第52話 再起の理
父と騎士団長が去り、俺は再び自室に戻された。
軟禁は解かれたが、王城からの外出は禁じられたままだ。
政治の力で「解放」されたという事実は、救いというより、自らの無力さと、あの巨大な権力構造の一部に組み込まれたという閉塞感だけを俺に残した。
これが権力の代償。
あの時感じた僅かな優越感はすっかり消え失せていた。
『ディランさん、大丈夫ですか?』
ルーの慰めが、虚しく響く。
「……ああ」
力なく返事をした、その時だった。
扉がノックされ、開かれる。
「やあ、少年」
現れたのはゼノンだった。
このタイミングで来たということは事情を概ね把握しているのだろう。
「あれ、浮かない顔だね? ようやく軟禁状態から解放されたんじゃないのかい?」
ゼノンは、まるで世間話でもするかのような気楽さで、机の向かいにある椅子にどかりと腰を下ろした。
「まあ、はい。そうですね……」
俺は力なく返事をする。
事細かに事情を説明する気にはなれない。
「何か不満があるようだね?」
ゼノンが少し落ち着いた口調で尋ねてくる。
「不満……というかやるせないというか」
ポツリと心情を零す。
「やるせない、ね」
ゼノンは俺の言葉を反芻すると、愉快そうに喉を鳴らした。
「はは、なるほど。確かに君からすればやるせないだろう。真実を追求したいだけなのに、大人たちは勝手にメンツを懸けた権力闘争を始めてしまうんだから」
ゼノンは俺の心に漂う思いを言葉として声に出した。
「ゼノン様……」
「それになんと奇遇なことに、私もそう思っているんだ」
「……え?」
ゼノンの言葉に、俺は思わず顔を上げた。
彼の顔には、いつもと同じ笑み。けれど、その奥のどこかに、俺には届かない何かがあった。
「どういう、ことですか?」
「言葉通りの意味だよ」
ゼノンは肩をすくめる。
「君の父上も、ガルム団長も、それぞれの立場と正義で動いている。それはそれで結構なことだ。おかげで君の軟禁も解けたわけだしね。……だけど」
ゼノンは机の上で組んでいた指を解き、真っ直ぐに俺の目を見据えた。
宮廷魔法師としての鋭い光がその瞳に宿る。
「彼らの『政治』が、カイン君や騎士殿を殺した犯人を捕まえてくれるわけじゃない。そうだろ?」
その言葉は、俺の胸の奥に突き刺さった。
そうだ。あの場で語られていたのは「名誉」と「法」ばかり。
二人の死を悼み、真犯人を捕まえようという純粋な意志は、そこにはなかった。
「私はね、少年。政治家である前に、魔法師なんだ」
ゼノンは楽しそうに続けた。
「分からないことがあるのが我慢ならない。目の前で起きた不可解な現象を、解明せずにはいられない。……特に、私の知的好奇心をこれほど刺激する『影の教団』なんていう謎はね」
その笑みは柔らかかった。
父や騎士たちとは違い、俺と似たような個人的な欲求。
だが、その奥にあるのは、俺とは別の熱なのだろう。
父や騎士たちが守ろうとしたのは“秩序”で、俺が求めているのは“真実”。
ゼノンが追っているのは――“未知”そのものだ。
同じ方向を向いているようで、見ているものが違う。
それでも、今はこの人の視線の先に、俺の答えがある気がした。
「それに君だって貴族である前に、宮廷魔法師の見習いだ。……違うかい?」
「……そうですね」
口ごもり、視線を落とす。
もちろん最初はそのつもりだった。
だが、できなかった。
窮地に陥った途端、その立場を捨てて「貴族」のカードを切ったのは、他の誰でもない俺自身なのだから。
静かに拳を握る。
不甲斐なさと悔しさが、まだ指の隙間に残っている。
けれど――それでも。
「……今度は、魔法師として」
呟きながら、視線を上げた。
ゼノンが薄く笑う。
その笑みは、相変わらず楽しそうで、そしてどこか誇らしげだった。
「良い顔になったね、迷いは消えたのかな?」
「まあ、少しだけ」
小さく頷く。
「はは、それくらいでいい。じゃあ早速真相を追い求めようか」
「はい、でも何から……」
ゼノンは楽しそうに頷く。
「もちろん我々は宮廷魔法師だ。明らかにするものは魔法に決まっている」
彼は立ち上がり、部屋の扉へと向かう。
「ズバリ、『呪殺』について」
ゼノンはそう言い切った。
「呪殺、ですか」
「ああ――その禁術が、間違いなく今回の鍵になる。さあ、面白くなってきたじゃないか」
ゼノンは本気で楽しそうだった。
俺にとっては仲間を殺した魔法でしかないのに、彼にとっては未知への扉らしい。
流石に俺はそこまで吹っ切れることはできない。
「あの……」
俺は手を上げ一つ言葉を出す。
「お、早速何かあるのかい?」
ゼノンは声音を上げ、興味津々と言った様子で尋ねてくる。
