第63話 会議は踊る
王城レグルスの最上階。
陽の光が届かぬ石造りの円形室――王国評議会の間。
七つの椅子が半円を描くように並び、その中央に黒い石卓が据えられている。
きらびやかとは違う、厳かな雰囲気のその部屋は、得も言えぬ圧迫感を感じさせた。
そこに座する者たちは六人。誰もが王国の中枢を司る者――
騎士団長ガルム・ザリオン。
宰相ラザール・ハインリヒ。
法務官セリグ・ヴァレンティス。
宮廷魔法師第一位エルネスト・グレイスノート。
貴族連合代表レオル・デ・アルティウス公爵。
そして聖教会大司教ローウェン・クロウリー。
(……圧巻だ)
きっと、エルナが堂々と前に立っていなければ震えが止まらなかっただろう。
六人の視線が彼女と、そしてその傍らに立つ俺へと注がれている。
何も語らずとも、空気が重くなる。
声を上げた瞬間、世界の均衡が変わる――そんな錯覚を覚えるほどだ。
「臨時の評議会を、これより開会する」
宰相ラザールの低く響く声が、石壁を伝ってゆっくりと空間を満たす。
杖の石突が床を打ち、音が六つの椅子に波紋のように広がった。
「議題は二件。一つ、宮廷魔法師ゼノン・アークライトの消息不明。二つ、王城内における呪印関連の連続死について」
ラザールの言葉に合わせて、法務官セリグが手元の書類を開く。
白い手袋をした指先が、ページを一枚ずつ丁寧にめくる音だけが響いた。
「まず、騎士団から現状の報告を」
宰相ラザールの声に促され、ガルム団長が立ち上がる。
彼は礼も省き、短く報告を始めた。
「今朝未明、文官棟および騎士団宿舎にて、十名の死亡者を確認。いずれも外傷なし、戦闘痕なし。死因は魔力の枯渇による衰弱と推定されます」
その声は低く、石壁を震わせた。
誰も言葉を挟まない。
続く報告が重く落ちる。
「なおつい先日発生した二名の衰弱死事件と関連性があると推察されます」
そしてチラリと俺を見た気がした。
疑いの眼差しではないのだろう。
確かに、その件については一悶着あった。
気にしないほうが無理がある。
「十名……すべて同一の死因、という理解でよろしいですね?」
法務官セリグが問いを発する。
白手袋をした手が、机上の羊皮紙をゆっくりと撫でるように動く。
声には感情の欠片もない。
「はい。医務局の初期診断によれば、いずれも体内の魔力が極端に減少しており、通常の生理活動が停止した状態です」
ガルムは迷いなく答える。
「外傷、毒物反応、魔法痕、いずれもなし。死の直前に魔力の激しい波形変動が観測されています」
騎士団の出した見解に相違はなかった。
彼らも彼らなりに捜査を進めてきたことが伺える。
「魔法院の見解は?」
宰相ラザールの問い。
宮廷魔法師エルネストに視線が向けられるも、彼はこちらを見つめている。
その視線は間違いなく、そちらの仕事だろう? と言わんばかりだ。
エルナが一歩前へ出る。
黒衣の裾が石床をかすめ、彼女の立ち姿が冷たい光のように空間を切り裂いた。
「初めに、魔法院として今回の衰弱死事件は、”影の教団”によるものと断定しています」
エルナの声は澄み渡るように冷たく、揺るぎがなかった。
円形の議場に淡く反響し、その響きが静寂をさらに際立たせる。
「呪印という魔法によって行われた呪殺、それが我々が出した結論です」
「呪印による呪殺、ですか」
法務官セリグの眉がわずかに動いた。
声の抑揚は乏しいが、その一語一語が記録用紙の上を正確に刻むように響く。
「そのような魔法は聞いたことがありませんが、一体どのようなものなのでしょうか?」
法務官セリグは穏やかな声音でありがらも、鋭く切り込んでくる。
「その前に一つ、前提として――今回の一連の衰弱死事件は、無差別殺人ではありません」
エルナの言葉に、議場の空気がわずかに動いた。
騎士団長ガルムは腕を組み、法務官セリグは鋭い視線を向ける。
「そこのディラン・ベルモンドが関係していると聞いているが?」
宰相ラザールが口を挟む。
恐らく騎士団から話は聞いていたのだろう。
「はい、その認識に相違はありません」
エルナは頷いた。
「ただし、彼は被害者であり加害者ではありません。今回の事件の加害者は被害者であると我々は見ています」
「加害者が、被害者……?」
貴族代表レオル公爵が、まるで珍しい動物を見るように目を細める。
「言葉遊びにしては悪趣味だな」
ガルムが眉を潜める。
