表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

 霧が掛かっていたのは根斗と加己山の境界だけで、結界の内側の視界は良好だった。しかし、不気味な静けさと陰鬱とした空気は変わらない。角塚は杖代わりに使っていた金棒を一層強く握り締めた。そして足を止め、首を振って周囲に建ち並ぶ住居を眺めた。

(血痕、死臭――。死体は見当たらないが、肉の一片も残さず食い尽くされたか、或いは来訪者を警戒して隠したか)

 次に、角塚は遠くを見る様に目を細める。視線の先にはやはり無人の建物があったが、それらを何件か越えた先に篝火の如き妖気が鎮座しているのが確認出来た。

(でかぶつが一体。強者ではあるが、やはり生きてはいない。ふむ、妖気の中に別の色も混じっているな。これの正体は何であったか)

 妖気を睨んだまま、角塚は記憶を辿る。だが、短い時間を置いて彼女はそれを中断した。目を見開き、背筋を伸ばし、誰に向けてでもなく驚きを表現する。

(待て待て。「一体」だけ? 他の死霊達はどうした? 結界外から見えていた幾多の魂が、今は見る影もない)

 角塚は目を伏せ感覚を研ぎ澄ませ、根斗集落全体を体感で以って観察した。だが、やはり感知出来た死霊は一体のみだった。

 そこでふと思い付いたことがあり、角塚は意識をその一体に集中させた。彼女の予想は的中した。一体の強大な妖怪の産物に見えていた妖気は、実は幾多の死霊が寄り集まって成したものであったのだ。彼等は恐らく角塚の侵入に気付いている。行動を開始した頃合いから察するに、集落の入口が開いた際に察知したのだろう。そして力を寄せ合い、敵と思わしき角塚の襲撃に備えている訳だ。

 角塚の口から小さな溜息が漏れた。

(動かないな。此方との正確な距離は、まだ掴めていないのか。いいや、分かっていて罠を仕掛けているのやもしれんな)

 根斗集落の前で、役人が吐き捨てた言葉が思い起こされた。


 ――狡猾な者達ですので。


 角塚は苦笑する。

「確かに小賢しい真似をする」

 吐息の様な呟きだった。直後に響き渡った声と違って。

「わんっ! わんわんっ、わんっ!」

「うん?」

 犬の鳴き声――を真似た男の声だ。殺気や敵意は感じなかったので、角塚は怪訝な顔をしつつも、のんびりと振り向いた。声の主は人間の中年男性の顔を持った犬だった。何処からどう見ても妖怪である。視線を向けられた瞬間、犬妖怪は一度大きく身体を震わせたが、間を置かず角塚へと近付いて来た。

「た、助けて! 助けてくれ! あんた、外から来たんだろ? この街に出入り出来るんだろ? ずっと隠れて様子を見てたから、知ってるぞ。頼む、俺を外へ連れ出してくれ。でないと、俺は奴に食われちまう。俺、そんな死に方する様な悪事なんて働いてないよ。死にたくねえよ。お願いだよ。助けてくれよ」

 犬妖怪は顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、涙と鼻水を垂れ流す。みっともなく感情を露出する様に、角塚はやや嫌悪感を覚えたが、今は非常時だ。冷静であろうと努めた。

(これは噂に聞く「人面犬」って奴か。何十年か前に現世で流行ったんだっけ? 実在したんだな。一応妖気は感じるが、微弱だ。だから、気付かなかったのか? しかし、これもう生きてはいまい)

 仮に結界の外へ出したとしても、犬妖怪を待っているのは明確な死だ。今は神の手が入った強力な結界が死後の道行きを阻んでいるが、それがなくなれば糸の切れた凧の様に常世へと飛ばされるに違いない。普通の死に方ではなかった筈だから、強い未練が枷となって辻の世界に留まり続ける可能性もあるが。

「頼むよ……」

 既に肉体を持たず、敵から逃げ回る必要もないと言うのに、犬妖怪は必死に懇願する。自身が命を落とした瞬間を覚えていない様子だ。こういった状態にある死霊の相手をする面倒さは経験上知っているが、然りとて放置も出来ない。

(情報収集もしたいしな)

