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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第67話 地下の儀式

 戦闘の余韻が消え、静寂が戻った。

 地下の空気は重い。湿気と焦げた酸の匂いが混じり合い、喉の奥に金属の味が残る。


「……全員、無事か」


 騎士の声に俺たちは順に頷いた。

 盾の縁が焦げ、剣先には酸の白い痕がこびりついている。

 だが、幸いにも怪我を負ったものは一人も居なかった。


『危なかったですね……』


 ルーの言う通りだった。

 まさかスライム程度でこれほどの消耗になるとは思わなかった。

 あれのどこが“最弱モンスター”だ。


「進みましょう」


 エルナが軽く周囲を見回し、掌に魔力を集める。

 淡い光が空気を照らすと、通路の奥に影が生まれた。

 壁が終わっている。そこから、かすかに風が吹き抜けてくる。


「通路の先……空間が開けています」


 エルナの言葉に、クライスが前に出た。

 松明を掲げて進むと、視界が広がる。


 そこは、まるで地下神殿のようだった。

 石造りの円形の広間。

 天井は高く、柱がいくつも立ち並び、中央には黒く沈んだ水盤がある。

 壁のあちこちには古い彫刻のような文様が刻まれ、その上を苔が這っていた。

 人の気配はない。けれど、つい最近まで“何かがあった”匂いがする。


「儀式場?」


 俺は呟いた。

 大聖堂の神聖さこそ感じないが、その構造は意図して作られたように感じられる。


「そのようですね」


 エルナが膝をつき、指先で床の線をなぞる。

 淡く青白い残光が、彼女の指に沿って揺らめいた。


「ここで“何か”が行われたのは間違いありません。問題は――その“何”かです」


 クライスが剣を構えたまま周囲を警戒する。

 リリアは水盤の縁にしゃがみ込み、覗き込んだ。

 水面は鏡のように静まり返っている。

 その底に、微かな“線”が見えた。


「お兄さん、これ……魔法陣の一部だと思う」


 リリアが手を翳すと、水盤の下で淡い光が広がった。

 古い紋章。円環を基軸に、複数の直線が複雑に絡み合っている。

 それは呪印の構造と酷似しているように感じた。


「どんな魔法なんだ?」


 俺はエルナを見た。

 魔法陣と言えば彼女だ。


「……生憎と見たことのない紋章術です」


 エルナのその一言が、広間に重く響いた。

 宮廷魔法師である彼女が「見たことのない」と断言する。

 それは、この紋章術が既存の魔法体系の“外側”にあることを意味していた。


「未完成……? いや」


 エルナは光を宿した指先を止めたまま、わずかに眉を寄せる。


「上書きされている?」


「あ、本当だ!」


 リリアは魔導灯片手に、水盤の縁に身を乗り出した。

 淡い光が水面を照らし、その下で複雑な線が二重に交差しているのが見える。


「ここ。元の線の上に、あとから別の術式が重ねてある」


「……確かに」


 エルナが頷く。

 指先で触れた箇所が微かに発光し、下層の紋様と上層の線が干渉して淡く歪んでいる。

 素人の俺でも、言われていれば分かるほど拙いものだ。


「何のために?」


「おそらく、何者かがこの陣を途中で書き換えた。儀式を止めようとしたのか、逆に強化したのか……」


 エルナの乾いた声が、静かな広間に響く。

 リリアは「うーん」と唸りながら、水盤の縁を指でなぞった。


「お兄さんは何か感じることない?」


 リリアからの問い。

 流石にこればかりは魔力感知で分かるようなものではない。

 なら原作知識だが、影の教団と儀式が結びつくことなんて、魔王復活の儀式くらいだ。

 だが、あれは封印石があってこそだ。

 こんな魔法陣だけで実行できるものではない。


「流石に魔力感知で術式の意味までは……」


 結局、答えは出せない。


『私もさっぱりです』


 ルーも頭の中で唸っている。

 彼女もまた魔王の気配を感じ取っている存在だ。

 でも今、心当たりがないというのなら、やはりこの儀式場は魔王とは関係ないのだろう。


「試しに起動してみる?」


 リリアが何となしに恐ろしいことを言ってのけた。

 騎士たちはギョッと目を見開き、エルナでさえ少し驚いた様子でリリアを見ていた。


「……落ち着いて下さい」


 エルナが静かに言った。

 その声音には叱責よりも、警戒が滲んでいる。


「未知の術式を不用意に起動させるのは危険です」


「だって、止まってるなら安全かと思って」


「止まっている“ように見える”だけです」


 リリアは舌を出して肩を竦めたが、その視線はまだ水盤の奥を見つめていた。

 エルナは深く息を吸い、慎重に魔力を込める。

 掌から放たれた光が水面を撫で、陣の輪郭を浮かび上がらせる。


「……反応がありますね」


「残留魔力?」


「いいえ、動いています。微弱ですが――“どこかと繋がっている”。」


 その言葉に、場の空気が一変した。

 クライスが反射的に剣を構える。

 広間のどこかで、水が一滴、落ちる音がした。


「――そこの床ですね」


 俺は壁の側にある床を指さした。

 エルナの言う通り、魔力が流れている。

 その流れを辿った結果、その場所、床の一部がわずかに沈んでいた。

 正確には、中心を軸に薄く“円”を描くようにずれている。


「あ、本当だ!」


 リリアがトテトテとその場所に向かうと、コンコンと床を叩いている。


「隠し通路か」


 クライスが呟く。

 まさに秘密結社らしい仕掛けだろう。

 まだ確定ではないが、より影の教団の気配が濃くなった。


