表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夕景肖像  作者: 鵜狩三善
2/5

2.

 たとえ明日をも知れぬ病人が家に居ようと、人は日々を(いとな)まねばならない。

 炊事洗濯は無論の事、出入りの増えた親族への応対も必要だ。見舞いこそ断っているものの、安否を気遣う電話がほぼひっきりなしに鳴っている。

 幸いの週末であったから、父が電話口を一手に引き受け、母と叔母の負担は大分軽減されたようだった。私も一助になろうと、食料品の買出しを引き受けた。

 しかし夕暮れの帰り道は、荷物以上に気持ちが重い。

 明日になれば、私は何でもないような顔をして登校せねばならない。

 父も母も、何よりも祖父も、学校を休めとは言わないだろう。家族の腹くらいは判る。子供は余計な気を回さずに、いつも通りの日常を送ればいいと考えているのだ。

 こういう時、自分がまだ子供なのだと思い知らされる。

 嘆息して、私は俯いたままとぼとぼと門を潜る。上っ面を取り繕うつもりにもならない。


「失礼」


 不意に横手から声がかかって、私はびくりと身を竦ませた。

 思考に没入していて、門前に人が居る事にも気付かなかったのだ。


「君は、この家の子かな?」

「あ……はい」


 答える私の姿勢には、不審が滲み出ていたのだろう。そのひとは困ったふうに微笑んだ。


「私は君のお爺さんの、利一(りいち)君の友人さ。先程病院の方へ足を運んだのだけれど、入れ違いで昨日退院したと言う。それでこちらまで押しかけた訳なのだけれど……」


 言葉を切って、母屋を目線で指した。そこには傍目(はため)にもはっきりと、慌しい雰囲気が張り詰めている。


(いささ)か、声をかけにくくてね」


 だからこのひとは門の前で、誰かが通りすがるのを待っていたというのだろうか。なんとも悠長な話だと思った。その余裕のある風情が、ささくれた私の心を逆撫でにする。


「祖父に何か御用でも?」


 返答する声は自分でも硬く感じた。

 このひとが先ほど挙げた名前は、確かに祖父の名だ。でも名前を知っているからといって、それで知人友人と信用するほど私は純朴ではない。

 視線に籠めた敵意はふわりと受け流された。

 そのひとは肩がけにしたディパックから封筒を抜き出し、裏を返して私に見せる。記されているのは祖父の名前とこの家の住所だった。筆跡も祖父の真筆であると見えた。


「急用、とだけ記されていてね。取るものも取りあえずで来たのだけれど、どうかな? ひとつ信じて、彼に会わせてはもらえないかな」


 退院が決まる前、祖父が封書をしたためて、看護の人に託したとの話は聞いていた。

 口述筆記をしようにも、結局喋る方が大仕事になってしまうから、代筆もできなくてごめんなさいと、そう詫びられたので記憶に残っている。

 その手紙が、このひとを呼び出す為のものだったのだろうか?

 不審を(はら)んだ目で、私は眼前の人物を観察する。


 年の頃は二十代前半くらいだろうか。外見の印象は中性的で、まるで男女の別がつかない。私も同様の言いをされはするが、このひとは私に輪をかけている。

 けれど今のやりとりの折の、静かでやわらかな声質から、そのひとが女性であるとは判っていた。そうと思って見ればその線の細さも、痩躯(そうく)というより華奢(きゃしゃ)とすべきな、女性の印象を与えるものだ。

 黒のスラックスに白いイタリアンシャツ。サイズからして、あれは男物だろう。頓着(とんちゃく)しないのだろうか、手提げしたディパックもそのひとの雰囲気には馴染まないもので、色合いも妙に若々しい。むしろ私くらいの年代が好みそうな品だった。

 そこへ明らかに安手のスニーカーをつっかけていたりするのだから、普通ならもっとちぐはぐな印象になるはずだ。

 なのにその風体は奇妙にしっくりして見えた。見た目よりもずっと長く年を重ねた人物のような、そんな落ち着きすら感じさせる。

 この女性は、一体ソフトはどういうつながりなのだろう。それがひどく不思議だった。

 そこではっと我に返る。

 思案に(ふけ)()不躾(ぶしつけ)な視線を、そのひとは正面から受けて見返していた。心底まで見抜かれた気がして、私は一呼吸だけ狼狽する。

 するとそのひとは微笑んで、


「ああ──君は利一君によく似ているね」


 夕日が、風景を紅に染め上げる。

 懐旧するように笑むその横顔を、私は何処かで見たと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