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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第34話 意思

「『影の教団』……ね」


 ゼノンがその名を、まるで舌の上で転がして味を確かめるかのように呟いた。

 彼の視線はエルナを向き、彼女は首を振る。

 宮廷魔法師の彼らですら、その名に聞き覚えがない。それは、その組織が歴史の表舞台に一度も立つことなく、水面下で暗躍してきた何よりの証拠だった。

 やはりまだこのタイミングでは、世にその名が知れ渡っていないのだろう。


「またしても謎が増えたわけだが……」


 彼の視線は、動揺を隠せないアレンから、静かに俺へと移される。

 先程までの面白がるような光は消え、そこには底なしの沼のような、深く暗い探究心が渦巻いていた。


「今は一刻も早く事件を収めないとだ」


 ゼノンはそう言って、ことさら大きな声でパン、と手を一つ叩いた。

 その音で、場の空気から緊張が少しだけ霧散する。


「さて、諸君、協力に感謝する。もう心配ない」


 ゼノンがそう言うと同時に、学院を覆っていた光の天蓋が、音もなく霧散していく。エルナが魔法を解いたのだ。

 閉ざされていた空が再び現れ、夕暮れの赤い光が、戦いの痕跡が残る正門を静かに照らし出した。

 解放感と、これから始まるであろう後処理への憂鬱が入り混じった複雑な空気が、生徒たちの間に流れる。


「では負傷者は教会へ。それ以外の者は、一度自室に戻って待機していてくれ。追ってまた連絡はする」


 ゼノンの言葉は、混乱した生徒たちにとっての道標となった。

 彼らは互いに顔を見合わせ、頷き合い、あるいは安堵のため息をつきながら、ぞろぞろと移動を始める。

 正門に残されたのは、俺とアリシア、クライス、そしてゼノンとエルナ、そしてアレンだけになった。


「では我々も、行くとしよう」


 ゼノンはそう言って、アレンの肩を掴んだまま踵を返した。エルナもそれに続く。


「――少年」


 去り際に、ゼノンがふと足を止め、俺だけを振り返った。

 アレンの肩を掴むその手に力がこもる。連行されるアレンもまた、信じられないものを見るような目で俺を凝視していた。


「君とは、後でゆっくりと話がしたい。いいね?」


 それは問いかけの形をしていたが、拒否権など存在しない、決定事項の通達だった。

 彼の目に宿る光は、もはや面白いおもちゃを見つけた子供のそれではない。未知の、そして潜在的な危険を秘めた存在に対する、鋭い探究心と警戒の色が混じり合っていた。


「……はい」


 俺が頷くのを確認すると、ゼノンは今度こそ満足したように踵を返し、エルナと共に夜の闇へと消えていった。


 後に残されたのは、重い沈黙だけだった。

 生徒たちの喧騒が遠ざかり、静寂が戻った正門に、気まずい空気が流れる。


「それでは私たちも教会に向かいましょうか」


 アリシアが、重苦しい沈黙を破るように言った。

 彼女の声は、普段の快活さとは裏腹に、どこか張り詰めた響きを帯びている。

 無理もない、つい先程まで命のやり取りをしていたのだ。それに加え、今回の不可解な事件の連続だ。疲労と緊張が滲み出るのは当然だろう。


「ああ、そうだな」


 クライスが同意する。

 彼の視線は、先程ゼノンたちが消えていった夜の闇に向けられていた。その瞳には、未だ晴れぬ疑念と警戒の色が浮かんでいる。


 三人は無言のまま、教会へと歩き始めた。

 夕暮れから夜へと移り変わる空の下、学院の敷地にはまだ戦いの痕跡が生々しく残っている。

 抉れた石畳、焦げた樹木、そして倒された魔物の残骸。

 それらを目にするたび、つい数時間前まで平和だったこの場所が、どれほど激しい戦場と化していたかを改めて思い知らされる。


「……酷いですね」


 アリシアがポツリと呟く。


「ああ。だが、誰も死ななかった。それだけで十分だ」


 クライスが静かに応じる。

 その言葉には、自分たちが守り切ったという確かな実感と、同時に、もし一歩間違えていれば――という恐怖が滲んでいた。 俺は何も言えず、ただ黙って二人の後をついていく。


