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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第57話 白き火の下で

 陽光が尖塔の群れを染め、王都の空に白い火が灯る。

 王城レグルスの北翼、その隣にそびえる巨大な聖堂――〈セレスティア〉。

 神と王の権威を地上に結ぶために築かれた、白大理石の要塞だ。


 本来ならば、聖職者しか立ち入りを許されない聖域。


 けれど、今朝の参道には人影がいくつもあった。

 書簡を抱えた文官、薬箱を運ぶ修道女、腕を吊った兵士。

 その装いは様々だが、皆どこか浮足立った様子で、門前の衛兵に軽く会釈をしては中へと消えていく。


 ――聖女による癒やしの儀。


 それが本日この聖堂で行われることになっている。

 度重なる事件による混乱を憂いた聖女様が、負傷者や関係者の心と身体の傷を癒やすために、王城の要請を受け入れた――というのが表向きの話だ。


 聖女の奇跡。

 それは王城に務める彼らにとっても、目新しいものだった。

 誰もが知っているが、実際に目にした者は少ない。

 それでも「一度で傷が癒えた」「死にかけた者が立ち上がった」と、噂だけは尾ひれをつけてまるで生き物のように王都を駆け回っている。


 そして最近では――聖女様が商売をしているという話もある。

 貴族はそれを商売だと笑い、一部の敬虔な信徒は眉をひそめる。

 けれど皮肉なことに、その“俗っぽさ”こそが彼女をより神秘的な存在へと押し上げていた。

 いまや“聖女の神事”は、最も珍しい奇跡の一つとなっている。


 参道の端で、その様子を眺めていた少年が一人。

 真紅の装束に身を包み、胸には宮廷魔法師の徽章。

 ディラン・ベルモンド。

 彼もまた、この“奇跡”の一端に関わるため、ここに呼ばれていた。





「この度は要請に応じていただき、感謝いたします」


 大聖堂の一室にゼノンの声が響く。

 壁一面を覆うステンドグラスから差し込む光は、床の白石に淡い色を落とす。


 対面に立つのは、銀髪の司祭。

 年の頃は四十ほどか。薄布の法衣に身を包み、装飾を極力排した姿は聖職者らしい質素さに満ちていた。

 ただ、その瞳の奥には、静かな観察の光がある。


「お気になさらずと、申し上げるべきでしょうな」


 司祭は微笑のままに、緩やかに首を傾ける。


「王城からの要請を拒む理由など、我らにはございません。しかしまさか宮廷魔法師殿からお誘いを受けるとは、些か想像外ではありましたが」


 司祭は柔らかく言いながらも、その言葉の端には淡い探りを感じる。

 ゼノンは笑みを浮かべ、軽く肩を竦める。


「王国は度重なる騒乱で疲弊しています。兵の士気も、民の信仰も、いま一度立て直す時期でしょう。まさに今、聖女様の“癒やし”が必要だと判断しました」


 ゼノンの言葉は、普段とは打って変わって丁寧で柔らかい。


「……なるほど、それは道理です。世の乱れを正すのは力ではなく、心の安寧によってこそ成されるものですからな」


 司祭はうなずき、ゆったりとした動作で机上の香炉の蓋を開けた。

 甘く乾いた香が立ちのぼり、空気に淡い揺らぎが生まれる。


「宮廷魔法師殿も我々と同じ考えを持ち合わせているのだと知れて安心いたしました」


 司祭は香炉の煙を見つめながら、静かに言葉を添えた。

 その真意までは分からないが、言いたいことは分からないでもない、と俺も感じる。


「して、その方が件の?」


 司祭の視線が俺へと移る。

 銀灰の瞳は、柔らかく見えて奥底に冷たい静寂を宿していた。

 まるで魂の底を覗き込むような目だ。


「はい、先日の学院襲撃事件。聖女アリシア様と共に学院を守ったディラン・ベルモンドです。今は宮廷魔法師見習いとして我々のもとで修行を積んでおります」


 ゼノンがそう紹介すると、司祭は穏やかに目を細めた。


「ええ、お話は聞き及んでいます。学院の混乱を収めた功労者だとか」


 司祭はゆるやかに言葉を紡ぎながら、瞳だけでこちらを測る。

 ただしその瞳はやはり観察の色が垣間見える。

 父やガルム団長とはまた違う手強さを感じた。


「改めて貴方の尽力に感謝申し上げます」


 司祭は深く頭を垂れた。

 まるで儀礼の一部のように整ったその仕草。

 流石は聖職者だなと、素直に感心を覚える。


「恐縮です。自分は、できることをしただけですので」


 そう返すと、司祭はわずかに口角を上げた。


