第6話 賢者様は婚活上手?
賢者エルナ・グリーベル。
『エターナル・クエスト』においては、聖女アリシアと並ぶメインヒロインの一人。
そんな彼女のキャラクターを一言で言うと「完璧主義者」だ。
魔法の理論、実技、応用——全ての分野で完璧を求め、決して妥協を許さない。
史上最年少で宮廷魔法師の地位に就いたのも、その徹底した完璧主義の賜物だったのだろう。
原作においても勇者一行の頭脳として、戦略立案から魔法支援まで全てを完璧にこなしていた。
まさに賢者の称号が似合うキャラクターだ。
そして辛辣な物言いも彼女の特徴の一つだろう。
何事にも臆せず直接的に言葉を発する彼女は、それはもう癖の強いキャラクターである。
小柄な毒舌少女という外見とのギャップも含めて、非常に人気の高いキャラクターだった。
その彼女が――恋愛に現を抜かしているという。
一部ファンからは男嫌いというレッテルまで貼られていた彼女が、だ。
にわかに信じがたい状況である。
今や「理想の男性の条件100箇条」を作成して婚活に励んでいるほどに、歪んでしまっているのだから。
まあ、完璧主義だからこそ、その矛先が恋愛に向いてしまったら、そうなるのも理解できるのが非常に悩ましいところではあるのだが。
「ディラン様? 顔色が優れないようですが」
講義の後、廊下を歩いている俺に、マルタが心配そうに声をかけた。
「ああ、いや……少し考え事をしていただけだ」
俺はマクスウェル教授から受け取った法技会の案内書を握りしめながら答えた。そこにはエルナの名前がはっきりと記載されている。
「法技会の件ですか?」
「まあ、そんなところだ」
実際のところ、ゲーム上においてディランはエルナに関係する破滅フラグはなかったはずだ。
多くのイベント回収場となる学院において、原作開始時点で彼女は既に大成しており、落ちこぼれであったディランとの接点はほとんど生まれなかったからだろう。
だからメタ的にはリスクは低めの人物。
相当なヘマをやらかさない限り、運命的な何かにはならないはずである。
だが、それとはまた別ベクトルで問題があるとしたら、それは紛れもなく今現在の彼女自身だろう。
あのポスターが脳裏に浮かぶ。
一体、彼女はどんな状態になっているのだろうか。
想像しただけで忌避感を覚える。
俺だって、エルナとアリシアでどっちのルートに進むか迷うくらいには好きだったのに。
「それでしたら心配ありません。ディラン様の実力なら、きっと有意義な時間を過ごせるはずです」
「……そうだといいんだが」
もちろん魔法だけなら、俺だってそれなりに自信はある。
「何か不安でもあるのですか?」
マルタの問いに俺は素直に答えるべきか悩んだ。
「……いや、単純に緊張しているだけだ。何しろ宮廷魔法師との勉強会だからな」
俺はぼかしつつ不安を述べる。
「宮廷魔法師……それはエルナ・グリーベル嬢ですか?」
「え? ああ、そうだけど、知っているのか?」
マルタは侍女としてかなり優秀だが、そこまで宮廷政治に詳しい印象はない。
宮廷魔法師といえど位階が上位でもなければ、王国中に個人の名が轟くのは極めて稀のことだ。
「……いえ、少し耳にしたことがあるだけです」
珍しく歯切れの悪いマルタに俺は首を傾げる。
「……もしかして、エルナの縁談の話か?」
俺は少し声のトーンを抑えて聞いてみる。
陰口というほどではないが、どこで誰にどのようにして捉えられるか分からないものだ。それこそ貴族間の婚姻は時に戦略そのものだ。
その言葉に、マルタは一瞬だけ目を見開いた。
「ご存知だったのですね。ディラン様が山に籠もられてからの話でしたので、まだ耳に入っていないものだと」
「まあ、オスカーからな」
それにしても、半年も前から“あの活動”を始めていたとは。それもベルモンド領にいたマルタにまで届くほど派手に……。
「オスカー様から……? そうでしたか。てっきりご本人から直接お聞きになったのかと」
マルタは少し驚いた様子で続けた。
「ん? そりゃあ、本人には聞きづらいというか……」
いくらおかしいと思っていたって、俺もそこまで図太くはない。
「確かに……そうですね。ただ私は、ディラン様の思うままにしたら良いと思います」
マルタはそう言って俺に助言する。
「あ、ああ。何だか大げさな気がするが、ありがとう」
俺も簡単に返した。
この不安は単に見たくないものを見ることになる時の恐怖心だ。
今までの死への恐怖とはまた違う。
「――じゃあ、行ってくる」
俺はマルタと別れ、一人で指定された研究室へと向かった。
法技会は、講堂のような開かれた場所ではなく、学院の最奥にある教授専用の研究棟の一室で行われるらしい。それだけで、選ばれた者しか入れないという特別感が伝わってきた。
重厚な木製の扉をノックすると、「入りたまえ」というマクスウェル教授の低い声が聞こえた。
俺が入室すると、円卓に座っていたマクスウェル教授が顔を上げた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
俺は貴族としての作法に則り、丁寧に頭を下げる。
「うむ。堅苦しい挨拶は不要だ。ここでは誰もが魔法の探求者、身分は関係ない」
教授はそう言うと、俺に席を勧めた。
円卓には既に一人の先客がいた。俺は息を呑む。
窓から差し込む光を浴びて、銀色の髪がキラキラと輝いている。
透き通るような白い肌に、知性を感じさせる涼やかな碧眼。小柄ながらも、その佇まいには近寄りがたいほどの気品が漂っていた。
原作ゲームのイラストからそのまま抜け出してきたかのような、完璧な美少女。
――賢者エルナ・グリーベル。その人だった。
(……あれ? 普通じゃないか? ポスターの印象とは全然違う――)
俺が内心で安堵しかけた、そのときだった。
彼女は手に持っていた羊皮紙の束から顔を上げると、俺の頭のてっぺんからつま先までを、まるで品定めするかのようにじろりと一瞥した――かと思うと。
「初めまして、私はエルナ・グリーベルと申します」
彼女は途端に俺との距離を詰め、手を握った。
柔らかく、それでいて少し冷たい感触。俺は突然のことに思考が停止する。
(な、なんだ!?)
