第31話 事件解決
「さて、これで終わりかな」
穏やかなゼノンの声が、静まり返った噴水広場に響いた。
生徒たちの悲鳴は止み、誰もが目の前の光景を信じられないといった表情で立ち尽くしている。
気を失った魔人と、それに抱きかかえられていた女生徒。
そして、その中心に泰然と立つ、宮廷魔法師ゼノン・アークライト。
やがて、誰からともなく安堵の溜息が漏れ、ぽつりぽつりと小さな喧騒が戻り始める。
ようやく事件が解決したのだと、強張っていた体の力を抜く。
『ふぃ~、ディランさんおつかれさまでした~』
何だか久々な気がするルーの声に頬を緩める。
彼女には何度か助けられた。
(本当に、ルーがいなかったら死んでたな……)
心の中で感謝を伝えると、ルーは嬉しそうに『えへへ』と笑った。
そんな俺たちのやり取りをよそに、いち早く動いたのはエルナだった。
彼女は気を失った魔人に近づくと、詠唱と共に魔人の体に手をかざす。
すると、その体からどす黒い影のようなものがずるりと引きずり出され、エルナが懐から取り出した小さな水晶玉に吸い込まれていった。
魔力の核を抜き取ったのだろう。
命に執着を持たない魔人相手に尋問など無意味であり、生け捕りなどは意味がない。
何をされるかわからない内に始末するしかないという非常に厄介な存在だ。
「これでもう大丈夫だ。皆、よく頑張った」
ゼノンが穏やかな声で言うと、生徒たちの間に広がっていた不安が、さざ波のように引いていく。
その対応は流石は宮廷魔法師というべきだろう。
その時、教会の入り口を塞いでいた『聖域』が、光の粒子となって静かに消えた。
中から現れたのは、聖女アリシアだ。
彼女の周りにはオスカーや他の生徒たちもいる。
「皆様、この度はありがとうございました」
アリシアはゼノンやエルナの顔を認めるなり謝意を告げた。
「いえいえ、我々は遅れた身です。その状態で死傷者をゼロに抑えられたのは間違いなく聖女様の献身のお陰でしょう」
ゼノンは周囲を見渡しながら告げる。
確かに生徒たちの中に怪我を負っている者は誰一人としていなかった。
避難誘導が早めにできたということもあるだろう。
しかしアリシアとそして生徒たちの手に握られるポーションと言った支援物資が、その生存を大きく後押ししたことは疑いようもなかった。
これはアリシアが聖女としてではなく、商人として勤めていたからこそもたらされた結果に他ならない。
「いえ、私だけの力ではありません。ディラン様が迅速に私たちを導いてくださったお陰です」
アリシアの澄んだ声が、俺の名を呼んだ。
その言葉に、周囲の生徒たちの視線が一斉に俺へと集まる。
賞賛、感謝、そして驚愕。
これまで俺に向けられることのなかった種類の視線に、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
「ほう、つまり少年がこの事件のヒーローになるのかな?」
ゼノンが心底楽しそうに、爆弾を投下した。
その後ろではエルナが複雑そうな顔をしているのが確認できる。
「い、いえ、そんな大層なものでは……それに戦っていたのは俺だけではありません」
俺は慌てて首を横に振る。
謙遜ももちろんあるが、全てが俺の功績だなんて当然思っていない。
「最前線で魔物を食い止めていた生徒たちがいます。彼らがいなければ、もっと被害は広がっていたはずです」
クライスを初めとして、学院の正門で戦ってくれていた生徒たち。
彼らの貢献がなければ、もっと被害は広がっていた可能性は高い。
未だ正門の様子は見ていないが、反応からして皆無事であることは確認できていた。
「ふむふむ、少年は謙虚さもあると」
ゼノンは楽しげな笑みを崩さぬまま、俺の言葉に頷いた。
「では、その功労者たちの顔も拝みに行くとしよう。――もちろん少年も行くよね?」
断れるはずもなかった。
