⑬まるでヒーローみたいな
「くそっ、少し吹雪いてきたな」
「閣下、本当にこの方向で?」
朝になって降り出した雪は徐々に強くなって今や、視界も覚束ない。
当然、魔獣の足跡など、とうに消されてしまっていた。
ウサギかなにかを仕留めたのか、僅かな血の跡が残っていたのも一度だけ。
凶暴化するだけに、捕食相手の多い『もっと山の下の方か森の中を捜索した方がいいのでは』という空気が流れつつあった。
だがユリウスには確信がある。
「大丈夫だ、間違いない」
(毎年感じるのと同じ気配は、確かに上方からだ)
感覚が研ぎ澄まされている。
──それは間違いではなく。
真っ先に異変に気付いたのもユリウスだった。
ドドド……
僅かに聞こえる雪崩のような音に、ユリウスは走り出し、指示を飛ばす。
「ッ前方からシュピュルクの群れ!!
各自、接触回避!」
「「「「!!」」」」
「散開して防を固め、のち攻撃準備!
いるぞ! 俺が出る!」
皆の返事はすぐにやってきた轟音に掻き消された。
『白く跳ねる鹿』は群れで暮らす中型の鹿で、天敵の少ない真冬の標高の高い窪地で出産する。
どうやら『溶けない氷』を取り込んだ魔獣の狙いは、それだったようだ。
逃げてきた群れから、襲われたことは容易に察せられるが──
(厄介だな。 どれくらい喰われたか……)
凶暴化の最初の目的は捕食し、進化を早めるところにある。
脚力があるのに闇雲に動かず群れを狙ったあたり、元々の知能が高い個体に違いない。
「ワンッ!!」
戦闘態勢として、荷を載せた部分を離脱した小さなソリを引いて駆けてきたのは、精鋭部隊の雪玉・グラム。
(指示は届いてる、問題はない!)
ユリウスは素早くソリの持ち手を掴み、乗り込むというよりも足を置くだけのような、不安定なソリの上で命じる。
「グラム! 全速上方!」
よしきた!とばかりにグラムはスピードを上げた。
よく訓練された雪玉の中でも精鋭部隊に抜擢されるだけあり、勿論そのスピードも力も『テンションが上がっちゃっただけ』のアマロの比ではない。
乗り手としての手腕が試されるが、普段は常に補助役であるユリウスは、体幹とスピードを重視する方に特化して鍛錬を行ってきている。
地味なようだが、戦闘用の犬ゾリ操作や騎射は辺境騎士団でも随一の腕前と言っていい。
血の臭いが濃くなる。
吹雪の中見えたシュピュルクの群れの生活拠点である窪地には、まるで火をおこしているかように薪に見えるいくつかの角と、それ以外を炎のように血で真っ赤に染めた白い鹿達が無惨な姿で転がっていた。
その中で、まだ身体を戦慄かせる新鮮な肉を黙々と貪るのは、白い毛皮にグレーの斑紋から『冬の流星』と呼ばれるユキヒョウ型の魔獣……だったもの。
揺らめく炎が如く、口元と前脚を赤い血で滴らせながら朧気に発光しているそれは、シュナイトファル特有のしなやかな肉体を維持しながらも、既に規格外の巨躯。
滅んだ原種である『白き裂け目』のような、鋭く長い牙を携えている。
背中を中心に逆立った毛の一部は、つららのように固く妖しい煌めきを帯びており……凶悪で美しい獣がそこにいた。
少し外側から猛スピードで迫るグラムを、シュナイトファルの金の瞳がチラと見た──その瞬間。
「ッ旋回!!」
巨躯を感じさせない程に滑らかな肢体を翻し、音もなく飛びかかってきた。
ユリウスの指示が早く間一髪で避けたグラムだったが、その反動でソリは斜めに投げ出され、宙を舞う。
ユリウスは持ち手を強く握り締め、傾きに合わせてしゃがみ込むと、膝を使ってソリを蹴り上げるように高く跳躍した。
(いける!)
既にシュナイトファルの血に染まった赤い口はユリウスに向けて大きく開かれており、その鋭いふたつの牙が、振り下ろす死神の鎌のように襲いかかる。
だが、今のユリウスにはその一挙手一投足、視野の範囲外までが『全て見えている』と思える程に、感じ取れている。
自分の動きもそうで、やるべきことがわかる。
身体を捻りながら剣を抜き。
鋭く脚を交差、回転。
「はぁああぁぁぁぁぁぁっ!!」
シュナイトファルも攻撃の手を緩めたわけではない。その間にも、獰猛な牙がユリウスを襲う。
突き刺す勢いの牙は目標物を捉えきれないままに、ユリウスの左ふくらはぎを大きく切り裂いた。
だが、それも想定内だ。
痛みも鮮血も気にすることなく、ユリウスはそのまま全身を捻り剣を限界まで引くと、シュナイトファルの喉元目掛けて突き入れた。
自らの特性を活かした、一点のみに集中した鋭い一撃──手応えはあった。
致命傷を与えられた筈だ。
「総員、かかれ!!」
しかし、過信はしない。
剣を引き抜き、返り血を浴びて倒れ込みながらユリウスは叫んだ。
──一方。
その少し前のエディトは。
『この報酬は高くつくぜ!』
上空から発見してくれた例の鷹に案内された場所で、緊急避難及び栄養補給をしていた。
「そう言うけどアナタ、ここヒグマの巣じゃないの! 全く、私が聖女じゃなかったら死んでる所だったわ!」
「おんっ!」
そう……案内されたのはヒグマの巣穴。
まあ、まだ巣穴の主が寝ぼけているうちに、エディトが癒しの祈りを捧げて事なきを得たけれど。
おかげで熊もいい夢を見ているようで、時折フンスフンスとご機嫌な鼻息が聞こえてくる。
『いいからその肉を寄越しな!』
「あっ、ローストビーフがっ! ……まあいいわ。 アマロ、あなたはこのパンを食べなさい。 辛子の塗られてない方ね」
「おん♪」
(はぁ……旦那様どこかしら? 吹雪いて来ちゃったし……)
意識を失ったことで体温が下がったのもあり外は極寒だったが、なんだかんだヒグマの巣穴は温かい。
着膨れしている服の内ポケットに入れてある、携帯温熱魔石の温もりをようやく感じられるようになった。
(ちょっと調子に乗り過ぎていたわ……)
もっともである。
むしろ気付くのが遅いし、なんならちょっとでもない。
相手が寝ぼけていただけに、ヒグマへの祈りは大した力も使っていないが、それにしても朝から力を使い過ぎた。
幸いアマロは元気だが、進行方向を定める為にエディトは剣に付与した祈り……精霊の力を感じ取って指示しているので力を使う。
もう既に、結構疲弊していた。
(これでは『劇的な合流』なんて無理だわ)
外は吹雪だが、エディトの計画は暗雲立ち込めていた。