「言葉遊びではなく、そのままの意味です。先程、呪印による呪殺と言いましたが、この呪印が発動するためには、事前に身体に刻まれていなければいけません」
その言葉に一度、場は静まり返る。
彼らもまた、その事実に気づいたのだろう。
「……つまり、彼らこそが教団員だったと?」
ガルム団長の低い声が、議場の空気を重く揺らす。
「はい。彼らこそが“影の教団”によって呪印を刻まれた者。呪印とは組織の首輪として機能するものだったと推察されます」
エルナの説明に、議場を囲む六人の視線がわずかに動く。
「証拠はあるのですか?」
法務官セリグが問いを投げる。
「はい、そしてその証拠については大司教様からお伝え頂けると」
エルナがそう告げると、議場の空気がわずかに波打った。
すべての視線が、聖教会大司教ローウェン・クロウリーへと向かう。
白金の法衣を纏った彼は、静かに目を伏せていたが、ゆっくりと顔を上げた。
「はい、お言葉の通り。先日の癒やしの儀にて、呪印と見られる呪いを聖女アリシア様が発見、解呪致しております」
ローウェン大司教の声は、どこまでも穏やかで、しかしその一語一語が深い響きを伴っていた。
「癒やしの儀ですか」
法務官セリグが呟く。
「して、その被疑者――ではなく、“被験者”は現在どこに?」
宰相ラザールの声音には、わずかに皮肉が混じっていた。
その一言で、議場に漂っていた緊張が少しだけ鋭くなる。
「王立医務棟にて保護しております」
エルナが即答する。
「依然として昏睡状態にありますが、意識下にて“記憶音”の回収に成功しました」
宰相ラザールが眉を上げ、宮廷魔法師エルネストに目を向ける。
彼は肩を竦める。
ひとまずは余談だということで、口は挟まないでいてくれるようだ。
「“記憶音”の回収、とは……」
法務官セリグがわずかに眉を寄せる。
書記官が手元で羽根ペンを走らせ、今の一語一語を記録している。
「詳細を説明します」
エルナは頷き、静かに続けた。
「記憶音――正式名称は醒律。対象の魔力波形を再生し、過去の記憶を音として抽出する魔法です。その魔法によって断片的ながら“会話”を再現できました」
「会話?」
今度はレオル公爵が口を挟む。
「はい。“影の教団”と見られる集団の会話です。その中で、ある名が言及されていました」
室内の空気が一瞬、凍った。
誰もが先を察している。
「……ディラン・ベルモンド」
その名が発せられた瞬間、わずかに息を飲む音がいくつか響いた。
ラザール宰相は表情を変えないが、指先が書類を静かに閉じる。
レオル公爵が体をわずかに前に乗り出した。
ガルム団長は顔を上げ、唇を固く結ぶ。
「なるほど、憶測は正しかったと」
レオル公爵は頷く。
「発言の全容は未解明ですが、少なくとも“標的”として名を挙げられていたことは確かです」
エルナが答えると、法務官セリグがすぐに追う。
「“確か”というのは、録音、もしくは証拠媒体が存在するという意味で?」
「はい。魔力記録として保存済みです。魔法院に提出済みで、法務院にも写しを送付可能です」
その言葉に、宰相ラザールがわずかに笑った。
それは皮肉の混じった、老獪な笑みだった。
「……ほう。魔法による記録。便利な時代になったものだ」
そしてリリアをチラリと見る。
彼女の天才性はこの場にいる誰もが知るところ。
まあ、当の本人はポカンとしているが。
「さて、聖女アリシアによる発見と解呪、そして宮廷魔法師エルナによる解明――これだけの証拠を覆せるだけのものを持っている者はいるかね?」
宰相ラザールは周囲――主に、騎士団長ガルムを見て言った。
彼は腕を組んだまま口を一文字に結ぶ。
沈黙。
少なくともこの場において、異論を唱えられるものはいなかった。
「……よろしい」
宰相ラザールが静かに口を開く。
杖の先で机を軽く叩くと、緊張が一瞬だけほどけた。
「第一議題、“呪印事件”については現時点での結論をもって一旦保留とする。これ以上の詮索は、証拠が上がり次第だ。できれば騎士団と魔法院は協力して動いてほしいがね」
ガルム団長が腕を組み目を閉じる。
エルナは淡々と頭を下げた。
「では――次の議題に移ろう」
冷たい空気がまた、静かに流れ出す。
「宮廷魔法師ゼノン・アークライトの消息不明について、だ」
その名が告げられた瞬間、空気がわずかに変わった。
沈んでいたはずの視線が、一斉に鋭くこちらを向く。
息の詰まるような静寂の中、
まるで議場そのものが、次の言葉を待ち構えているようだった。




