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悪役貴族の俺、破滅回避したら勇者が引きこもって世界が詰みました  作者: 根古


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第10話 魔物の定義

「おはようございますディラン様。本日の授業はどうされますか?」


 翌朝、マルタはそう言って、時間割を広げた。


「……そうだな」


 今日は法学、哲学、聖教学など、実用的かつ社交界で役立ちそうな学問が並んでいる。

 しかし昨日の法技会で思い知った。

 俺があのエルナと肩を並べる、ましてや追い抜くにはまだまだ時間がかかるのだと。

 少し卑屈かもしれないが、彼女と真っ向勝負をする必要はない。

 何しろ俺は未来を先取りしているだけで、決して天才ではないのだ。満遍なく学んでいては時間が足りない。


「これとかどうだろう?」


 俺がその学問を指差すと、マルタは少し驚いた様子で俺を見た。


「魔物学、でございますか?」


「ああ。これからの時代、必要になる知識だと思う」


 俺の言葉に、マルタはわずかに眉を顰めた。


「確かに兵士や冒険者にとっては必須の学問ですが……ディラン様のような方が学ばれるのは、あまり聞きませんね」


 マルタは俺の選択に少し戸惑っているようだった。

 それもそのはず、魔物学は貴族の嗜みとは程遠い、実学中の実学。

 受講するのは兵士や冒険者を志す平民や下級貴族がほとんどで、俺のような大貴族の子息が興味を示すことはまずない。


 だが、それでも学ぶ価値はあると俺は判断していた。


 勇者一行が機能不全に陥っている今、誰かがその脅威に備えなければならない。ならば、まずは敵を知ることからだ。


 それに、これは婚約回避の道筋にも繋がる。

 他の貴族が手を出さない分野の第一人者となること。それは、他に替えの効かない価値を俺自身に与えることになるはずだ。


「たまには、こういうのもいいだろう。社会勉強だ」


 俺はそう言って笑い、マルタを伴って魔物学の講義室へと向かった。





 魔物学の講義室は、魔法学の壮麗な講堂とは打って変わって、実用本位の質素な部屋だった。

 壁には様々な魔物の剥製や骨格標本が飾られ、机には傷やシミが目立つ。生徒も、いかにも兵士志望といった体格の良い者や、冒険者風の平民生徒が多く、俺のような上級貴族の姿は浮いていた。


 講義室に入るなり、好奇と驚きの視線が突き刺さる。


「おい、あれって……」「ベルモンド家の……」「なんでこんな授業に?」


 ひそひそと交わされる会話は、昨日の「玉砕王子」の噂も混じっているようで、非常に居心地が悪い。


(まあ、想定内か……)


 俺は周囲の視線を意に介さない素振りで、後方の空いている席に腰を下ろした。マルタは俺の後ろに控える。


 やがて、講義の開始を告げる鐘が鳴ると同時に、厳つい顔つきの男が部屋に入ってきた。

 歳は五十代ほどだろうか。顔には深い傷跡が走り、分厚い胸板は歴戦の戦士であることを物語っている。

 彼がこの講義の担当、ギデオン教授だった。元騎士団の小隊長という経歴を持つ、叩き上げの人物だ。


「席に着け。講義を始める」


 ギデオン教授の野太い声が響くと、騒がしかった教室は一瞬で静まり返った。教授は教壇に立つと、出席簿に目を通し、俺の姿を認めて片眉をピクリと上げた。だが、特に何も言うことなく、講義を始めた。


