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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第54話 叡智の集い

 翌日、俺はゼノンに指定された研究室の扉の前に立っていた。

 場所は、工房や資料室とは一線を画す、北の塔の最奥部。

 宮廷魔法師たちの私的な領域だ。

 普段は入れないどころか、近づこうとすら思わない魔境。

 重い扉を前に一度ごくりと唾を飲み込み、意を決してノックする。


「入りたまえ! 待っていたよ!」


 中から返ってきたのは、扉越しでも分かるほど弾んだ、ゼノンの声だった。

 恐る恐る扉を開けると、そこは――昨日までの整然とした王城の空気とはまるで別世界の、混沌とした空間が広がっていた。


 壁一面を埋め尽くす書物と羊皮紙の山。

 机の上には用途不明の魔道具の部品が散らばり、棚には怪しげな色をした液体が満たされた瓶が所狭しと並んでいる。

 ゼノンが口にしていた「倫理を疑われる実験」という言葉が、妙な説得力を持って頭に響いた。


「やあ少年、最高の実験日和だ!」


 その混沌の中心で、ゼノンはまるで子供のように目を輝かせ、俺に手招きをした。


 そして、その対極。


 部屋の隅。窓辺に腕を組んで立っていた銀髪の影が、俺の入室に気づき、ゆっくりとこちらを振り向いた。


 エルナだ。

 その氷のように冷たい美貌には、「職務」という言葉で無理やりここに連れてこられたことへの、隠しきれない不満と苛立ちが宿っているのが、痛いほど伝わってくる。


 そしてもう一人。


「お兄さん、おはよー!」


 リリアだ。

 研究室の机の一つに腰掛け、リリアは楽しそうに足をぶらぶらさせながら、俺に無邪気な笑顔を向けている。

 カインの死や俺の軟禁といった、昨日までの騒動などまるで別世界の出来事かのようだ。


「リリア様まで……」


 俺が呆然と呟くと、ゼノンが苦笑しながら口を開く。


「まあ彼女については勝手に来たんだけど、人手は多いに越したことはないからね」


「っていうか、お兄さんは私の弟子なんだから、師匠が弟子の実験に立ち会うのは当然でしょ?」


 リリアはさも当たり前だというように、机の上で胸を張る。

 色々ありすぎて頭から抜けていたが、そう言えばそうだった。


「はは、師匠の務め、か。結構結構」


 ゼノンはリリアの言葉を愉快そうに受け流すと、パン、と手を叩いて部屋の空気を引き締めた。


「さて、これで役者は揃ったわけだ。改めて、本日の実験の目的を共有しよう」


 彼は、不満を隠そうともしないエルナへと、あえて明るい視線を向ける。


「……おい」


 するとまた別の声が、部屋の奥――書物の山に埋もれた影から、低く響いた。

 俺は心臓が跳ねる。

 まだ誰かいたのか。


 ガサリ、と羊皮紙が雪崩を起こす。

 紙の山の向こうから、痩せた男が一人、ゆっくりと姿を現した。


 灰銀の髪を無造作に束ね、淡い琥珀の瞳がこちらを一瞥する。

 顔立ちは中性的で整っているが、どこか“磨耗している”印象を受けた。


 灰に近い銀髪。

 長く伸びた前髪が片目を隠しているが、覗く片方の瞳は淡い琥珀色をしていて、光を吸い込むように静かだった。

 顔色は悪い。けれど不健康というより、生気という概念そのものを削ぎ落としたような印象だ。


「人を呼び出しておいて、紹介をしないつもりか?」


 その声を聞いたゼノンは、待ってましたとばかりに、大仰に手を広げた。


「おっと、これは失礼。紹介がまだだったね」


 ゼノンは、まるで舞台役者を紹介する座長のように、その灰色の髪の男を指し示した。


「彼こそは、宮廷魔法師第二位にして、我が国が誇る『叡智の賢人』――ヴァルグレイス・アシュトン殿だ」


 その名を聞いて、俺は息を呑んだ。

 リリア様から噂には聞いていた。

 だが、思っていたよりも随分と若い。

 マクスウェル教授と同じくらいの歳を想像していたのだが、年齢は三十代半ばほどに見える。


「それで、これが例の”見習い”か」


 ヴァルグレイスの声は、その見た目通り乾いていて、感情の起伏がまるで感じられなかった。淡い琥珀色の瞳が、俺をまるで珍しい昆虫標本でも見るかのように、じろりと一瞥する。

