24話
(あれ? 私、どうしたんだっけ?)
目を開けると、目の前に大理石が広がっていた。
美しく磨き抜かれた大理石に、天井のシャンデリアの明かりが映りキラキラと光っていた。
ぼんやりと、キレイだな、と思いながら眺めていた。
が、何故か視界が狭い。
瞬きをすると顔全体がヒリヒリと痛み、頬に伝わる大理石の冷たさがやけに心地よく感じた。
ぼんやりとしていた頭が、だんだんと鮮明になってきて、ハッと気がついた。
「なぜ私が、あんな下賤な女と。私は王子だぞ、それなのに母上は何を考えているんだ。もうすぐ公爵の娘と婚姻するというのにっ」
ぶつぶつとした声が、後ろから聞こえてきた。
でも、ワーンと耳鳴りがしていて、上手く聞き取れない。
そちらを見ようとして動いたら、右肩に痛みが走り、顔全体もひどく痛みを感じた。
「うっ」
痛くて、呻きが漏れた。
(あぁ、そうだ)
記憶が蘇ってきた。
第二王妃マレージアのお願いで、ライアン王子のお見舞いに向かった。
王子の持つ大きな魔力に影響があると言われたけれど、私自身もともと魔力がないので、マレージアの言葉じゃないけれど、恐らく影響はないだろうと考えていた。
とはいえ、本当のところはわからないので、おっかなびっくりな気持ちで、お見舞いという挨拶を済ませたらすぐに退室するつもりで王子の部屋に入った。
入室すると王子は、大きなソファにしなだれかかるように座っていた。
マレージアと同じ藍色の長めの髪が頬にかかり、少し憔悴したように見えるその姿は、1枚の絵でも見ているかのように美しかった。
その部屋に入ってから、少し時間が経った。
けれど、入った時のまま、まるで時間が止まったかのように、誰も何も言わない。
案内のメイドも、何も言わず控えるように立っている。
だんだんと焦りのような思いが大きくなってきて、
(どうしたらいいんだろう。私から何か言うべき?)
頭の中で逡巡していると、
「お前、こちらへ」
顔を上げると、王子が私をまっすぐに見ていた。
クリスタルのような、その瞳からは、何の感情も読み取れなくて、得体の知れない怖さを感じた。
それでも、お見舞いに来たのだからと、気持ちを奮い立たせて、王子の側に近寄ると、
「来訪者ナツ様、膝をついてくださいませ」
後ろから、付き添ってきたメイドに耳打ちされた。
エッ?、と思って振り返ろうとしたけれど、すかさず、
「王子の御前でございます」
そう言われて、王子の前に跪いた。
上から見下ろしてくる王子の視線に、言うに言われぬ恐怖心が刺激される。
「何用だ」
「お見舞いに伺いました。ライアン王子のお加減がよろしくないとお聞きしましたので。お体の具合は如何ですか?」
話が通っているとばかり思っていたから、用向きを聞かれるとは思っていなかった。
でも、早くこのお見舞いという用事を済まして、ここから出たい一心で言葉を綴った。
目線の先に、王子の握りしめられた手が見えた。
でも何故か、ブルブルと震えていて、
(怒らすようなこと、言ったかしら?)
そう考えていると、
バンッ!
