第39話 家族
ゼノンとの面会から、次の日の夜。
俺はベルモンド邸の応接室にいた。
向かいに座るのは、父――アルフレッド・ベルモンド侯爵。そして隣には兄、クラウディオが控えている。
「……宮廷魔法師の見習い、か」
父は腕を組み、じっと俺を見据えた。
その視線は厳しいが、決して拒絶しているわけではない。ただ、息子の選択を値踏みしているのだ。
「はい。ゼノン様から直々にお話をいただきました。学院が休校の間、王城で修行を積んではどうかと」
俺の言葉に父は一度、深く息を吐いた。
「ベルモンド家として、宮廷魔法師を輩出するのは名誉なことだ。だが――」
父は鋭い視線を俺に向ける。
「お前は本当にそれを望んでいるのか、ディラン」
その問いに、俺は一瞬言葉に詰まった。
望んでいるか、と問われれば――正直、複雑だ。
破滅を避けるために動いてきた俺にとって、宮廷魔法師という道は危険と隣り合わせだ。
だが。
「……はい」
俺は父の目を真っ直ぐ見つめ、頷いた。
「これは、俺が選んだ道です」
嘘ではない。
ゼノンに勧められたのは事実だが、最終的に決めたのは俺自身だ。
原作通りの破滅を待つより、力を得て未来を変える。そのために、俺は前に進むと決めた。
「……そうか」
父は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「ならば、好きにするがいい。お前が望むなら、私が反対する理由はない」
「父上……」
「ただし」
父は人差し指を立てる。
「ベルモンド家の名に泥を塗るような真似は許さん。宮廷魔法師見習いとして恥じぬよう、励むのだぞ」
「はい、肝に銘じます」
俺は深く頭を下げた。
父はそれを見届けると、立ち上がり部屋を出ていった。
残されたのは、俺と兄だけだ。
「お前は昔から、私や父上を驚かせてばかりだな」
呆れたように、そして少し愉快そうに兄は言った。
「驚かせるつもりはないんですが……」
俺は苦笑する。
兄は椅子に深く腰掛け直し、俺を見つめた。
「だがそれが今回の道を切り開いた。今後も私や父上を驚かせ続けてくれ、ディラン」
兄の言葉には、いつもの厳格さの中に、わずかな温かみが混じっていた。
「は、はい……善処します」
俺は少し照れくさそうに答える。
兄はふっと小さく笑い、立ち上がった。
「では、私もこれで失礼する。明日の準備もあるだろう」
「はい」
兄が扉に手をかけた時、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
扉が勢いよく開き――
「ディラン兄様ー!」
弾けるような声と共に、小さな影が飛び込んできた。
「うわっ!?」
俺は反射的に身構えるが、時すでに遅し。
勢いよく抱きついてきたのは、栗色の髪を揺らす少女――妹のセリーナだった。
「ちょ、セリーナ!?」
「本当なんですか!? ディラン兄様が宮廷魔法師になるって!」
セリーナは目を輝かせて俺を見上げる。
その後ろから、もう一人、対照的に落ち着いた足取りで入ってくる人影があった。
「姉上、廊下を走るなと何度言えば……」
同じ栗色の髪を持つ少年――弟のエドウィンだ。
双子の二人は、どちらも12歳。俺より4つ下になる。
『わあ、ディランさんの弟さんと妹さんですか! 可愛いですね!』
突如として割って入るルーの声。
ただ今は反応する余裕はない。
「エドウィン、そういう時はもっと喜ぶべきだよ! ディラン兄様が宮廷魔法師だよ!?」
「見習い、だ。正式な宮廷魔法師じゃないよ」
エドウィンは冷静に訂正する。
その様子に、兄が呆れたように溜息をついた。
「お前たちも聞いていたのか」
「だって、ディラン兄様のことですもん!」
セリーナは悪びれる様子もなく答える。
