3話
(大変なことをしてしまった)
ぐるぐると後悔しながら、黒い髪の男の子に手を引っ張られながら走る。
時折、振り返る男の子の翆の目を見るたび、分かっていたのに、やっぱり黒色でなかったことに、ガッカリしてしまう。
全く似ていない、ただ黒髪で11、2歳の男の子ってだけで、つい弟を思い出して手を掴んでしまった。
おまけに、魔力を使ったせいで、体に反動がきてる。
すごい疲労感。
「あの、ちょっと、その、先の、角を、右に」
「了解」
疲れた体を懸命に動かして、ゼー、ゼー、言いながら口にする言葉を言い終えないうちに、返事が返ってきた。
(若いっていいわぁ、こんな坂も大したことないのね。反動がきてるとはいえ、私なんて、ついていくだけで精一杯なのに。はぁー、しんどぉー)
やっとの思いで店まで帰ってきた。
ハァ、ハァ、ゼー、ゼー、言ってる横で、何食わぬ顔で立っている男の子の顔をマジマジと見た。
ビックリするぐらい綺麗な顔立ちの男の子だ。
さっきの男達は、きっと人買だったんだろうと、男の子の顔を見て確信した。
「私はナツと言います。あなたの名前は何と言いますか?」
一瞬、困ったような顔をしたけれど、すぐに真顔に戻り、ルイ、と小さな声で答えてくれた。
これからの事を考えると、色々と話をしたかったけれど、もう体力の限界だ。
店のカギを開けて、店内に入った。
お腹が空いているかもしれないと思ったので、厨房の物は好きに食べていいと伝え、疲れているかもしれないので、2階の部屋で休むようにと、案内もした。
でも、急に助けたり、優しくしたりして、逆に不審に思われているかもしれない。
だとしたら、すぐに出て行ってしまうかもしれない。
でも、それならそれでいいのかも、と思った。
(この世界で、私1人生きていくだけで、いっぱいいっぱいなのに。誰かに手を差し伸べるなんて、なんてこと、しちゃったのかしら・・・)
今から後悔してもどうしようもない。
自分の部屋に入ると、すぐに魔法を解いてベッドに倒れ込んだ。
首にぶら下げた小袋から魔石を取り出し、枕もとに置く。
「もう、ダメね。新しい魔石をなんとか手に入れなくちゃ」
目を閉じると、すぐに眠りに落ちてしまった。
3年前、私は異世界にやってきた。
学校からの帰り道、駅からの道を歩いていた時、勢いよく走ってきた車を避けようと、壁と電信柱の間に体を滑り込ませた、その次の瞬間、私は別世界に立っていた。
見たことのない建物、見たことのない景色。
そして、自分のそれまでいた世界ではありえない様々な鮮やかな色彩の人々が目の前を往来していた。
赤い髪の人や緑の髪の人、灰色の瞳の人や青い瞳の人など、見たことのない色彩の人達ばかり。
そして、皆やたらとデカかった。
小柄な私からすると、誰もが巨人のように見えた。
そんな中にポツンと自分1人だけが、黒かった。
この世界に、黒い瞳を持つ人はいない。
今の生活に落ち着いてから、自分なりに色々と調べて、知ったこと。
遠方の国で黒髪、翠の目の色の人がいるらしいけど、少数の民族だとかで、私は見たことがない。
だから、同じ黒髪を持つルイを見た時、衝動的に動いてしまった。
異世界に来た時、私はとても珍しい存在として、その町の領主セデルグレーン伯爵に保護された。
伯爵は、始めは来訪者が来たと言って大歓迎してくれたけど、私が何も知らない只の学生だと知ると、手のひらを反すように冷たくなった。
その後は、私をどのように扱っていいのか困っているようで、ハッキリ言って放っておかれた。
でも、息子のマティリスだけが、私を気にかけ、親切にしてくれた。
彼のお陰で、私はこの世界のことを知る事が出来たし、この世界で当たり前にある魔法道具についても、知る事が出来た。
でも、知っても、どうにもならなかったのが、魔力だった。
この世界の人は、誰でも生まれながらにして魔力を持っている。
力に個人差はあるけれど、持っていない人はいないので、生活の中のありとあらゆる道具は魔力を使って動かす構造になっていた。
道具の動力として使われているのが魔石で、それを動かすスイッチが、自分の魔力という仕組み。
だから、魔力を全く持っていない私は、全ての道具を使う事が出来なかった。
そんな私に、自分の大切な魔道具の1つである魔石をくれたのがマティリスだった。
魔石の魔力を引き出して、自分の魔力として使えば道具も使えるだろうと言われたけど、引き出すだけで、私にはもの凄く大変だった。
魔力がないから、引き出す術語を唱えなければならない。
それを覚えて、集中して唱えて、引き出した魔力で道具に触れる、ただそれだけなのに、なかなか出来なかった。
おまけに魔力のない私の体は、魔力に対しての耐性がないので、すぐに疲れてしまう。
初めの頃なんて、気絶して何度も倒れていた。
今は、随分とマシにはなったけど、それでも、大きな魔力を使うと疲労感が半端ない。
そんな日々が数か月ほど続いた頃、マティリスが魔法騎士になるべく王都へ行ってしまった。
その日から、私の生活は急変してしまった。
マティリスがいなくなって暫くすると、食事も部屋の掃除もだんだんと滞るようになって、屋敷の中の誰もが、私という存在を無視するようになった。
私はたまりかねて、伯爵へ謁見をお願いしたけど、返事すらもらえなかった。
状況が悪くなっていく中、伯爵が明らかに私を厄介払いしようとしていると感じたけれど、自分で外に出て行く勇気はなかった。
この世界の人は、大きくて多彩な色彩をしている。
そんな中で、私だけが小さくて黒い。
汚点のような黒は、黒子と呼ばれ、人々の奇異の目を惹きつける。
屋敷の中でさえジロジロと見られる存在なのに、外になんて怖くて出れなかった。
それなのに、外に出て、自分で生活をしていくなんて、どう考えても無理だった。
だから、その手助けをしてもらえないかと頼みたくて、何度も謁見をお願いしたけどダメで、結局、着の身着のままで、屋敷を出ることになってしまった。
1人、部屋を出て、外に出るまで、可笑しなくらい誰にも会わなかった。
それくらい、私は無い者として、無視されていたようだった。
それから、今のこの「カフェ アルバ」に落ち着くまで、本当に大変で、苦労の連続だった。
何のツテもない黒子の私が、それでも何とか出来たのは、マティリスがくれた魔石があったから。
この魔石で、苦労したけど、姿を変えることが出来るようになって、ローサさんに出会えていなければ、今頃、本当にどうなっていたか分からない。
この先、きっと会うことはないだろうけど、もし、マティリスに会うことがあったなら、心からのお礼を伝えたいと思う。
フッと、目を開けた。
懐かしい恩人の顔が思い浮かび、胸にじんわりと熱いものがこみ上げた。
でもすぐに、今日の出来事が蘇り、勢いよくガバッと起きた。
部屋は薄暗く、長い時間眠っていたようだ。
魔力を使った反動の疲れもなくなり、体調も良くなっていて、枕もとに置いた魔石を小袋に入れ述語を唱えて、いつもの中年女性に変わった。
部屋を出て、隣の部屋の様子を見ようとドアをそっと開けてみたが、誰もおらず、ベッドも使われた様子はなかった。
(やっぱり、出てっちゃったかな)
そのまま1階へ降りると、カウンターに人影を感じ、カウンター上のライトを薄く点けて近づくと、テーブルにうつぶせて眠るルイがいた。