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第8話 噂は千里を走るらしい

 オスカーの言葉を受け、俺の口から漏れたのは、昨日マルタに婚約の話を聞かされた時と全く同じ、 間抜けた声だった。


「おいおい、何だその間抜けな顔は」


 ゲラゲラと大げさに笑うオスカーに、俺はこめかみをピクピクとさせながら聞き返す。


「……悪いがもう一度言ってくれるか。誰が、誰に、何をしたと?」


「だから、お前が! あのエルナ・グリーベル嬢に! 熱烈な告白をして、見事に玉砕したって話だよ!」


 食堂中の視線が、一斉にこちらに突き刺さるのを感じた。

 こいつ、絶対わざとだろ。今この瞬間に、噂の当事者として俺の顔が完全に覚えられただろうが。


「……心当たりが、全くないんだが」


 俺はできるだけ冷静に、声を低くして言った。だが、オスカーは面白くて仕方ないというように、身を乗り出してくる。


「昨日の法技会でお前、エルナ様に会ったんだろ? その場で熱烈に言い寄って、けんもほろろに断られたって話だ。あまりにしつこいから、最後はマクスウェル教授が間に入って無理やり引き剥がしたとかなんとか」


 尾ひれどころか、原型を留めないレベルで話が盛られている。

 俺はただ、エルナの豹変ぶりに困惑し、硬直していただけだ。手を握られたのは向こうからだし 、それを振り払う間もなく、勝手に距離を取られた。告白など、する暇もなかった。


「……話が違いすぎる。ってかお前、実は変だって気付いてるんだろ?」


 あのオスカーが、こんな根も葉もない噂を鵜呑みにするなんて思えない。

 となると、こいつはあれだ。この状況を楽しんでいるだけの、悪趣味な奴だ。


「はは、まあな」


 オスカーはあっさりと肯定し、バターをたっぷり塗ったパンを口に放り込んだ。


「お前がそんな情熱的な男とは到底思えないし。だが、噂ってのは事実かどうかより、面白いかどうかで広まっていくものなんだよ」


 楽しそうに事実を述べていくオスカー。


「……他人事だと思って、少しは友人の手伝いくらいをだな」


「手伝う? 何をだ? おかげでお前は一躍有名人だぞ。ただの『ベルモンド家の次男坊』から、『宮廷魔法師に玉砕した男』にクラスチェンジだ。良かったじゃないか」


「全然良くないんだが……」


 俺は深いため息をついた。

 確かにこの世界の危機に比べたら些事かもしれないが、何がどんな結末をもたらすのか、今となってははかり知れない。

 原作になかった問題ごとを引き起こすのは避けた方が良いに決まっている。


 ……正直、面倒くさいからってのが本音だが。


 もはや食事どころではない。周囲のひそひそ話が針のように背中に刺さる。

 俺は早々に席を立った。


「おい、もう行くのか?」


「こんな状況でゆっくりできるわけないだろ」


「そら、そうだ」


 オスカーはチラリと周囲を見て笑う。


「せめて、噂の出所でも探ってみる」


「そうか、無駄だと思うがな。ま、せいぜい頑張れよ、玉砕王子」


「……そのあだ名をもう一度口にしたら、お前の昼食から肉料理を一年間抜きにするよう計らってやる」


 俺の低い声での脅しに、オスカーは肩をすくめてひらひらと手を振った。あいつのその態度が、無性に腹立たしい。



 ▼



 食堂を出て、ひんやりとした廊下を歩きながら頭を整理する。

 昨日の法技会にいたのは、俺とエルナ、マクスウェル教授、そして他の学生が数名。教授がこんな下世話な噂を流すはずがない。他の学生も、あれだけの脚色を加えるだろうか。


 考えれば考えるほど、最も怪しい人物が一人、くっきりと浮かび上がってくる。


(エルナ・グリーベル、本人か……?)


 だが、一体何のために?

 そこまで考えたところで、昨夜のマルタとの会話が脳裏をよぎった。


 ――『ディラン・ベルモンド様と、エルナ・グリーベル様です』


 俺たちの間で進められているという、婚約の話。

 もし、エルナがその縁談を快く思っていなかったとしたら?

 いや、まあ十中八九そうなんだろうが。


 完璧主義者である彼女が、家が決めた政略結婚の相手を良しとするとは思えない。ましてや、その相手が誰とも知れない男ならなおさらだ。


 しかし、妨害工作にしては些か具体性に欠ける方法である。


 仮に俺が実際に振られたとして、それは個人間の話であり、家同士の縁談においては決定的な障害にはなりえない。


(いや、体面を気にする貴族社会だと、あり得るのか?)


 マルタの話、オスカーの態度からして、俺とエルナの縁談話はまだ表立って進められてはいないのだろう。

 あくまで両家の関係者だけ。


 ……まあ、俺は知らなかったが、そこは置いておいて。


 その段階で、「ベルモンド家の次男がグリーベル嬢に振られた」という噂が学院中に広まればどうなる?