もの凄い音?というか衝撃がきて・・・・・、今に至る。
どうやら私は王子に叩かれて、吹っ飛んだみたいだ。
王子の座るソファの下に敷かれた大きな厚みのあるラグから大きく外れて、自分が倒れているんだもの。
だんだんと状況が掴めてきたけれど、顔を含めた体全体が痛くて堪らない。
起き上がりたくても、起き上がれない。
「ライアン王子、これは、いったい、どうされたのですか?」
誰かの声が聞こえてきた。
「マティリスか。ちょうどいい、そこのゴミを片付けておけ」
「あっ、な、なんてことを」
「当然の報いだ。浅はかな下心で私に近づいて来たのだからな」
「そんなはずはないでしょう、彼女は」
「何が違う。母上の差し金なんだぞ。新しい女の来訪者が現れたと嬉々として騒いでいたじゃないか。見舞いなどと小賢しいウソまでついて。こんな女に本当に魔力抑制の力などあるはずがない。あったとしても、何故、私がこの女と契らねばならんのだ。クソッ、気分が悪い、早く運び出せ、目障りだっ」
王子の罵声が響く中、声の主が私を抱き上げようと体の向きを変えた。
その瞬間、激痛が身体中に走った。
強い痛みに歪ませた目の先に見えたのは、懐かしい人の顔だった。
驚きと一緒に込み上げた涙、その名前を言おうとしたら、彼の手が近づいてきて私の頬に触れた瞬間、私は気を失ってしまった。
「ククッ、珍しいものを手に入れた」
「ほぉ、来訪者だ。本当に髪が黒いんだねぇー。こっちを向け。目を開けろ」
コツかれ、顎を掴んで上を向かされた。
薄く目を開け、見上げる先に見えるのは貧相な男2人。
「コイツを売れば、金になる」
「来訪者は英知を持っているんだろう。だったら、報告しなきゃいけないんじゃ」
「コイツには、ナイみたいだ。持っていたら、こんなところにいないだろ」
「確かに、そうだ。なら、あっちの方も珍しい手練なのかな」
「手は出すなよ。高く売るには生娘が一番いいんだ」
「でも、本当に生娘かどうかなんて、わからねーんじゃないか?」
薄汚い顔が近づいてくる。
顔を左右に振り拒否するが、ガッと肩を掴まれた。
ゾワッと怖気が立ち、力いっぱい突き飛ばして走り出した。
「捕まえろ」
「逃がすな、回り込め」
早く走って、もっと遠くへ逃げたいのに、足が上手く動かない。
泥濘にハマったみたいに、どんどん重くなって、走れなくなってきた。
すぐそこまで男達が追い付いてきて、叫び声を上げようとしたけれど、喉がつっかえて声が出ない。
(イヤだ、イヤだ、イヤーっ、誰か助けて、誰か、誰か。助けて、ルイッ)
もがくように先を見ると、ルイの後ろ姿が見えた。
(ルイだ、ルイが助けに来てくれた!)
懸命に走る。
それなのに、なかなか追いつけない。
遠ざかる背中に、手を伸ばす。
(あー、待って、行かないで、ルイ。お願い、待って、ルイーッ)
「ッ!」
自分の叫び声にもならない叫びに、パッと目が覚めた。
イヤな夢に、ドッ、ドッ、ドッ、と心臓の音が大きく聞こえ、ハッ、ハッ、と激しい息が出ていた。
見上げる薄暗い空間。
自分の置かれている状況を探ろうと、体を包む感触から、大きな柔らかいベッドに寝かされているのが分かった。
瞬間、他に誰かいるのかと緊張が走ったけれど、人の気配はなかった。
念の為、体に異常がないか触ると動かすだけで、体中が軋むように痛かった。
ドレスは着替えさせられ、ナイトドレスに変わっていた。
「うぅ」
起き上がって周りを見ようと体を動かした。
けれど、あちこち痛くて呻き声が漏れ、側臥位にベッドに横たわった。
顔も熱くて、シーツに触れる頬が痛い。
それでも、何とかして起き上がり、ベッドの横に腰かけた。
枕元の両サイドに淡くランプが灯され、腰に括り付けていたカバンが置かれていた。
痛みに耐えながら、ゆっくりと近づき中身を確かめると、魔石を買う為に持っていたお金や、集めた魔石のカケラが、全部そのまま入っていた。
何も無くなっていない、そのことが、逆に不安を搔き立てた。
薄暗さに目が慣れてきて、周りが見えるようになってくると、この部屋は、公爵邸の部屋よりも広く、豪華な部屋だと分かった。
また、自分の意思に関係なく、連れ回され、進んでいく事態に溜息が零れ、項垂れてしまった。
窓から差し込む月光を受けて、明るい光を放っている鏡が、目に入った。
隣の部屋に置かれている、その鏡の側まで足を引きずるようにして移動した場所は衣装部屋のようだった。
その部屋に入ると奥にも大きな姿見鏡があり、そこに映る自分の顔を見て言葉を失ってしまった。
熱くて痛いと思っていたけれど、これほど酷いとは。
腫れあがった左頬。
右頬も、床に打ち付けられたせいで腫れ、擦り傷がついている。
ナイトドレスをたくし上げて、体全体を映してみた。
すると、右肩に痣が出来ていて、腫れあがっている。
腰から右足の太股、ふくらはぎの側面にかけては、痣が縦に広がって出来ていた。
「はぁ」
力が抜けて、横に置かれていた丸椅子に崩れるようにして座った。
その途端、悲しいのか悔しいのか、分からないけれど、ぐちゃぐちゃな感情がそのまま涙になって溢れてきた。
次から次へと頬を伝う涙が傷に沁みて、その痛みで余計に涙が溢れた。
腫れた顔で泣くから、不細工な顔が余計に不細工になって鏡に映った。
その顔が、滑稽でばかばかしくて、泣いているのに笑いが込み上げてきて、暗闇の中、1人で声をあげて笑ってしまった。
どうして、こんな目に合わなくちゃいけないんだろう。
私が何をしたっていうの?
