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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第11話 何はともあれ実践だ

「――ディラン様、本気でございますか?」


 朝、支度をする俺に対してマルタはこう告げた。

 その声には、普段の冷静さからは考えられないほどの心配と戸惑いが滲んでいる。


「もちろん」


 俺は革製の胸当てのベルトを締めながら、鏡に映る自分を見てうなずいた。

 貴族が着るような華美な装飾はない、実用一辺倒の軽装鎧。ルミナス学院の制服とは似ても似つかないその格好は、これから俺が向かう場所を雄弁に物語っていた。


「しかし、魔物討伐の実習に参加されるなど……万が一のことがあれば、ご当主様になんと申し開きをすればよいか。そもそも、そのような危険な行いはディラン様のご身分には――」


「マルタ」


 俺は彼女の言葉を遮り、振り返る。


「心配してくれるのは嬉しい。だが、これは俺が決めたことだ。座学だけでは得られないものがある」


 口先だけの知識や、稽古場での剣さばきだけでは、この崩壊した世界を生き抜くことはできない。

 婚約を回避するためにも、いずれ来る脅威に備えるためにも、俺には「経験」という名の力が必要だった。


「俺だって準備を整えてきたつもりだ。お前の目から見て、今の俺はどう見える? ただの無謀な若造か?」


 マルタとはそれなりに稽古をしてきた。

 そんな彼女が無理だというのなら、俺だって素直に同意する。

 彼女にとっては少し意地悪な質問かもしれないが、今の俺にはそれくらいの覚悟があった。


 マルタは口を噤み、俺の姿を上から下まで、まるで鑑定するように見つめた。数秒の沈黙の後、彼女はいつもの従者としての落ち着きを取り戻し、しかしその瞳には真剣な光を宿して口を開いた。


「技術は、ございます。長年の鍛錬により、ディラン様の剣術はそこらの騎士見習いを凌駕するでしょう。魔法に関しても、先日の法技会での一件を鑑みるに、素養は十分におありです」


「だが?」俺は先を促す。


「ですが、稽古と実戦は全く異なります。殺意を向けられる恐怖、予測不能な魔物の動き、そして何より、命を奪うという覚悟。ディラン様には、その経験が決定的に欠けております。無謀とは申しませんが、極めて危険な賭けであることに違いはございません」


 的確な指摘だった。彼女の言う通り、俺には実戦経験がない。

 だが、その経験を得るために、今ここにいるのだ。


「ありがとう、マルタ。お前の評価が聞けて安心した。……危険だということは、覚悟の上だ」


 俺の決意が固いことを悟ったのか、マルタは深いため息を一つつき、恭しく頭を下げた。


「……承知いたしました。ならば、私もお供させていただきます。護衛として、ディラン様の身をお守りするのが私の務めですので」


 その言葉には、有無を言わせぬ響きがあった。彼女なりの覚悟なのだろう。俺は小さく頷いた。


「無理だと判断しましたら、首根っこを掴んででも連れ戻しますので。そのお覚悟を」


「……ああ、頼む」


 それはできるだけ避けないとな。

 俺は苦笑みを浮かべ、自室の壁に立てかけてあった、飾り気のない鉄の剣を手に取った。





 実習の集合場所は、学院の敷地の外れにある第三演習場だった。

 鬱蒼とした森に隣接し、高い石壁で囲まれた広大な土地。中央には模擬戦用の闘技場があり、その周囲には様々な地形を模した訓練エリアが広がっている。貴族たちの優雅な学院生活とは隔絶された、汗と土埃の匂いがする場所だ。


 既に十数名の生徒が集まっており、その誰もが俺と同じように軽装鎧や革鎧に身を固めていた。兵士志望の屈強な者、冒険者を目指す身軽そうな者。皆一様に緊張した面持ちで、黙々と武器の手入れをしている。


