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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第65話 王都に潜む影

 研究室に戻った俺達三人は、中央の机を囲むようにして座っていた。

 エルナは相変わらず無表情で、淡々と書類を並べていく。

 リリアは椅子の背にもたれかかり、頬杖をついたまま魔導結晶を指先でつついていた。

 さっきまでの重い会議が嘘のように、部屋は静かだ。

 窓の外からは、夕暮れに沈む王都の喧騒がかすかに聞こえる。


「これからどうしましょうか」


 沈黙を破るように、俺は問いを投げた。

 結局のところ、俺たちに残された手がかりは――“二日後に儀式がある”という情報、それだけだった。

 肝心のどこで行われ、何が行われるのかは一切分からない。


「捕らえた証人に尋問がもっとも手堅いでしょう」


 エルナが淡々と答える。


「でもいつ目覚めるのか分からないんじゃ、『二日後』という期限に間に合わない可能性もあります」


 情報の整理として俺は告げる。

 医務棟の医師によれば、男の意識が戻るかは五分五分。

 戻ったとしても、聖女の解呪と呪印の抵抗による精神的負荷で、まともな証言ができるかは不明瞭だ。

 その“不確かなもの”に、王国の命運を賭けるわけにはいかない。


「そうですね、ただ尋問は騎士団が行うことになるでしょう」


 エルナの言葉は現実を突きつける。


「なるほど……」


 理屈は分かる。きっと彼らのほうが上手くやってくれる。

 ただ、俺たちの手元にある唯一の“生きた手がかり”であることも確かだ。


「何はともあれ、今できる事はあまりありません」


 冷たい現実。

 ここまできたのに、あと一歩が届かない。

 そもそもが原作知識というチートで足がかりを掴んだこと。奴らに隙があったわけじゃない。証拠を辿って事実に迫れるわけがないのだ。


「……つまり、手詰まり、ですか」


 俺の呟きに、エルナは目を伏せた。


「現時点では、と付け加えておきます」


 エルナの声は淡々としていたが、その言葉の奥に微かな苛立ちが滲んでいた。

 理屈では理解していても、感情はそれを納得させてくれない。


 ――こんな時、ゼノンならどうしていただろうか。


 その問いが、重く沈んだ空気に溶けていく。


「儀式かぁ」


 リリアが詰まらなさそうに呟く。


「一体何をするんだろう?」


 リリアは指先で魔導具をいじりながら、呟いた、


「そうですね、宗教的な意味での儀式か、魔術的な意味での儀式か。そのどちらかではあるのでしょう」


 結局答えは分からない。


「だったら、ちゃんとした場所じゃないとできないよね」


 リリアの何気ない一言に、エルナが視線を上げた。


「――場所、ですか」


「うん、だって“儀式”って言うくらいだし。結界とか、魔力の流れとか、そういうのが整ってないと無理だよ」


「なるほど……確かに、魔術儀式となると、かなりの魔力を扱うことになります。王都内でそんな場所は限られますね」


 エルナは手元で王都の地図を広げ、指が地図を滑る。

 王都レグルスの中心部、魔法院の周辺。

 それから大聖堂セレスティア。

 魔力の流れを安定させる施設は、確かに数えるほどしかなかった。


「大聖堂は考えにくいでしょう。あそこはいわば聖女様専用の式場。他の魔法は干渉しにくい状態になります」


 エルナは仮説と共に絞り込みを始める。


「ここ、つまり魔法院も同様です。王都全域の魔力制御を行っているため、外部の儀式的干渉は即座に検知されます」


「ってことは……残るのは?」


 リリアが地図を覗き込み、首を傾げた。

 その視線の先――王都の南側に位置する、薄く灰色で塗られた区域。


「……“旧市街区域”ですね」


 エルナが指先でそこを示す。


「そこには何が?」


 俺の問いに、エルナは小さく息を吸い込む。


「元は、王都建設以前の街並みが残っている区画です。今では廃墟同然の建物が多く、人の出入りもほとんどありません。一部はスラム化しており、警備の手も行き届いていません」


「なるほど……」


 王都の華やかさに潜む影と言った場所なのだろう。

 あまりにも怪しい。

 影の教団が潜むとするなら、うってつけと思えてしまうほどに。


「じゃあ、行く?」


 リリアから率直な提案が投げられた。

 エルナはしばらく黙り込む。

 確かに手がかりとしては、もっとも可能性が高い場所だ。

 だが、旧市街を調査するにしても丸一日は潰れることは間違いない。

 儀式を二日後に控えた今、もしそこが外れだった場合、致命的な遅れになる。


「――行きましょう」


 短く、しかし決然とした声。

 リリアがぱっと顔を上げ、俺は思わず息を呑んだ。


「確証がなくても、可能性があるなら動くべきです。今の状況で最も危険なのは、“何もしないこと”ですから」


 エルナはそう言い切ると、魔力制御用の端末を手に取り、素早く幾つかの書簡を作成し始めた。

 王都内での調査許可、夜間移動の申請、そして旧市街の地図の再描写。

 その動作の速さは、もはや職人芸の域だ。


『またお出かけですか?』


 すかさずルーが入ってきた。


(ああ、そうなりそうだ)


