れ」
ポジティブリストとは、俺が許可を出した項目のことである。反対にネガティブリストは禁止項目のリストである。ネガティブリストだと、禁止した項目以外はすべて許可されていることになる。ポジティブリストにしたのは、無駄な足掻きかもしれないが安全策だ。
「プロテアを確認。位置情報をマップに表示」
俺はライフスキンの胸元を捲り上げ、マップを映した。
『サー。プロテアはドームポリス内を停止中です』
アイアンワンドの声を聴いて立ち止まったか。赤い光点が、ドームポリス内の廊下で止まっている。規律の為だ。すまないが見せしめになってもらうぞ。
「プロテアは暴徒だ。暴徒鎮圧。レベル1。ケツに蹴りを入れろ」
『サー。イエッサー』
廊下の向こうから、電撃の音がした。
「みぎゃああああああああああああ!」
「走れェ!」
俺が怒鳴り声を上げると、猛牛の走るような凄まじい音が廊下から響いてきた。
「最初っからそうすればいいんだ。おいもう一周走ってこい」
俺がリリィに言うと、彼女は顔を青ざめさせながら、がむしゃらに廊下を走り出した。
入れ替わりに、金の短髪の女性が俺の所に来た。ローズだ。すらりと背が高いが、プロテアのようにがっしりしている訳ではない。まるでモデルのような華奢な体をしている。
彼女はきっとリリィと俺のやり取りを見ていたのか、わざとらしく息を上げて、俺の所まで走ってきた。
「ナガセ。おわったよ。そうじにもどるね」
彼女はそそくさと俺から離れようとするが、俺は素早く彼女の胸の布を引っ剥がした。案の定、床には錠剤が幾つかと、カードキーが何枚かこぼれ落ちた。
「ローズ。お前は三周だ――貴様……」
俺は悪事がばれて、表情を凍り付かせるローズの口元を見て呻いた。ビスケットと思しき欠片がこびり付いていたのだ。
「アイアンワンド。ローズは暴徒だ。レベル2。鎮圧しろ」
『サー。イエッサー』
ドームポリスに悲鳴がこだました。
物資の確認は上手くいかない。女たちが自分の懐に入れてしまうからだ。その時に物資を駄目にしてしまうこともあるし、役に立たないと気付くと勝手に捨ててしまう。そのせいでどこに何があるのか余計分からなくなる。
女達には集団意識というものが全くなく、非常に利己的だ。彼女たちは個人が悲しいほど弱く、集団が理不尽なまでに強いのか理解していない。
唯一その事実に気付いている女と言えば、
「アイアンワンド。アジリアの場所を確認」
『サー。ドームポリス内に反応ナシ』
こいつである。他の女は目の前の欲に取りつかれているが、アジリアには道徳も公平性も危機意識もあった。こいつを模範にし、教育を施していくのが得策だろう。
だが彼女は俺のせいで取り巻きを失ってから、すっかり拗ねてしまっていた。俺と俺に群がる女たちを遠巻きに眺め、俺が気付くとそっぽを向いてどこかに行ってしまう。話しかけようとすると走って逃げる。驚いたのは俺を撒くだけの能力があるという事だ。
ドームポリス内にいないとなると、考えられる場所は一つだけだ。俺は屋上へと足を向ける。
俺は屋上のへりに腰を掛けて、足を遊ばせる金髪の女を見つけて、ほっと息をついた。一方アジリアは俺を見て露骨に嫌そうな顔をした。そしてさっと立つと、俺の脇を通り抜けてドームポリスに戻ろうとした。
「待て。ちょっと話を聞け」
「きくはなしなんかない」
アジリアの返事は素っ気ない。だが俺は彼女を無理やり捕まえると、目の前に引き止めた。
「手伝ってくれないか。ドームポリス内の物の確認し、ここをもっと強い場所にして、女たちも強くして、化け物に勝てるようにしなければならない。それに食料も貯めないと駄目だが、人手が足りない」
「おまえがなんとかしろ。たよられているのはおまえだ。おまえはそれができるんだからするのがあたりまえだろ?」
アジリアは気のない様子で言うが、俺は構わず続けた。
「いずれお前たちにも、俺が出来ることを出来るようになってもらわなくては困る。そうしなくては生きていけない。お前にはその手伝いができる。俺はお前を頼りたいんだがな……」
