⑥恋愛が行方不明
『祈るな』──それは、聖女たるエディトのアイデンティティを覆す言葉……!
とは、別に思わないけれど。
仕事だからやってるだけなので。
とはいえ、それで立ててきた身上。
既にやらかした後だけに、ユリウスの言葉がどう続くのか戦々恐々とせずにはいられない。
しかし、それは単なる提案だった。
「代わりに少し身体を動かした方がいい。 あと、体温を上げる食べ物を。 嫌いな物はある?」
「え? あの……? どういう……」
「体質改善というか……北の寒さはこんなモンじゃないからね。 今のうちにやれることをやっておこう」
ユリウスは周囲に比べ見た目も然程屈強ではなく、あんまり威厳もないけれど。
彼が早くに辺境伯の地位を譲位されたのは、コレによる。
彼は筋肉オタクであり、健康オタクなのだ。
本人としては『前世のにわか知識』だが、各々に適したトレーニング法と食事の的確なアドバイスにより、辺境騎士団の実力を効率的に底上げしたトレーナーとしての実力を持つ。
そして、今──オタクの興味関心は嫁の人の肉体改造に移っていた。
「まず、王都での生活をもう少し詳しく知りたいな。 部屋に数枚書類を届けるから、設問に従って答えを記入してくれ。 今日この後は少し体力・筋力テストをしてみようか」
「は……はい」
戸惑いつつもエディトはそれに従った。
この日言われるがままにテストをさせられたエディトは、慣れない運動に疲れて自室に戻った。
(初夜はどうなったのかしら??)
そう疑問を抱きながらも、その夜はぐっすり寝た。
──それから1ヶ月。
エディトはかなり健康になっていた。
待っていたのは適度な運動と規則正しい生活で。
冬なのもあって特に社交を強いられることもなく、それは割とのんびりしたものだった。
ユリウスにしてみれば、そもそも溺愛しているように見せるために、とりあえず甘やかしとく予定だったのだ。
一旦は『テンプレ的には、食物と物品を与えておけばいいかな~』と思ったものの、『与えるだけ与えて放置』は却って良くなさそうな気もした。
物品を与えるのは、あくまでも関係醸成のため──ちなみにこの辺は、なんとなく覚えていた前世にSNSでバズっていた育児の話や犬の躾の話から。(恋愛関係ない)
「うん、大分血色も良くなったようだね」
「うふふ、旦那様のおかげです」
エディトとユリウスもすっかり仲良くなった。
関係醸成とか溺愛とか言われてもピンとこないユリウスだったが、基本的に面倒見はいい。
この1ヶ月間、専属トレーナーのような真似をして過ごすのは目的がハッキリしているだけに楽だったし、やることがあるのでコミュニケーションが取りやすかった。
基本的にエディトの方も事勿れ主義。
言われたことにはとりあえずやる姿勢を見せ、やりたくない場合なんとか穏便な回避方法を考えるタイプである。
だがユリウスから言われることにそこまで無理なことはなく、ご飯は神殿より豪華で美味しく身体が温まり、祈ってないのに皆優しい。
待遇に大満足しているだけに、素で従順。
祈らないので体力気力は温存されており、身体が健康になっていくのが自分でもよくわかった。
しかし、このふたり。
まだ褥を共にしていないのである。
交わるどころか、初日の夜というだけの初夜でしか、夫婦の寝室は使用されていない。
あの夜ですらエディトが床をゴロゴロしてただけということを考えると、ふたりでベッドに乗ってすらいないという始末。
これが気に入らないのは、妹のゲルトルートである。
「全くお兄様ったらとんだヘタレだわ!」
やってきたゲルトルートは、庭園散策と言う名のウォーキングに出掛けたふたりを窓から見て、そうトマスに愚痴る。
ウォーキングなので、そこそこの速さである。
勿論、エスコートなんてない。
エディトがきて三日程あと。
『やってきた兄嫁への挨拶』と称し、早々に辺境伯邸に赴いたものの、エディトの王都での状況に加え実際に身体を見て『ドアマッターである』と判断したゲルトルートは、ユリウスの行動が溺愛に見えないこともないのもあり、暫く大人しく静観していた。
しかし、1ヶ月も経って流石にコレはない。
「まあまあゲルトルート様。 こういうのは他人から押し付けるように言われると、却って頑なになるものです」
「そうは言うけどトマス、私は閨のことだけを言ってるんじゃなくってよ? だってふたりの間には、甘酸っぱい空気すら醸されていないじゃない」
ユリウスは『関係醸成』とか吐かしているが、醸成されてるのはパーソナルトレーナーと生徒の関係である。
そうじゃないだろ、とツッコミたくもなる。
「ええ……ですから……」
「──なるほど?」
トマスは言う。
『敵を倒すには、敵に合わせた戦略を』と。