 リリアの言う通り、気難しい人物のように感じた。


「あ、はい。ディラン・ベルモンドです」


 俺が慌てて頭を下げると、ヴァルグレイスはそれを意に介した様子もなく、ふいとゼノンに視線を移した。


「……それで、ゼノン。私を呼び出した理由は?」


 ゼノンは、相変わらず愉快そうに手を叩いた。


「そりゃあ決まってる。国家が危機に瀕しているんだ。ぜひ貴方の知識をぜひお借りしたい」


 ヴァルグレイスは、その乾いた琥珀色の瞳でゼノンをじっと見つめた。感情のない、ガラス玉のような目だ。


「国家の危機、か。随分と大袈裟な物言いだな」


 彼は、まるで肩についた埃でも払うかのように、無関心に言葉を返した。その声には、何の抑揚もない。


「大袈裟なんかじゃないさ、ヴァルグレイス殿!」


 ゼノンは心底楽しそうに反論する。


「なにせ、王城の内部に、我々の知らない『魔法体系』が持ち込まれているんだ。宮廷魔法師第二位たる君が、これに興味がないとは言わせないよ?」


「……魔法体系?」


 ヴァルグレイスの眉が、ほんのわずかに動いた。

 部屋の隅で成り行きを見守っていたエルナの表情も、わずかに険しくなる。


「そう!」


 ゼノンは待ってましたとばかりに手を叩いた。


「我々は今、『呪殺』と呼ばれる未知の魔法に直面している。特定の対象だけを遠隔から殺害し、死と同時にそのトリガーとなった呪印も消滅させるという、実に厄介で、実に――“美しい”魔法だ」


 ゼノンの言葉に、ヴァルグレイスは小さく息を吐く。


「それを美しいと表現するか……相変わらずだな」


「はは、褒め言葉と受け取っておこう」


 ゼノンはヴァルグレイスの乾いた皮肉を軽くいなす。


「だが問題はそこじゃない。ヴァルグレイス殿、君の知識が借りたいんだ。この『呪殺』のトリガーとなる『呪印』について、何か心当たりは?」


 ゼノンの問いに、ヴァルグレイスはふいと視線を逸らした。

 まるで部屋の天井にでも答えが書いてあるかのように、数秒間、虚空を見つめる。  その琥珀色の瞳が、常人には見えない何かを高速で読み取っているかのようだった。


「……『呪印』、か」


 やがて、彼は静かに口を開いた。


「それ自体については知らない、少なくとも記録上に残されたものではない」


 ヴァルグレイスは首を振る。

 その言葉に、ゼノンは心底がっかりしたように肩を落とした。


「なんだ、賢人殿でも知らないことがあるのか。残念だな」


「言葉を最後まで聞け」


 ヴァルグレイスは、ゼノンの芝居がかった落胆を、乾いた声で一蹴した。


「『呪印そのもの』は知らない。だが、君が提示した『概念』――すなわち、『特定の対象にのみ作用し、遠隔から発動する死の術式』という観点で言えば、類似するものは存在する」