マレージア様に言われて、お見舞いに行っただけなのに、急に殴られるなんて。
私だけの特殊な力なんて、あんなに大袈裟に言っといて、とどのつまり、あの王子とエッチをしろって事でしょ。
ありえないっ!
なんで、それが魔力抑制なの?
ただの理由づけじゃないの?
どうして、いつもこんな目にあわなくちゃならないよっ。
私はただ、穏やかに安心して暮らしたいだけなのに。
どうして、みんな邪魔するのよっ!
もう、イヤ、ここに、いたくない。
家に帰りたいよ。
頭にルイの顔が浮かんだ。
「ルイ」
祈るような思いで名を呼ぶと、胸がギュウッっと痛くなった。
広場でルイの本当の姿を知った時、私は否定するみたいに泣いてしまった。
自分のことばかり考えて、ルイの言葉に耳を傾けなかった。
(こんなことになるなら、ちゃんと聞いておくべきだったな。ルイの話を・・・でも聞いたところで、何か変わっていたのかな?)
ルイは、特務隊の人だった。
私の側にいたのは仕事の為だったみたいで。
何が正解か分からない。
でも、来訪者は王宮で保護される人、という在るべき場所に私はいるのだから、この先ルイが私に関わることはないのかも知れない。
(そうよね、私がここにいるんだもん。彼の仕事はきっともう終わりで。会うことも、なくなっちゃうのかな)
そう思うと胸が締め付けられるように苦しくなった。
胸に蘇るのは、ルイと暮らしたあの時間。
私にとってとても大切で、本当に幸せな日々だった。
たとえ仕事だったとしても、私にはかけがえのない時間だった。
どうして幸せは、過ぎ去ってからその事に気づくんだろう。
見上げると、窓から月が見えた。
宵闇市に向かう時に見た月は丸かったのに、今は少し欠けた月。
(私の心みたい)
欠けてしまった、私の心。
もう、どうでもいいのかもしれない。
どうせ、私は籠の鳥。
この先、ここから出してはもらえないだろう。
利用するだけ利用されて、逃げ出したとしても追われる日々。
いつもそうだもの。
私に意思があるなんて誰も思っていない。
誰も私なんか見ていない。
「この世界に初めから、私の居場所なんてなかったのね。どんなに頑張っても、やっぱり私は1人。黒は結局、他の色にはなれないのよ。もう、いい。もう、どうでもいい。私なんか、この世界から消えてしまえばいいのよっ」
思いが口から、そのまま出た。
その瞬間、フッと浮かんだ思いが1つ。
「・・・・・あぁ、そっか」
これまで、どんなに過酷な状況にあっても、その選択だけは、絶対に選ばなかった。
だけど・・・
すべてから自由になれる方法。
“自分の死”
浮かんだその思いは、とても甘い誘惑のように感じた。
いつも読んで頂き、ありがとうございます
次は、来週金曜日に投稿致します
また、よろしくお願いします




