⑩聖女の力はb……おっと、そこまでにしておけ。
その頃。
「──ん? なにか今聞こえなかったか?」
「獣の鳴き声では?」
「そうか……」
一方のユリウスも、位置は違うがトラウト山にいた。
塔からの望遠鏡による監視により、『溶けない氷』を摂取した魔物の存在が確認されたのは、本日未明のこと。
これを摂取し取り込む際、魔獣は数秒ほど強い光を放ち、その後は全身に朧気な光彩を纏うようになる。
今回はたまたま雪も止んでおり、光を遮る障害物のない場所だったのが功を奏し、早期発見となった。
しかし残念なことに、摂取したのが元々足の速い魔獣らしく、直ぐに消えてしまったのだ。
総司令官であるユリウスは、「討伐の為、暫く帰らないかもしれない」と言って今朝方邸宅を出て、辺境騎士団の本拠地である城壁に向かった。
先人達の報告書からある程度分類し、予め対策マニュアルを作っていた彼の指示は滞りなく、速やかに最初に発光した場所を目安に捜索範囲を指定し、討伐に向かっている最中である。
この討伐は総司令官としてだけでなく、領主としても重要な責務。
そのためユリウスも自ら最前線に立ち、精鋭部隊を率いる役目を担うことを余儀なくされる。
10代前半の少年期からそうだったのでもう慣れたものではあるけれど、物理的にはあまり活躍したことがない。
なにしろ、精鋭部隊はムッキムキ。
ちなみに引退した前辺境伯である彼の父もムッキムキである。
ユリウスみたいな細マッチョではフィジカル的に敵わないので、大体指示役と補助。
とはいえ、様々なマニュアルも含めユリウスはそこが買われているのだ。
適材適所というヤツで、体力的にも問題ないユリウスは、脳筋だらけの現場に足らない部分を補填する希少な役を担える人材でもある。
その為、現場を共にした相手からは概ね支持されているけれど、そんなところも含め気に食わない一部と視野が狭くあまり関わらない下っ端からは『頼りない』と舐められてもいた。
「閣下の空耳では? ふっ……まあそんなに臆せずとも、姫君は私共がお護り致します故」
小馬鹿にしているのを隠そうともせず、そう嘲笑うのはフリードリヒ・ライゼガング。
ブラシェールの寄り子である、ライゼガング子爵家の次男であり、ムッキムキの割にはシュッとしたなかなかの美丈夫で、センスも良く小洒落た男だ。
彼は、武だけでなく見目の華やかさにも欠ける同年代のユリウスが、兎に角気に食わないらしい。
下っ端の兵達を集めて酒を奢り、ユリウスへの不満を煽っていたりもするので少しタチが悪いが、職務には忠実なので本人はあまり気にしていない。
実力があるだけに、自尊心が高く立場に嫉妬するのは、彼が努力家な証拠。
管理職が全員から好かれる訳などないのだから、仕事さえちゃんとしてくれるなら多少の個人的嫌がらせなどどうでもいい、とユリウスは割り切っていた。
ただ、ユリウスが怒らなくても、彼の不遜な態度に苛立つ人はいたりするワケで。
「ライゼガング、口を慎め」
レオ・ヴェルターがそれ。
寄り家の子爵家次男でユリウスと同年代という、フリードリヒと同じような立場だが、彼は脳筋である自覚があるだけにユリウスに心酔している側。
とどのつまり、ふたりは相性が悪いのだ。
「おや、ヴェルター殿。 私めは閣下に『いつも通り補助と指示に尽力してくだされば』と申し上げただけのこと……なにか問題でも?」
「貴様、いい加減に……!」
「う~ん……問題っていうか」
そんなふたりの揉め事が自分であるにも関わらず、ユリウスは呑気な口調で割って入った。
実のところ、今彼は余所事を考えていたので。
「ライゼガング卿の言うことはもっともなんだけど……今回は俺が攻撃の役に回ろうかと」
「「えっ?!」」
「勿論、ふたりが不安なのはわかる。 だが今回は勝算がある……最初の動きで判断して貰って構わない」
「む、無論私はご指示に従いますが……」
レオは戸惑いつつ、フリードリヒを見る。
彼は不満気というよりも驚いた顔をしていたが、やがて不遜に笑う。
「……閣下がそこまで仰るなら。 随分自信がおありのようで」
そんな嫌味にも「まあね」と軽く返す。
慣れているのもあるけれど、彼は今まだ余所事を考え続けているので、全く気にならないでいた。
ユリウスが今考えているのは、エディトのこと。
明け方。
監視塔からの魔獣捕捉の緊急報告により、起こされたユリウスが急いで用意をしている中、何故かエディトがやってきた。
「起こしてしまったか、すまない。 だが見ての通り急いでいる、悪いがなにかあるならトマスに──」
「『溶けない氷』の魔獣討伐ですよね? 私もお役に立てる筈、連れて行って頂けませんか?」
「!」
このところのエディトが、ブラシェール辺境伯家について学ぼうとしていることは知っていた。ユリウス自身、彼女に請われていくつかの場所の見学を許可している。
ユリウスはエディトが今やっていることを把握し、自らそう進言してくれたことに普通に感動した。
普通じゃない感動として、そこに『自分への想い』……みたいなモノも感じてしまったのはとりあえず置いておく。
「気持ちは嬉しいが、流石に討伐には連れて行けない。 それに聖女の力は、安売りしてはいけないように思う。 本当に何かあった時だけで充分だよ、ありがとう」
「そうですか……」
『小説の辺境伯夫なら、頭を撫でるとか抱き締めるとかするんじゃないかな』などと思いつつ。
そこはキリッと拒みつつも、感謝を示すだけで精一杯のユリウス。
だが、エディトの話はここで終わらなかった。
「なら、せめて旦那様のために無事と勝利を祈らせてください」
「エディト」
「お時間は取らせませんわ。 さあ、剣を抜いてお持ちになって」
エディトは跪き、祈る。
ユリウスの無事と勝利を。
暖かい光が剣ごとユリウスの全身を包み、一瞬、舞い踊る精霊達が見えた。
辺境伯領にも聖女はいるが、こんなことは初めてだった。
ユリウスもかつて、魔獣大発生の際などに治癒する様を見たり受けたりもしたけれど、精々朧気な光を放つ程度。
その光の温もりも規模も、何もかもが違う。
「──終わりました」
「……」
それはほんの僅かな時間で。
見た目も変化はない。
しかし、全身に力が漲っていることが感じられる。
「旦那様?」
「あっああ……! ええと、エディトは大丈夫なの? その、身体の方は」
「問題ありませんわ」
そう言ってニッコリ笑うエディトに、ユリウスはちょっと引いた。
「そ、そうなんだ……?」
補助魔法を使える者も辺境伯騎士団にはいるけれど、これだけの力を付与すればもっとグッタリする筈だ。なのに、何事もなかったようなこの余裕。
(凄いな……『当代一の聖女』とは、これ程までに力があるものなのか……)
正直なところ『当代一』というこの呼称も、如何程のモノか判断しづらいだけに、エディトにはさほどの期待はしていなかったのだ。
(王家は彼女を手放して良かったのか?)
色々思考が飛びそうになりながらも、まだ仄かに光を纏う剣を見て、我に返る。
「ありがとう! 行ってくる!」
「ご武運を!」
縁の下の力持ちであるユリウスが、自ら望んで前に出るというのは珍しいが、そんな経緯があったからだったりする。
(臭過ぎて言えなかったけど……彼女に勝利を捧げてみせる……!)
──当然、彼はまだエディトが行方不明であることは知らない。