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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第59話 呪いの力

「聖女様、ありがとうございました!」


 文官の男が深く頭を下げ、胸に手を当てる。

 アリシアは穏やかに微笑み、軽く首を振った。

 白い光がまだ彼女の指先に残っている。

 それが完全に消える前に、男は名残惜しそうに立ち上がり、扉の向こうへと消えていった。


(……これで七人目か)


 俺は静かに息を整え、わずかに指先を握り直した。

 癒やしの儀は順調に進んでいる。

 だが、それは俺の本来の目的――『呪印』の探知は、七人連続で空振りに終わっていることを意味していた。


(まさか参加していないとか……?)

 

 影の教団に属する者が、教会の儀式に出てこないのは当たり前のように思える。

 だが“出ないこと”自体が、かえって目立つ。

 だからこそ、潜伏者ならば、こうした公の場で“無害な顔”を演じるはず――そう踏んでいたのだが。


 読まれたのか。

 あるいは、深読みしすぎたのか。


 いずれにせよ状況は芳しくない。

 背中の奥で、ゆっくりと疲労が重く沈んでいく。


「少しお休みになられますか?」


 アリシアの声がした。

 振り返ると、彼女は少しだけ顔色を失っていた。

 白衣の袖口に光がまだ微かに滲んでいる。

 あの光は癒やしの象徴であるが、同時に消耗の証でもあった。


「いえ、大丈夫です。むしろ、アリシア様こそ……少し休んだ方が」


 言いかけた俺の言葉に、アリシアは静かに首を横に振る。

 その動作は柔らかく、けれど揺るぎがなかった。


「まだ半分です。皆が少しでも楽になれるなら――それだけで十分ですから」


 彼女は柔らかな笑みを浮かべて答える。


「……分かりました。ですが、ご無理だけは」


 俺がそう言うと、アリシアは「ありがとうございます」と小さく微笑み、すぐに聖女の顔に戻って、カーテンの外の修道女に声をかけた。


「次の方を」


 カーテンが揺れ、六人目の患者が静かに入室した。

 年の頃は三十代半ば。

 騎士団の制服を着ているが、剣帯はなく、どこか事務方の文官のような、線の細い男だった。


「聖女様……どうか、お力を」


 次の患者が入ってくる。

 姿勢の良い男だった。

 衣の裾から覗く革靴はよく磨かれ、腰には王家の印章。文官というより、官僚の上位職と見える。


 けれど、彼の顔色は青白く、唇は乾いていた。

 まるで何日も眠っていないような、虚ろな焦点。


 症状は、半数以上がそういった内的なものだった。

 やはり慢性的な疲労や精神的なストレスが蔓延していると考えるのが自然だろう。

 ただでさえ公務で忙しいのに、そこに事件事故が相次いでいるのだ。彼らの気苦労も想像に難くない。


「ようこそ。どうか、楽にしてください」


 アリシアの声が優しく届く。

 そして彼女の掌から放たれる淡い光が、祈りと共に男の胸元へと注がれていく。

 俺もまた合わせる形で干渉した。


 魔力が流れる。

 流石に魔力感知だけではその人の疲労感なんて分かるものではないのだが、どこか魔力の流れも滞っているような感じはする。もちろん先入観かもしれないが。


(……いや、これは)


 俺は更に意識を集中させる。

 実際に滞っている。流れる魔力量が一定ではないし、全体的に弱い。

 これは顔色の通り顔色を崩しているのだろう。

 せめてアリシアの癒やしの儀で少しでも回復してくれると良いのだが――


「……ッ!」


 思わず息を呑む。

 声が出なかっただけ上出来だ。


 ――見つけた。


 魔力の流れの中に感じる、別の音。

 これは練習で何度も経験した魔力源の感覚だ。

 この人の身体には、自身の魔力以外に別の何かがある。


 鼓動が早くなる。

 こんな真面目そうな人があの犯罪組織の一員だなんて、こうやって証拠がなければ到底信じられない。


(……落ち着け、まだ決まったわけじゃない)


 何とか心を落ち着けるように呼吸を繰り返す。

 実際、まだ確定ではないのだ。

 大前提として忘れてはいけないのが、この感知は呪印専用のものではない。

 あくまでその人の身体に別の魔力源を見つけるだけのもの。


 実は練習の時だって、エルナも反応したのだ。


 その時は心臓が止まるかと思うほど驚いたわけだが、理由は単純明快だった。

 彼女はいつでも魔法を扱えるように、自身の身体に魔法陣を仕込んでいたからだ。

 魔法師として、そういったことをする人も決して少なくはないらしいので、まだこの人が黒であると決めつけることはできなかった。


(どこだ……?)


