隣人
ガサガサとゴミ袋を開ける。お隣さん、今日もごめんなさい。と心の中で謝りながら。そう、私はストーカーだ。
「あ、今日はシュレッダーかけてない……。名前、柊奏さんていうんだ……。きれいな名前……」
いつも配達の荷札や個人情報は念入りにシュレッダーにかけられていて、名前が長らく分からなかったから、新たな発見で嬉しい。
「ああ、神様ありがとうございます。生きててよかった」
私のストーカー人生はまだまだ短いほうだけれど、お隣さんのおかげで何とか日々の糧というか、生活の楽しみになっている。
「さ、今日も会社行かなくちゃ、行ってきます。奏、さん……」
部屋中に貼りめぐらされた写真たちに向かって挨拶をする。自分で何やってんだかと思うくらい恥ずかしくなってきた。
会社についてからも今日はぼんやりして、ミスが多いって部長に怒られちゃいました、こんな時、奏さんが傍にいてくれたらな……と深いため息をもらしながら、帰路についた私はマンションのエレベーターを待っていた。すると、後ろからコツコツと革靴の小気味良い音が響いてきた。
「こんばんは、今、お帰りですか?」
そう声をかけてきてくれた人こそまさに、柊奏さんだった。
「あっ!えっと、は、はいっ!そそそうで、す……」
なぜもっと上手くしゃべれないのか、私。
「お勤めご苦労様です。ああ、そうだ。よろしければカレー作りすぎちゃったので、もしご迷惑でなければ、夕飯ご一緒にいかがですか?」
私の聞き違いだろうか。私が一方的に想いを寄せていた人から、声をかけられ、食事に誘われた。しかも自室に上がり込める、またとないチャンス到来だ。
「ほ、本当にい、いいんですか……?」
「ええ、もちろん」
いよいよ覚悟を決めて、それではお言葉に甘えて、と靴を揃えて上がり込む。部屋中にふわりとスパイスの効いたカレー特有の、食欲をそそる匂いが立ち込めていた。
「きれいなお部屋ですね……」
「そうですか?ありがとうございます、盛り付けるので、少し待っていてくださいね」
ありがとうございます、と返事をしながらも、部屋中をきょろきょろと見回してしまう。
「ふふ、自由にしていていいですよ」
「あ、す、すみません……」
ふと、一番奥のクローゼットの奥から光が漏れていることに気づいた。なんだろうと、手を伸ばしてそおっと開けて、中を覗き見る。
「……え?なに、これ……」
その時、後ろから踊るような嬉しそうな声音の奏さんの声が聞こえた。
「ああ、見てくれたんですか?」
クローゼットを改造した狭い部屋のそこには壁一面に私の写真が貼ってあり、私が見た光はモニターの液晶だった。そこには私の部屋がいろいろな角度から映し出されており、私が奏さんのゴミを漁っている様子も写真に収められていた。
「こ、これは一体何ですか?!」
「やっと会えましたね、私の可愛いストーカーさん」
「全部知ってたってことですか……?」
「はい!私はあなたがここに引っ越してくる何年も前から、ずーっとあなたのストーカーでしたよ。初めてあなたにお会いした時は、七年前の渋谷のハチ公前であなたが誰かと待ち合わせしている時に見かけて、一目惚れしてしまいました。五年前のカフェで向かい側の席になったことも、三年前の五月二六日の通勤電車で隣の席に座ったことも覚えてないんですか?」
狂ってる、としか言いようがなかった。私が引っ越してきたのは約一年前。奏さんが引っ越してきたのもほぼ同時期だ。
「さぁ、ストーカーさん。この後どうなるのかは、わかってますよね?」
「す、すみませ……い、命だけは……」
「あははっ!可愛い!なんて可愛らしいんでしょう!まさか命乞いするなんて!」
怖い。死にたくない。ごめんなさい。涙が溢れて嗚咽となりうまく言葉にできない。
「もう、私たち、両想いですよね。初デート、しましょうか」
「え…っんむぐっ!んーっ!んーっ!」
泣いてる私を押し倒した奏さんは、目にも止まらぬ早業で口をガムテープで塞ぎ、手足も折り畳む様にぐるぐる巻きにした。小柄な私はまるで江戸川乱歩の小説のあの芋虫のようだった。
「寝ていたほうが楽ですからね、ちょっと二、三日仮死状態になりましょうね」
かろうじて動く首をぶんぶんと振って嫌だと抵抗を試みるも、首筋を押さえつけられ、チクリとした痛みとともに無様に私の意識は飛ぶのだった。
どれほど待ちわびただろうか一週間後の朝、出発の時がやってきた。
ガラゴロガラゴロ-ー。チタン製でありながらも軽やかな材質のスーツケースを選んで良かった。丈夫だし、これなら大事な人に傷一つ付かない。
「おや、柊さん。そんなに大きなスーツケース持って。どこかに旅行にでも行くのかい?」
「ああ、管理人さん!そうなんです。これから恋人とちょっと長い旅行に行こうと思ってまして」
「柊さんもついにいい人ができたんだねぇ。楽しんでおいで」
「ありがとうございます、楽しんできます」
「ああ、そうだ、柊さんのお隣さん、知らないかい?鍵が玄関に落ちたまま行方不明になってるらしくてね……」
「いえ、知りませんね……。見かけたら、お声がけしますね」
ありがとう助かるよ、とマンションの管理人はまた掃除の業務へと戻っていく。
「ふふ。馬鹿な人だ」
僕の愛しい恋人には、誰にも触れさせないし、誰の目にも映させない。
「さぁ、どこに行きましょうか……」
こうして一人のストーカーが鍵一つ残して消えた。
完




