第42話 これからのこと
「やあ、少年。もう部屋には慣れたかい?」
夕暮れ時、部屋で荷物を整理していると、ノックもなしに扉が開いた。
現れたのはゼノン・アークライトだ。
「あ、ゼノン様」
俺は慌てて立ち上がり、頭を下げようとする。
「いやいや、そんなに畏まらなくていいよ。ここでは見習いと宮廷魔法師、立場は違えど、共に働く仲間だからね」
ゼノンは相変わらずの軽やかな笑みを浮かべながら、部屋の中に入ってきた。
そして俺の部屋を見回し、満足げに頷く。
「うん、いい部屋だ。窓から庭園も見えるし、静かで落ち着けるだろう?」
「はい、とても快適です」
俺が答えると、ゼノンは椅子を引いて座った。
まるで自分の部屋のように自然な動作だ。
「しかし少年とエルナ殿には悪いことをしたね」
ゼノンは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「急な会議が入ってしまって、君の到着に立ち会えなかった。それでエルナ殿に案内を押し付けてしまう形になってしまった。彼女はちゃんと案内してくれたかな?」
「はい、エルナ様には丁寧に案内していただきました」
俺は首を縦に振る。
確かにエルナの態度は冷たかったが、それでも職務として完璧に案内してくれたのは事実だ。
「そうかい? なら良かった。彼女、どうにも君に対しては当たりが強いようだからね」
ゼノンの言葉に俺は苦笑する。
まあ色々あるのだが、そのことを話してしまえばエルナに怒られそうだ。
こればかりは言わぬが花だろう。
「ただ彼女も、君の才能には一目置いている。そこは安心してくれ」
ゼノンは楽しそうに笑う。
その言葉に、俺はエルナの顔を思い浮かべ、小さく頷くことしかできなかった。
「さて」
ゼノンは軽い調子で本題に入る。
「明日から、君には見習いとしての仕事を始めてもらう。エルナ殿から聞いているかい?」
「はい、雑務から始めると」
「そう、雑務だ」
ゼノンは頷いた。
「資料の整理、魔法具の手入れ、薬草の調合。地味な仕事だが、これらは全て宮廷魔法師にとって必要不可欠な基礎だ。軽視せずに取り組んでほしい」
「はい、承知しています」
俺は真剣な表情で答える。
ゼノンは満足げに微笑んだ。
「うんうん、いいね。他の見習い君たちとも良好な関係を築いてくれるとなお良いね」
「……他の見習い」
言われてみれば当然のことだ。
俺だけが宮廷魔法師の見習いとしてスカウトされているなんてことはない。
他にも将来有望な人たちがここにはいるのだ。
「大丈夫、みんな少年と同じように推薦された子ばかりだ。君と同じように、皆それぞれの分野で優れた才能を持っている。互いに刺激し合い、高め合っていってくれると嬉しい」
ゼノンの言葉に、緊張感が肌を刺す。
学院とはまた違う、新たな競争と協力の場。
果たして俺が彼らと対等に渡り合えるのだろうか。
「とはいえ今日はもうこんな時間だ。自己紹介は明日にしようか」
ゼノンは夕焼けが差す窓の外を見て言った。
「分かりました」
俺も頷く。
流石に仕事が一段落ついたであろうこの時間から、俺のために時間を取るようなことはしたくない。
「それと、もう一つ――君の魔力感知についてだが」
ゼノンは指を一本立てる。
「魔法化を目指す、ですよね」
俺はエルナから言われたことを口に出す。
「なるほど、エルナ殿から聞いていたか。話が早くて助かる」
ゼノンはうんうんと頷く。
「君の魔力感知を、魔法として体系化する。それが君の最終目標になる」
「はい……ですが、正直どうすればいいのか」
「うん、それは当然だろうね」
ゼノンは穏やかに笑った。
「魔法の創造なんて、普通は一生かけて取り組むものだ。だが、君にはその素養がある。既に芽は出ているんだから、後はそれを花咲かせるだけだ」
