前編
現世と常世の狭間に「辻の世界」と呼ばれる場所がある。人間と妖怪と神が共存する不可思議な空間だ。住民はこの地で起こった者や他の世界から移り住んだ者、移住者の子孫等、様々な来歴を持っており、今回の主人公――角塚桔梗は数百年前に常世より渡り来た移住者であった。種族は鬼。青い肌と藁色の髪、牛の物に似た角を持つ大柄な鬼だ。
ある日の正午、角塚は都の北隣に位置する「加己山」という街に遣って来た。現世よりも文化が遅れた辻の世界であるが、都付近には汽車に似た乗り物があり、それを利用しての移動だ。駅の改札を出ると地元の役人が一人立っていて、にこやかに彼女を出迎えた。
「角塚様で御座いますね。ようこそお越し下さいました。此度は――」
役人が挨拶を述べている最中、角塚は片手を軽く上げて彼を止めた。
「寒々しい前口上は遠慮願おう。あんたらと良好な関係を築きたいとは思わないし、築くべきでもない。本音を言えば、今回の依頼も受けるかどうか悩んだ位だ。多分、十烏の仲介がなければ断っていただろうね」
「十烏」とは、彼女が登録している職業紹介所の長だ。今日、角塚が加己山を訪れたのも、彼を介して引き受けた単発の仕事を処理する為であった。だが、彼女は今回の仕事にはやや不満があった
そもそも、角塚は公人の類とは余り関わりを持ちたがらない。辻の世界にとって余所者である彼女が、本来の住民達の生活や行く末を捻じ曲げてはいけない、という思いから自戒しているのだ。付き合いの長い十烏も彼女の信条は知っているので、普段は役所や役人が絡む仕事は持って来ない。だが、今回に限ってその不文律は破られた。恐らくは、そうせざるを得ない事情があるのだろう。彼女が渋々ながらも要請に応じたのは、単に十烏の顔を立てただけではなく、訳ありだと察したからでもあった。
しかし、角塚側の経緯を知らない役人は、相手の冷たい態度に戸惑っていた。
「然様、で、御座いましたか。畏まりました。それでは、道すがらお仕事内容だけお話させて頂きます」
扱いに困ったのか、少しばかり素っ気ない態度になった役人は、自分に付いて来るよう角塚に促す。こうして、二人は閑散とした大通りを歩き出した。
「十烏様より事前にお話があったと存じますが、改めて概要を申しますと、角塚様にはある集落を見て頂き、その上で今後の方針についての提案をお願いしたいのです」
角塚は首を傾げる。
「『提案』? あたしは『化け物退治』と聞いたのだが? 何でも、正体不明且つ乱暴者の怪異が暴れているとか」
「何と! いいえ、いいえ、とんでもない。集落の住民が襲って来る様なら、自衛として退治して下さっても構いませんが、我々としてはまずご意見を伺いたいだけなのです」
「成程、提供された情報に誤りがある訳だ。十烏の奴め……」
「十烏という男は時に知人を謀る遊びをする」とは噂で聞いていたが、角塚自身が被害に遭うのは百年近い付き合いの中でも始めてのことだ。またしても、彼は不可解な行動を取った訳である。これをどう解釈するべきか。
「にしても、『退治しても構わない』とは穏やかではないね。危険度は高くないが、問題児が存在するのは事実なのだな?」
部外者には公開出来ない裏事情があると推し量り、鎌を掛ける意図で角塚がそう尋ねる。すると、役人は暗い顔をして首を横に振った。
「いいえ、危険度は非常に高いです。そして、実は先程角塚様が仰った『化け物』も存在します。しかも複数」
「ううん? 分からんね。本当に退治しなくても良いのかい? 一応、準備は整えて来ているよ」
「ええ。切りがありませんので」
「ああん?」
勿体振った発言をしているが、役人の表情は真剣で、妖気にも歪さは表れていない。この言い回しは彼の癖なのかもしれない。素直に真実を聞かせてくれるつもりはあるのだろう。角塚は「まあ、良いや。続けて」と言って、役人に次の言葉を催促した。
「問題の集落――今は『根斗』と呼ばれておりますが、元は加己山の一部でした。しかし、現在は神々の手もお借りして集落の外周に結界を設け、出入りを制限しております。これは根斗集落を現世からの漂流者を捕らえておく牢獄とする為です。具体的には、近現代に誕生した新種の妖怪と人間のみを。この時期に生まれた者は凶暴で話が通じないことが多いそうで、有害か否かの判定を行わず纏めて放り込むよう、上より指示を受けております」
