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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第15話 ブレークポイント

 時が、止まっていた。


 もちろん、実際に止まっているわけではない。

 老司祭の口はかすかに震え、アリシアは呆然と祭壇を見つめ、ユリウス公爵嫡男でさえ、その涼やかな表情を驚愕に染めている 。

 皆、呼吸さえ忘れたかのように、ただ一点――銀髪の男が立っていた場所を見つめていた。


 だが、当の本人は既にそこにいない。


 伝説級の精霊『始まりの牙』フェンリルと契約を交わしたクライス・フォン・アルトナは、溢れ出る魔力の余波が収まるや否や、誰に言葉をかけるでもなく、一瞥をくれるでもなく、ただ静かに踵を返し、精霊の間を去って行ったのだ 。


 その無関心さが、逆に彼の異質さを際立たせていた。


(嘘だろ……)


 俺だけが、この場で起きたことの本当の意味を理解していた。

 銀狼フェンリルは、ただの強力な精霊ではない 。

 『エターナル・クエスト』の世界において、勇者リオンの魂にのみ呼応し、彼を真の勇者へと覚醒させるための、物語の根幹を成す「鍵」そのものだ 。シナリオにおける、一種の強制イベント。


 その鍵が、全くの無関係であるはずの男に渡ってしまった。


 これはもう、シナリオの崩壊などという生易しいレベルの話ではない。

 もちろん覚悟はしていた。

 だが、ここまで決定的に現実を突きつけられるとは、思いもしなかった。


「……っ、ごほん! せ、静粛に!」


 老司祭が、かろうじて威厳を取り繕うように咳払いをした。その声が、凍り付いていた空気をわずかに溶かす。


「儀式を、続ける……。次、ディラン・ベルモンド」


 最悪のタイミングで、俺の名前が呼ばれた。

 周囲の視線が一斉に俺に突き刺さる。

 伝説級の精霊が降臨した後で、一体何ができるというのか。

 好奇と、そして憐れみが入り混じった視線。先日の魔物討伐実習の時とは、また質の違う居心地の悪さだ。


 俺は重い足取りで祭壇へと向かった。


 祭壇の前で跪くと、アリシアが俺の前に立った。彼女もまだ動揺から抜け出せていないのか、その手はかすかに震えている。


「恐れることは、ありません……」


 彼女は儀礼通りの言葉を口にしたが、その声は上ずっていた 。

 無理もない。聖女である彼女にとっても、大精霊の降臨は想定外の出来事だったはずだ 。


 アリシアが詠唱を始める。床の魔法陣が淡い光を放ち始めた。

 ユリウスの時は荘厳な光の柱が立ち 、クライスの時は目を焼くほどの閃光が満ちた 。


 では、俺は――。


 …………。


 ……。


「…………」


 光は、それ以上強くならなかった。

 魔法陣はしばらくぼんやりと明滅を繰り返していたが、やがて力なく輝きを失い、元の石の床へと戻った。


 後に残ったのは、気まずい沈黙だけだった。


「残念ながら――」


 アリシアがそう続けようとしたその瞬間、再び光が弾け――



 ――全ての音が消えた。



 視界から色が抜け落ちていく。

 アリシアの悲しげな表情も、オスカーの心配そうな顔も、老司祭の困惑も、全てがモノクロームの絵画のように静止した。

 ひんやりとした無音の空間に、俺の意識だけがぽつんと取り残される。


 時が止まっていた。


「……は? な、何だ、これ」


 絞り出した声は、音にならなかった。

 ただ、思考だけが空回りする。


 精霊の力か? 誰かの魔法か?


 だが、これほどの規模の現象を引き起こせる術者が、この場にいるとは思えない。ユリウスやアイリスでさえ、この静止した世界の中ではただの彫像だ。


 俺は恐る恐る立ち上がり、凍り付いた人々を見回す。

 誰もが、寸前までの感情をそのまま顔に貼り付けて固まっている。


『――我が呼び声に応えし、人の子よ』


 突如、背後から声がした。

 俺は弾かれたように振り返る。


 そこには――光があった。

 いや、違う。

 光そのものが人の形を取っていた。


 長い髪、優美な曲線、そしてどこかアリシアに似た神聖な雰囲気。


 しかし原作においてもこの状況は一切の心当たりはない。

 一体、この人影は何者なのか、全く持って不明だった。


 ――否、俺はその姿を見たことがある。


「聖女神……ルミナ……?」


 学院の教会で、静かに人々を見守っていたあの彫像 。

 あの姿と見事に合致したのだ。


『いかにも。私はこの世界を育み、見守る光。聖女神ルミナと申します』


 光の人影――ルミナは、次第に形をはっきりとさせ、柔らかな微笑みを浮かべた。その姿は、彫像よりも遥かに生命力に溢れ、神々しいという言葉では足りないほどの神聖さを放っている。