ゼノンは相変わらず楽しそうに言葉を並べる。
その言葉から嘘偽りなく、期待が込められているのがわかった。
「はい、何とか形にしてみせます」
俺は前向きにそう返す。
できない、なんて言っている場合ではない。
少なくとも俺のこの技術は、数年後に控えた魔王軍侵攻に関してかなり大きな意義を持つ。
奴らの侵攻が事前に把握できれば、悲劇は回避できるのだから。
「うん、良い返事だ。ただ焦る必要はないよ? まずは基礎を固めること。魔法とは何か、魔力とはなにか。幸いここは魔法に関することは至るところに転がっているんだから」
「分かりました。精進します」
俺が頷くと、ゼノンは満足げに立ち上がった。
「よし、では今日はこの辺で。明日から頑張ってくれ」
ゼノンは扉に手をかけ――ふと、振り返った。
「ああ、そうだ。少年には伝えておくことがあった」
「何でしょうか?」
「今日の会議は件の『影の教団』についてだったんだ」
その言葉に、俺の背筋が凍りついた。
「影の、教団……」
「ああ。君から得た情報を元に、王国としても本格的に調査を開始することになった」
ゼノンの表情から、先程までの軽やかさが消えている。
代わりに浮かぶのは、宮廷魔法師としての真剣な顔だ。
「王国騎士団を筆頭に我々宮廷魔法師も捜査を手伝うことになった。ただ情報があまりにも少ないからね。少年にも声がかかるかもしれない」
「……分かりました」
俺は頷く。
影の教団における捜査について、発端は間違いなく俺の発言にある。
責任を感じる部分もあるし、現状、俺にしか知り得ないことだらけなのだから、そこは仕方がなかった。
「さて、これで言いたいことは言ったかな。今日はもう休むといい。明日からが本番だからね」
ゼノンはそう言って、今度こそ扉を開けた。
「ではまた明日」
軽やかに手を振り、ゼノンは去っていった。
――部屋に、再び静寂が戻る。
俺は窓辺に歩み寄り、夕暮れの王城を眺めた。
広大な庭園の向こうに、王都の街並みが広がっている。
「これからどうなるんだろうな」
思わず呟く。
当初、思い描いていた日常とはあまりにもかけ離れた現実。
平穏な学園生活どころか、宮廷魔法師の見習いとして従事することになった。
『ディランさんといると、毎日が刺激的ですね!』
ルーの明るい声が、頭の中に響く。
「刺激的、ねえ……」
俺は苦笑する。
確かに、退屈はしていない。
むしろ刺激が強すぎるくらいだ。
だが、これからはもっとその刺激が更に強く、そして増していくことになるのだろう。
そのための準備段階が今なのだ。
魔力感知の魔法化はもちろんのこと、俺にはやるべきことが積み重なっている。
というか、近頃問題が解決するどころか溜まっていっているような気さえする。
それこそ、色々あって棚上げしていた勇者リオンのことも手を付けないといけないだろう。
彼が今どんな状況なのか。
それを知ることもまた、この世界の光となる可能性があるのだから。
――コン、コン。
不意に、扉がノックされた。
「え?」
この時間に誰だろう。
俺は訝しげに扉へと向かい、開けた。
だが――
そこには、誰もいない。
「……なんだ?」
廊下を見回すが、人の気配はない。
『変ですね……確かに今、ノックの音が……』
ルーも困惑している。
どうやらルーも気配を感じ取れないらしい。
そして俺の魔力感知にも引っかかるものはない。
その時、足元に何かがあることに気づいた。
一枚の、黒い封筒。
俺はそれを拾い上げる。
封蝋には――見覚えのない、奇妙な紋章が刻まれていた。
「これは……」
嫌な予感が、胸を満たしていく。
封筒の中には、一枚の紙片。
そこに記されていたのは、たった一行の文字。
『歓迎する、異邦人よ』




