③嫁の人、ドアマットヒロイン疑惑
「きゃあああぁぁぁッ!?」
「ッどうした嫁のひと……うわああぁぁ!?」
聖女であり嫁の人は、燃えていた。
ボウボウと、物理的に。
何故か床で、布団と毛布に包まれながら。
詳しい経緯は不明だが、暖炉の火が燃え移ったらしく、その布団の端に火がついていたのである。
幸い、叫び声に扉を開けたユリウスのお陰で、あっという間に鎮火。
布団のみのボヤで済んだものの、なかなか最悪の初夜、というか初対面になってしまった。
「なんでこんなことになったんだ……」
ユリウスは溜息と共に、ボヤきとも質問とも取れる言葉を口にした。
「申し開きもございません……」
嫁の人はしょんぼりと項垂れているが……反省していればイイというものでもない。
さっぱり意味がわからないので。
「いや、ちゃんと申し開いて? 確かに『熱く燃える夜』とか言うけど、なんでそれが物理になったのか謎過ぎるから」
ホントにね。
自分でもそう思ったらしく、嫁の人は遠い目をして小さく自嘲するように笑う。
「フフ……さぞかし『変な嫁が来ちゃった』と思われたに違いありません」
「そりゃ勿論そう」
むしろ変な嫁以外の何者でもない。
「まあアレだ、今夜はその、疲れているだろうし……とりあえず別室で寝て?」
「はい……」
こうしてふたりの初夜は回避された。
経緯が謎なまま。
ボヤが出てるので、『無事に』とは言えない回避だったけれど。『お前を愛することはない!』というモラハラクソ発言による回避よりはマシかもしれない……
ユリウスはチェストの中のハーフケットを渡して嫁の人を追い出した後、バスタブに張った水に彼女が羽織っていた布団と毛布を浸けながらそう思った。
布製品のボヤに油断は大敵。
火が内部に残っているかもしれないので、半日は水に浸けておこう。(※豆知識)
ちなみに布団はもう使い物になりそうもないので処分した。この布団処分により、一部家人には『初夜がなんだかおかしなことになった』とバレている。
「なにが起こったんです?」
布団は炎上、嫁は別室、主はバスタブに毛布を浸けている──駆け付けたトマスがこう尋ねるのは当然と言えた。
「よくわからない……だが変な嫁が来たことは確か」
「そんな言い方はないでしょう」
「そう言うが、トマス。 どこの世界に初夜で旦那を待っているだけで、物理的に燃える嫁がいる?」
「まあそれはそうですが……」
「そうだろ? そしてそれが、ここの世界の自分の嫁だったのは俺……!」
「……軽率でございました」
奇矯な動きをする女子を、皆が皆『おもしれー女』とか吐かしてイキナリ好きになっていたら、世界はトンデモ嫁で溢れかえっているに違いない。
そして生憎、彼は初夜で物理的に炎上していた嫁を『おもしれー女』と脳内変換しときめける柔軟お花畑思考の持ち主ではなかった。
『変な嫁』と言うくらい(事実だし)許して頂きたい。
だが王命で嫁いで来たのは勿論、彼女が当代一の聖女なのも間違いないらしい。
「私が出迎えご案内した際には、特に悲壮感は感じなかったのですが……なにぶん婚約破棄されて即追いやられたようですからねぇ」
「ぬぅ……」
人の心は難しい。
本人すら思いも寄らぬ言動に走ることはままあることだ。
叫び声からも故意とは思えないが、初夜への不安から勢いで自傷行為に及んだものの、怖くなった……という可能性はある。
トマスが出迎えた時に感じた悲壮感のなさも、婚約破棄からの別の男との婚姻にまだ実感が伴っていなかっただけ、と捉えればなんら不自然ではない……
「──ような、気もしないでもありません」
「う、うん」
基本的に辺境伯領の民は根明な脳筋なので、そういう『繊細な心の機微』みたいなのは、あんまりよくわからないのだ。
しかしというか、やはりというか。
ここに来て嫁の人である聖女・エディトの不遇ヒロイン感は、増幅を遂げていた。
(これはやっぱりざまフラなのかなぁ……彼女、身体もなんかすごい痩せてたし)
なんで死んだかは不明だし時間軸も怪しいけれど、前世は日本の平成生まれ。
兎にも角にも平成後期から令和の高コンプライアンス世代に育ち、現世は辺境伯嫡男として『ハニトラ絶許!』な躾を受けていたユリウスの貞操観念と警戒心は、やんごとなき良家のご令嬢並。
しかしやはり健康な成人男子である。
紳士的になるべく見ないようにはしたけれど、それでもハーフケットを渡す際に、チラッと半裸の嫁の人の身体を見てしまったのは仕方ない。
ボロボロ、という感じではなかったにせよ、彼女は明らかに痩せすぎであった。
それこそ抱きかかえたら、恥ずかしげもなく『君は羽根のように軽い』と心から言えそうなくらい。
(これは『ご飯も満足に与えられず、酷使させられている聖女』というテンプレパターンでは……! )
自分には全くスパダリ要素はないけれど、それは流石に気の毒だ。
(ざまぁは置いとくとしても、溺愛テンプレに近いことはやるべきかもしれない)
具体的に言うと、ある程度肉がつくまでは、ひたすら餌と暇を与えて甘やかす、みたいなことを。
なんか童話の魔女っぽいな、と思いつつ。
童話で言うところの『太らせてから食う』の、自分の場合の『食う』の意味を考え、ちょっと赤面しながら。
(考えてみたら、割といいかも……?)
なにがって、『ユリウスの嫁』に、である。
パッと見地味だが、美人でとても儚げな感じだった。
まあ『儚げ』に関しては痩せていることと、先の情報による先入観が強いけれど。
妹と家令を筆頭になにかと圧の強い人々に囲まれているだけに、ユリウスも対抗・主張はするが、元々の気質は穏やか。
周囲には日々、精神力を削られながら対抗したり、或いは流されたりしている。
概ね、余程腹に据えかねるとかでない限り、長いものには巻かれるタイプ。
元々王命に抗う気もないので、妻として迎える以上は大事にするつもりだった。彼にしてみれば、それ故に初夜を回避したかったのだから。
とはいえ、できれば嫁くらいは控え目なかたであって欲しい、というのが本音。
その点ドアマットヒロインならば、癒し癒され……まさにwin-winである。
嫁の人が真実ドアマッターかは不明だが、最悪、ざまぁとか言い出さなければそれでいい。
少なくとも彼女の圧は強くはなさそうだ。(※周辺比)
(う~ん、溺愛くらいは頑張ってみるか……)
この婚姻に少し前向きになったユリウスは、「落ち着いてから」と翌日に回した聞き取りに、ちょっとだけ期待をして寝た。