『人の子、ディラン・ベルモンド。あなたの魂は、実に興味深い響きをしております』


 ルミナは慈愛に満ちた瞳で俺を見下ろす。

 その視線は、まるで俺の過去も、現在も、そして未来までも全て見通しているかのようだ。


(まさか、俺が転生者だってことがバレて……!?)


 背筋に氷を叩き込まれたような衝撃が走る。

 だが、彼女の次の言葉は、俺の予想とは少しだけ違っていた。


『世界には、運命という名の旋律がございます。星々の運行、人々の営み、その全てが織りなす壮大な楽曲……しかし、先ほどそこに不協和音が混じりました』


 不協和音。

 それは間違いなく、クライスがフェンリルと契約した一件を指しているのだろう。


『本来、光の勇者の魂に仕えるべき始まりの牙が、しかしそれが、定められし道にない者の魂を選んだ。これは世界の均衡を揺るがす、重大な歪みです』


 ルミナ様の言葉が、俺が抱いていた最悪の確信を裏付ける。

 やはり、この世界は原作から完全に逸脱し、未知の領域へと足を踏み入れてしまったのだと。


『故に……』


 そこまで言って、ルミナ様はふっと神々しいオーラを消し、やれやれと肩をすくめた。


『いやー、困っちゃったんですよねぇ、ホントに』


「…………は?」


 ルミナの突然の変わりように、俺は間の抜けた声を出すことしかできない。


『あの狼野郎、昔から自分勝手だとは思ってましたけど、まさか独断で契約相手を変えちゃうなんて!』


「は、はあ……?」


 あまりに俗っぽい愚痴に、俺は気の抜けた返事しかできなかった。

 目の前の神々しい存在と、今発せられた言葉が全く結びつかない。


『こっちの予定だと、勇者クンと契約して、いい感じにパワーアップするはずだったんですよ。それなのに、あんな筋肉ムキムキそうな子に行っちゃうから、もう全部めちゃくちゃです』


 勇者クン。筋肉ムキムキそうな子。

 本当にこの人、いや、この神は聖女神ルミナ様なのだろうか。あまりの落差に、俺の中の神聖なイメージがガラガラと崩れ落ちていく。


『それで、困っていたところに、ちょうどいい魂を見つけまして』


 ルミナ様はパン、と手を叩き、キラキラした効果音付きで俺を指差した。


『あなたの魂、なんだかこの世界の誰とも違う、不思議な音色がするんですよね。ノイズ……とまではいかないんですけど、明らかに異質。だから、他の精霊もどう扱っていいか分からなくて、誰も近づいてこなかった』