「なぜわたしだ? なんでもいうこときくサクラにたのめばいい」
こいつ本当に賢いな。俺は口の端を吊って笑った。そして屋上のへりから海を眺める。
海では病み上がりで体調がよくない女たちが、釣りをしている。彼女たちはドームポリスの見張り台から釣り糸を垂らし、ボケっと空を見上げていた。魚がかかっているのにも関わらずだ。
「デージー。竿を上げろ。小物だが逃がすな」
俺が見張り台に呼び掛けると、褐色肌の女が跳ね上がるように竿を上げた。仕掛けには小さい魚が食いついており、虚空を泳ぐように暴れている。彼女は特に喜ぶ様子でもなく、魚を脇なる水槽に入れると、あくびをしながら糸を垂らした。
彼女たちは、魚肉の美味さを知っている。しかしこんな面倒なことをするぐらいなら、果物をかじる方がいいと思っている。そしてそれは俺が持ってきてくれると思っている。
俺は頭を掻きむしりながら、アジリアに向き直る。
「アジリア。一つ聞かせてくれ。お前は長い事あの女たちのリーダーをしてきたと思うが、彼女たちを声や髪の色、体型以外で区別することが出来るか?」
突然の質問に、アジリアは考えるように顎を引いた。彼女は何も言わなかったが、その沈黙と眼つきが肯定を示していた。
「出来ないだろ。みんな同じ性格だ。ただ生きることしか考えていない。意味のある事はやれと言われなければしようともしない。そしてそれが何の意味を持っているのか分からないし、知ろうともしない。教えても興味を持たない。ただ気ままにやりたいことをやって、食って、寝て、糞を出す。それだけの生物だ。だがお前は違う。明確な意志を持ち、そのためにどうすればいいか知っている。自ら生きようとする意志。それがいま大事なんだ。サクラは俺の言っていることをそのままやっているに過ぎない」
「なにがいいたい?」
アジリアは目を細める。
「みんなに生きたいと思って欲しい。自分だけではなく他の人にも。そのために何をすればいいか考えられるようになって欲しいんだ」
「わたしもめしをくってくそをたらすだけのいきものだ」
俺は無言でアジリアのチョーカーを外した。ライフスキンが捲れ、乳房が露わになる。彼女は慌てて両手で胸元を覆ったが、俺は無造作に胸に手を突っ込んだ。
そしてそこから拳銃を抜き取った。俺が銃の掃除をするところを熱心に見ていたからな。俺は彼女の目の前で銃を揺らした。
「お前は違う。俺を危険視し、生き残るためどうすればいいか分かっているし、そのためにどうすべきかも知っている」
俺は拳銃をライフスキンでくるむと、アジリアに背を向けた。
「ばつはなしか?」
「お前今から掃除の監督をしてくれるんだろう? 俺は水と果物を取って来るから、後のことは頼む。分からないことがあればアイアンワンドに聞け」
「あれはおまえのいうことしかきかないだろ?」
「お前は使えるようにした」
俺は背中に刺すような視線を受けながら、屋上を後にした。
そして人攻機に搭乗し、倉庫からドームポリスの外に出た。
ドームポリスの周囲は軽く要塞化が進んでいた。ドームポリスの天蓋を覆っていた鉄板を地面に突き立て、簡単な柵が作ってある。いずれは有刺鉄線などで完全に包囲し、堀を作ってもっと強固なものにしたい。鉄板に混じって白い杭も突き立ててある。センサーポストだ。アイアンワンドが管理しており、森からの侵入者を感知すると、アラートを鳴らすようになっている。
俺が来るまではドームポリスは封鎖された状態だった。しかし今は太陽光パネルが露出している。強化ガラスは猿の拳に耐えられないかもしれないし、仮に耐えられたとしても猿にドームポリスの近くに居座られたら、出撃時に内部を危険に晒してしまう。いたずらに猿共を攻撃するつもりはないが、来たら迎撃に出るしかない。
「果たしてこれも上手くいくのか……」
俺はちらりと、柵の中の土に視線を移した。地面は耕され、果物の種が植えてある。植えてから一日二日しかたってないが、芽が出ないと不安の方が先に芽吹いてくる。
俺は不安を振り払うように、人攻機を森へ走らせた。