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前編

 真夜中のことです。厳しい風がふきつけ、海岸を歩いていた青年アンディは、思わず身震いをしました。海の向こうの冷たい気配を、風が運んできたようでした。


 真っ黒な海面に目をやると、白い波がいくつも立って、見るからに寒そうなのです。アンディがくしゃみを一つすると、海はいっそう騒ぎ立て、彼をあざ笑うようでした。


 アンディがいるのは、故郷の遙か北にある異国です。彼はもう何ヶ月も前に、この国にやってきました。幼い頃に別れた父親がこの国に渡ったらしいと知って、探しに来たのです。


 父親の古い写真を手に、アンディはずいぶんいろんな場所を訪ねて回りました。都の酒場も、田舎の集落も、労働者の街も、図書館も、港町の人家も行きました。けれど、父親はまだ見つかりません。


 この頃は、アンディも諦め気味です。もうそろそろ、母親や友達が待つ故郷に帰ろうかと思っていました。けれど、大陸に帰る船が出る時間になるといつも、やっぱりもう少し探してみようかなと思うのでした。


 父親との思い出は、今では少ししか思い起こすことができません。父親は、アンディを抱き上げて、ぐるぐると振り回して遊んでくれました。アンディもその遊びが大好きで、何度もせがんだものです。また、父親は狩りに出るのが好きでしたが、あの頃アンディはまだ小さすぎたので、連れて行ってはもらえませんでした。朝早く、父親が狩りのための格好に着替えて、母親がこしらえたサンドイッチの包みと鉄砲を持って家を出ていくのを見送るばかりでした。そうして、夜遅くに帰ってきた父親は、キジやらウサギやら、時には大きな鹿やらをお土産に持ち帰ってくれたのです。


 けれど、ある朝いつものように家を出て行った父親は、もう戻ってきませんでした。


 海岸でぼんやりと昔の出来事に思いを馳せていたアンディは、人の気配を感じてはっと立ち止まりました。


 海に顔を向けて、しゃがみ込んでいる誰かがいます。その人はアンディに気づいていないか、気にも留めていないようです。毛布にくるまって、海の向こうを見つめていました。毛布の中から、細長い筒が顔を出しています。


 アンディはわざと足音をたてながら近づきました。

「あの……」

 声をかけると、海を見ていた人物は、くるりと振り返り、億劫そうに手招きをしました。側に寄ってみると、深い皺を顔に刻んだ初老の男です。やはりアンディをろくに見もせずに、海の向こうに目をこらしています。

「ここで、何をしているのですか?」

 思いきってアンディが問いかけると、男はうなるように答えました。

「トナカイを待っているのだ」

「トナカイ?」

 海でトナカイを待つとは、妙ではありませんか。

「十年以上前から追っていた、美しいトナカイだ。毛皮は純白で、おまけに銀色の見事な角を持っていてな。トナカイ達の首領ではないかと思っているのだ。」

 男はうっとりとトナカイのことを語りました。

「トナカイもさるもので、わしが罠をしかけても、鉄砲で狙っても、ちっとも捕まえることができない。仕留めることができないと、なおさら焦がれる気持ちが募る。おかげで今は、他の獣を捕まえる暇もない。わしの命があるうちに、あのトナカイを何としてもこの手で仕留めたいものだ」

「でも、どうして、あなたはこんな海にいるのです? トナカイとは、山や森にいるものではありませんか?」

「普通のトナカイなら、そうだ。だがあいつは違う。毎日、きっかり夜明けの瞬間にこの海岸に現れ、海を渡ろうとする。そこをわしは狙っている」

「海を渡る?」

 男は面倒そうに答えました。

「今朝、見ていれば、分かる」

 それっきり、彼はむっつりと口をつぐみ、また海ばかりをひたすら睨んでいました。アンディも何となく気になって、夜明けを待つことにしました。


 ただ待っているだけの時間は長く、退屈なものでしたが、アンディが何十回目のあくびをかみ殺し、うとうとしかけた頃、とうとう海の彼方から白が広がり始め、金色の光にじりじりと焦がされた夜空が赤く色づき、アンディと狩人のいる辺りも朝の気配に照らされ、狩人の鉄砲の先や手元がよく見えるようになりました。


 狩人が息を呑み、鉄砲を構えます。

「来た!」

 その言葉を聞いて、アンディは思わず振り返りました。


 雪のように白い、大きな獣が音もなく駆けてきます。獣はただ前方をまっすぐに見つめ、海岸を飛び越えました。その瞬間、狩人の鉄砲が轟音をたてて火を吹きました。


 けれど、トナカイはかすり傷一つ負った様子もなく、海面を軽やかに駆けて行きました。トナカイの足下に白い道ができて、海の向こうまでまっすぐに伸びています。


 全て、たった一瞬の出来事でした。狩人は悔しそうに拳を地面に叩きつけます。アンディは、走り去るトナカイを見送ることしかできませんでした。




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