第53話 光を求めて
『呪印』を”感知”する。
まさに目から鱗だった。
ゼノンの言葉は、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃だ。
全身を貫いた興奮が未だ収まらない。
「呪殺が何であれ、魔法であることは間違いない。つまりそのトリガーとなる呪印も魔力を帯びているはずだ」
ゼノンの言葉はその仮説をより強固にしていく。
「そして、その魔力がどれほど微弱で、どれほど巧妙に隠蔽されていたとしても――」
彼は不敵な笑みを浮かべ、俺を真っ直ぐに見据える。
「――君の『目』からは逃れられない。そういうことだろう? 少年」
その言葉は、俺への絶対的な信頼と、そして何より強烈な期待を孕んでいた。
それは同時に、俺が背負うべき役割の重さを突きつけるものでもある。
「試してみる価値はあります」
俺は拳を握りしめ、強く頷いた。
確実にできる、とまでは言い切れないが、これ以上、影の教団の好き勝手にさせるわけにはいかない。
例え関係者であったとしても、無為に命が捨てられるのは許されるものではない。
「その意気だ、少年」
ゼノンは満足げに頷くと、興奮を隠しきれない様子で部屋の中を数歩歩き回り、そしてぴたりと足を止めた。
「さて、こうしてはいられないな」
とても楽しそうな彼の声色は、先程までの政治的な駆け引きの重さなど微塵も感じさせない、純粋な探求者のもの。
良くも悪くもその純粋さは俺にはないものだ。
きっとそれこそが今の俺に足りないものなのだろう。
「じゃあ、早速実験をしてみようか」
そう言うとゼノンは自らの掌に指を当て何かをし始めた。
見ると、そこには魔法陣が描かれている。
「えっと、何をしてるんですか?」
「何って、決まってるじゃないか」
ゼノンは心底楽しそうに笑いながら、魔法陣を描き終えた掌をぎゅっと握り込む。
「はい、これで目からは見えなくなった。さて少年、君の魔力感知ならどうだ?」
そこまで言われてようやく意図を理解する。
あの魔法陣を呪印と見立てて、俺の力が本当に使い物になるのかを検証するということなのだ。
「やってみます」
俺は目を閉じた。
空気が沈む。心臓の鼓動だけが、耳の奥で響いていた。
魔力の流れを追う——光の糸を手繰るように。
そして、目の前に立つゼノンという、大きな光を感知する。
その巨大な魔力の奔流の中に、先程彼が握り込んだ、小さな「異物」を探す。
(……分からない)
正直な感想が、浮かび上がった。
ゼノンの魔力があまりにも強大すぎる。
まるで太陽の眩しさの中で、小さな星の光を探すようなものだ。
微弱な魔法陣の魔力は、彼自身の膨大な魔力の中に完全に溶け込み、判別がつかない。
「……どうかな?」
ゼノンが楽しそうに尋ねてくる。
「いえ、ゼノン様の魔力が強すぎて、その……判別がつきません」
俺は目を開け、正直に答えた。
せっかくの希望だったのに、これでは使い物にならない。
そんな思いが渦巻く俺に対し、ゼノンはむしろ楽しそうに目を細める。
「魔力量か――いや、問題は魔力の密度か」
ゼノンはボソボソと考えを呟いていく。
「魔力というのは魔法とは違って色も形がないからね。魔法の痕跡を見つけるのとはわけが違う。魔力の中から魔力を見つけるなんて、言葉でも意味が分からなくなる」
ゼノンは楽しそうに続ける。
「例えばこれならすぐに感知できるだろう?」
ゼノンはそう言って床に魔法陣を書く。
俺はすぐに頷いた。
あえて集中するまでもなく、俺はそこに魔力があると感じられている。
「そうだろうね。本来魔力のないものに魔力が存在しているから、それを異物として見つけられる」
ゼノンは軽く指を鳴らし、魔法陣を消した。
その瞬間、部屋の空気が少しだけ軽くなった。
なるほど、確かに“在る”と“無い”の差がはっきりしている。
「そもそも魔力感知なんてその程度の技術なんだ。どこどこに魔力があるっていうのが分かるだけで、そこからどんな魔力なのか、なんて精密なことは普通わからない。まして、人間っていう魔力の塊の中に潜む微弱な“異物”を見抜くなんて芸当、理屈の上では不可能さ」
ゼノンは俺に教えるように、そして自分でも確認するかのように言葉を発する。
「だったら……」
不可能ではないか。
俺はそう思ってしまった。
「いやいや、諦めるにはまだ早いよ。それは一側面の話であって、絶対に不可能だ、という意味ではない」
ゼノンは、にやりと笑いながら指を立てた。
その指先に、小さな光の粒が灯る。
それはまるで、夜空の星のように一瞬だけ煌めいては消えた。