 頭の中で肯定する。

 しかし、今から行くにしても既に夕暮れ時だ。

 先程、スラムという話も出ていた。エルナの実力は知っているが、流石に何の準備もせずに行くのは危険な気もする。


 それに、旧市街なんて場所、ゲームでも出てこなかった。

 もちろん存在はしていたのだろうが、取り上げられるほどの場所ではなかったのだろう。


 しかし、そこ以外で王都が戦場となったことなんて……。


「あ」


 思わず声が漏れた。

 エルナとリリアがこちらを見る。


「何ですか?」


 眉を潜めてこちらも見るエルナ。

 これからいうのは、間違いなく余計なことだ。

 しかし、言わないわけにもいかなかった。

 俺は、慎重に口を開く。


「ここは、どうですか?」


 俺は机に広げられた地図のある場所を指差す。


「先程も言いましたが、大聖堂では――」


「いえ、聖堂そのものではなく……地下、です」


 俺の言葉に、二人の視線が止まる。

 指先が示したのは、王都中央に描かれた大聖堂〈セレスティア〉。

 だがそこじゃない。それはこの地図上では表現されていない。


「地下……」


 エルナが呟く。

 その顔は、不機嫌とは違い、何かを思案している顔だった。

 そして、本棚からまた別の地図を持ってきて広げる。

 それは水路や地下水路が書かれた地図だった。

 王都中に張り巡らせれた水脈。

 古い時代の地図だからか、ところどころが掠れて判読できない。

 だが、主要な水路のひとつが確かに――聖堂〈セレスティア〉の真下を通っていた。


「確かに大聖堂の真下には地下水路がありますね。具体的な広さまでは分かりませんが、数人が通行できる程度はあるでしょう」


 エルナが淡々と答え、指先で線をなぞる。

 その水路は王都の外周まで繋がっており、まるで脈のように街の下を走っていた。


 ――なるほど、だから地下水路はゲーム上でも迷路のようだったのか。


 ただ作中で舞台となるのは一度だけ。

 それこそサブクエスト達成のために、入った程度の場所だ。

 その割に迷路のようで、アイテムも少なく、嫌な思い出しかない。


(でも……確かに教団員がモブとして出てきてたっけ)


 作中ではそこまで珍しくないから、あまり意識してなかったが、改めて考えるとおかしな話だ。

 何故地下水路、特に下水道に奴らがいたのか。

 それは、そこに彼らがいる理由があったのだろう。


「聖堂の下、つまり聖なる魔力の干渉は薄れる反面、魔力自体は溜まりやすい環境になるということです」


 エルナが指先で地図の線をなぞりながら言う。

 その声音は落ち着いていたが、確信に近いものを感じさせた。


「……どうしますか?」


 時間はない。

 選択肢は二つ。

 旧市街に行くか、地下水路に行くか。

 いずれにせよ丸一日は消費する。


「私はお兄さんを信じてみたい!」


 リリアの純粋な声が迷いを砕く。


「……そうですね、私としてもそちらの方が可能性は高いと感じています」


 エルナの声は低く、だが確信に近い重みがあった。

 その目は地図ではなく、すでに“先”を見ている。


「決まりだね!」


 リリアが勢いよく椅子を蹴って立ち上がる。


「地下探索! ロマンあるよね!」


「ロマン、ね……」


 思わず苦笑が漏れる。

 どう考えても危険の方が勝っているのに、彼女のその言葉が、なぜか場の空気を軽くした。


「出立は明日にします。今から騎士団に応援を頼んできます」


 エルナは書類をまとめると、淡々と立ち上がった。

 その仕草はいつも通り冷静だが、どこか早足だった。


「出立は明朝五時。日の出とともに地下水路の入口を探索します」


「了解!」


 リリアが元気よく手を挙げる。

 一方の俺は、頷きながらも、頭の中で明日の行動手順を組み立てていた。


 地図の上では単なる線に過ぎない地下水路。

 だが、実際には王都建設以前の地層を通っており、区画によっては未調査の場所も多いという。

 影の教団が潜むとすれば、そこが最適――いや、もはやそこしかない。


 エルナが最後の書簡に印章を押す音が響いた。

 それが、今日という一日の締めの音のように感じられた。


「……ここからが本番です」


 ふと、エルナが小さく呟いた。

 珍しく、感情の揺らぎを感じる声だった。


「明日は派手に行こう! 私の魔導灯、百本くらい持ってくからね!」


「照明の調整は私がします」


「えー、いいじゃん、探検って感じで!」


 ふたりのやり取りを聞きながら、少しだけ肩の力が抜けた。

 緊張が張り詰めたままでは、まともに頭も回らない。

 この空気こそが、俺たちの“通常運転”なのかもしれない。


 窓の外では、王都の灯りが次々と点り始めていた。

 赤と金が混ざり合う空の下、夜がゆっくりと降りてくる。


(……明日、すべてが動く)


 胸の奥でそう呟く。

 聖堂の下――

 誰も知らない地下に、教団の“心臓”が眠っているかもしれない。


 明日は、その扉を開ける日になる。

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