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27話


 七海。

 私の本当の名前。

 この世界で、この名前を知る人は少ない。

 しかも、その名前で呼んでくれる人は1人しかいない。


「マティリス」


 振り向くとマティリスが、そこに立っていた。

 数年前と比べると、垢ぬけて気風の良い風貌になっていた。


(何故、彼がここに?)


 虚を突かれて、ただ彼をじっと見つめてしまう。


「七海、あぶないから。こっちに戻ってきて」

「なぜ?」


 考えて、すぐに分かった。

 どうして彼がここにいるのか。

 どうしてここに入れたのか。


「落ちてしまうだろっ」

「違うわ、飛び立つのよ」

「何を、言ってるんだ」

「貴方は、私を利用する側の人でしょう」

「違うよ、助けにきたんだ」


(そんな話、誰が信用するもんか)


 体の向きを変え、今度こそ、と思ったら、


「ルイス副隊長が、下で待っているんだ。だから、一緒にここから出よう」

「下には、誰もいないわ」


 眼下を見た。

 薄暗い中に、人がいれば明かりを手にしているはずだからすぐに分かるし、明かりを持っていなくても月明かりで人の動きくらいは分かる。

 でも、動く人も誰もいない。


(騙すにしても、もうちょっとマシなことを言えばいいのに)


 ルイも、そっち側の人だったのかと思うとズキリと胸が痛んだ。

 でも、それでもいいと思った。

 2人で過ごした穏やかで楽しい日々は間違いなくあったし、その日々の中で私は幸せだった。

 後ろを振り向き、笑顔を作った。


「そうだ、マティリス。貴方に、お礼を言わないとって、ずっと思っていたの。前に魔石をくれたでしょう。

ありがとう。あの時は本当に感謝していたの」


(今は、くれなければ、とさえ思っているけどね)


 再び、夜空を見上げた。

 明るい三日月が、私を導いてくれているようだ。


「嘘じゃない。本当に助けにきたんだ、七海」

「ナツッ」


 マティリスの声と一緒に、大好きな声が聞こえた。

 聞いただけで、その声が誰か分かってしまった。

 でも、もうやめて。

 私を、自由にさせて。


「ダメだ、ナツ。こっちへ、戻ってこいっ」


 後ろ髪を引かれて、飛び出せない。


「なぜ? どうして戻らないといけないの? 

ここには私の居場所なんてないのに。私はモノと同じ。

利用するために、都合よく使われる。

誰も私を見てなんかいない。それなのにどうして戻らなくちゃいけないの? 

もうイヤなの。うんざりなのっ。この世界も、この黒い髪も、私自身も、何もかもっ」


 最後は、殆ど叫んでいた。

 ずっと、ずっと、胸に溜め込んでいた思いを叫ぶようにぶちまけた。


(そうよ。何もかも、どうだっていい・・・)


 グラリと体が揺れた。

 疲れた体が悲鳴をあげている。


「ナツ! ダメだ、行くんじゃない、俺を、俺を、置いていくなっ」


 ルイの叫びに、グワッと胸に怒りが込み上げた。

 たたらを踏みつつも踏ん張って、怒りに任せて、振り向いて叫んだ。


「何を言っているの? ルイは私を見ていなかったじゃない。私を、私を、いないモノのように無視したじゃない。

ルイも私を利用したいだけでしょう。私はもう、誰も信じないっ」


「違うっ。あれは、あの場では、出来なかっただけだ。

ナツを救う為に、俺のもとに取り戻す為には関係を知られるわけにはいかなかったんだ」


「言い訳なんか聞きたくない! 私はこれから飛び立つのよ、邪魔しないで!」


「ナツがいくなら、俺も一緒に飛び降りるっ」


 思いがけない言葉に、食い入るようにルイの顔を見た。

 ルイは、真っすぐに私を見返してきた。

 その目は真剣で、瞬きを忘れたかのように私をジッと見ていた。


「・・・どうして、そんなこと」

「決まってるだろ。ナツが好きだからだ。ナツのいない世界に、何の意味もない」

「嘘よっ」

「嘘じゃない。ナツがいなくなったら、俺は1人だ」


(どうして? どうして、私がいなくなったらルイが1人になるのよ)


 涙が溢れてきた。


「そんな訳、ないじゃない。どうして、そんなこと言うの。もう、やめて、引き止めないでよ・・・、もう自由にさせて。私を、惑わせないで!」


 涙が、流れ落ちた。

 あと一歩で、すべてが終わるのに。

 ルイが、私を見ている。


(このまま大好きなルイの顔を見ながら、落ちてしまおうか)


 そんな思いが浮かんだ。

 背中から落ちれば、最後の瞬間までルイを見ていられる。


「ナツ・・・、七海っ」


 苦しそうに顔を歪めて、ルイが私の名前を叫んだ。

 それを見た瞬間、心に楔を打たれたように動けなくなった。


「どうして・・・引き止めるの」

「七海、俺のもとに、戻ってこい」


 ルイが私にゆっくりと近づいてきて、両手を広げた。


「ルイは、この世界の人でしょ。私がいなくなったって、1人になんか、ならないわ」

「俺には、君のいない世界なんて、何の意味もない」


 月光に照らされたルイが、すぐ傍にまで来た。

 私を見る、ルイの瞳が光っている。


(泣いている? ルイが?)


 特務隊の魔法騎士であるルイが。

 侯爵であるルイが。

 私なんかより、ずっと大きくて、すごく強いルイが泣いている?

 どうして・・・


「私は、黒子だわ」

「だから?」

「他の人と、違うの」

「だから?」

「この世界の人間じゃないわっ」

「七海は、七海だろう。俺の大好きなナツだ」


 真っすぐに私を見るルイから、目が離せない。


 こんな私を。

 涙でぐちゃぐちゃになった私を。

 誰も見てくれない私を。

 ルイは、大好きだ、と言うの?


 とめどなく涙が流れ落ちて、体からガクンと力が抜けた。


「ナツッ」


 倒れ込む私をルイは、力強く抱き止めた。

 宵闇市で私を探しにきてくれた、あの時と同じ、この世界で一番安心する腕に私は抱きしめられた。


「ルイ・・・」


 馬鹿みたいに、しがみついた。

 ずっと、ずっと、会いたかった。

 会いたくて、しかたなかった。


 だけど、終わりにもしたかった。

 全てのしがらみから、解放されたかった。

 それなのに。


 それなのに、ルイとの繋がりだけは、断ち切れなくて・・・


「うっ、うぅ・・・」

「よかった、ナツ、よかった」


 泣きじゃくる私を、ルイがまた強く抱きしめた。


「どうしてよぅ・・・」

「言っただろう。君のいない世界に、何の意味もないって。俺はナツが好きだ。七海が大好きなんだ」


 見上げる先に、ルイの顔があった。

 優しく笑う、その瞳に涙が光っていた。


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