 故に、角塚はこう返した。

「何があった?」

 すると、彼女の言葉を好意的に受け取ったのか、犬妖怪は暗い顔をしつつも泣くのを止めた。

「怪異同士で共食いを……。最初の一匹が人間を食らって力を付けて、別の怪異を食らって更に力を付けて、そうすると他の怪異がそいつに対抗する為に同じ様に怪異や人間を食らって成長して。ある程度数が減った所で残った奴等が殺し合いを始めて、一番食らったでっかい奴が最後に残ったんだ。俺は小さくて弱いから、隠れて気配を殺して何とか敵の目を誤魔化すことが出来たんだけど、他の奴は多分もう……」

「成程」

 角塚は黙り込み、考える。彼女の顔には同情も怒りも表れていない。無表情な所為で感情が読めない。それが犬妖怪を不安にさせたのだろう。更に懸命な様子で、彼は角塚に訴えた。

「お、俺、誰かを襲う様な危険な怪異じゃないよ。捕まえておかなくても大丈夫だよ。なのに、何でこんな所に危ない奴と一緒に放り込まれなきゃならないんだ。理不尽じゃないか、こんなの」

 返って来た声は淡白だった。

「確かに不可解だな」

「だろう? だから――」

 びゅん、と風を切る音がする。金棒の先端が犬妖怪の眼前に突き付けられる。彼が頭の中で先程の音と金棒を結び付けるのに若干の時間を要した。気付いて、犬妖怪は顔面蒼白となった。

 角塚は死者を裁く常世の官吏が如く威圧的な空気を纏って尋ねる。

「どうしてお前はここにいる?」

「は? え、一体何を……」

 現在の状況も角塚の言葉の意味も理解出来ず、犬妖怪は一歩後退りをする。彼が二の句を継げないでいると、角塚の方が追い打ちをかける様に次の発言を行った。

「この集落に収容される妖怪は、近現代に誕生した新種と聞いた。つまり、最近辻の世界に来た者であっても、古い種の妖怪はここには入れられないってことだ」

「ね、姉さんはこの世界の生まれかい? 俺は――」

「近年の現世で『人面犬』と呼ばれる怪異が目撃された話は耳にしている。しかし、そもそも人面獣の妖怪はもっと古い時代から存在していた。にも拘らず、犬の肉体を持った者だけが特別に現代妖怪としてここに収容されている。違和感を覚えない筈はないんだよな」

「でも、現に俺はこうして――」

「お前、その形は偽物だろう」

 犬妖怪は硬直した。次の瞬間、角塚は金棒に妖気を込める。

「今、動揺したな。お前と奥に隠れている妖気の塊を繋いでいる糸が、一瞬表出したぞ」

 暫しの沈黙があった。その後にくつくつと低い声が響く。笑っているのは犬妖怪だ。

「いやはや、困った姉さんだ。素直に騙されくれりゃあ、良かったんだが。俺を外へと連れ出してくれたら、せめて苦しまない様に殺してやるつもりだったんだぜ。気を利かせて、可愛い系の姿に化けてみたりもしたのになあ」

 そう言いながら、犬妖怪は妖気を膨らませる。糸を伝って離れた場所にあった妖気の塊から、内包されていた霊魂が彼へと送り込まれているのだ。同時に、彼の形が崩れ肥大化して黒ずんだ肉の塊へと変じた。自分の背丈よりも大きくなった相手を見上げて、今度は角塚が笑う。

「どこが『可愛い系』なんだよ。まったく、生まれたての赤ん坊が生意気を言う。お前如きに害せる程、あたしは弱くはないぞ」

 角塚は歓喜した。最初に聞いた依頼内容通りの展開となった。これで漸く戦える。細々と頭を働かせるより、我武者羅に暴れ回る方が彼女の性に合っているのだ。相手と距離を取りながら、角塚は金棒を構えた。

 根斗集落の死霊を全て吸い尽くし、漸く全力を尽くせる形に成った黒き肉塊は、角塚を見下ろして嘲りの言葉を返した。

「前にこの街に来た老人も、きっと同じことを考えていたのだろうさ!」

 その言葉を合図として、肉塊は角塚へ向かって無数の腕を伸ばした。角塚は地面を蹴り身体を捻りながら、巧みにそれらを躱す。八尺もある巨体を彼等は捕らえられなかった。加えて、考え事をする余裕さえ角塚にはあった。

(生きた虫同士を殺し合わせて構成する呪詛を「蟲毒」と呼ぶのであったか? 仕組みは違うのだろうが、手順は奴等とよく似ている。年若い者が随分と古い遣り口を真似るのだな。否、どれ程長い時を経ようとも、万物の本質は大して変化しないということなのか)