有無を言わさぬ笑みを浮かべるゼノンに、俺はこくりと頷くことしかできない。
こうして俺とゼノン、エルナ、そして「私もご一緒します」と申し出たアリシアを含めた四人は、学院の正門へと向かい始めた。
道中、あちこちに戦闘の痕跡が残っている。
倒された魔物の残骸や、抉れた地面。それらを見るたびに、生徒たちの間に小さな悲鳴が上がった。
いかにこの襲撃が激しいものであったかを物語っている。
やがてたどり着いた正門は、俺が想像していたよりもずっと――悲惨なことになっていた。
門扉は半壊し、周囲の壁には巨大な爪痕や魔法による爆裂の跡が生々しく刻まれている。
十数体もの中級、上級魔物の亡骸が転がっていた。ガーゴイルの姿も一体だけではない。
その中心に、一人の生徒が静かに立っていた。
クライス・フォン・アルトナだ。
彼の周りには、同じように戦っていたであろう数名の生徒たちが、疲労困憊といった様子で座り込んでいる。
その中には魔物学で共に組んだレオの姿も見つけた。
そして俺たちの接近に気づいたクライスが、ゆっくりとこちらを振り向く。
その蒼い瞳が、ゼノンとエルナのローブに刺繍された金獅子の紋章を捉え、わずかに見開かれた。
「これは壮観――と言うべきかな。まさか学生だけでこれだけの襲撃を耐えきったとは」
ゼノンは感心したように呟きながら、半壊した門へと歩み寄る。
クライスは無言でゼノンを見つめ返した。
その瞳に怯えや驚きはない。ただ、消耗した中でなお燃え続ける、静かな闘志のようなものが宿っていた。
「見たところ君がリーダーかな?」
ゼノンの問いに、クライスは油断なく宮廷魔法師の顔を見据え、こくりと頷いた。
「ああ、そうだ。先程の雷撃とこの結界は、貴方方が?」
消耗しきった中でも、クライスの声は揺るがなかった。
真っ直ぐにゼノンを見据え、問いかける。
その言葉に、ゼノンは満足げな笑みを一層深くした。
「いかにも。あの派手な魔法を使ったのは我々だ。もしかして余計なことをしてしまったかな?」
ゼノンの軽薄な、しかし相手の力量を測るような問いかけに、クライスは答えなかった。
ただ、その蒼い瞳に宿る闘志の炎が、一瞬だけ強く揺らめく。
やがて彼は、ふっと息を吐き、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「……いいや。助かったのは事実だ。感謝する」
消耗しきった体で、それでも彼ははっきりと礼を告げた。
それは紛れもない本心だろう。だが、その声には感謝と同じくらい、あるいはそれ以上の悔しさが滲んでいるように俺には見えた。
自分たちの死力を尽くした戦いが、彼らにとっては「派手な魔法」の一撃で終わってしまうものであったという、圧倒的な実力差を突きつけられたことへの悔しさなのだろうか。
「はは、良い目をするね。少年といい君といい、流石はルミナス学院と言ったところかな?」
ゼノンの軽やかな称賛の言葉は、しかし、クライスの耳には届いていないようだった。
いや、届いてはいても、素直に受け取れる心境ではないのだろう。
「あまり学院には良い印象がなかったけど、なるほど、マクスウェルの爺さんの見識は確かだったか。いっそのこと私も入学してしまいたい気持ちだ」
「迷惑なので止めてください」
軽くとんでもないことを口走るゼノンに、氷点下の声で即座に切り捨てたのはエルナだった。
こればかりは彼女の冷徹さに感謝を覚える。
「はは、これは手厳しい。じゃあ教師の方とか……」
なおもゼノンはボソボソと独り言を続けていたが、すぐに顔を上げ周りを見渡す。
「さて、と」
ゼノンはパン、と一つ柏手を打った。
その乾いた音が、戦いの終わった正門に妙に大きく響き渡る。場の空気が切り替わった。
「感傷に浸るのも、互いを称え合うのも大事だが、残念ながらまだやるべきことは残っている。――後始末、というやつだ」




