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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第35話 覚悟

 魔物の学院襲撃という未曾有の事件から、数日が過ぎた。


 破壊された正門や校舎の一部は、宮廷から派遣された専門の職人たちによって急ピッチで修復が進められ、学院は少しずつ、しかし確実に元の姿を取り戻しつつあった。


 生徒たちの間にも、あれほどの死線を乗り越えたという一体感と、日常が戻ってきたことへの安堵感が広がり、表面上は平穏が戻ってきたかのように見えた。


 しかしそれはあくまで表面上の話だ。


 魔物襲撃を受け学院は当面の間、休校となることが決定した。

 未だ生徒たちの多くは傷を癒やしたり、事情聴取と王都から来た騎士たちの事情聴取に追われるなど、事件の爪痕は深く、静かに日常を蝕んでいた。特に、内通者として拘束されたアレンと同じクラスだった者たちの表情は暗い。


 そんな中、俺、ディラン・ベルモンドはと言えば――。


「今日も連絡はないか」


 自室の窓から修復作業が進む中庭を眺めながら、独りごちる。

 ゼノン様からの呼び出しを待つという、生きた心地のしない日々。それが俺の今の日常だった。


『君とは、後でゆっくりと話がしたい。いいね?』


 あの時の、全てを見透かすような瞳が脳裏に焼き付いて離れない。

 俺がなぜ『影の教団』の名を知っていたのか。その一点において、俺はゼノンにとって最大の不確定要素であり、同時に最も重要な情報源のはずだ。

 下手をすれば、俺も教団の一味だと疑われかねない。

 そうなれば、まさに原作通り破滅フラグへ一直線である。


「ディラン様、お加減はいかがですか?」


 扉をノックする音と共に、心配そうな顔をしたマルタが顔を覗かせた。

 彼女の手には、湯気の立つハーブティーのカップが乗ったトレイがある。


「ああ、もうこの通り、身体は万全だ」


 俺は腕をブンブンと振り回し好調を伝える。

 確かにあの事件から数日間の間、身体は不調そのものだった。

 ゼノンにより一時的な怪我、疲労は回復したが、極度の緊張と魔力の酷使による精神的な疲労は、魔法では癒せなかった。

 まるで鉛のように重い倦怠感が、数日にわたって俺の身体にまとわりついていた。


「本当ですか? 無理をなされてはいませんよね?」


 マルタはなおも心配そうに眉を寄せる。

 あの件からマルタはずっとこうだ。彼女はあの時、外出しており事件に立ち会えなかった。

 俺の護衛という役目を果たせなかったこと、そして何より、主である俺が命の危険に晒されていたという事実に、彼女は強い責任と後悔を感じているらしかった。


「本当に大丈夫だ。少し心配しすぎだぞ、マルタ」


 俺は彼女を安心させるように、努めて明るく笑ってみせた。

 その笑顔に、マルタは少しだけ表情を和らげる。


「……そう、ですか。ですが、何かあればすぐに仰ってくださいね。ハーブティーを淹れてきました。少しはリラックスできるかと」


「ああ、ありがとう。いただくよ」


 マルタは丁寧にカップをテーブルに置くと、一礼して部屋を出て行った。

 残された俺は、彼女が淹れてくれたハーブティーの温かい香りに、少しだけ強張っていた肩の力が抜けるのを感じた。


「そういえば兄上は?」


 ふと思い出したことをマルタに尋ねる。

 兄上とは事件の翌日に軽く会話をしただけだ。あの時は互いの無事を確認するだけで精一杯で、ゆっくり話す暇もなかった。


「クラウディオ様でしたら、現在は王城の方へ」


「王城?」


 マルタの言葉に、俺は思わず聞き返した。


「はい。事件後すぐに宮廷から呼び出しがあったようで。詳しいことは私も分かりませんが、おそらく今回の襲撃に関する報告と、今後の対応についての協議かと」


 兄上はベルモンド家の次期当主だ。

 こういった重大事件が起これば、貴族としての責務を果たすために王都へ赴くのは当然のことだろう。

 それに、俺が関わったことで兄上自身も事件の当事者の一人とも言える。

 宮廷魔法師たちによる事情聴取を受けるのも、想定内のことだった。


「何か伝言などございましたか?」


「いや、特には……ただ、兄上が戻られたら知らせてくれ」


「承知いたしました」


 教団の件について相談と言うべきか、告白というべきか。

 ゼノンやエルナに話すよりも兄上に話しておいた方が良いと考えていた。

 どうあがいても家に迷惑がかかる話なのだから。


 マルタが静かに退室し、部屋には再び俺一人分の時間が流れ始める。

 テーブルに置かれたハーブティーからは、心を落ち着かせる柔らかな香りが立ち上っていた。

 しかし、その香りが俺のささくれだった神経を完全に癒やすには至らない。


(どうやって話すべきか……)


