37話
ジークの渾身の一発だった。
それをくらって、こんなにも早くアルドが復活してくるとは思っていなかった。
自分の意志と関係なく動く足。
歩くたび激痛が走り、痛くて力をかけきれていないのに歩くから、どうしてもグラつく。
何歩目かで、ついに倒れてしまい、したたかに肩を打った。
「ッ!」
「クソッ、コイツ、クソッ、クソッ」
倒れた目線の先に、アルドがジークを蹴っているのが見えた。
肩を負傷したのか、左手で右肩を抑え、服もところどころ破れていて、衝撃の強さを感じさせた。
「ぶっ殺してやるっ」
執拗に蹴っていたアルドは毒づき、ナイフを引き抜いた。
やめて、と叫びたいけど自由がきかない。
「ッッ!」
動けないながらも、もがく私に気がついたのか、アルドは顔をこちらに向けた
少しずつ空が明るくなる中、アルドの顔は形が変わったと思うぐらいに腫れあがっていて、片目は私の手が当たったせいなのか赤く染まり、双眸ギラギラとした目は狂気をはらんで見えた。
ナイフを握ったまま、ゆっくりと近づいてくるアルドに体がブルッと震えた。
「よう、黒子。チョロチョロと逃げ回るからこうなるんだ」
素振りもなくナイフが目の前に振り下ろされた。
倒れた勢いで散らばった黒髪の上に、そのナイフがザックリと突き刺さる。
「黙って言うことを聞いてりゃいいものをっ」
アルドはナイフを引き抜き、また突き刺した。
「どいつも、こいつも逆らいやがって、手間をかけさせやがるっ」
使えない右手の代わりに左手で突き刺すからか、繰り返されるその動きは粗雑で、今の一撃は私の鼻先に振り下ろされた。
「自由だ、平等だ、そんなもの、ありはしないんだ。人は人を踏みにじって、その上に生きてる、それが現実だ。
生まれ落ちた瞬間に、すべてが決まるのさ。平民は永遠に平民、貴族は腐っても貴族様ってな。バカでもアホでも貴族なら、なんでも許されるのさ。好き勝手、やり放題だ。それが世の中なのさ」
アルドの話に、不思議と納得してしまう所もある。
私も、来訪者ということで奇異の目で見られてきたし、差別されてきた。
どこにいても、差別はなくならないのかもしれない。
でも、身分は違う。
身分は、人が作り出した格差でしかない。
「そんなことない、身分のない世界もあるよ」
アルドの憤慨に、昔、生きていた世界を思い出して声をあげた。
「なんだぁ?アンタ、殺されてーの?」
ナイフ片手に、グイッと顔を近づけてきた。
ブルブルと首を振りながら、
「わ、私の、いた世界には、貴族制度はなかった。だから、」
かすれ声で答えると、アルドは意外にもナイフを下して聞いてきた。
「じゃぁ、なんでここには、貴族がはびこってんだ?」
「それは、」
そんなの、知らない。
貴族にとって都合がいい世界ということなんだろう。
でも、一般の人の民意が大きくなれば、それも変わるはず。
元の世界で習った知識では、革命が起こって人権が重視されるようになって、王政が廃止されたんじゃなかったかな。
「結局、あれだろう。甘い汁を吸いたい、貴族が多いんだな」
自分の考えに納得するように話すアルドに、ユースフェルト公爵が頭に浮かんだ。
ジークいわく、もともとは違ったみたいだけど、やっぱり人は大きな富には弱くなってしまうのだろうか。
「だから小物も力を持たなきゃ生きていけないんだよ。
奴らから、おこぼれを貰って何がいけない?そうだろう。取られるなら、取り返せばいい。簡単なことだ」
違う風に納得してしまったアルド。
違うと言いたいけれど、目の前のナイフと散らばる無残な黒髪に躊躇してしまう。
「そういや、アンダ。特別な力を持っているんだろう。
黒子だもんなぁ。王子の魔力抑制って聞いたけど、抑制があるなら、拡大ってのもあるんじゃねーの?」
不意に体全体がラクになった。
つい先ほどまでの憤慨は気持ちが薄らいだのか、人形魔法を解いて聞いてきた。
「そんなの、ない。持ってないよ」
半分起き上がりながら答えた。
足も体も、そこら中痛いところだらけで、それに加えて人形魔法のせいで気分も悪い。
「ウソ、言ってんじゃねーぞ」
押し殺した声と突き付けられたナイフに、驚いて仰け反ると仰向けに倒れてしまった。
「なワケねーよな。王妃が言ってたぜ。黒子の女はそういう力を持っているって。王子とヤレばそれでいいんだって。あぁ、そうか」
アルドの目が細められ、私の体を見た。
一瞬にして身の危険を感じて、起き上がって逃げようと体をよじったけれど、上からのしかかられた。
「試してみればわかるってなぁ。ハッ、あんたも宮殿に行って高貴な分際になったんだったな」
「なって、ないっ」
逃げようともがくけれど、うつ伏せになった背中にアルドの熱い体が覆いかぶさる。
「黒子は特別な存在だ。別の世界じゃ知らないが、こっちじゃアンタは、王族と同等の身分なんだぜ。羨ましいねぇ、望んでもなれるもんじゃねー。そんで、俺は、その高貴なお前を犯すんだ。ククッ、たまんねー、ゾクゾクするぜ」
