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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第61話 影の脅威

 ――ゼノンが消えた。


 翌日の朝、研究室に赴いた俺は開口一番、エルナからそう伝えられた。


「……はい?」


 思わず間抜けな声が漏れる。

 彼女は眉ひとつ動かさず、書類を机に置いた。


「昨夜から消息が途絶えました。部屋にも、城にも、痕跡すらありません」


「いや、そんな……昨日、確かに会いました。報告書をまとめて――」


「ええ。それが、これです」


 彼女が差し出したのは、一枚の報告書だった。

 赤い蝋で厳重に封がされ、割られた形跡はない。


「……以前にも、こういうことが?」


 俺の問いに、エルナは短く息を吐いて首を振った。


「いえ、いくらあの人でも、目的地を告げずに姿を消すなんてことはありません」


「だったら……」


 言葉にならない。

 昨日の今日だ。

 嫌な予感が頭をよぎっていた。


「影の教団の仕業、と考えるべきでしょう」


 エルナの冷たい答えは俺の耳に突き刺さる。


「……そんなことが」


 到底信じられない。

 ゼノンの実力は目の当たりにした。

 あの人がそんな安々と負けるとは思えない。


「そうですね、私も信じられません」


 エルナは淡々と続ける。

 彼女の表情からは何を考えているかは分からない。


「それなら……」


「”捕まった”、というよりは”逃亡した”と考える方が自然でしょう」


「逃亡した……」


 その答えはすんなりと喉元を通り抜けた。

 ゼノンの実力を考えると、それがもっとも納得できる。

 しかし、それでも彼が逃亡しなければならないほどの危機に陥った事実は変わらない。


「ひとまず上に報告をしていきます」


 エルナはそう言って部屋から出ていこうとする。

 あまりにも淡々とした動作に、俺は何もかも置いていかれていた。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 思わず呼び止める。