 兄上に話すとして、やはり伝え方が問題だ。

 『影の教団』――その存在自体がこの国の中枢ですら把握していない闇の組織。その名を、一介の学生である俺がなぜ知っているのか。


 まさか「前世でプレイしたゲームの知識です」などと口が裂けても言えるはずがない。言ったが最後、ベルモンド家から狂人として幽閉されかねない。

 決してあり得ない話ではない。

 ましてや王国を脅かすような組織の名を知っているとなれば、それは国家への反逆を疑われても仕方がない。


 思考は堂々巡りを繰り返し、ハーブティーはすっかり温くなってしまった。

 その時、再び扉がノックされる。

 マルタかと思い「ああ」と返事をしたが、入ってきたのは予想外の人物だった。


「――兄上!」


 そこに立っていたのは、兄クラウディオだった。

 いつもと変わらぬ、隙のない貴族然とした佇まい。しかし、その表情は普段の冷静さに加え、王城での激務を物語るような、深い疲労の色が滲んでいた。


「ディラン、体調はもう良いのか」


「はい。兄上こそ、お疲れのところをすみません」


 兄は静かに部屋に入り、俺の向かいのソファに腰を下ろした。

 マルタが淹れたままになっていたハーブティーに目を留めるが、それに口を付ける様子はない。


「王城での話は、終わったのですか?」


「ああ、一段落はな。……だが、状況は芳しくない」


 兄は短く、重い口調で言った。


「捕らえたアレンと名乗った生徒、そして魔誘石を持っていたロイという名の生徒。両名とも、口を割る前に牢の中で死亡が確認された」


「なっ……!」


 予想だにしなかった報告に、俺は息を呑んだ。

 口封じ――その言葉が脳裏をよぎる。

 『影の教団』の連中ならやりかねない。いや、むしろ彼らの常套手段だ。


「外傷はなし、毒物の反応もなし。まるで、眠っている間に魂だけが静かに抜けていったかのような、穏やかな死に顔だったそうだ」


 兄は淡々と、しかしその声には隠しきれない苦渋が滲んでいた。

 穏やかな死。その言葉とは裏腹に、俺の背筋を冷たいものが走り抜ける。

 それは呪殺だ。対象の命を遠隔から確実に奪う、闇の魔法。ゲームにおいても、『影の教団』が裏切り者や失敗した駒を処分する際に用いていた、最も残忍で確実な手段。


「そうですか……」


 俺の口から、自分でも驚くほど落ち着いた声が漏れた。

 兄が怪訝な顔で俺を見る。


「……ディラン、お前は何か知っているのか?」


 兄の鋭い視線が、俺の心の奥底まで見透かそうとするかのように突き刺さる。

 その問いにどう答えるべきか、思考が高速で回転した。

 下手に誤魔化せば不信感を煽るだけだ。かと言って、全てを話せるはずもない。


 俺は一瞬だけ逡巡し、そして覚悟を決めて口を開いた。


「ゼノン様には既にお話していることではありますが、今回の事件の首謀者はおそらく『影の教団』と呼ばれる者たちです」


 俺は兄の目を真っ直ぐに見つめ、はっきりと告げた。

 兄は眉一つ動かさない。ただ、その黒い瞳の奥で、何かが激しく揺れ動くのを俺は見た。


「……続けろ」


 静かだが、有無を言わせぬ声だった。

 俺は一度息を吸い、慎重に、しかし淀みなく言葉を紡いだ。


「彼らは王国の転覆を目論む狂信者の集団。歴史の裏で暗躍し、目的のためには手段を選ばない。そして……失敗した駒や裏切り者を、遠隔から呪殺によって処分するのを常套手段としています。今お話にあった、魂だけを抜き取るような方法かと」


 部屋に重い沈黙が落ちる。

 兄は何も言わず、ただ俺を見据えていた。まるで、俺の言葉の真偽、その奥にある意図、その全てを値踏みするかのように。


「……その話を、お前はどこで知った」


 やがて兄が口にしたのは、最も核心を突く質問だった。

 俺は、一つ息を吐く。


「……出どころは二つあります」


 俺は口を開く。

 兄は黙ってそれを待っていた。

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