第56話 共鳴する頭脳たち
俺の言葉に、研究室の空気がシンと静まり返る。
リリアが身を乗り出し、ゼノンが興味深そうに眉を上げる。
ヴァルグレイスの視線だけは、どこか鋭い。
「よし、どんな感じだい?」
ゼノンの問いに、言葉を探した。
やはり言葉にするのは難しい。
だがそれは自分のためにもなる。
俺はゆっくりと、慎重に感じたことを口にしていった。
「……魔力が辿った場所が軌跡になって、頭の中に線のように浮かんで見えます」
一つ一つ言葉を繋ぐ。
三人は言葉を挟むことなく俺の次の言葉を待っているようだった。
「魔力の流れは均一です。でも一箇所だけ、微妙な違和感があります」
言葉にしてから、自分でもそれが何なのか確信を持てずにいた。
揺らぎ、淀み、濁り。
言葉にするとなると色々と表現が出てくる。
でも、そのどれもがこの感覚に完全一致するものとも言えないもどかしさ。
「位置は?」
即座にゼノンが問う。
俺は目を閉じ、感覚の奥を辿った。
指先から伝わる微かな抵抗、そして滲み出す違和感。
「……胸部の、中心近く。心臓がある位置です」
俺はその場所を告げた。
室内の空気がわずかに震える。
そして、
「お見事! まさにそこに魔法陣を仕込んでいたんだ」
ゼノンの歓喜の声が響き渡った。
「お兄さんさすが!」
リリアからも称賛が届く。
俺もやっと答えを見つけられたという達成感が芽吹いていた。
これさえあれば、ようやく奴らの足がかりを掴むことができる。
これ以上、無意味な殺人を繰り返させはしない。
「確かに画期的な方法です」
口を挟んだのはエルナだった。
彼女は相変わらずの冷静な表情で続ける。
「ですが、今の方法では実用的とは言えません」
「あはは、もう少し喜ばせてくれてもいいじゃないか」
エルナの言葉にゼノンは笑いながら肩をすくめた。
しかしその言葉は否定ではない。
「――まあ、エルナ殿の言う通りではある。これはあくまで“成功例”だ。実戦では、対象が生きて動いている。ましてや隠蔽型の呪印ともなれば、より難易度も上がる」
ゼノンの言葉に、浮ついていた俺の心は現実に引き戻される。
エルナは、その冷たい視線を俺に向けたまま、さらに言葉を続けた。
「そもそも対象に触れなければならない。この前提を解消しないとこの方法は使えないのではないですか?」
エルナの問いは至極真っ当だ。
あの影の教団がそうやすやすと接触を許すわけがない。
「他者の魔力が体内に流れ込む感覚はどうあってもごまかせるものではない。方法自体は発見ではあるが、彼女の言うように実用を目指すというのならまだまだ足りない」
そしてヴァルグレイスがそう結論づけた。
重苦しい沈黙が、部屋を覆う。
言葉の隙間に漂うのは、失敗ではなく――“限界”という現実。
彼らも悪意からの否定などではなく、答えを前にしているからこその追求だ。
それを疎かにしては、真の解決策には至れない。
「うん、それは確かだ。魔力干渉ははっきりいって不快感が強い。私もできれば避けたいところだし」
ゼノンが腕を組んで頷く。
言っていることは最もなのだろうが、何か急に梯子を外された気分だ。
「じゃあ、どうしたらいいんでしょう?」
たまらず尋ねる。
だが、答えはすぐには返ってこない。
ゼノンは腕を組んだままだし、エルナ、ヴァルグレイスも口を一文字に結んでいる。
リリアに至っては足をぷらぷらとさせたままで、そもそも考えているのかも分からない。
「そうだね、エルナ殿はどう思う? そろそろ否定ではなく建設的な意見をくれると助かるんだが」
ゼノンの挑発的な視線が、真っ直ぐにエルナを射抜いた。
よりにもよってエルナに投げる辺りが、意地の悪さを感じる。
見るからに不機嫌そうだ。
「……実用に足らない話を進めることが建設的とでも?」
エルナの声は氷のように冷たく響いた。
ゼノンは肩を竦め、しかし目の奥では愉快そうに笑っている。
「いいじゃないか。理論ってのは、まず土台を積むところから始まる。今の課題は簡単だ。“触れずに干渉する方法”を作る。それだけさ」
彼はそう言って、空中に小さな魔法陣を描いた。
淡い光の線が幾何学的に組み上がり、やがて球体を形作る。
「魔力は、音に似てると言われる。強く響かせれば広く届くが、相手の耳を壊すこともある。でも、音色を合わせれば、不思議と一緒に響くことがある。これを“共鳴”と呼ぶ」
