第64話 会議の後で
「――では、これにて本日の臨時評議会を閉会とする」
宰相ラザールの杖が、静かに石床を叩いた。
音が響き、やがて重い沈黙が降りる。
それがこの会議の終わりを告げる合図だった。
結局のところ、ゼノンの失踪について明確な結論は出なかった。
各機関が情報を持ち寄り、互いに牽制し合っただけだ。
「調査を継続」と「機密扱い」という、実質的な棚上げで終わった。
とはいえ、何も情報がない状態で結論を出せという方が無理な話だ。
宿題として、二日後に迫った儀式を止めるため、騎士団と魔法院で協力体制を気付くこと。
今はそれだけが決まっていた。
「お疲れ様」
小さく息を吐いたところで突然声をかけられる。
慌てて顔を上げれば、そこには宮廷魔法師第一位エルネスト・グレイスノートが立っていた。
「ご無沙汰しています」
背後でエルナの声が響く。
「ああ、久しぶりだね、エルナ君。君には大変な役回りをさせてしまった」
エルネストは柔らかく微笑んだ。
その声は穏やかで、人を安心させる音がする。
一癖も二癖もある宮廷魔法師の中で彼はまた違ったタイプだ。
「いえ、自分で説明をしたかったので好都合でした」
エルナは淡々と答える。
あの六人を前に、平然とそう言ってのけるのだから、もはや尊敬の域を超えていた。
「あ、エルネストだ、久しぶり!」
そしてリリア。
彼女は相変わらずのマイペースっぷりな様子だ。
「うん、リリア君も元気そうで何よりだ」
「当たり前! でもあの会議、堅すぎて肩が凝っちゃったよ」
リリアが両腕をぐるぐる回す。
それを見て、エルネストは小さく笑った。
「それは同感だ。そろそろ引退を考えたいところだよ」
エルネストは苦笑を浮かべてそう言った。
冗談なのか、はたまた本気なのか。
少なくとも魔法院のトップが気軽に引退なんてした暁には、それなりの政変となりそうである。
「それは困ります」
案の定、エルナから端的に指摘が入る。
「貴方以外で評議員が務まる者がいるとは思えませんので」
それは果たしてどういう意味なのか。
まあ……ゼノンしかり、リリアしかり、ヴァルグレイスしかり、とても政治劇を演じられるようには思えないのも確かだ。
「それは些か頷きにくいが……まあ、もう少しだけ頑張るとしよう」
エルネストは苦笑しつつそう答える。
その表情は柔らかい。
だが、よく見れば目の奥にかすかな疲労の色があった。
研究室などで姿を見かけなかったのも、今回のように上層で勤めているからなのだろうか。
しかし何と言うか、想像とは違って大分、緩い人というイメージだ。
奇人変人のトップがまさか、こんなまともに見える人だったとは、失礼ながら驚きである。
「それで彼がゼノンが推薦したっていうディラン君だね?」
柔らかな笑みのまま、エルネストが俺に視線を向けた。
目が合った瞬間、何かを測るような静かな圧が走る。
けれど敵意ではない。むしろ、観察と興味の中間のようなまなざしだった。
「そう! それで今は私の弟子なの!」
俺よりも先にリリアが代わりに答える。
「うん?」
案の上、エルネストは首を傾げた。
「リリア様は彼の魔力感知が、魔道具制作に有意だと感じられたそうで」
エルナが呆れた顔をしながら、補足を入れる。
それを聞いてエルネストは「なるほど」と頷いた。
彼にしてもリリアの突飛な行動には理解があるのだろう。
「赴任早々大変だったみたいだね。とは言え君にはこれからもぜひ魔法院でその力を発揮してほしいと思っている」
肩をポンと叩かれ激励を受ける。
まさに上司という感じだ。
「はい、ありがとうございます」
素直にその言葉を受け取る。
しかし、エルネストはほんの少しだけ表情を曇らせた。
「……とはいえ、教団の件とゼノンの件が片付くまでは、魔法院としても落ち着けそうにないね」
そう言って、彼は視線を宙に泳がせる。
その目には、どこか遠いものを見つめる色があった。
「何か、ご存じなんですか?」
思わず口を挟むと、エルネストはわずかに首を横に振った。
「いや、恥ずかしながらと何も。こうして評議員として偉そうにしてたけど、報告を聞いたのだってついさっきだ」
エルネストは軽く肩を竦め、笑ってみせる。
「しかし、あのゼノンのことだ。きっと何か意図があるのだろう」
少し困ったように彼は呟く。
やはりエルネストもあの人がただでやられたとは考えていないようだ。
「エルネスト様はこれからどうされるのですか?」
「生憎と調査には関われない。今回の件で事が大きくなりすぎたからね。まあ火消しは私のような官職に任せてくれ」
そう言って、エルネストは軽く笑った。