 あっという間に、部屋の空気が変わった。

 ゼノンの瞳に、再び強烈な好奇心の光が宿る。


「ほう、続けてくれ」


「いや、その前にだ」


 ヴァルグレイスが言葉を止める。


「なぜその未知の魔法を『呪殺』と判断した? ゼノンの言葉が本当なら痕跡すら残っていないのだろう?」


 ヴァルグレイスの問い。

 一瞬、部屋がシンと静まり返る。

 しかし、すぐさまゼノンが続けた。


「それこそ彼の功績だ」


 ゼノンは、楽しそうに俺を指差した。


「このディラン・ベルモンドこそが、我々にその『未知の魔法』の存在と、その名――『影の教団』をもたらしてくれた、唯一の情報源だよ」


 部屋中の視線が、一斉に俺に突き刺さった。

 エルナの冷ややかな視線、リリアの好奇に満ちた瞳。

 そして何より、ヴァルグレイスの、光を吸い込むような琥珀色の瞳が、俺の存在そのものを値踏みするようにじっと見据えている。


「彼が?」


「そうだとも、ヴァルグレイス殿も先の学院襲撃事件は聞いているだろう?」


「ああ」


 ヴァルグレイスの琥珀色の瞳が、初めて俺の顔をまともに捉えた。

 その視線は、何もかもを見透かすようで、居心地が悪い。


「その事件の首謀者を、このディランが捕らえた。そして彼から『影の教団』の名を引き出すことに成功したんだ」


 ヴァルグレイスは感情のない瞳で、ゼノンと俺を交互に見る。


「……引き出した、か。だが、それだけでは『呪殺』には繋がらない」


「その通り!」


 ゼノンは待ってましたとばかりに続ける。


「その首謀者ロイも、もう一人の内通者アレンも、捕らえられた直後に牢獄で死んだ。この城で殺されたカイン君たちと、まったく同じ……穏やかな顔で、魂だけが抜かれたかのようにね」


 その説明に、ヴァルグレイスの琥珀色の瞳が、初めて明確な『興味』の色を宿した。


「……なるほど。状況証拠は揃いすぎている、か。学院の事件の犯人たちは、いわば『確定した教団員』だった。そして彼らは、口を割る前に『処分』された。……その処分方法こそが、君たちの言う『呪殺』の正体だと」


「その通りだよ、ヴァルグレイス殿!」


「色々と言いたいことはあるが……理解はした。それで、一体どうするつもりだ?」


 ヴァルグレイスは呆れたように肩を竦めるも、肯定の意を示した。

 そしてゼノンが楽しそうに笑みを浮かべる。


「それもまた鍵を握るのはこの少年だ」


 再び俺に注目が集まる。

 ヴァルグレイスの視線は訝しげだ。


「お兄さんは凄いんだよ!」


 リリアの天真爛漫な声が、張り詰めた研究室に響く。

 その無邪気さが、場の緊張をほんの少しだけ和らげた。


「うん、そうだね。彼の魔力感知は比類ない力だ。それは私とリリア、そしてエルナ殿のお墨付きでもある」


 さり気なくエルナを巻き込んでゼノンは告げた。

 エルナは不機嫌そうに目を細めるが、特に何も言わなかった。


「……魔力感知か」


 ヴァルグレイスは呟く。


「人の魔力の奔流の中から、微弱な術式の痕跡だけを抜き出して視る、と? ……ゼノン、それは『感知』の領域ではない。それはもはや『解析』だ」


「だからこそ、実験するのさ!」


 ゼノンは、子供のように無邪気な、しかし神の領域に手をかけるかのような不遜な笑みを浮かべた。


「ここに『叡智の賢人』たる君がいる。『万器の聖匠』がいる。『万象の賢者』がいる。そして、鍵となる『特異な目』を持つ少年がいる!」


 彼は両手を広げ、この混沌とした研究室に集った、王国最高峰の才能たちを高らかに指し示す。


「これだけの役者が揃って、解けない謎があるとでも? さあ、始めようじゃないか、諸君!」


 ゼノンは、まるで壮大な劇の幕開けを告げるように、高らかに宣言した。


「――我々の『知』が、王国の『闇』にどこまで通用するのか。最高の実験を、今、ここから!」


 その言葉を合図に、部屋の空気が一変した。

 エルナの深い溜息、リリアの純粋な期待、ヴァルグレイスの静かな探究心、そしてゼノンの抑えきれない歓喜。

 その全てが、俺という一点に注がれる。


 とんでもない場所に立たされてしまった。

 だが、もう後戻りはできない。

 俺は、ゴクリと唾を飲み込み、集まった宮廷魔法師たちを真っ直ぐに見据え返した。

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