 まずは場所の特定。

 俺は息を殺し、感知を細く絞る。

 胸ではない。腕でも、脚でもない。


 ――口内だ。


 歯の裏、舌の付け根あたり。

 まるでそこに“何か”が埋め込まれているように、魔力が振動している。

 恐らく呼吸動作と同期しているのだろう。

 意図的に魔法を起動しなくても、呼吸すれば自動的に魔力が巡る仕組み――そんな精密な細工、普通の人間にできることではない。


 それに場所が場所だ。

 口内なんて実用的皆無の場所に魔法陣を仕込むメリットがない。

 それこそ隠蔽を目的しているとしか思えない場所だ。


「アリシア様」


 俺は取り決めの通り、アリシアの耳元で囁いた。

 彼女の肩がピクリと跳ねる。

 だがすぐに、その微細な反応を聖女の微笑が覆い隠す。

 彼女は何事もなかったように、祈りの言葉を紡ぎながら、男の胸へと光を流し続けた。


 外から見れば、ただの癒やしの儀式。

 けれどそれは既に別のものへと変わっていた。

 今、アリシアが行っているのは癒やしではなく解呪。

 その人に害あるものを取り除くという聖女の奇跡。

 そして呪印に効くかどうかはルーのお墨付きだった。


 光が男の胸元から、そっと首筋を伝い、口元へと導かれる。

 俺の魔力感知は、その光が目指す一点――舌の付け根に隠された『冷たい塊』に、寸分違わず到達するのを見届けた。


 触れた、瞬間。


「――ッ!?」


 男の喉の奥から、言葉にならない獣のような呻き声が漏れた。

 それまで虚ろだった瞳がカッと見開かれ、その焦点がアリシアを捉える。

 憎悪か、恐怖か。

 だが、男が叫び声を上げるより早く、アリシアのもう片方の手が、まるで祈るかのようにそっと男の額に触れていた。


「――鎮まりなさい」


 凛とした声が響くと同時に、男の体は椅子の上で激しく痙攣した。

 俺の「感知」の中では、凄まじい光景が繰り広げられる。

 アリシアの聖なる光が、あの『呪印』に絡みつき、焼き切ろうとしている。

 対する『呪印』もまた、死に物狂いで抵抗していた。男の体内から魔力を吸い上げ、黒い霧のような力で光を押し返そうと脈打っている。


「……ぐ、ぅ……あ……」


 男の顔から血の気が引き、青紫に変わっていく。

 まるで悪魔に取り憑かれたかのような異様な光景。まさか呪印がここまで抵抗してくるとは予想外だった。


 アリシアの光が、一層輝く。

 それは明らかに呪印の力を抑え込み焼いている。

 この世界に二つとない神の如き力だ。負けることはないのだろう。

 だが想定以上に時間が掛かっているばかりか、光と声は周囲にも届いてしまう。


(……このままでは騒ぎになりかねない)


 俺はその場を離れ、幕の外に出る。


「今、聖女様に奇跡が降りています。どうか、声を立てずに見守ってください」


 周囲に聞こえるようにわざと声を大きめに発する。

 駆け寄ろうとした修道女たちが、ぴたりと足を止めた。

 俺の声に驚いたのか、あるいはその背後で揺らめく光の威圧に飲まれたのか――誰も、口を開かない。


 光がカーテンの隙間から漏れ、白い炎のように空気を焦がしている。

 まるでこの聖堂そのものが呼吸しているような圧だ。

 “奇跡”という言葉に、誰もが疑念を挟むことを忘れていた。


「……加護が強すぎます、光を遮ってください。目を痛めます」


 そう告げると、修道女の一人が慌てて厚布を持ってきて、入口の前に垂らした。

 俺はその動作に合わせるように、指先で空気をなぞり、薄く音の結界を張る。

 壁の向こうから響いていた呻きも、光のうねりも、そこに吸い込まれるように静まっていった。


(――これで、少なくとも外には漏れない)


 安堵の息を吐き、再び幕の中を振り返る。


 そこでは、光と闇のせめぎ合いがまだ続いていた。

 アリシアの指先から溢れる聖光が、男の口元を包み込み、黒い霧を押し返している。

 男の喉の奥で、焦げるような音がした。


 俺は固唾を呑んで見守る。


 声には出せない。

 けれど、その祈りだけは確かに心の底で形になっていた。

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