第55話 魔力の知覚
ゼノンが小さな咳払いをして、部屋の隅に積んであった木箱を開けた。
中から現れたのは、人の形をした人形――等身大のマネキンだ。
見れば、それらの至る部位に刻印を模したであろう魔法陣が刻まれているのが目につく。
「それは……?」
俺は思わず尋ねる。
「これは――」
「――私が作った魔法人形だよ!」
そしてリリアに言葉を奪われた。
「魔法人形?」
「うん。体内に魔力の循環路を作ってあるの。生き物みたいに魔力が流れるんだよ」
リリアは指先で人形の胸をなぞる。
刻印が応じるように青白く瞬き、淡い脈動が広がった。
それを見て、俺の口が勝手に動く。
「まさか……動いたりとか?」
ロボット、そんな単語が頭をよぎり、思わず口をついた。
彼女の天才性なら、この魔法世界にそれを作り出していてもおかしくない。
だが、リリアは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後、クスクスと笑った。
「動くわけないって! そんな変なこと考えるの、お兄さんくらいだよ」
からかうような声に、苦笑を浮かべる。
少なくともそれはロボットとは程遠く、単なる実験用の模型ということらしい。
「でもそっか、自動で動く人形……」
リリアはポツリと呟き、何かを考え込みだした。
まさかあの言葉からロボットまで飛躍しないだろうな。
ないとは言い切れないところが、また怖い。
「おっと、脱線はそこまでにしようか」
ゼノンはパンと手を鳴らし、緩んだ空気を断ち切った。
そこで俺はエルナの冷たい視線とヴァルグレイスの無感情な視線に気づき、背筋が凍る。
(まずい、彼らの貴重な時間を頂戴しているんだ。無駄にする暇はなかった)
「じゃあ早速だが、ヴァルグレイス殿。先程言っていた呪殺と類似するものについて見識を伺ってもいいかな?」
ゼノンがヴァルグレイスに問う。
彼は小さく息を吐き、静かに口を開いた。
「いくつかある。例えば森人族に伝わる『追放の烙印』。掟を破った者が今後、同族に近づけなくなるという魔法刻印だ」
「近づけなくなる?」
リリアの問いにヴァルグレイスは付け加える。
「近づくと刻印から痛みが走り、仕舞には死に至る。そんな魔法だ」
「なるほど、確かに似ている。トリガーにこそ差異はあるけど、仕組みは一緒なのかもしれない」
ゼノンは分析するように呟く。
「そしてもう一つ、私の推測ではこちらを参考にしていると見ている」
ヴァルグレイスはそう言葉を付け足して続けた。
「『隷属の呪印』。今から数百年前は比較的一般的だった隷属魔法だ。奴隷に刻印を施し、命令に背けば苦痛を与え、逃亡すれば遠隔から命を奪うこともできた」
ヴァルグレイスの乾いた声が、混沌とした研究室に響く。
その言葉の響きに、エルナが僅かに眉をひそめ、リリアも足をぶらぶらさせるのを止めた。
「仕組みは単純だ。対象の魔力循環の一部に、術者の魔力を組み込んだ『接続点』を作る。それを外部から刺激することで、対象の身体機能に直接干渉するものだ」
「なるほど……」
ゼノンは腕を組み、興味深そうに頷いた。
「『影の教団』の呪印も、その亜流と考えるのが妥当だろう。もっともこの刻印は奴隷であることの証明でもある都合上、目に付くようにできている」
「目に付くように、か。だが、今回の『呪印』は真逆だ」
ゼノンは腕を組み、面白そうに目を細める。
「場所は秘匿され、そして死と同時に消滅する自己隠蔽機能付き。実に厄介で、素晴らしい術式だ」
そのゼノンの言葉は静寂の中に溶けていく。
俺は何も言えなかった。
今まで漠然と思い描いていた人を殺す魔法。それが具体的に明かされた今、妙な現実味を帯びて、背筋が凍る。
「それで何をするつもりですか?」
沈黙を破ったのはエルナだった。
いつものように不機嫌そうにゼノンと、そして俺に向けている。
「もちろん、我々の目的はただ一つ。『呪印』の感知方法の確立だ。生憎と理論を捏ねるだけでは答えが見つからなくてね。こうして実験体をリリア殿に用意してもらったってわけだ」
簡単に経緯を語るゼノン。
「……つまり具体的に何をやるのかは決まっていないと?」
エルナの声音がより低くなる。
しかもそれはその通りなのだから、反論が難しい。
「まあそうとも言うが、それが実験の醍醐味じゃないのかい?」
「ある程度の仮説くらいは立てておくべきでは? 闇雲に施行を繰り返すのは時間の無駄でしかありません」
エルナはきっぱりとそう言い切った。
一理あるどころか、彼女らしい明快な答えであると思う。
ゼノンはその答えを聞いて「手厳しいね」と手をフリフリとお手上げのポーズを見せる。
「でも、お兄さんならできるでしょ?」
突如としてリリアがそんなことを言い出した。
もう何度目から分からないが、再び視線が集まる。
しかし、俺も分からない。
リリアは一体何を言い出しているんだろうか?