「入学してまだ数日だと言うのに、マクスウェル教授が法技会にお誘いするほどですもの。どれほどの逸材かと気になりまして」
エルナはにこやかに言った。
ゲーム本編でも聞いたことのない柔らかさで。
やはりあのポスターには間違いはなかったのだと、思い知らされる。
「差し支えなければ、お名前を伺っても?」
彼女は手を離さない。碧眼が期待に煌めいている。
「ディラン・ベルモンドです」
短い沈黙。
光が、ふっと消えたように見えた。
「……ベル、モンド?」
エルナは指先をわずかに震わせ、握っていた手をそっと放した。頬から音を立てて血の気が引いていくのが見えるほど、青い。
次の瞬間、張りついた笑顔だけは辛うじて維持したまま、瞳の奥だけが氷のように冷える。
「――失礼。少々、取り乱してしまいました」
その声音は先程とは打って変わって刺々しいものに変わっていた。
俺としてはこちらの方が慣れ親しんだものではあるのだが、そのあまりの豹変ぶりには動揺を隠せない。
「む、エルナ嬢。何か気に障ることでも?」
マクスウェル教授が不思議そうに俺達を見ていた。
やはり先ほどの彼女の対応は平常運転だったようだ。
そして今の状態はマクスウェル教授から見ても、不自然であったことも感じ取れる。
「……いえ、ここは学びの場。婚姻やらは――いえ、余計な雑音は一切忘れて、純粋に魔法だけに集中すべきだと思い立っただけです」
その言葉は、俺ではなくマクスウェル教授に向けられたものだった。
完璧な淑女然とした所作で一礼すると、エルナはすっと俺から距離を取り、先ほどまで座っていた席へと戻る。まるで俺との間に見えない壁を築くかのように。
(何が何やら……)
怒涛の展開に俺はついていけていない。
「う、うむ。その意気や良し。ディラン君、君もエルナ嬢に負けぬよう、探求に励みたまえ」
マクスウェル教授は咳払いを一つして、無理やり場を収めた。どうやら彼にも詳しい事情は分からないらしい。
「さて、みな揃ったところで、初めていこうか」
それからは他の法技会メンバーと簡単な挨拶を交わしただけで、本日はお開きとなった。
ちなみにその間にも、エルナとは一切口を聞いておらず、他のメンバーも困惑しているようで、やはりエルナは俺に対して何か思うところがあるとしか思えない。
それが一体何なのか。それは一切分からないままである。
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「お帰りなさいませ、ディラン様」
部屋に戻ると、待機していたマルタが出迎えてくれた。
「随分とお疲れのようですね。やはりマクスウェル様の法技会というのはそれほどのものだったのでしょうか」
「いや……そういうわけではないんだが」
小さく首を振る。
あれは、何といって良いのか。
悪戯されるほどの間柄でもない。
「そうなんですか? では、グリーベル嬢のことでしょうか」
「……よく分かったな」
やけに鋭いマルタに俺は思わず顔を上げる。
彼女は小さく微笑み、しかしその表情にはどこか影が差していた。
「はい。今のディラン様を見ていれば、きっとそのことだろうと」
「……そのこと?」
「ええ。やはりご負担でしたか? ご婚約の件が」
「……ん?」
どこかマルタと話が噛み合っていない気がした。
それも根本のところで。
「……エルナ・グリーベル嬢とのご婚約の件です。まだ正式な決定とはなっていないようですが――」
「待て、待て待て。婚約? 誰と誰が?」
「ですから、ディラン・ベルモンド様と、エルナ・グリーベル様です」
マルタはまっすぐ俺を見る。
その瞳は、決してそれが冗談などではないということを示していた。
「……………………は?」
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作者、机の前でガッツポーズします。