角塚は目を瞬かせる。
「人間もかい?」
「はい。今の現世では怪異は悉く迷信とされているそうで、辻の世界の不文律を平気で踏み荒らしてしまうのです。つまりは、彼等もまた騒乱の因で御座いまして。故に、大役所の決定を経てこのような措置を取らせて頂いております」
「何だかねえ」
小さく唸った後に角塚は足を止める。先導していた役人もその気配を感じ取って、立ち止まり振り返った。彼の顔には困惑の色が浮かんでいたが、果たして何に対しての感情であるのかは、角塚には分からなかった。
「おや、また話をぶった切ってしまったようだね。気にせず続けておくれ」
「はい。それで、差し迫った問題が御座いまして、根斗の人口は遠からず収容可能数の限界を超えてしまうのです。元より予測はされていたのですが、想定外の速度で現世から辻の世界への流入数が増えておりまして。どうやら、現世の人間社会の急速な発展が、越境増加や現代妖怪の急増に繋がっているらしく――」
「早急に次の方針を決める為に、色んな奴の意見を聞いて回っている、と」
「ええ、その予定で御座いますが、最初の方が角塚様なのです」
すると、角塚の口から苦笑の声が漏れた。
「ああ、成程。理解理解。しかし、現世か。これは人選が良くないかもしれんね。あたし、動き易さから今みたいに当代現世風の着物を身に着けることが多いんだけども、取り立てて現世に詳しいって訳でもないんだよね」
角塚は視線を落とし、自身の身形を確認した。彼女が来ている服は洋装の一種で「じゃあじ」という名前らしい。本来は仕事に赴く時に着るべき物ではないとは聞いたが、激しく動くなら少しでも身軽な方が良いと思ったのと、現世の風俗に詳しい者などそうそういないだろうと高を括って、彼女はこの服を選んだ。けれども、それは間違いだったのかもしれない。眼前の役人が元々持っていた誤解を更に悪化させてしまった可能性があった。
「他を当たった方が良い。知ってる奴だと誰になるか……」
宙を眺めつつ角塚は頭の中で知り合いの顔を浮かべ始めるが、役人は首を横に振る。
「いいえ、是非とも角塚様にお願いしたいのです」
「何?」
不機嫌である様にも聞こえるぶっきら棒な口調だった。役人はびくりと身体を震わせたが、口元を着物の袖で隠して説明する。
「その、大変申し上げ難いのですが、根斗の住人の中でも特に危険な者は常世送りにする案も挙がっているのです。角塚様は彼方のお生まれと伺いましたので」
空気が凍り付いた。会話が止まった。角塚の巨体から殺意の混じった妖気が溢れ出す。役人は冷や汗を流した。
辻の世界へ来た者の事情は様々だ。迷って帰れなくなった者もいれば、自発的に移り住んだ者もいる。角塚は後者だ。訳ありだったのだ。
だが、暫くして角塚は怒気を抑え、冷たい声で自身の思いを述べた。
「確かに気に食わんね。常世を塵捨て場扱いしていることも、肌に合わない古巣の話を持ち出されるのも」
「配慮が足りず、誠に申し訳なく存じます」
役人は深々と頭を下げた。
「まあ不愉快ではあるが、『常世からの移住者は現世の方よりも遥かに少ない』という話は耳にした覚えがある。他の者を、とは中々行くまい。状況は理解した。今後を考えると、十烏の顔も立てねばならん。引き受けたからには、仕事は完遂しよう。だが、あたしが常世で暮らしていたのはもう何百年も前の話だ。彼方の一員としての知識は余り期待しないでおくれよ」
「はい、飽くまで参考意見の一つとして伺っておきたいということですので」
緊張していた身体を緩ませた役人が顔を上げた所で、二人は再び歩き出した。
役人の話を聞きながら、角塚は周辺の様子を窺う。舗装された道、立派な建物、行き交う者の整った身形――都に隣接した街に相応しい景色だ。街の大きさの割に往来が少な過ぎることを除けば。恐らくは、根津集落が原因で住民が他所へ逃げてしまったのだろう。衰退が始まった街だ。加己山の役人としてはやるせない思いであろう、と角塚は察した。