その笑みには疲労と、ほんのわずかな諦めが混じっている。
「君たちは、目の前のことを一つずつやっていくと良い。ゼノンが何を見て、何を選んだのか――その答えは、きっと現場の方が早いだろうから」
そう言い残して、彼は背を向けた。
白衣の裾が揺れ、長い回廊の奥へと消えていく。
また別の意味で変わった人だった。
「では戻りましょう」
エルナの言葉に頷き、俺達は王国評議会の部屋から退出する。
部屋から出ると、一気に緊張が解けていく。
やはりあの場は、無意識に肩に力が入る。
貴族としてか、それとも現代人としてか、堅苦しい場に対して気負いすぎてしまうのだろう。
「ディラン殿」
そんな俺に、再び声がかかる。
振り返ると、そこには見知った顔があった。
「ユリウス様」
ユリウス・デ・アルティウス。
アルティウス公爵家の嫡男。
相変わらず優雅な佇まいで、同年代とはとても思えない迫力がある。
「精霊会以来かな」
「はい、そうですね」
俺は頷く。
精霊会か。
あの情けない姿を披露した思い出が蘇る。
『あれは忘れて下さい!』
すかさずルーから抗議。
久々に口を開いたと思えば、これである。
『やっと、気軽に話しかけられます!』
なんやかんや彼女も空気を読んでいたらしい。
確かにあの厳かな空気の中で、無駄話をされたらと思うと――まあ、それはそれでありかもしれないが。
「学院での事件は聞いている、まさか宮廷にまで影響を及ぼすとは」
「そうですね……私自身も、教団の影響力を見誤ってました」
それは紛れもない本音だ。
あの告白がここまで大事になるなんて思いもしなかった。
「影響力、か」
ユリウスは軽く笑った。
だがその笑みは、どこか冷たかった。
同じ“笑顔”でも、貴族のそれは警戒と観察を含んでいる。
「実は、父上――レオル公爵が言っていた。『影の教団が王都にまで入り込んだなら、それは誰かが“扉”を開けたということだ』と」
その言葉に、エルナがわずかに眉を動かす。
ユリウスはそれを見て、意味ありげに微笑んだ。
「まあ、犯人探しは騎士団の仕事だろうが……それでも、気をつけた方がいい。君は“貴族でもあり、魔法院の人間でもある”――そういう立場は、いつだって誰かにとって都合が悪い」
その一言が、まるで氷の針のように胸に刺さる。
「はい……既にその実感はあります」
俺は少し苦い顔をして返す。
先日の父とガルムとのやり取りがまさにそれだ。
ユリウスはそれを聞き、苦笑した。
「そうか、困ったことがあれば力になりたい、と言いたいが、それもまた君にとっては難しいことになるんだろうね」
「そうですね」
そう言って互いに苦笑する。
そしてユリウスは小さく頷き、軽く頭を下げた。
「では、また近いうちに。次は穏やかな場で会えるといいね」
そう言って、彼は背を向けた。
白い外套が翻り、陽光の差し込む回廊の先に消えていく。
しばらくその背中を見送ってから、エルナが静かに呟く。
「……“扉を開けた者”ですか」
彼女の声には微かな警戒があった。
リリアは首を傾げている。
「扉って、どういう意味?」
「内部の者が協力した、ということでしょう」
「でも、そんなの――」
「あり得ないとは言い切れません。影の教団がいつから、そしてどこまで入り込んでいたか、まだ分かっていませんから」
エルナは険しい顔で呟く。
原作において、影の教団は魔王復活を目論む組織として登場していただけだ。
あくまで勇者リオンに倒される運命を持つ、中核の敵組織。
そこに政治劇なんてものは入る余地はなく、ただ暴力の化身として描かれていた。
(……何かヒントは)
ずっと考えてきたことだが、やはり組織名しか役立ちそうなものはない。
敵としても、個人名ではなく教団員A,Bといったまさにモブ表示だった。
システム上の都合、だが今ではそれが皮肉にも奴らのカモフラージュになっている。
「儀式の件もあります。今は戻って考えましょう」
加熱する頭にエルナの冷えた声が響く。
「そう、ですね」
俺は頷いた。
そればかりは、考えても仕方がないことだ。
今日は朝から働き詰め。
疲労感は確かに精神を蝕んでいる。
「ふぁぁ……お腹すいた。ねぇ、食堂寄ってもいい?」
呑気なリリアの声。
「構いません。ですが暴飲暴食は控えてくださいね」
「うっ……はい……」
そのやり取りに、思わず苦笑がこぼれる。
ほんの数時間前まで、命のやり取りや国家の危機の話をしていたというのに、今はただの、仲間との帰り道のように思えた。
長い石畳の廊下を歩く。
窓の外には、夕暮れの光がゆっくりと王都を染めていた。




