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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第66話 地下道にて

 まだ夜の蒼が空に残る、早朝五時。

 王城の庭園、その最も隅に近い場所。

 大樹の根元に隠されるようにして、それは存在していた。

 苔むした石畳に埋め込まれた、錆びついた鉄格子。王都の地下を網の目のように走る、旧地下水路の入口の一つだ。


「……ここですね」


 エルナの静かな声が、冷たい朝の空気に白く溶けた。

 彼女の隣では、リリアが「うわ、本当に入口あったんだ」と、どこか楽しそうに魔導灯の出力を調整している。

 その光が、俺たちの強張った顔と、同行する数名の騎士たちの鎧を鈍く照らし出した。


 騎士団の応援――その中には、見慣れた仏頂面のクライスもいる。

 彼は黙って鉄格子に手をかけ、その重さを確かめていた。


「準備はいいですか」


 エルナの最終確認に、俺たちは無言で頷く。

 リリアが掲げた魔導灯が、鉄格子の向こう側、深く暗い闇の底を照らし出す。

 湿った土の匂いと、淀んだ水の気配が、生温い風となって俺たちの頬を撫でた。


 クライスら騎士たちは無言で鉄格子に手をかけ、ゆっくりと、しかし確実な力でそれを持ち上げた。

 ゴッ、と石と金属が擦れる鈍い音だけが、静かな庭園に響く。

 鉄格子の下から、淀んだ空気の匂いが一層強く吹き上げてきた。


「……念の為です、感知をお願いします」


 エルナから不服そうに声をかけられる。


「分かりました」


 俺は彼女の視線を受け止め、一歩前に出た。

 クライスが開けた鉄格子の縁に立ち、淀んだ空気が吹き上げるのを肌で感じながら、ゆっくりと目を閉じる。

 あの実験室での感覚――魔力を「皮膚」のように広げ、外界に「触れる」感覚を呼び起こす。

 意識を闇の奥へ、地下深くへと沈めていく。


「……これは」


 俺は目を開け、エルナとクライスを真っ直ぐに見返した。


「魔物の気配があります。そこまで強い反応ではないようですが」


 俺の報告に騎士たちがゴクリと喉を鳴らす。


「数は?」


 エルナの鋭い問いに、俺はもう一度意識を集中させた。

 闇の中に、魔力の「糸」を伸ばす。

 淀んだ空気の中を探っていくと、不快な魔力の“染み”が、点在しているのが分かった。


「……感知できただけで五体ほど、いずれも散らばっています」


 俺は感じ取ったままを口にする。


「自然発生した魔物の線もありますが、いずれにせよ警戒が必要です」


 エルナの言葉に、俺達は小さく頷いた。

 彼女は冷静な表情のまま、掌の上に小さな魔法陣を描く。

 淡い光が広がり、俺たちの足元に薄い結界の膜が展開された。


「探索は二列縦隊。先行は騎士団、その後ろに私たちが。異常時は即時報告を」


 エルナの指示が、張り詰めた空気の中に整然と響く。

 彼女の声を合図に、クライスたちが次々と松明を灯した。

 炎が鉄格子の下の闇を照らし、湿った石壁が鈍く光る。


 リリアが魔導灯を片手に、にこりと笑った。


「探検隊の出発だね」


「……楽しそうですね」


 俺は苦笑しながらリリアに告げる。

 無知なら分かるが、彼女は今の状況を理解した上で楽しんでいるように見えた。

 エルナの理性的な探究心、そしてゼノンのような計算高い好奇心とは少し違い、純粋な未知へと期待。

 危険を恐れず、恐怖すら面白がる。

 それがリリアという少女の天才性なのだろう。


「もちろんだよ! でも油断はしないからね!」


 魔導灯を片手に、そして何やら武器のような魔道具を腰から下げ意気を語る。

 ただやはり見た目というのは重要で、危険を前に張り切っている子どもにしか見えない。

 だが、彼女は紛れもなくこの国における至高の実力者の一人。

 俺のような見習いが心配する方がおこがましいのだから、複雑な気持ちである。


「それでは、行きましょう」


 エルナが短く言う。

 クライスが先頭に立ち、騎士たちが続く。

 松明の炎が、ゆっくりと闇の中へと吸い込まれていった。


 俺たちもあとに続く。

 足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。

 地上の冷たさとは違う、湿り気を帯びた重たい空気。

 石造りの階段を下るたび、足音が反響し、狭い通路の奥で幾重にも跳ね返った。


 水滴がぽたりと落ちる音。

 鼻を突く鉄錆と、濃い魔力の匂い。

 その全てが、まるで“地上とは別の世界”を告げていた。


 幸いにもその水路は下水路ではなく、匂いの問題はなさそうだ。

 その辺りはゲームだと都合よく解釈されるため、少し心配していた。

 ただやはり空気の重さ、淀み具合から、とても長時間居たいとは思えない。


 やがて階段が終わり、平らな通路が現れる。

 壁の苔が淡く光を返し、松明の灯が水面に揺れる。

 まさに地下通路。