 当然、その中に貴族らしい姿は見当たらない。


 俺とマルタが姿を現すと、その場の空気が一変した。

 突き刺さる視線。好奇、侮蔑、そして憐れみ。


「おい、見ろよ……ベルモンド家の」

「噂の『玉砕王子』じゃないか。エルナ様に振られた腹いせで、自暴自棄にでもなったのか?」

「場違いにもほどがあるだろ。お貴族様のお遊びに付き合わされるのはごめんだぜ」


 ひそひそと交わされる声が耳に届くが、俺は構わずに集団から少し離れた場所で待機する。いちいち反応していては、この先やっていけない。


「静かにしろ、貴様ら!」


 地を這うような野太い声が響き渡り、演習場は静寂に包まれた。

 ギデオン教授だ。彼は腕を組み、集まった生徒たちを鋭い眼光で睨みつける。


「集まったな、命知らずども。言っておくが、これは遊びではない。今日、貴様らが対峙するのは、檻に入れられた生きたゴブリンだ。数は一体。知能は低いが、狡猾で残忍。弱いと侮れば、喉笛を食い破られて死ぬことになる」


 ゴブリン、という単語に、生徒たちの間に緊張が走る。勇者リオンの心を折った魔物。雑魚の代名詞でありながら、油断すれば命を奪う現実的な脅威。最初の実習相手としては、これ以上ないほど適切だろう。