「何かある!」


 リリアが膝をつき、接合部を覗き込む。

 ほとんど肉眼では分からないほどの細い隙間。

 彼女は腰のポーチから金属の棒のような魔道具を取り出し、先端を差し込んだ。


「開けるね!」


「慎重に」


 エルナの声に合わせ、リリアが装置をひねる。

 わずかな震動とともに、床の中央が沈み込み、円形の石盤が静かに回転しながら開いていった。

 地下のさらに下へ――黒い穴が口を開く。

 そこから吹き上がる空気は冷たく、ひどく乾いていた。


 穴の奥は暗闇に沈んでいた。

 松明の光では底が見えない。

 ただ、そこから上がってくる風に“魔力の匂い”が混じっているのが分かった。

 生き物のものではない。もっと冷たい、人工的な魔力の流れだ。


「……下に、何かありますね」


 エルナの声は低く、慎重だった。

 クライスが松明を持ち替え、先に立つ。

 足場は石造りの階段。だが古い。長い年月、誰にも踏まれなかったことが一目でわかる。


 降りるたびに、空気が重くなっていく。

 地下特有の湿気が失われ、代わりに、息を吸うたびに胸を締めつけるような圧があった。


「この感じ……魔力濃度が異常に高いです」


 エルナが呟く。

 彼女の周囲に展開された光の粒が、かすかに揺らいで歪んでいる。

 光そのものが、空気に押されているようだ。


 やがて階段の終わりが見えた。

 そこは狭い空間――実験室のような部屋だった。

 壁には崩れた書棚、散乱した書簡、そして中央に据えられた石台。

 その上には、割れた水晶器具と、焼け焦げた魔法陣の断片が残されていた。


「研究室かな?」


 リリアが呟く。

 彼女の声が吸い込まれるように消える。

 エルナは黙って石台に近づき、指先で焼け跡をなぞった。


「魔力を集めるように設計されていますね」


 エルナの分析するような声が届く。


「魔力を集める……」


 俺の呟きは闇に消える。

 心当たりはない。一体、ここで何が行われているのだろうか。


 エルナの指が止まった。

 焼け焦げた陣の縁、黒い煤の下から、刻印が浮かび上がる。


「……この符号」


 彼女が眉を寄せる。

 リリアが覗き込み、灯りを傾けた。


「見覚えある? 魔法院の識別文字?」


「ええ……ただ、これは――」


 エルナは僅かに声を震わせた。

 石台の縁に彫られていたのは、王立魔法院の正式符号の中でも、研究責任者級しか扱えない認証式。

 しかも、その末尾には消えかけた手書きの文字が重なっている。

 細く乱れた線。

 “停止”を意味する古代語の符。


「……誰かが、ここで儀式を止めた」


 沈黙が落ちた。

 クライスが剣を握り直す。

 リリアが息を呑み、ゆっくりと周囲を見回す。


「止めた? ってことは、途中までは動いてたってこと?」


「そうです。そして……この構造」


 エルナは焼け焦げた魔法陣の断片をなぞる。


「魔力を集め、中央で圧縮、外部へ転送」


 その流れを追うように光の粒が走り、壁際の装置へと繋がる。

 そこには何かが嵌め込まれるような窪みがあった。


「……魔誘石か」


 俺は呟く。

 魔物をおびき寄せる石。

 学院事件の際、ロイが使用した元凶。

 作成には膨大な魔力が必要となる、という設定だったはずだ。

 まさか、こんなところで製造が行われていたなんて。


「魔誘石?」


 エルナは問いを投げる。


「あ、はい。ちょうどあの石が嵌まるくらいの窪みかなと思ったので……」


 俺の誤魔化しにエルナは無言で答える。


「……学院で使用されたという石ですね。教団と魔力の集約――確かに関係はないとは言えませんね」


「でも中止されたんだよね?」


 リリアの問いにエルナが呟く。


「はい。儀式そのものは“止まった”。ですが――」


 エルナが指を離す。

 その瞬間、石台の隙間からかすかな光が漏れた。

 ほんの一瞬、残り火のように灯り、すぐに消える。


「……残留魔力が、今も動いています。どこかへ流れている」


 その言葉に、全員の背筋が冷えた。

 風が通路の奥から吹き抜け、古びた紙片を揺らす。

 まるで、地下全体がひそやかに息をしているようだった。


「つまり、“止められた”けど、“終わってはいない”」


 リリアが呟く。

 その声には、いつもの明るさがなかった。


 俺は水盤の上に視線を戻す。

 光を失った陣の断片が、闇の中で静かに沈黙している。

 だがその沈黙は、安らぎではなく――警告のように思えた。


(……二日後の儀式。ここは、その“前哨”だったのか? ――でも、その前哨の儀式さえも誰かに止められた)


 間違いなく俺の知らない所で何かが起こっている。


「……撤収しましょう」


 やがてエルナが静かに言った。

 その声は落ち着いているのに、どこか震えていた。

 クライスが頷き、騎士たちが手際よく退路の確認を始める。


 階段を登る途中、ふと背後を振り返る。

 暗闇の底で、水盤が淡く光を反射したように見えた。

 錯覚か、それとも――まだ、何かが呼吸しているのか。


 地上に戻ったとき、朝の光はすでに差し始めていた。

 冷たい風が肌を刺す。

 俺たちは互いに顔を見合わせたが、誰も笑わなかった。


「……“儀式”は明日行われるのかな?」


 リリアの問いに、エルナは首を横に振る。


「分かりません、ただ何もしないとも思えません」


 その言葉に、全員の表情が固まる。

 地下の空気の重さが、まだ肺の奥に残っている気がした。


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