 俺が精霊と契約できなかったのは、そういう理由だったのか。

 それはつまり、俺の魂が「転生者」のものであるが故の弊害……。


『だからこそ、私が入る余地があったわけです。多分それを察知してあの狼野郎もすぐに退散したんでしょう、実に臆病者です』


 分かりやすく頬を膨らませて怒った様子のルミナ様。

 ってか、クライスが何も言わず颯爽と去っていたのって、それが理由かよ。


『――というわけで、これからよろしくお願いしますね」


「……はい?」


『もう、察しが悪いですね。私が貴方の精霊になると言っているのです』


 ルミナは、さも当然といった様子で胸を張った。

 あまりに突拍子もない提案に、俺の思考は完全に停止する。


「せ、精霊って……あなたが、ですか? 聖女神ルミナ様が?」


『"聖女神"っていうのは、人間たちが勝手につけた大げさな二つ名みたいなものですよ。私も精霊です。ただ他の精霊より少しだけ力があるだけに過ぎません』


 彼女は悪びれもせずに言い切る。


「あ、期待している所、申し訳ないんですが、勇者クンと聖女チャンに力を授けた影響で、私の力はほとんどスッカラカンなのでよろしくです」


「……すっからかん?」


『ええ。なので、フェンリルみたいに派手な戦闘は難しいです。というか、一切できません』


 ルミナは「ない袖は振れません」とばかりに両手を広げた。

 あまりのきっぱりとした断言に、俺は言葉を失う。


「……お断りさせていただくことは?」


 俺はここぞとばかりに提案した。

 力はなくて、知名度だけ抜群にある精霊と契約なんてデメリットしかない。


「もちろん良いですよ。でもいいんですか? この機会を逃せば貴方の魂と契約できる精霊はいませんが?」


 ルミナは挑発するように、しかし悪びれもなく微笑んだ。

 だがそれは、紛れもない事実なのだろう。


 俺の魂が異質である限り、他の精霊が近づいてくることはない。

 というか、原作ディランにおいても精霊とは契約できていなかったはずだ。


 この先、精霊の加護なしで生きていくか。それとも、力のほとんどない元・女神様と契約するか。


 究極の二択、というにはあまりにしょっぱい選択肢だ。

 

『貴方は貴族なんですよね? きっと箔は大事なのではー?』


 ルミナはからかうように、小悪魔的な笑みを浮かべた。

 その言葉は、俺のプライドを的確に、そして嫌な角度から抉ってくる。


 確かにそうだ、と思えてしまうのが余計に腹が立つ。


「……分かりました、精霊契約を成した、という事実は意義のあることなので」


 俺がそう告げると、ルミナはぱあっと顔を輝かせた。


『話が早くて助かります! では、早速契約成立とまいりましょう!』


 彼女が軽やかに指を鳴らすと、周囲の光景が色づき、現実の時間が動き出す。

 そして眼の前には目を丸くしたアリシアの姿があった。



「……今の光は」


 アリシアが呆然と呟く。


 だが、周囲の反応が、契約が成立したことを示していた。

 力なく消えかかっていた祭壇の魔法陣が、先程とは全く質の違う、穏やかで清浄な光を再び放ったのだ。

 それはユリウスやクライスのように圧倒的な力を見せつける光ではない。


 やがて、光はゆっくりと収束し、俺の胸元に吸い込まれるように消えていった。


「え、ええと……契約は、成立した……ようでございますな」


 老司祭が、混乱しながらもなんとか儀式の進行役としての体裁を取り繕う。


「し、しかし、精霊の御名は……?」


「……え、ええと」


 不味い、そこまでは考えていなかった。

 眼の前には不思議そうな顔でこちらを見るアリシア。

 流石にここで聖女神の名前を出すのは混乱を招きかねない。


「ひ、光の精霊ル……、ルーと」


 咄嗟に出た名前。

 安直だとは分かっている。


『ルー!? ちょっと、安直すぎやしません!? 私、聖女神ルミナですよ!? もうちょっとこう、神々しくてカッコイイ名前があったでしょう!』


 早速、頭の中にやかましい声が響く。どうやら、契約したことでテレパシーのようなもので繋がってしまったらしい。


「光の精霊、ルー……様」


 老司祭が、困惑を隠しきれない様子で俺の言葉を復唱する。

 アリシアもまた、不思議そうに首を傾げていた。

 周囲の生徒たちからも、ひそひそと声が聞こえてくる。


「ルー? 聞いたことない名前だな」

「まあ契約できただけマシだろ」

「大精霊の後だと、さすがに見劣りするな……」


 怪しまれてはいるが、疑われてはいなさそうである。

 これなら、下手に注目を浴びることもないだろう。



 それからは、何やかんや儀式は滞りなく進んでいく。

 何人か契約を取り付けた者もいたが、やはり半数以上は何もないまま儀式を終えていた。

 オスカーも例に漏れず、未契約という結果に終わったようだ。


『ふぁ〜あ……。ちょっと頑張りすぎちゃいました。少しお昼寝させてもらいますので、あとはよろしくです〜』


 突然、そんな能天気な言葉を最後に、頭の中に響いていた声はぷつりと途絶えた。

 言葉の通り本当に、眠ってしまったらしい。


(……先が思いやられる)


 ただ、ひとまずは一件落着。

 決して最善ではないが、最悪でもない結果に終わった。


 波乱に満ちた俺の学園生活は、まだ始まったばかりである。

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