「はい、その『呪殺』について一つ思ったことがありまして」
ゼノンは黙って次の言葉を待っていた。
『呪殺』の真実。
これを話すことはリスクだ。
だが明らかにしないわけにもいかない。
俺は一度息を吸い、覚悟を決めて口を開いた。
「はい。まず結論から言いますと――俺は、あの『呪殺』は、誰彼構わず使える暗殺魔法ではない、と考えています」
「うん、それはそうだろうね。もしそうなら宮廷魔法師の誰かに心当たりがあったはずだ」
ゼノンは頷いた。
「いえ、使用ではなく対象です」
「うん?」
ゼノンは首を傾げる。
「ゼノン様は、今回の事件について何を目的としたものと考えていますか?」
ゼノンは一瞬虚を突かれたように目を丸くするが、すぐに口を開いた。
「状況的に見たら、『影の教団』とやらが君を陥れるためと考えるのが自然じゃないかな」
「はい、同じ意見です」
俺は頷く。
「ではなぜ、私を直接『呪殺』しないんでしょうか?」
ルーから得た気づきをそのままゼノンにぶつける。
俺の言葉に、ゼノンは一瞬、虚を突かれたように目を丸くした。
だが、それも束の間。
彼の口元に浮かんだのは、笑み。
まるで待ち望んでいた獲物を見つけた獣のような、獰猛で、心の底から楽しそうな――歓喜の笑みだった。
「は、はは……ははははは! なるほど! なるほど、そういうことか!」
ゼノンは笑い出した。
突然のことに俺が困惑していると、彼は涙すら浮かべた目で、俺の肩を掴んだ。
「そうか、そうか! なぜ気づかなかったんだろうな、こんな単純なことに!」
「ゼノン様……?」
「君の言う通りだ、少年!」
ゼノンの声には、抑えきれない興奮が満ちている。
「なぜ君を直接狙わないのか! それは『狙えない』からだ! つまり――」
彼は俺の言葉の続きを、正確に言い当てた。
「――その『呪殺』は、特定の条件を満たした人間にしか発動しない! おそらくは、教団に加入した者だけが持つ何かがトリガーになっているんだろう」
宮廷魔法師としての圧倒的な洞察力。
俺がゲーム知識から導き出した仮説の核心を、彼は一瞬で見抜いた。
「……つまり」
ゼノンの笑みが、すっと消えた。
その瞳に、冷徹な光が宿る。
「アレンも、ロイも、そして……カイン君とあの騎士殿も。全員が『教団員』だったということだ」
その結論は、俺が導き出したものと同じ。
だが、ゼノンの口から語られると、それは揺るぎない事実として、部屋の空気に重くのしかかる。
「流石、私の見込んだ少年だ!」
ゼノンは心の底から楽しそうに、俺の肩を強く叩いた。
「この仮説が正しければ、奴らの計画を阻止することができるどころか、壊滅状態にさえできる」
「どういうことですか?」
俺の問いに、ゼノンは肩を叩いていた手を離し、まるで世紀の大発見を語る学者のように、目を輝かせながら部屋の中を練り歩く。
「簡単なことさ、少年! 奴らの最大の武器――『呪殺』が、奴らの最大の弱点になる!」
「弱点、ですか?」
「そう! 先程の仮説だと『呪殺』のトリガーとなるものは物的なものだ。例えば彼らの経典とか、あるいは身につけている装飾品とか――いや、彼らはどんな類のものは持っていなかったな」
「……身体に刻まれているとか」
俺が知る答えをそれとなく呟く。
その発言を聞いたゼノンはニヤリと笑った。
「ああ、それだ! 身体に刻まれる『呪印』! だが、死体にはそんなものはなかった。つまりトリガーの発動と同時に、その呪印自体も消滅するように術式が組まれているんだろう!」
ゼノンは興奮冷めやらぬ様子で、指を鳴らした。
「完璧な証拠隠滅だ。死ねば呪印は消え、生け捕りにしても、口を割る前に遠隔で『処分』できる。実に最悪で最善な手段だ」
「……それがどうしたら、弱点になるんですか?」
俺は尋ねる。
これほど完璧なシステムの、どこに付け入る隙があるというのか。
すると、ゼノンは、不敵な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと俺を指差した。
「あるさ、少年。それも、決定的なものがね」
彼は笑う。
「奴らの『完璧なシステム』には、一つだけ……たった一つだけ、致命的な前提条件がある」
「前提条件……?」
「ああ。その『呪印』は、死ぬ前には存在しなければならない、ということだ」
ゼノンの言葉に、俺は息を呑んだ。
「死ぬ前に……確かに」
「そう。そして、存在するの であれば――」
ゼノンは、俺の目をまっすぐに射抜く。
「――”感知”できるはずだ」
その瞬間、俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。