 だが、常識的におかしな所がある。


「……綺麗すぎますね」


 エルナの言葉に、俺も頷く。

 長年放置された地下にしては、壁の破損も少なく、汚れだって目立たない。

 掃除されたというには大袈裟だが、人の手が入ったようには感じられる。


「誰かが使ってるってこと?」


 リリアの問いにエルナが頷く。


「ってことは」


 リリアは声に期待を含ませ俺を見る。

 俺は小さく息を吸い、返す。


「可能性は出てきましたね」


 俺の言葉にリリアがニコリと笑った。

 ただハズレではないということは、すなわち敵がいる可能性が上がったということで、諸手を挙げて喜べるというわけでもない。


「左右どちらですか?」


 先行する騎士が声を上げる。

 見れば、道が二股に分かれている。


「左です」


 エルナは迷いなく答える。

 彼女のことだ、きっと地図を丸暗記しているのだろう。


 左の通路に入ると、空気がさらに重くなった。

 どこからともなく、低い水音が響く。

 ぽたり、ぽたり――一定の間隔で落ちるその音が、やけに耳に残った。


「通気の流れが妙ですね」


 エルナが呟き、手をかざす。

 淡い魔力が指先に集まり、風の動きを捉える。


「右の通路は淀んでいましたが、こちらは……風が“出ている”。つまり――」


「奥に空間がある、ってことですか」


 俺の言葉にエルナは小さく頷いた。


 クライスが前に進み、剣の柄に手をかける。

 湿った靴音だけが響き、全員の呼吸が浅くなる。

 闇の奥へと進むほど、空気が乾いていくのを感じた。

 湿り気が薄れ、かわりに鉄と灰の匂いが混じり始める。


 その瞬間――。


 誰よりも早く、俺の魔力感知が”それ”を捉えた。


「水の中、魔物がいます!」


 反射的に声を上げると同時に、クライスが剣を抜いた。

 鋭い金属音が、閉ざされた空間を切り裂く。


 次の瞬間、暗い水面が爆ぜた。

 濁流の中から、ぬらりと黒い影が躍り出る。


 ――スライム。


 濁った水の中から現れたそれは、半透明の黒い粘液塊だった。

 松明の光を鈍く反射し、明確な殺意を持って先頭のクライスへと跳びかかる。


「――ッ! 酸性か!」


 クライスは即座に盾を構え、突進を受け止めた。

 ジュウ、と盾の表面が焦げる嫌な音。粘液が盾を溶かし始める。

 彼は盾でスライムを壁に叩きつけ、即座に剣を逆手に突き刺すが、手応えのない粘液を貫通するだけだ。


「下がってください」


 エルナの声。

 クライスがそれを聞き、一歩引いたその瞬間。


 エルナの掌の上に、光が瞬いた。

 無詠唱のまま展開された魔法陣が、空気を裂くように走り――次の瞬間、純白の雷光が地下の闇を貫いた。


 閃光が走る。

 眩しさに思わず目を細めた。

 スライムは焼き焦がされる暇もなく、内部から弾けるように爆散した。

 焦げた匂いと、酸の蒸気が混じり合い、熱を帯びた風が通路を抜けていく。


「警戒を怠るな、奴らは単独では動かん」


 騎士の一人が声を上げる。

 俺も感知を更に研ぎ澄ませそれを探す。


「……前方三十メートル先、右手側の水脈にもいます。もう一つは――」


 言いかけた瞬間、背後の水面が波打った。


「後方!」


 俺の声が響く。

 反射的に振り返ると、松明の火が一瞬、風に煽られたように揺れ――次の瞬間、黒い影がそこにあった。


 俺の体が勝手に動く。

 盾を即座に構える。

 水がぶつかる音。

 スライムの表面を覆う酸性の粘液が弾け、俺は思わず退いた。

 だが、リリアが横から魔導灯を掲げる。


「――拡散照射!」


 白い光が爆ぜる。

 魔導灯から放たれた閃光が、スライムの半透明の身体を透かして焼き裂く。

 粘液が乾き、蒸発するように崩れ落ちる。


 そして直後、再び閃光が瞬き、振り返るとエルナがもう一体、スライムを撃退していた。


「ありがとうございます」


 俺はリリアに謝意を告げる。

 彼女は楽しそうに胸を張った。


「ふふん、魔導灯の魔力を一時的に暴走させたの!」


「そんな使い方もできるんですね……」


 リリアの声が弾む。

 確かに、魔導灯を一瞬だけ過負荷で照射――普通なら爆発してもおかしくない。

 やはり天才と無鉄砲は紙一重だ。


「……あまり真似はしないように」


 エルナが溜息混じりに言う。

 その間にもリリアは「はーい」と返しつつ、もう片方の魔導灯を点検している。

 この余裕、もはや感心するしかない。


「今のはやはり教団員が?」


 騎士の一人がエルナに問いを投げた。


「スライムは水辺に発生する魔物です。自然発生した可能性もあるため、仕掛けてきたとは断言はできません」


 エルナはあくまで冷静に状況を整理していた。

 まだまだ本格的な戦闘ですらない。

 目の前に広がる大きな闇は、大きな口を開けて俺達を待ち受けている。

 そんな気がした。

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