「……なるほど。その謙虚さは美徳です。魔法師殿は良い出会いをされましたな」


 ゼノンは軽く笑って頷く。


「ええ、それは間違いありませんね。まあ彼は少々型破りですが、それ故に柔軟さと観察眼は、我々の中でも群を抜いています」


「型破り、ですか」


 司祭は目を細め、一つ呟く。


「……聖女様はそういう方を好まれますよ」


 その言葉に、ゼノンの目が一瞬だけ愉快そうに光る。

 何か含みのあるやり取りだ。

 だが俺は反応の仕方を迷い、黙って頭を下げるしかなかった。


「さて、本日の儀式には、我ら教会からも複数の立会いがございます」


 司祭は再び公務的な口調に戻る。


「アリシア様ご自身が執り行われますが、体調面を考慮し、補助に数名――魔法師殿がご助力いただけるとか」


「はい、我々からお願いしたのですから、ぜひ力を尽くさせていただきます」


 ゼノンの返答に、司祭はゆっくりと頷く。

 短いやり取りのあと、部屋に再び静寂が落ちた。


 香炉の煙がゆるやかに揺れ、

 彩色ガラスを透けた光が、壁に淡い模様を描く。


「では、まもなくお迎えが参ります。どうか、粗相のないようお願い申し上げます」


 司祭はそう告げて、部屋から出ていった。

 高窓の向こうで、鐘の音がひとつ鳴る。

 神聖な響きが石の回廊を伝い、やがて遠くの天井へ吸い込まれていく。





――触れること、そして魔力が干渉することが当然という状況なら問題ない。


 頭の奥に、あの時の議論が蘇る。

 触れずに干渉する方法。

 それは理論上の仮説に過ぎなかった。


 だからこそ別のアプローチが必要だ。

 乗り越えるのではなく、迂回する。

 それが時間の限られた中で凡人にできる最適解。


「しかし、ここまで上手くいくとは。少年の発想には驚かされっぱなしだ」


 二人残された部屋でゼノンの声が響いた。


「学院の時、ゼノン様に治療されたことがありましたから」


 俺はゼノンに”触れられた”ことで回復した時のことを思い出す。


「ああ、確かに。治療行為は触れてなんぼだ。それに魔力だって干渉しないと話にならない。うん、完璧な舞台だ」


 うんうん、と何度も頷くゼノン。

 よほど、この案が気に入ったらしい。

 エルナは少し不満そうだったが。


「さて、ここからが本番だ。少年は治療行為と称して患者たちを感知する」


「……騙しているみたいで気は引けますが」


 目的に正義はあれど、今からやることは決して善ではない。


「なに、そこは私の命令だとでも思ってくれれば良い」


 ゼノンは悪戯めいた笑みを浮かべ、長衣の裾を翻した。

 上司として頼もしい限りだ。

 もっともこの人の場合は、倫理というより好奇心からなのだろうが。


 そうしている内に、廊下の向こうから、鈴のような音が響いた。

 足音の主は二人。

 一人は若い修道女、もう一人は淡い金髪を光に透かす少女。


 ――聖女、アリシア。


「お久しぶりです、ディラン様」


 彼女は微笑み俺に声をかける。


「はいアリシア様、お元気そうで何よりです。本日はよろしくお願いします」


 俺もまた軽く会釈をして答えた。

 実はそこまで時間は立っていない。

 ただ色々ありすぎた。もはや学院での出来事が数年前のように感じる。


「こちらこそ。ディラン様が支援してくださると伺い、とても心強く思っております」


 聖女としてのアリシアは、やはり雰囲気があった。

 ここが聖堂ということもあるのだろうが、その存在感は光そのものである。


「お邪魔かな?」


 そんな雰囲気の中、茶々を入れることができるのがゼノンという男だ。


「余計なお世話です」


 毅然とした態度で言い放つ。

 ゼノンはわざとらしく肩を竦めてみせた。


「ふふ、とても息が合っていますね」


 案の定、アリシアに笑われる始末。


「理想の師弟関係と言う奴だね」


「ゼノン様は師匠じゃないんですけどね」


 そんな軽い言い合いを見て、アリシアは再び微笑む。

 すっかり緊張感というものはなくなっていた。


 それからしばらく歓談をした後、アリシアが切り出す。


「さて、それでは癒やしの儀に向かいましょう」


 聖堂の奥から、鐘の音がもう一度響く。

 光がステンドグラスを抜けて、アリシアの金髪を淡く染めた。

 彼女がゆっくりと歩き出すのを見て、俺は小さく息を吸い込んだ。


 ――さて、ここからだ。


 そうして俺たちは、聖堂〈セレスティア〉の奥へと進んでいった。


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