 真実はどうあれ、彼等は所詮霊魂の寄せ集めだ。角塚の金棒には敵うまい。これは常世より持ち込んだ品。本来は死霊に懲罰を与える為の物なのだから。

 金棒に意識を割いた瞬間、角塚の脳裏に古い記憶が蘇った。彼女がまだ常世にいた頃、同僚にぶつけた言葉だ。


 ――死して尚、心改めぬ者達をどうして神々も御座すこの地に受け入れてやらねばならぬのですか? 汚れた魂はそれを生み出した現世に送り返すか、いっそ消し去ってしまえば良いのです。


 似た様な話は他の者にもした。しかし、同意してくれる者は一人もいなかった。結局角塚は常世の方針と相容れず、憤懣と失望の念を抱えて故郷を去った。そして、辻の世界へと流れ着いたのである。

(ああ、気分が悪い)

 角塚は不快な記憶を無理矢理に奥へと押し込める。そして、眼前の物事に意識を集中させた。単調な攻撃を避けながら、彼女は敵の直ぐ側まで迫っていた。見た目通りの身体の重さが邪魔になっているのか、肉塊は逃げる素振りを見せない。今ならどう動かしても金棒は相手に当たる。角塚は張り合いのなさに落胆しながら金棒を横に振り被った。

「消え去れ、悪霊共」

 次の瞬間、金棒が肉塊へと叩き込まれ、彼等は飛散した後に粉塵と化した。その粉塵が消え去ると、角塚はまた感覚を研ぎ澄ませて集落全体を探る。そして、自身の他に何者の気配も残ってはいないことを確認した角塚は、漸く身体の力を抜き、長い息を吐いた。



   ◇◇◇



 念の為、肉眼でも根斗集落を見て回った後、角塚は入口付近に戻った。霧の中で手を振りながら「戻ったよ」と告げると、外で待機していた役人は再び出入口を開いて角塚を出してくれた。

「如何でした?」

 開口一番に役人はそう尋ねた。角塚は内心では相手の性急さに吹き出したものの、顔には真面目な表情を貼り付けた。

「全滅だ。中で共食いをしたらしい。死霊達が一塊になって襲い掛かって来たから、悪いが退治させてもらったぞ」

「何とまあ……」

 役人は絶句する。予想通りの反応だ。角塚は相手が考えを纏めるまで待たなかった。仕事終わりに余計な提案をされては叶わない。

「で、ご依頼の件だが、常世送りはやはり止めてもらいたい。あんな怪物を次々放り込まれたら、彼方だって処理が追い付かなくなる。理が崩れる。かと言って、現状維持も難しかろう。現世との間に頑丈な壁を作るのが一番穏便な方法だが、範囲が広過ぎて現実的ではない。よって、私からの提案は二つ。『殺処分』か『返品』の何れかだ」

「困りましたね。現世へ返すとなれば彼方側の住人と軋轢が生じますし、処刑については倫理的な問題から難色を示す者も少なくないでしょうし」

「だが、ずっと今のままという訳にも行くまい。空になった牢獄も、また直ぐに満杯になる。多少痛みを伴うことになっても、別の道を進まなければ」

 両者とも無言の時間があった。やがて、役人は取り敢えずの返事を口に出した。

「そうですね。畏まりました。一案として上に報告させて頂きます」

「ああ、良い結果を期待してるよ」

「私もそれを望みます」

 社交辞令の様な遣り取りだった。けれども、問題はない。角塚の任務は既に完了した。後は十烏の仕事だ。少なくとも彼女自身は、根斗へ赴くこともこの役人と会うことも二度とないだろう。



 加己山駅で別れの挨拶を済ませ、角塚は汽車を待つ。その間、彼女は今日の出来事を思い出していた。終盤、役人の前で自身が語った自論を聞いて、角塚はふっと自嘲の鼻息を漏らす。

(あたしも、何百年経っても変わらないね)

 あの時だけではない。根斗集落の死霊達への対応についてもだ。彼等は消滅した。魂を失ってしまった。もう常世には行けない。

 角塚にも後ろめたさがない訳ではない。集落には罪なき者もいたのだから。しかし、安堵の方が強かった。大事を前にして小事を切り捨てた。役所の無慈悲な決定に嫌悪感を抱いていたのに、結局は彼女自身も似た様な判決を下したのだ。これで役人達を一方的に責められなくなった。否、彼女も漸く辻の世界に馴染んで来たのだと楽観視すべきであろうか。

 悶々としている内に汽車は到着した。角塚は思案するのを止めて車両に乗り込む。そうして、彼女は加己山を去っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