 彼らもまた、俺に何かを問いかける様子はなかった。

 『影の教団』という聞き慣れない名前。それを知っていた俺への疑問は、確かに彼らの中にあるはずだ。

 だが、今はそれを口にする気力も、タイミングもないのだろう。


 やがて教会の扉が見えてきた。

 中からは、生徒たちの安堵した声や、オスカーの指示する声が漏れ聞こえてくる。


「お、帰ってきたか」


 扉を開けると、オスカーが迎えてくれた。

 その表情には疲労の色が濃いが、それでも穏やかな笑みを浮かべている。


「負傷者は?」


 クライスが端的に問う。


「幸い、死傷者はいない。軽い擦り傷や打撲を負った者が数名いる程度だ。アリシア様が配ってくださったポーションのお陰で、皆無事でしたよ」


 オスカーの報告に、アリシアはほっと胸を撫で下ろした。


「それは良かった……本当に」


 アリシアが胸に手を当て喜びを噛みしめる。

 聖女として、そして商人として彼女の働きあってこその成果だ。


「ロイは?」


 俺が問うと、オスカーは頷いた。


「ああそれなら、ついさっき宮廷魔法師様たちが連れて行ったぞ」


「なるほど」


 俺は頷く。

 恐らく転移魔法を使って先に連れて行ったのだろう。

 アレンと同様にロイの尋問も、これから始まるはずだ。


「ちなみにゼノン様はもう解散していいってことだったけど……見ての通り、誰も帰ろうとしないんだ」


 オスカーが苦笑いを浮かべながら、教会の奥を示す。

 見れば、生徒たちが小さな固まりを作って座り込んでいた。疲れ切った表情ながら、互いに声を掛け合い、今日起きたことを確かめ合うように語り合っている。

 恐怖と緊張から解放された後の、安堵と興奮が入り混じった空気だ。


「無理もないでしょう、しばらくはこの場所を自由に使っていただいて構いません」


 アリシアが優しく微笑む。

 聖女としての気品と、人を思いやる温かさが、疲れ切った生徒たちを包み込むようだった。


「ありがとうございます、アリシア様」


 オスカーが深々と頭を下げる。


「いえ、困った時はお互い様です。それに……」


 アリシアは教会の中を見渡し、穏やかな表情を浮かべた。


「皆さんが無事で、本当に良かった」


 その言葉は、心の底からの安堵に満ちていた。

 生徒たちの中から、小さな感謝の声が漏れる。彼女の献身がなければ、この結果はなかったのだから。


「では、俺はこれで失礼する」


 クライスが静かに告げた。

 その声に疲労の色は隠せないが、背筋は真っ直ぐ伸びたままだ。


「クライス様も、今日は本当にお疲れ様でした」


 アリシアが労いの言葉をかける。


「……ああ」


 クライスは短く応じ、一瞬だけ俺に視線を向けた。

 その瞳には、疑問と、そして何かを測るような光が宿っている。

 だが、彼は何も言わず、ただ小さく頷いて教会を後にした。


「俺も、戻ります」


「そうですか……ディラン様も、本当にありがとうございました」


 俺がそう告げると、アリシアが深々と頭を下げてきた。


「いえ、本当に無事で良かったです」


「はい、ディラン様がいなければ私の命はなかったはずです。ですので、困った時はいつでも尋ねてきてくださいね」


 彼女の言葉に、俺は少し気恥ずかしくなって頷いた。


「はい、その時は遠慮なく」


 教会を出ると、すっかり夜の帳が降りていた。

 星が瞬く空の下、学院の敷地は静けさを取り戻しつつある。それでも所々に残る戦いの痕跡が、今日起きたことが夢ではなかったことを物語っていた。


 俺は誰もいない道を、一人で寮へと向かう。

 足音だけが石畳に響く。

 頭の中で、今日一日の出来事が渦を巻いていた。

 魔物の襲撃、魔人との遭遇、そしてアレンという内通者の発覚。

 そして――『影の教団』という名を、俺自身の口から明かしてしまったこと。


 自分なりに正しいことをしたつもりだ。

 あの様子だとアレンという男はとても口を割らないように思えた。

 だからこそ、一つだけ手がかりを与えることで、ゼノンたちの捜査を前に進められる可能性がある。

 それは結果的に多くの人を救うことに繋がるはずだ。

 

 しかし果たしてそれが俺にとって正解だったかは分からない。


 正体不明の情報を提供した事実は、間違いなくゼノンには目をつけられた。

 ただでさえ敵対視されていたエルナについても同様だ。

 これから一体どうなるのか、想像するだけで胃が痛くなる。


 でも、不思議と後悔はなかった。


 アリシアの無事な顔、クライスの戦い抜いた姿、生徒たちの安堵した表情。

 それらを思い出すと、胸の奥が少しだけ温かくなる。


「……まあ、いいか」


 呟いて、再び歩き出す。

 明日のことは、明日考えればいい。

 今はただ、この疲れた体を休めたかった。


『ディランさーん!』


 不意に、聞き慣れた声が頭の中に響いた。

 ルーだ。


「ああ、ルー」


『お疲れ様でした! 今日は本当に大変でしたね!』


 彼女の声は、いつも通り明るく弾んでいる。

 その屈託のなさに、自然と頬が緩んだ。


「ああ……ルーがいなかったら、俺は何度も死んでたよ。本当にありがとう」


『えへへ、そんな、お礼を言われるようなことじゃないですよ! 私はディランさんの精霊なんですから守るのは当然です!』


 彼女の嬉しそうな声を聞いていると、今日一日の緊張が少しずつ解けていくのを感じる。


「でも、これからどうなるんだろうな……」


『大丈夫ですよ、ディランさん。きっと何とかなります!』


「根拠は?」


『私がついてますから!』


 あまりにも即答で、あまりにも自信満々な言葉に、思わず笑ってしまった。


「……そうかもな。だってあの聖女神ルミナだもんな」


『うっ、だからそれは勝手につけられた名前で……』


 ルーが慌てたように言葉を濁す。

 その反応がおかしくて、また少し笑った。


「まあ、お前がいてくれるなら心強いよ」


『はい! 任せてください!』


 寮の入り口が見えてきた。

 俺は夜空をもう一度見上げ、小さく息を吐いた。

 ゼノンとの話。影の教団のこと。これから起こるであろう数々の面倒事。

 考えるべきことは山積みだ。


 それでも――


「……まあ、やってしまったものは仕方ない」


 小さく呟いて、歩みを進める。

 明日は明日の風が吹く。

 今はただ、この疲れ切った体を休めよう。

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