「どういうことだい?」
代表してゼノンがリリアに問いを投げる。
「だってお兄さん、魔道具を触るだけで中身分かってたでしょ?」
「……あ」
リリアの言葉に、俺は息を呑んだ。
工房で燭台に触れた時の、あの感覚が鮮明に蘇る。
あれは、ただ魔力が流れているのを「感知」しただけではない。
魔石から光源へと至る、緻密に設計された魔力回路。
その流れ、分岐、収束。まるで頭の中に、その魔道具の「設計図」そのものが立体的に展開されるような――。
「うん、何の話だい?」
ゼノンがすかさず食いついてくる。
「えっと……以前、魔道具整備をしている時に――」
拙いながらも口で説明していく。
工房での出来事――燭台に触れた際、その内部構造が頭の中に流れ込んできた、あの奇妙な感覚について、できるだけ正確に言葉を選びながら説明した。
「――なるほど」
ゼノンは今までと打って変わって静かに呟いた。
「少年の魔力感知が特異である理由がようやく分かった」
静かにそう結論づけたゼノンに対し、エルナ、そしてヴァルグレイスも静かに息を吐く。
「つまり貴方は五感で魔力を感じていないんですね」
エルナの静かな問いかけが、混沌とした研究室に響いた。
「え?」
エルナ様の静かな問いかけに、俺は素直に戸惑いを隠せない。
「魔力の知覚というのは、主に皮膚に点在する器官によって感じ取れるものだ。他にも目や鼻、耳で感じれる者もいるが、それらは全て五感に付随している」
ヴァルグレイスが補足で説明を加える。
ただ俺もそれは知っている。
マクスウェル教授から教わる以前に、教本などから得た知識だ。
「だがお前のそれはまた別だ。お前は自身の魔力そのものを媒介に、外の魔力を“触れて”感じ取っている」
「言ってしまえば、自分の魔力が外界を“指先の延長”のように感じ取っているってことだね。つまり触れた空気のざらつきまで、皮膚でわかるみたいに」
ゼノンの補足にヴァルグレイスが頷き、そしてエルナが結論を添えた。
「魔力感知は広げるものではなく、研ぎ澄ますもの。貴方の場合は逆だったようですね」
その言葉で、全てが腑に落ちた。
確かに考え方が違う。
俺は魔王の脅威を感じ取るために、外へ外へとその感知を広げていった。
だからこそ俺は、魔力によって魔力を探すという手法になったのだろう。だってその方がより遠くの魔力を感じ取れるからだ。
「到底効率的とは思えない手法だ。まさに変態的だね」
そんなゼノンの評価は、とても人を褒める称えるようなものではなかった。
ただ、俺自身も今一度自分を見つめ直すことができた良い機会であったことは言うまでもない。
「さすがお兄さん!」
「あ、ありがとうございます……」
フォローであってフォローではないリリアの言葉には苦笑するしかない。
「それじゃあ、試してみようか」
ゼノンからの提案に頷き、俺は人形の側に立つ。
そして触れ、魔道具と同じ要領で自分の魔力を流し込んだ。
だが、すぐに異変に気づいた。
魔力が相手の内側に入る前に、何かが押し返してくる感覚。
「魔力抵抗だね、コツはあるんだが今は気合で何とかしてくれ」
ゼノンの軽い声に、俺は息を詰めて力を込めた。
魔力が皮膚を通して滲み出し、指先から人形の中へと染みていく。
押し返す圧力を感じながら、それでもじわりと侵食していくうちに――世界が広がった。
「どうだい?」
期待の声。
俺は口を開き、一言告げる。
「――感じました」