ゼノンから語られるのはより専門的な魔力の定義。
原作でも語られない部分であり、この世界の根幹に位置するものだ。
「つまり、触れずに魔力を響かせ合うことができれば……」
俺が言葉を探しながらつぶやくと、ゼノンは嬉しそうに指を鳴らした。
「そう、その通り! 相手の魔力の“音”を聞き取って、自分の音を合わせる。そうすれば、直接触らなくても、少年の魔力感知で相手の内内側を感じ取れるかもしれない」
正直、理屈はよく分からない。
けれど、可能性が目の前で形になっていく――そんな感覚があった。
「それがどれほど難しいことか、分かっているんですか?」
エルナが冷ややかに言う。
ゼノンは笑いながら、光球を指先でくるくると回した。
「もちろんさ。私だってできる自信はない。でも、やってのける奴を一人知っている」
「……あの方は宮廷魔法師。常人と同じ括りでは考えられません」
エルナの声に呆れが強まる。
ゼノンは苦笑しながら頷いた。
「確かに、彼は天才だ。魔力の音を“聞く”だけじゃない。音に自分の旋律を重ねて、相手の魔力を“奪う”ことすらできるからね」
何やら恐ろしい会話をしていないだろうか。
まだ見ぬ宮廷魔法師の一人。
一体、どんな人なのだろう。
「ティールのこと?」
リリアの問いにゼノンが頷き、再び議論が加速する。
まさに天才たちの独壇場。そこにもはや俺の入る余地はなかった。
『ディランさん、この人たちが何を言っているのか全くわかりません!』
(安心しろ、俺もだ)
俺は内心でルーに返し、もはや異次元としか思えない天才たちの議論を、ただ呆然と見守ることしかできなかった。
「ティールの“略奪”は、あくまで対象の魔力を“無力化”させるための応用だ。今回の“感知”とは根本が違う」
「でも、似てるよ! 相手の魔力に“触る”ってとこが!」
「似ている、というだけでこの見習いに実行させるには危険すぎます。魔力共鳴の暴走がどのような結果を招くか、ご存知でしょう」
ゼノンの軽快な提案、リリアの直感的な反論、そしてエルナの現実的な危機管理。
三者三様の意見が飛び交うが、どれ一つとして俺が口を挟める領域にはない。
今まで関わってきた人たちとは、一線を画す人たち。
そんな人達の一員となろうとしている、そう考えると何ともおこがましい。
今の俺には力も、知恵も、技術も足りない。
原作の知識も、必死で鍛えた五年間も、この現実を前にしては些細なアドバンテージでしかなかった。
『難しすぎて目が回ってきました』
勝手に落ち込む俺を現実に引き戻したのは、ルーの間抜けな声だった。
(お前はもう少し自分の世界を知っていてもおかしくないだろ)
そんなツッコミを入れる。
『う、だって、今までは知らなくても使えてたんですし!」
そんな言い訳を吐き捨てる。
勇者と聖女に力を授ける前のルー――いや聖女神ルミア。
その時の彼女は一体どんな力を持っていたのだろうか。
神と言われるくらいだったのだから、完璧な治癒能力とか?
少なくとも今の光一つ出すよりはずっと凄かったに違いない。
(……治癒能力、か)
その言葉が、自分の中で何かに触れた。
魔力を流し込み、相手の魔力循環を整える――それはつまり。
「少年はどう思う?」
「……え?」
突然話を振られ、俺は素っ頓狂な声を上げた。
さっきまで感じていた強烈な疎外感が、一転して刺すようなプレッシャーに変わる。
ゼノンの楽しそうな瞳。
リリアの「お兄さんなら何か言うはず!」と期待に満ちた瞳。
エルナの「どうせ碌な答えは返ってこない」とでも言いたげな冷ややかな視線。
そして、ヴァルグレイスの、感情を読み取らせない静かな琥珀色の瞳。
王国最高峰の知性が、俺という一点に集中している。
「いえ……その、皆さんの議論は、俺には高度すぎて……」
乾いた喉で、何とかそれだけを絞り出す。
エルナが、ほら見たことか、とでも言うように小さく息を吐いた気がした。
だが、俺は言葉を続けた。
ここで「分かりません」と匙を投げるわけにはいかない。
「的外れなことを言ってたらすみません」
そう前置きして、次の言葉を続ける。
「触れること、そして魔力が干渉することが当然という状況なら問題ない、ですよね?」