「まず初めに諸君らに問う。魔物とは、なんだ?」


 ギデオン教授は、開口一番、学生たちに問いを投げかけた。

 あまりに根源的な問いに、学生たちは戸惑い、顔を見合わせる。


「はい、そこのお前」


 教授が指名したのは、最前列に座っていた体格の良い生徒だった。


「は、はい! 人間に害をなす、凶暴な生き物であります!」


「ふん。では、人を襲う熊や狼は魔物か?」


「い、いえ、それは獣です。魔物というのは、その……魔力によって生まれ、より邪悪で……」


 生徒の声は尻すぼみになり途切れる。


「では、大人しいスライムや、人に懐く個体もいるゴブリンは魔物ではないと? 馬鹿げた話だ。次」


 ギデオン教授は容赦なく切り捨てる。

 その後も何人かの生徒が指名されたが、「魔王の手下」「自然の摂理から外れた存在」といった、どれも曖昧で観念的な答えしか出て来ない。


「話にならんな」


 教授は吐き捨てるように言った。教室に重い沈黙が流れた。


「いいか、よく聞け。魔物と獣の間に、生物学的な境界線など無い。我々が『魔物』と呼んでいるのは、世界の魔力循環の淀みに呼応して発生、あるいは変異し、生態系を乱す危険性のある生物種の総称。ただそれだけのことだ」


 それは、俺が知るゲームの設定とは少し違う、より現実的な定義だった。


「かつて魔王が猛威を振るった時代、奴はその淀みを意図的に作り出し、各地で魔物を大量発生させた。魔王が封印された今も、その名残は世界のあちこちに『魔境』として存在し、魔物を生み出し続けている。騎士団や冒険者の主な仕事は、その『魔境』から魔物が溢れ出さないよう、定期的に間引くことだ」


 なるほど、と俺は内心で頷いた。

 ゲームでは語られなかった、この世界のリアルな事情。魔王がいなくとも、魔物という脅威は常に存在し続けているのか。


「しかし、だ」


 ギデオン教授の声のトーンが、一段と低くなる。


「ここ数ヶ月、その定説だけでは説明のつかない現象が各地で報告されている。本来なら温厚な草食獣の集団変異、既知の『魔境』から離れた場所での新種魔物の目撃情報。それも、一つや二つではない」


 その言葉に、教室がざわついた。

 俺の背筋にも、冷たい汗が流れる。オスカーから聞いた話は、単なる噂ではなかったということになる。


「何が原因かは、まだ誰にも分からん。だが、一つだけ確かなことがある」


 教授の厳しい視線が、学生一人一人を射抜いていく。


「我々が慣れ親しんだ平穏が、少しずつ、だが確実に終わりに向かっているということだ」


 その言葉には、冗談や誇張の色は一切なかった。

 歴戦の戦士である教授が放つ重圧に、教室は水を打ったように静まり返る。誰もが息を呑み、その言葉の先にある漠然とした、しかし巨大な脅威の影を感じ取っていた。


(魔王の復活……)


 俺だけが、その脅威の正体を知っている。

 この教室の誰もが感じているのは、正体不明の不気味な足音。だが俺には、それが破滅へと向かうカウントダウンの音だと、はっきりと聞こえていた。


「騎士団も水面下で動きを強めてはいるが、人手は常に不足している。これからの時代、自分の身を、仲間を、そして民を守るために本当に必要になるのは、血統や家柄ではない。一体でも多くの魔物を屠れる実力だ」


 教授はそこで一度言葉を切り、学生たちの顔を見回した。


「そのための知識と経験を叩き込むのが、この授業だ。座学だけではない。生きた魔物を相手にした実習も行う」


 教授の言葉に、教室の空気が張り詰めた。


「もちろん有志参加だ。腕に覚えのある者、実戦経験を積みたい者だけが参加しろ。言っておくが、かすり傷の一つや二つは覚悟してもらう。命の保証もできん」


 その過激な内容に、一部の生徒は顔を青くし、また一部の生徒は武者震いをするように拳を握りしめた。


 なるほど、流石にこんな内容では貴族が参加しないのも当然だろう。

 しかし、俺としては、


(渡りに船、とはこのことだな)


 破滅の足音が聞こえ始めた今、俺に必要なのはまさに実戦経験だ。

 座学で知識を詰め込むだけでは、いざという時に身体が動かない。それに、討伐実績を積むことは、俺の価値を高め、発言力を増すことにも繋がるだろう。


「さて、前置きはこのくらいにして、早速授業を始めるぞ」


 そうして異様な空気感のままギデオン教授の魔物講座が始まったのだった。

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