◇◇◇
根斗集落は加己山の北端にあった。境界は神気を帯びた濃い霧に因って隔たれており、肉眼で中の様子を窺うことは難しかった。手前には膝の高さ程度の大きさの石が少し距離を開けて二つ置かれている。恐らくは入口の目印であり、結界の要なのだろう。
「ここが問題の場所か」
角塚は霧状の壁に顔を寄せて中を覗き込んだ。人間の物よりも遥かに優れた目が、内部の景色をぼんやりと捉える。ややあって、彼女は第一印象を簡潔に述べた。
「寂れた集落だね」
若干遠回しな表現だ。実際には「寂れた」を通り越し、最早廃村の様相であった。建物の数や密度は加己山と同程度だが、手入れが殆ど出来ておらず、所々が崩れ壊れて雑草が顔を覗かせている。それに――。
「住民の姿が見当たらないが? 人口爆発の話は何だったんだね」
「隠れているのかもしれません。以前、同様に住民の姿がないのを不審に思った役人の一人が確認の為に中へ入ったのですが、入るや否や四方八方から攻撃を受けて瀕死の重傷を負った事件がありましたので」
「はは、相当恨まれてるみたいだねえ。そりゃあ、知らない場所に迷い込んだ挙句、こんな場所に閉じ込められたんじゃあね」
嫌味を投げられた役人は表情を曇らせ「それは」と言った後に黙り込んだ。一応、罪悪感はあるらしい。角塚は思わずくぐもった笑声を漏らし、姿勢を正した。
「まあ、だとしてもちょっと様子がおかしい。妖気も人間の生気も感じられないのはな。皆無ではないが、やっぱり何か起こった後って気がする。念の為、確認した方が良いと思うのだが」
「話が通じない割に狡猾な者達ですので」
「罠かもしれないから、内部の確認は出来ないってか? だが、これじゃあ仕事にならないよ。あんた達が嫌ってんなら、あたしが行く。どうやって中に入るんだい?」
そう言いながら、角塚は道の端に置かれた石に近付いて行く。役人は直感的に、彼女が石を破壊するつもりであると気付いた。故に慌てた。
「お待ちを! 分かりました。役所に持ち帰って調査を要請します。ですから、どうか角塚様は――」
「あたしは今、中に入りたいって言ってるんだ。常世を離れて久しいが、生者と死者を見分ける力は衰えちゃいない。そのあたしが断言してやる。結界内部に生者はいないよ。妖怪、人間問わずな。残っているのは神力に阻まれて常世へと旅立てないでいる哀れな魂だけだ」
想定外の事態が続き、役人は口を開けたまま言葉を詰まらせた。次にゆっくりと根斗集落の方を向く。
「中で一体何が……」
遅過ぎる反応に苛立ち、角塚は態とらしく溜息を吐き捨てた。
「だから、それを調べる為に中へ入れろっつってんだよ。これ以上話を引っ張るなら、もういっそのこと、この結界は叩き割っちまうぞ」
角塚は鋭い爪の生えた無骨な利き手を横に伸ばした。すると、何処からともなく細長い金棒が現れてその手の中に収まる。続いて、彼女は見るからに重そうなそれを軽々と振り下ろした。金棒の先端は石の片方を指していた。役人は目を見開き、駆け出した。行き先は角塚が指し示した石の前だ。役目に忠実な役人は大切な結界石を自身の身体で庇いつつ、金棒に背を向け膝を折った。
「どうかお待ちを。今、入口を解放します。ただし、条件があります。無事の帰還を約束して下さい。それを確約して頂けなければ、中にお入れすることは出来ません」
一拍置いて、角塚はまた小さな笑声を響かせた。
「当然だ。あたしは常世に里帰りしたくて依頼を受けた訳じゃないからな」
「本当に、お願いしますね」
疑いつつも役人は覚悟を決め、震える声で短い呪文を唱えた。直後、前方の霧が一部分だけ薄くなる。役人は僅かに顔を強張らせ、地面に膝を付けたまま振り返った。無言だが、目で「本当に行くのか?」と訴えている。角塚は首肯で返事をした。そして、重々しい足音を立てて歩き出した。
角塚が境界を越えると、役人は彼女の背中に緊張が窺い知れる声を投げ掛けた。
「周辺地域の安全の為、結界は一旦閉じさせて頂きます。どうか、ご武運を」
角塚は立ち止まらず「応よ」と返した。間を置かず彼女の姿は濃霧の中に隠れ、役人からは見えなくなった。