「それに、こんな大事なこと、教えてくれないなんてひどいです!」
「教える前に盗み聞きしてたんだろうが……」
俺は苦笑しながら、セリーナの頭に手を置いた。
「まあ、どうせすぐに知ることになったしな」
「えへへ」
セリーナは嬉しそうに笑う。
その横で、エドウィンがじっと俺を見つめていた。
「……おめでとうございます、ディラン兄様」
エドウィンが、いつもの落ち着いた口調で言った。
だがその瞳には、セリーナとは違う、複雑な光が宿っている。
「ありがとう、エドウィン」
俺が答えると、エドウィンは少し躊躇うように視線を逸らした。
「でも……本当に、大丈夫なんですか?」
「大丈夫って?」
「宮廷魔法師見習いって、すごく大変だって聞きます。それに……危険なことも、たくさんあるんじゃ」
エドウィンの声には、明らかな心配の色が滲んでいた。
ああ、そうか。こいつは心配性なんだ。
「心配しなくても大丈夫だよ。俺だって、それなりに考えて決めたんだから」
「でも――」
「エドウィン!」
セリーナがぷくっと頬を膨らませた。
「ディラン兄様を信じなきゃダメだよ! 兄様ならきっと大丈夫!」
「……姉上は楽観的すぎる」
「エドウィンは心配しすぎ!」
二人が言い合いを始めそうになったところで、兄が咳払いをした。
「こほん。お前たち、ディランの邪魔をするな。明日は早いんだぞ」
「あ……」
セリーナとエドウィンが同時に口をつぐむ。
二人とも、明日俺が王城に向かうことを理解しているのだろう。
「じゃあ、私たちはこれで」
兄が二人を促す。
セリーナは名残惜しそうに、エドウィンは心配そうに、それぞれ俺を見つめた。
「ディラン兄様、頑張ってくださいね!」
セリーナが最後にもう一度、ぎゅっと抱きついてきた。
「ああ、任せろ」
俺は妹の頭を優しく撫でる。
「……無理、しないでくださいね」
エドウィンが小さく呟いた。
その声は、セリーナの明るさとは対照的に、どこか儚げだ。
「ああ、分かってる」
俺はエドウィンの肩に手を置いた。
彼は少し驚いたように目を見開き、それから小さく頷く。
「さあ、行くぞ。ディランも休め」
兄が二人を促し、応接室を出ていく。
扉が閉まる直前、セリーナが「また会いに来ますからねー!」と元気な声を残していった。
――静寂が戻る。
俺は窓辺に歩み寄り、夜空を見上げた。
満天の星が、静かに瞬いている。
『可愛い弟さんと妹さんですね!』
ルーが嬉しそうに声をかけてきた。
「ああ、まったくだ」
俺は苦笑する。
セリーナとエドウィン。
どちらも、原作には登場していないが俺にとって大切な家族だ。
(こいつらを、守らなきゃな)
ベルモンド家の今後、そして王国の未来を変えるために。
これからが本番だ。
ようやく掴んだこのチャンス、無駄にするわけにはいかない。
「宮廷魔法師見習い、か……」
呟いて、俺は拳を握りしめた。
不安がないと言えば嘘になる。
きっと危険も、困難も、きっと山ほど待ち受けているだろう。
でも――
「やるしかないな」
俺は決めたのだ。
破滅から逃げるのではなく、未来を変えると。
『ディランさん、私がついてますから大丈夫ですよ!』
ルーの励ましに、俺は小さく笑った。
「ああ、頼りにしてる」
明日から、新しい日々が始まる。
王城で、宮廷魔法師見習いとして。
そして――エルナやゼノンと共に、この世界の危機に立ち向かう日々が。
俺は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「さて、寝るか」
長い一日だった。
そして明日からは、もっと長い一日になるだろう。
俺はベッドに横たわり、目を閉じた。
意識が、ゆっくりと暗闇へと沈んでいく。
――そして、翌朝が訪れた。




