㉞『雨降って』から『地固まる』までの間
宿の主人に礼を言い預けていた雪玉のブランカとソリを回収すると、街で乗合馬車ならぬ、乗合ソリを借りて別邸へと向かう。
大した距離ではないが、歩くには遠いし荷物もある。
「フェルカー夫人、君はどうする? 子爵家へ戻るならウチからソリを出すが」
ソリが走り出すと、ユリウスはヘルミーネにそう尋ねた。
別邸には当然女性の家人もいる。薬は無意味であるとわかった今、彼女がいる必要性はない。
「もし伯爵家となにか契約があるようなら──」
「いえ、閣下。 私共はマルケル伯爵様のご人徳からお手伝いさせて頂いただけですので。 ただ、差し支えなければ私もご一緒させてくださいませ」
「それは……まあ……構わないのだが」
聞き取りに彼女を参加させるつもりはない──暗にそれを匂わすと、ヘルミーネは察し良く「双方のご事情のことはいいのです」と即答し続けた。
「それより奥様はあの聖女様と……ウチの家業を知っているクセに教えてくださらないなんて」
聖女と医者・薬師は協力関係にあり、共同作業で薬を精製することもある大切な相手だ。
ユリウスの妻が当代一と名高い聖女であるとわかっていれば、もっと有益な話をした、と言う。
「……少し薄情ではございませんこと?」
ヘルミーネはそう言って怜悧な美貌を崩し、少し拗ねた表情を見せる。
「す、すまない。 だがまだ公にはしてないんだ。 君も黙っていてくれ」
「ふふ、わかりましたわ」
その気はなくとも、大人の女性の可愛らしい色気に、ドギマギしてしまうユリウス。
(なんて自然なあざとさ! コレは参考にしなければ!)
それを見ていたマジョレーヌは、密かに秘密ノートの加筆を決意するのだった。
別邸に戻ったユリウスを待っていたのは、苦々しい顔をした前辺境伯──父・ルートヴィヒであった。
わざわざのお出迎えとその表情に、なにかただならぬモノを察したユリウスは、おずおずと声を掛ける。
「あ……あの? 父上?」
「アーデルハイドが嫁を連れて、いや逆か? まあいい。 ふたりはお前の不貞を疑い本邸に戻った」
「──は、……はあぁぁぁぁぁぁ?!」
全く意味不明である。
今朝『騎士達に会ってくる』と予め言ってあり、実際そうしただけなのに、なにがどう転がったらそうなるのか。
「鷹がやってきて『昨日の女と会っている』とエディトに告げたらしい」
「『昨日の女』……!? ──あっ! ああっ?!」
振り返ると、少し離れたところに昨日の女。……確かにいる。確かにいるけれど、他もいる。むしろメインは他。
「確かにいますがたまたま、偶然ですよ?! 大体ホラ、伯爵令嬢御一行もいるでしょう! その一員!!」
「私に言われてもなァ」
なんでもふたりは非常用の転移陣を使用し、サクッと戻ってしまったらしい。
「どうせまた母上が面白がって煽ったんでしょう!」
「……ほう?」
まあ、そうなのだけれど。
焦っていたユリウスは忘れていたのだ。
この父は父で、妻に対して崇拝に近い程の重苦しい愛を抱えている男であり、平時に於いてなによりも妻のご機嫌が優先されることを。
たとえそれが反抗期の息子の軽い罵倒だろうと、反抗期関係なく真っ当なツッコミだろうとおかまいなしに、妻を貶める(と解釈した)言葉は全て許さないということを。
「嫁はそりゃあもうおかんむりだ……新婚旅行なのに難儀なことだが、そもそもお前がしっかりしないからこうなる。 同情はできんな」
「ぐっ……!」
なので、父は妻の考えた『嫁の悋気を利用し息子の恋心を煽るぞ作戦』に乗ることにした。
もともと頼まれてはいたものの、息子とはいえ他人の夫婦喧嘩……犬も食わないと言うだけに、あまり乗り気ではなかったのだが。
「彼女の力が心配だというなら、これを機に王家に戻すのもいいかもしれんな。 伯爵令嬢がここにいるなら、王子殿下の隣は空いたのだろう? 余計な懸念もなくなって万々歳──」
「父上!!」
ユリウスは、ルートヴィヒに掴みかからんばかりの勢いで迫り、睨み付けた。
残念ながら体躯は及ばず、下からだが。
「俺の妻はエディトです、それ以上はいくら父上でも許さない」
「なら、さっさと誤解を解け」
「言われなくとも!」
「ああ、転移陣は使えんぞ。 本邸側の接続が切られてる」
(母上か、余計な真似を!)
ユリウスは舌打ちした。
「……ブランカを借ります」
「客人はどうする」
「話を聞いておいてください、粗方事情はわかりますよね? ああ、母上への勝手な連絡は父上と言えど漏洩と看做しますので! では!」
一方的にそう言いながら、既にユリウスは駆け出していた。
事情を掴めていないマジョレーヌ一行が、呆気に取られるのを気にする素振りもなくソリの準備を始め、ブランカを繋ぐとあっという間に走り出す。
「やれやれ……」
呆れた顔でその背中を見送りつつ、ルートヴィヒは一言そう呟くと、息子の様子に少し笑みを零した。
(案外上手く纏まりそうじゃないか)
なにしろ、例には出したが実際に反抗期などなかった大人しい息子は、自分が辺境伯になった後も遠慮がちで。必要に駆られて頼むことはあれど、今まで命令などしたことはなかったのだから。
なのに今回は甚だ衝動的で。彼のいいところである筈の、冷静さや咄嗟の判断力も意味を成していない。自分で気付いてないのが滑稽な程、必死な様子だ。
流石は我が妻……と内心でアーデルハイドを改めて褒め讃えつつ。
「前辺境伯でありこの屋敷の主、ルートヴィヒ・ブラシェールだ。 息子はちょっと所用でね、悪いが私が代わりを務めさせてもらうよ」
ルートヴィヒは戸惑った様子の一団に、そう声を掛けた。
優しく声を掛けたにも関わらず、ユリウスの時とは違い皆ビビっているのは仕方ない。面立ちこそ似ているが、体躯と威厳が全く違うので。