スカートを捲し上げるように腰から太腿へ手が這い、うつ伏せ状態の首筋に嫌な息がかかり、全身に怖気がたった。
「イッ、イヤッ」
「逃げんじゃねー。魔法をかけるぞ、いいのか?」
私の後ろ髪を鷲掴まれ、強く引っ張られた。
力の強さに勝てるはずもなく、抗う力ももうない。
悔しくて、悲しくて涙が滲む。
「はぁ~、いいね。その顔ソソる」
そう言うと私の首筋を、ベロッと舐めた。
「ヒッ」
下腹部に触れる汗ばんだ指の感触や嫌な汗の匂いに、全身の毛穴が総毛立った。
「いやぁぁぁぁぁぁー」
突然、木々が大きな唸りをあげて、突風のような強い風が吹き下ろしてきた。
ザァァーッと、叩きつけるような強い風に息がつまりそうになった次の瞬間、上から抑えられていた拘束がなくなった。
強い風にアルドが吹き飛ばされたのかと思い、私も飛ばされないように体を膠着させた。
けれど、不意に体が浮遊感に包まれた。
強い風に吹き飛ばされたのではなく、誰かが私を優しく包む。
「ナツ」
頬に触れる人肌の温もりと心地よく伝わってくる心音、そして私の名前を呼ぶその声で、すぐに誰か分かった。
待ち望んでいた人に会えた嬉しさから、縋りつくようにしがみつくと、優しく包む腕にも力がこもった。
その力強い腕の感触はとても暖かで頼もしく、それまで胸にあった恐怖や不安がすべて消し飛んでいった。
「ルイ・・・」
ルイに会えた安堵感に涙が滲む。
(あぁ、やっと会えた!)
会いたくてたまらなかったルイにやっと会えた。
ルイの指先が、私の頬を優しく撫でる。
目を開けて見上げると、顔前にルイの顔があり、コツンと額が触れた。
「よかった無事で。よかった」
ルイの口から絞り出すように零れた言葉に、胸が締め付けられる。
少し前に私の死を押し止めて、数時間後にはこんな状況での再会なんて、どんな気持ちでここまで来てくれたのかと思うと本当に申し訳なくて、胸が痛くなる。
後者は自分で望んだことじゃないけれど、心配をかけたのだから同じことだろう。
「心配かけて、ごめんね」
「いや、いいんだ。よく頑張ったな、ナツ」
少し顔を離して、私の目をジッと見て、ルイは言った。
よく頑張った、その言葉がジンッと沁みる。
笑顔を作りたいのに、胸に込上げる思いに、とうとう涙が溢れてしまった。
今の私の顔は汚れて、ぐちゃぐちゃで目も当てられない状態だろうと思う。
でも、涙が止まらない。
ルイが、私の背中を優しくさするように抱きしめてくれる。
(あぁ、私、戻ってこられたんだ、ここに)
世界で一番、安心できる居心地のいい腕の中で、金色の長い睫毛に縁どられた、私を見つめる碧い瞳を見つめた。
(ルイ、世界で一番大好き)
もう離れたくない。
ずっと、ずっと、一緒にいたい。
ゆっくりと近づく瞳と甘い吐息。
「ウォッホン」
耳元で、咳払いが聞こえた。
驚いて、キョロキョロと周りを見た。
空が白く輝き、夜が明けていく中、ザザッと木の葉を揺らす音だけが聞こえる。
「副隊長。そういうのは、終わってからにして下さいよ」
また声が聞こえた。
私とは対照的に、ルイは口を真一文字に結び、目を細めた。
「状況は?」
「片付いた。殆どマティリスが、片付けていたんだけど」
その声に、マティリスが無事だったと分かってホッとした。
詳しくは分からないけれど、これは魔法だと感覚的に理解した。
「あの、マティリスは大丈夫ですか?ケガ、してませんか?」
「あー、ぜんぜん、大丈夫。ピンピンしてるよー」
私の呼びかけに、声の主は少し躊躇したけれど、すぐに返事を返してくれた。
「でも、こっちはなぁ、ダメだなぁー」
「えっ」
聞こえてきた言葉に、ジークを連想して驚いた。
「死んでないだけマシかぁ。あばら、イッちゃってるなー。どんだけの力で蹴ったんだよ。大事な証人なのに、もうちょっと手加減、」
ふっと声が聞こえなくなった。
「ルイ?」
「問題ない」
そう答えるルイだったけれど、
「問題なくなーいっ」
今度は、声が遠くから聞こえてきた。
声の方を見ると、木々の間から少しクセのある赤茶色の髪をした男性が、気を失ったアルドの後ろ襟を掴んでズルズルと引きずって近寄ってきていた。
「死んでたら、どーすんの。事件の生き証人なのに。レッド・ウィドウの居場所も、ユースフェルト公爵の行方も分かってないのにっ」
ユースフェルト公爵と聞いて、イゴが頭に浮かんだ。
安心して、すっかり気が抜けてしまっていた。
(あれからイゴは、どうなっちゃったんだろう。ジークも)
「ルイ。ジークが酷いケガをしてて、イゴも腕を切られて、」
「大丈夫だ、ナツ。すぐに救助部隊が来る」
その言葉で、色々な疑問が浮かぶ。
(救助部隊?ルイは救助部隊じゃないの?そもそもルイは、どこから来たの?)
言葉にしなくても、私の顔を見て察したのかルイは上を指さし、
「俺たちは、空から来たんだ」
そう言った。