 エルナが足を止め、振り返った。

 その瞳は、相変わらず氷のように澄んでいる。


「何か?」


「い、いえ、その……」


 言葉が続かない。

 だってまだ何も理解できていない。

 呼び止めたのだって、咄嗟のことで理由なんてなかった。

 しかし何も答えない状況を許すほど、目の前の少女は優しくはない。

 俺は混乱する脳内をフル回転させ、何とか言葉を口から発した。


「い、一緒に行ってもいいでしょうか?」


「……構いませんが、足を引っ張らないでください」


 エルナの返答は、あまりにもあっさりしていた。

 その声には、同意というより“許可”の冷たさがある。

 だが拒まれなかっただけ、上出来だ。

 その事実に小さく息を吐く。


「分かりました」


 短く頷くと、エルナは踵を返した。

 俺も慌てて後を追う。

 だが、その俺達の前に、


「――事件だよ!」


 リリアの声が轟いた。

 彼女らしい元気な声だが、その表情は緊張が張り付いていた。


「リリア様、その件についてこれから報告をしにいくところです」


 エルナが答える。


「え? もう知ってたの?」


 リリアが目を丸くしてこちらを見る。

 こちらとしても彼女が既に事を知っていることは意外だった。


「はい、つい先程」


 エルナが答える。


「そうなの?」


 リリアは意外そうに目を丸くした。


「はい、俺も先程エルナ様から聞きました」


 俺も答える。


「そうなんだ、じゃあ報告って?」


 そのリリアの問いは意図が分からなかった。

 エルナも同じようで目を僅かに細め、意図を測りかねているようにも見える。


「評議会に報告を上げるべきと」


 俺はなるべくわかりやすく答える。


「え、だって、既に騒ぎになってるよ?」


 リリアは首を傾げてそう言った。


「え、そうなんですか?」


 ゼノンの失踪は今この場で判明したことのはず。

 何でそれが知れ渡っているのだろうか。

 ますます意味が分からなくなった。


「……リリア様、事件というのは?」


 しばらく黙っていたエルナが口を開く。

 その声音は淡々としているが、わずかに緊張が滲んでいた。


「またあの死に方だよ!」


 リリアは、俺たちがゼノンの件を把握しているのと同じように、当然この件も知っているだろうという口調で続けた。


「それも今度は十人も!」


「……え?」


 リリアの言葉は理解のできないものだった。

 言っていることが何一つ分からない。

 少なくともそれはゼノンの失踪の件ではないということだけ分かった。


「まさか、あの衰弱死が再び起こったのですか?」


 エルナの落ち着いた声が響く。


「うん、そうだけど……あれ、知ってたんじゃないの?」


 リリアが不思議そうに俺たちを見返す。

 エルナの氷のような視線が、リリアと俺を交互に射抜いた。


「……話が噛み合っていませんね」


「え?」


「私たちが話していたのは、ゼノン様が昨夜から消息不明である件。……貴女が言う『十人の死』とは、別の話ですね?」


 エルナがそう告げた瞬間、今度こそ研究室の空気が凍りついた。


「ええっ!?」


 リリアの裏返った声が響く。


「ゼノン、いなくなっちゃったの!?」


 リリアは慌てた様子でエルナに詰め寄った。


「今朝から消息を断っています」


 エルナの淡々とした言葉に、リリアは彼女の袖を掴む。


「ねえ、どういうこと!?」


 エルナに詰め寄るリリア。


「リリア様」


 エルナの静かな、しかし有無を言わせぬ声が、リリアの混乱を遮った。


「今は事実確認が先です。状況を整理します」


 エルナは一度目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。

 その氷の瞳は、今や恐ろしいほどの冷静さを取り戻している。


「一つ、宮廷魔法師ゼノン・アークライトが、昨晩を最後に消息不明。これは昨日の『呪印解呪』の直後」


 彼女は指を一本立てる。


「そして二つ目」


 その視線が、リリアへと真っ直ぐに向けられた。


「リリア様が把握した、『十人の衰弱死』。……その十人とは、具体的に誰です?」


 エルナの問いは、もはや尋問に近い鋭さを帯びていた。

 リリアもそのただならぬ雰囲気を察したのか、慌てた様子で早口に答える。


「騎士団の宿舎と、文官棟で発見されたって……! 全員、カインさんや、あの騎士さんと同じ……眠るような、穏やかな顔で……」


「……!」


 俺は息を呑んだ。

 エルナの表情が、初めて目に見えて険しくなる。


「まさか……」


 エルナは即座に懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

 それは、昨日彼女が「裏でリスト化している」と言っていた、あのリストに違いない。


「リリア様。その十人の名前は?」


「え、ええっと――」


 リリアが焦りつつも、一つ一つ名前を告げていく。

 その度にエルナの顔が、その氷の仮面の下で、わずかに強張っていく。

 彼女の指が、羊皮紙のリストをなぞる。一つ、また一つと、名前が確認されていく。


 リリアが十人目の名を告げ終えた時、エルナは静かに羊皮紙を机に置いた。 その顔からは、もはや表情を読み取ることはできない。


「……全員。昨日、聖堂の儀式に“来なかった”者たちです」


 その言葉は、ゼノンの失踪という衝撃すら霞ませるほど、重く、冷たい事実を俺たちに突きつけた。


「それは……」


 絶句だ。

 恐らく、昨日の件で尻尾を掴まれたと察したのだろう。

 だが、まさかこんな影の教団がここまで思い切った作戦を取ってくるなんて予想外だった。


「……ええ」


 エルナの声は、氷よりも冷たく研ぎ澄まされていた。

 彼女は、もはや恐怖や驚きといった感情を通り越し、純粋な分析の領域に達している。


「昨日の儀式は、彼らにとっての“警告”となった。彼らは、我々が『呪印』を感知し、無力化する手段を手に入れたことを知ったのです」


「だから、バレる前に、仲間をみんな殺しちゃったってこと……?」


 リリアはポツリと呟いた。

 カインも、あの騎士も、そして今朝見つかった十人も、全員が……用済みの駒として。


「……そうですね」


 声が震える。

 組織のために、同士であっても命を奪う。

 その在り方は、理解はできても決して納得はできない。


 これが、影の教団。

 この世界の敵。

 その恐るべき迅速さと、非道さに、背筋が凍る。


「でも……手がかりはまだある」


 拳を握り、言葉を吐く。


「……昨日、私たちが“救った”あの男ですね」


 エルナの声が、静かに核心を突いた。

 彼女の瞳に、初めて冷徹な分析以外の――わずかな「熱」が宿る。


「はい。彼はもう教団員じゃない。呪殺の“首輪”も外れた。彼こそが、奴らが消し忘れた……唯一の“生き証人”です」


 ゼノンは失踪した。

 王城内の潜伏者は、全て殺された。

 状況は最悪だ。

 だが、俺たちの手元には、影の教団が自ら切り捨てた「情報源」が残っている。


「そっか……!」


 リリアが顔を上げる。


「ええ。だから、まだ終わりじゃありません」


 俺は、集まった二人を真っ直ぐに見据えた。

 ゼノン様がいない今、残されたのは俺たち三人。

 だが、やるべきことは変わらない。


「――すぐに、あの男の意識を回復させましょう。奴らが次の手を打つ前に」


 俺の言葉に、エルナとリリアは、強く頷き返した。

 王城を襲った二重の絶望。

 だが、俺たちの反撃は、まだ終わっていなかった。

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