 その後に両家の婚約が発表されたら、周囲は俺を「振られた腹いせに家の力で無理やり婚約にこぎつけた情けない男」と見るだろう。エルナに対しては同情的な視線が集まるはずだ。

 そうなれば、ベルモンド家の沽券に関わる。

 父上がそんな醜聞を許すとは思えない。


(……先手を打った、ということか)


 これは、エルナによる婚約破談を狙った、極めて計画的な情報操作だ。

 原因は俺にあるとはいえ、なかなか陰湿なことをする。

 それに、学院内でのトラブルは破滅フラグに紐付く可能性だってない話ではない。



 だが、少なくともこの噂はまだ学院内に閉じたもの。

 父上やグリーベル家の耳に入る前には、何とかわだかまりを解消しなければならない。

 とはいっても、具体的な案は見えてきていないのだが。



 ▼



 結局、具体的な解決策も、エルナとの接触も叶わず、その日は何もないまま終わってしまった。

 マルタからは、生温かい視線を受けていたが、弁明すると、それはそれで心配されたが。


 ということで、朝食を取りに食堂へ。

 オスカーは貴族用のラウンジで、他の同級生たちと談笑していた。俺の姿を認めると、ニヤニヤしながら手招きをする。


「よう、玉砕王子。少しは元気が出たか?」


「その呼び方はやめろ。……少し相談なんだが」


「どうかしたのか?」


 周りの生徒たちを下がらせ、オスカーは面白そうに俺に向き直った。俺は意を決し、恥を忍んで尋ねる。


「婚姻を解消、いや、しないで済む方法って何かあるか?」


 一瞬の沈黙。

 やがてオスカーは、堪えきれないといった様子で吹き出した。


「ぶはっ! なんだ、お前、まさか本気でエルナ様を……いや、違うな」


 オスカーは楽しそうに笑う。


「噂の出所も、その相談も、全部繋がったぜ。お前の家に、エルナ様との縁談話が持ち上がってるんだろ」


 さすがに鋭い。俺はこくりと頷いた。


「それで婚約を消滅させたいときたか、実にディランらしい相談だな」


 彼は愉快でたまらないといった表情で続ける。


「ただまあ、そうだな。婚約ってのはそう簡単に解消できるものじゃない」


「ああ、分かってる」


 俺は頷いた。

 当然だ。そんな簡単に解消できる約定なんて、貴族社会において何の意味も持たない。


「だが、あり得ないことでもない」


 オスカーは俺をじっと見つめた。


「実際、色々と手はある。ただ、お前向きなのは――」


 オスカーは少しだけ間を置き、ニヤリと笑って言い放った。


「誰とも釣り合わないくらいお前が大成すれば良い」


「……大成?」


 予想外の答えに、俺は思わず聞き返す。


「ああ。考えてもみろ。エルナ嬢は史上最年少で宮廷魔法師になった天才だ。そんな彼女と釣り合う男が、この国にどれだけいる? ほとんどいない。だからこそ、将来有望なベルモンド侯爵家の次男であるお前に白羽の矢が立った。家の格と、個人の将来性。その二つが見込まれたわけだ」


 オスカーの言う通りだろう。今の俺は、駒として丁度いい価値なのだ。


「だが、お前が宮廷魔法師の序列第一位とか、近衛騎士団長とか、それこそ宰相にでもなっちまったらどうだ? 今度は逆に、お前と釣り合う女がいなくなる。グリーベル家も、『うちの娘ではベルモンド家の御曹司には不釣り合いだ』と、向こうから話を辞退せざるを得なくなるだろうさ」


 それは、まさに逆転の発想だった。

 逃げるのではなく、相手が追いつけないほど先に進んでしまう。

 悪役を演じて自分の価値を下げるのではなく、努力を重ねて自分の価値を上げすぎる。


「なる、ほどな」


 それは、俺がこれまでやってきたことの延長線上にあることだ。

 破滅を避けるために始めた鍛錬と勉学。その努力を、今度は婚約を避けるために続ける。

 元々、高尚な信念などではなかったのだから、目的は変われど、やることは同じだ。


 何より、その道ならば破滅フラグに自ら飛び込む必要がない。

 むしろ、さらに遠ざかることになる。


「……悪くないな、その手は」


「だろ? まあ、茨の道なのは間違いないがな。お前がそこまでの器かは、俺も知らん」


 オスカーは肩をすくめたが、その目には面白がる色とは別に、どこか期待のような光が宿っていた。


 俺の心に、一つの覚悟が決まった。

 原作に戻そうと足掻くのはやめだ。一度狂った歯車はもう元には戻らない。ならば、進むしかない。


 俺は、俺のやり方で、この崩壊したシナリオを生き抜いてみせる。

 まずは、このくだらない噂と婚約話から自由になるために。

 そして、いずれ来るであろう世界の危機に、何らかの形で備えるために。


「ありがとう、オスカー。少し、道が見えた」


 俺がそう言うと、オスカーは満足そうにうなずいた。

 空は相変わらず青く、俺の心に巣食っていた霧が、少しだけ晴れた気がした。

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