「訓練は三人一組で行う。魔法の使用は禁止とする。特に連携の重要性をその身で学ぶように」


 教授がそう言うと、生徒たちは自然と顔見知り同士で集まり始めた。だが、誰も俺に近づこうとはしない。俺の周りだけが、ぽっかりと空白になっている。


 そりゃあ、そうだ。

 俺だって平民だったら、俺みたいな貴族様と組みたくなんてない。

 気苦労で連携どころではなくなってしまう。


「ベルモンド。従者も頭数に入れて構わんが、もう一人は残った者と組め」


 教授の無慈悲な声が響く。

 生徒たちの輪から弾かれたのは、赤毛の、そばかすが特徴的な一人の男子生徒だった。彼はバツが悪そうに俯き、忌々しげに舌打ちをしている。


「レオ、だったか。お前が組め。不服そうな顔をするな。運の悪さも実力のうちだ」

「……っす」


 レオと呼ばれた生徒は、短く返事をすると、心底嫌そうな足取りでこちらへやってきた。手にした使い古しの槍が、彼の不満を代弁するようにカツンと音を立てる。


「……足だけは引っ張らないでくださいよ、お貴族様」


「善処する」


 敵意むき出しの言葉に、俺は短く返す。

 マルタが咎めるような視線をレオに向けたが、俺はそれを手で制した。彼の言うことはもっともだ。俺がここで証明すべきは、口ではなく行動だった。


「よし、一組目、始め!」


 ギデオン教授の号令と共に、闘技場の鉄格子が開け放たれる。

 俺たちの番はまだ先だが、最初の組が闘技場の中央へと進み出た。

 ギィィ、と軋む音を立てて檻の扉が開けられ、ゴブリンが姿を現す。


「グルゥ……ッ!」


 緑色の肌、鉤爪のついた手足、そして憎悪に満ちた赤い瞳。体長は人間の子供ほどだが、その全身から放たれる殺意は本物だ。

 空気が変わる。先程までの野次や私語が嘘のように消え、演習場は固唾を呑む音と、ゴブリンの威嚇する声だけが支配していた。


 戦闘は、一瞬だった。

 連携が乱れた一人の生徒の盾を、ゴブリンが弾き飛ばす。体勢を崩したところへ、別のゴブリンが錆びた短剣を突き出した。


「ぐあっ!」


 悲鳴が上がる。すぐに教授の指示で教官たちが割って入り、ゴブリンは取り押さえられたが、生徒の腕からは血が流れていた。

 死にはしない。だが、あの殺意に満ちた一撃は、見ている者たちの心を確実に蝕んでいた。隣のレオが、ごくりと喉を鳴らすのが聞こえる。


 俺の背中にも、じっとりと嫌な汗が流れていた。

 マルタの言っていた通りだ。稽古とは違う。あの赤い瞳で見つめられたら、俺は果たして剣を振れるだろうか。


 それから数組の試合が続き、いずれも惨敗に終わっていた。

 彼らも決して不出来なのではない。それほどまでに実戦が難しいのだ。


 そしてついに俺たちの番が来た。

 闘技場の中央に立つ。観客席からの視線が痛いほどに突き刺さる。


「ディラン様、ご指示を」


 マルタから問いが飛ぶ。

 ありがたいことに、今回の彼女はあくまで補佐的な役割に留まるつもりのようだ。


「……俺が前衛、マルタは俺の少し後ろで援護を頼む。レオは槍の間合いを生かして、側面から牽制してくれ」


「……チッ」


 レオは悪態をつきながらも、槍を構える。

 檻の扉が開き、ゴブリンが飛び出してきた。


「ギシャアアアッ!」


 甲高い雄叫びと共に、一体が一直線に俺へと突進してくる。

 速い。だが、動きは単調だ。

 俺は修行を思い出し、冷静に剣を構える。


 ――できる。稽古通りにやれば、斬れるはずだ。


 だが、ゴブリンが振り上げた棍棒と、その背後にある二体の赤い瞳が視界に入った瞬間、俺の身体は鉛のように固まった。

 恐怖。

 マルタが言っていた、殺意を向けられる恐怖が、思考を麻痺させる。


「くっ!」


 その僅かな硬直を見逃すゴブリンではない。

 棍棒が風を切り、俺の頭上へと迫る。


 ガギンッ!


 衝撃が来る寸前、俺の身体は思考よりも先に動いていた。

 五年間、来る日も来る日も繰り返してきた剣の型。それが、恐怖で凍りついた精神を置き去りにして、腕を無理やり押し上げたのだ。

 だが、それは稽古で叩き込んだ完璧な受けではない。恐怖に歪んだ、不格好な防御だった。


「ぐ、ぅ……!」


 剣ごと叩きつけられた衝撃が、左肩に走る。骨が軋むような鈍い痛み。

 俺はたたらを踏み、二、三歩後ずさりした。

 痛い。熱い。これが、実戦。


 しかし、その強烈な痛みが、俺の脳を縛り付けていた恐怖の枷を打ち砕いた。

 目の前のゴブリンが、追撃のために再び棍棒を振りかぶるのが、やけにゆっくりと見える。

 赤い瞳。殺意。

 それを恐怖ではなく、倒すべき「目標」として認識する。


「ディラン様!」


 マルタの声が遠くに聞こえる。

 だが、もう助けは要らない。

 俺は後ずさりした勢いを殺さず、逆に利用して地を蹴った。

 痛みで自由の利かない左腕を庇いながら、身体を捻り、右腕一本で剣を突き出す。


 刃が、肉を割った。


 突き出した剣先は喉元を浅く裂き、赤が霧のように散る。ゴブリンが息を呑むみたいな声を漏らして膝を折った――が、倒れない。獣臭い息が俺の顔にかかる。棍棒が、なお振り下ろされようとしている。


 しかし、すぐに追撃へは移れない。


 足に力を込める。

 だが、やはり届かない。ほんの半歩が遠い。


「……任せろ!」


 横っ腹を抜ける風。低い靴音と同時に、斜めから差し込まれた影――レオだ。槍の穂先が、俺の伸ばした剣と交差する角度で滑り込み、そのままゴブリンの横腹を貫いた。


 ぐしゃり、と湿った音。小さな身体がぶるりと震え、力なく崩れ落ちた。


 静寂に包まれる会場。


 俺は詰めていた息を吐き出し、左肩の痛みに顔をしかめた。隣では、レオが槍をゴブリンから引き抜こうと力を込めていた。

 二人とも、完全に安堵しきっていた。


 その、一瞬の油断。


「――ギィ…!」


 断末魔の叫びと共に、倒れ伏したはずのゴブリンの腕が、最後の憎悪を込めてしなった。その手から放たれた棍棒が、不規則な回転をしながら俺の顔めがけて飛んできた。


(しまっ――)


 反応できない。痛みと疲労で、身体が言うことを聞かない。レオもまた、槍に気を取られて完全に不意を突かれていた。


 ガキンッ!


 甲高い金属音。

 俺とレオの間に、影が割り込んだ。

 いつの間に抜き放ったのか、マルタが手にした短剣で、飛来した棍棒を寸前で弾き飛ばしていた。棍棒はあらぬ方向へ飛んでいき、床に落ちて乾いた音を立てる。


「……っ」


 俺もレオも、何が起きたか理解できず、ただ呆然と立ち尽くす。

 マルタは短剣を鞘に収めると、静かに振り返った。


「申し上げたはずです、ディラン様。実戦では何が起こるか分かりません」


 その冷静な声と、揺るぎない瞳。

 彼女がただの従者ではないことを、そしてこの世界は決して甘くはないのだと俺は改めて思い知らされた。

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