⑱不安しかない幕開け
冬季一番のお仕事である『溶けない氷』魔獣討伐が終わったこともあって旅行の計画はすぐ決まり、少し予定を調整するだけで済んだ。
ふたりの新婚旅行は、領内にある別邸。
ユリウスの両親が住んでいる場所で、挨拶も兼ねている。
二頭立てでムースが引く大型のソリで向かう。箱馬車ならぬ、箱ソリである。
そんなに速くはないけれど、雪道を走る分揺れは少なく、馬車より乗り心地がいい。
ややぎこちない仕草でエディトの手を引いたユリウスは、ゲルトルートに言われたことを思い出していた。
「いいことお兄様、馬車と言えば密室。 さて、密室と言えば……?」
「殺人?」
「完全犯罪を目論んでどうすんのよ?!」
何故か不穏な答えを導き出したユリウスは兎も角として。
ゲルトルート曰く、
「TL世界では『やらしい雰囲気にしてやるぜ』な場所でしてよ!」
──だそう。
ちなみに『TL』とは、ジャンルのひとつであり、『ティーンズ・ラブ』の略称。
おそらくは『少女漫画風のエッチなお話』なのだろうと思われる。勿論R18だ。
『TL』が略称だと知っていただけに『十代の恋愛モノ』だと思っていたユリウスにとっては、Wで衝撃的な発言であった。
「移動手段でなんて不埒な……!」
「いやねぇお兄様、創作物とリアルをごっちゃにする者はエンタメを嗜む資格ナシですわ! 私も別にその通りにしろ、と言ってはおりません。 ただ『そういう雰囲気に持ち込みやすい場所だ』と言っているのです!」
密室にふたりきり──
狭い空間で近付く物理的距離。
旅行に高まる気分が織り成す、吊り橋効果。
(『それを利用するのですわ!』とか言ってたな……)
割と一理あるだけに、なんかしなければならないような気分になっていたユリウスだったが。
「旦那様のご両親にお会いするの、少し緊張しますわ……」
などと吐かしていたエディトは、ソリが暫く走るとアッサリ寝た。
脱力したと共に安堵したユリウスは、最初から意識し過ぎな自分に不安が否めない。
草食系男子である彼は、そもそもどうしたら『そういう雰囲気』になるのかよくわからないので。
だからこそ初夜にこだわっている、とも言う。
(いや、焦ってはいけない……)
旅行は一週間。
3日程は両親達と交流し、その後、両親は本邸へ。残りはふたりきりだ。
ユリウス達が本邸に戻る頃には年末年始なので、どのみちそのあたりにくる予定だった両親は、先に妻を伴って挨拶に来ることを喜び、この計画を受け入れてくれた。
ユリウスは相談も兼ねてこの場所を選んだが、父には手紙でも既に相談している。
初夜のこともそうだが、メインは元々の問題──エディトの力についてだ。
当主を引き継いだとはいえ、まだ内外共に父の方が立場も影響力も強い。
こうなった以上は真っ先に相談すべき相手に違いなく、エディトの力についての最初の相談は、魔獣討伐の報告と共にした。
勿論、自身の力を上げる努力も必要だと感じざるを得ない。
甲斐甲斐しくエディトの世話を焼いたり、こうして旅行へ赴いたりはしているが、その分ユリウスはいつも以上に働いた。
騎士団の人間が聖女の祈りを当てにしないよう自ら示すべく、鍛錬も今まで以上に行っている。
(全く……呑気なもんだな)
エディトの寝顔を見ながらユリウスは苦笑した。
積極的にざまぁをする気がないのは勿論、王家とはなあなあに上手くやっていきたいと思っていた自分が、まさか王家との対立も辞さない構えになろうとは。
エディトに対しそこまでの強い愛があるのか……と問われれば、正直なところ、ない。
あるのは『なんか流れでそうなっちゃった感』である。
ニュアンス的には未だ『俺の嫁』というより『嫁の人』という方がしっくりくるくらい。
それでも長い目で見たら、死がふたりをわかつまで一番近くにおり、最も大事にすべき女性なのには変わりない。
ただ、『普通こういうのって、恋情が原動力とかじゃなかろうか』と自分でも疑問が凄いだけで。
結局のところ、恋愛が原動力ではないので『はい今夜が初夜です!』とはいかないのだろうとは思う。
かといって『貴族の責務だから』と割り切れるタイプでもないのだ。
もう一緒に暮らして二ヶ月近いし、そこそこ打ち解けたとは思う。
劇的な出来事もあったし、トキメキもあった……気も、しないでもない。
なんなら物理的接触もあり、溺愛風ですらある。
だが、なんでか盛り上がらない。
(別に食指が動かない、とかでもないのだけれど……)
再び寝ているエディトを見る。
嫋やかな美人だ。
派手よりも落ち着いている方がいい程度で、見た目の好みをあまり考えたことはなかったが、好きなタイプなのではないかと思う。
慕われているのに盛り上がらない理由が、自分でもよくわからない。
(多分思っている以上に俺は繊細なのかも……ロマンチックさを必要としているのは、俺の方かもしれないな……だが、いつもと違う別邸で……なら……)
そんなことを考えながら、予定の調整と鍛錬で疲れていたユリウスも寝た。
ソリが別邸に着くと、出迎えたのは、父である前辺境伯・ルートヴィヒ。
「やあ、よく来たね」
「父上」
待ち構えていたかのように既に外にいた彼は、ユリウスに似た雰囲気の温和な感じの人。
顔も割と似ている、ムキムキなだけで。
「外でお待ちに?」
「いいや。 それよりまず妻だろう、ユリウス……」
「あっ、はい!」
「そういうところだ」と呆れる父の声を聞きながら、ユリウスは慌ててソリに戻る。
「ごめん、エディト」
「ふふ。 気にしてませんわ」
ユリウスの手を取り、エディトがそろそろと慎重にソリから降りた
──その時であった。
「はぁっはっはっは!!」
ビタンビタンという音と共に高笑いをしながら、血塗れの女が現れたのは。
「見ろルー! 大物だ!!」
「アーディー!」
それは母アーデルハイト。
どうやらふたりを迎える晩餐のメインディッシュを用意するべく、近くの川で釣りをしていたらしい。
手に引くソリには彼女の身長程もある魚が置かれ、それはまだ跳ねている。
大変活きがいい。
「一応締めたんだが、まだ動くんだよなぁ……」
「ああもう、びしょびしょじゃないか!」
どうやら父が外にいたのはこの母を待っていた為らしく、駆け寄ると直ぐにタオルで甲斐甲斐しく拭いてあげている。
(なんか……早まったかな)
元々両親との顔合わせの3日で、恋愛が盛り上がるとは思っていないけれど。
ビタンビタン跳ねる巨大魚の生臭さに、なんとなく先行き不安になるユリウスだった。