「それこそ少年の魔力感知だって理論上は不可能だった。学院中の生徒たちを魔力感知を使って位置把握をしようなんてそもそも発想にないからね」
「それは……」
あれはゲームという俯瞰的なメタ視点があったからこそできた発想だった。
この世界をミニマップのように見立てた広範囲感知――そんな発想、普通の魔法師から出てこないないのは当然だ。
「それに魔力だけで判別できるものもある」
ゼノンはしたり顔で指を一つ立てた。
「魔物だよ」
ゼノンの言葉に、学院での光景が脳裏に蘇る。
俺は実際に魔物と対峙した。
確かに奴らの魔物の魔力は歪で、実際に目で見ていなくても魔物だと分かるほどだった。
「まあその考え方が正解かどうかもわからないけどね。結局、これ以上理屈を捏ねても答えはでない」
ゼノンは肩をすくめた。
その言葉は投げやりに聞こえるのに、声の奥には愉悦が混じっていた。
「つまり――実験だ」
ゼノンは声高らかに宣言する。
その顔は子どものように無邪気で、同時に恐ろしいほど理知的だった。
この人は――本気で楽しんでいる。
「実験、ですか……?」
俺は念のために確認する。
しかしゼノンは振り返りもせず、すでに部屋の棚を物色していた。
「もちろん。実験だよ。理屈で限界が見えたなら、次は現実で試せばいい」
ゼノンはまるで子どもが玩具を思いついた時のような顔をして、机の上に置かれていたインク壺を手に取る。
そして、そこから魔力を少し流し込むと、インクの色がゆらりと揺れた。
「見たまえ、少年。魔力を通した物質はこうして僅かに反応を示す。だがこれを“人の身体”でやろうとすると、問題が山ほどある。肉体の魔力は常に循環しているからね」
「……つまり、魔力を固定できる環境が必要になる」
「そう。それに実験台も、検証対象も必要だ」
ゼノンは当たり前のように言いながら、インク壺を指で弾く。
透明な液体の中で、小さな光が泡のように弾けて消えた。
「ま、ここじゃ無理だね。君の部屋は狭いし、なにより道具が不足している。私の研究室なら、多少“倫理”を疑われるような実験でも問題ない」
その言葉に、背筋が僅かに冷たくなる。
「……“倫理を疑われる”?」
「ははっ、冗談さ」
そう言ってゼノンは笑ったが、目は少しも笑っていないように見えた。
「ともかく準備がいる。魔力の干渉を抑えるものと、呪印の再現用の触媒。それと――」
ゼノンは何かを思い出したように指を鳴らす。
「――人員も必要だね。作業自体は、私ひとりでも良いんだが、より再現性を求めるなら他の魔力パターンも必要になる」
「人員、ですか……」
「ああ。君は『感知』に集中してもらうからね。そうだな、今手が空いているとなると……ああ、一人優秀な魔法師がいたね」
ゼノンは、心底楽しそうに、口の端を吊り上げた。
「……まさか」
その悪戯っぽい笑みを見て、俺の脳裏に一人の人物の、氷のように冷たい顔が浮かんだ。 俺と顔を合わせるたびに、あからさまに不機嫌なオーラを放つ、あの銀髪の宮廷魔法師だ。
「ああ。エルナ殿を呼んでこよう」
案の定ゼノンは、まるでピクニックにでも誘うかのような軽やかさで、その提案をした。
「エルナ様を……ですか? 彼女が、こんなことに協力してくれるとは到底思えませんが……」
「はは、大丈夫だとも」
ゼノンはあっけらかんと笑い飛ばした。
「これは宮廷魔法師としての正式な『職務』だ。王城内に潜む脅威を排除するための、最優先調査だよ。彼女が私情で断れるものか」
「職務、ですか……」
「それに」
ゼノンは目を細め、どこか意地の悪い笑みを浮かべる。
「彼女は少年の『魔力感知の魔法化』を提示したその一人だ。彼女も少しは責任を負ってもらわないとね」
ゼノンは軽やかにそう言ってのける。
対して俺は苦い顔をするしかない。
今の発言、エルナに聞かれたら絶対渋い顔をする。
「じゃあ、準備が整い次第、迎えに来るよ。明日には始められるはずだ」
そう言って、ゼノンは立ち上がる。
「さて少年、明日は忙しくなるぞ。久々に“面白い魔法実験”ができそうだ」
そう言い残して、ゼノンは軽やかに部屋を出ていった。
扉が閉じる音が響くと、部屋の空気が一気に静まり返る。
残された俺は、ただ呆然とその背を見送るしかなかった。
『ディランさん、なんか……破茶滅茶な人でしたね』
ルーの言葉に、思わず苦笑する。
「ああいう人を天才っていうんだろうな」
苦笑しながら呟きつつも、胸の奥で小さな熱が灯る。
明日には、また少しだけこの世界を理解できる気がした。




