ウラ君・後編・3
3 弟との夜
寝室の戸口から、奥に二つ並んだベッドを眺める。剥き出しの蛍光灯が青白く照らし出す殺風景な部屋。書棚、窓、ベッドが二つ。それだけ。まるで独房かミニマリストの学生の部屋みたい。
ベッドとベッドの間に開いたままスリープ状態のノートパソコンが乗った小机がある。小さくてもこの机を挟んでる分、細い通路が二つの寝台の間に開いている。これだけでも、セリナはちょっとホッとした。自分のと弟のベッドを二つピタリとくっつけられてダブルベッドみたいになったところに一晩一緒に寝るのかと心配していたが・・・まだこの方がマシだ・・・
「入らないの?」不意に後ろから声をかけられヒャッと思わず叫び声が飛び出た。
「そんなに驚かなくても・・・ここ俺の部屋なんだけど・・・」
「そうだよね・・・」後ろから弟も部屋の中に入ろうとしてるので、姉は先に自分が中に入り広くない戸口を潜った。
「遊女の塔とは部屋の感じが全然違うみたい」
「狭いでしょ。」弟はスタスタ部屋中を歩き回って電気系統のスイッチを入れた。彼は詳しいはずだが最先端を突き詰めて自分の日常にAI等取り込むのがあまり好みではないらしい。自分の指で押して機械類にいちいち息を吹き込む一世代前の仕組みにまだ重く信頼を置いているのだ。用心深さ。声紋認証も突破する生成AIが出て来たとニュースで知って、ほらやっぱりと内心頷いた。灯りを点けてと声で照明に命令して言うことを聞かせる利便性や面白さよりも、黙って自分で壁のスイッチを押し灯りを点し消しする方が良い。機密書類を入れた机の一番上の引き出しも鍵と手首の静脈の二通りが揃って初めて開く。
「お客をもてなすための部屋とは意味が違うから。ボーイ棟は質素、簡素だよ。」
トモヤ君は狭い部屋の隅の机の前の椅子に腰を下ろした。
「座りたければベッドに座って。これの他にこの部屋の中に椅子は無いから」
それから机に向かって何か作業を始めた。
姉はソロソロと部屋の中を進んで、全く同じ白いシーツ、白い枕、クリーム色の足置き、模様も飾り気も何も無い歯のように白い布団がキッチリ同じにセットされた二つのベッドにフラフラと歩み寄った。
「どっちのベッドが私用?どっちで寝れば良いのかな・・・」
「どっちでも。好きな方を使ってよ」弟は忙しそうにこちらを見ないで答える。
「先に寝て良いのかな?」
「どうぞ。」
まだ、バッチリ整えられたベッドに座って皺を寄せるよりも、弟が忙しそうに打ち込んでる作業の方が気になって、姉は今度はフラフラ弟の後ろに寄っていった。
「何してるの?」
「各所からの報告に目を通して『はい見ましたよ』って履歴を付けていってるだけ」
「連絡帳のハンコ押し?」
「まぁそうだね」
「ふうん・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・ごめん、あんまり後ろに立たないでくれる?気が散るから・・・」
「ごめん」
姉はまたふらふら狭い室内を彷徨って今度は窓辺へ向かった。内側に鉄の格子がはめ込まれた窓。格子の間から手を通し、窓ガラスを開けようとしてみたが、しっかりと施錠されている。鍵が硬くて回せない。窓は開けられない。部屋からの外の眺めはガラスに室内の灯りが反射して見えない。この部屋の窓はどこに面した窓なのか・・・分らない・・・弟が普段見ている景色が見えない。まだ・・・灯りを消すまでは。この夜が明けるまでは・・・
仕方が無いので、再び室内に目を戻す。弟が向かい合ってる机、ベッド、あとは床と壁しか見る物も無い。
その壁も、まるで白紙みたいなクリーム色一色の壁紙、冷たい堅い木の床・・・
客も遊女達も寝泊まりする豪奢な塔では、壁にもその部屋を使う女の子達のこだわりの模様や絵柄の壁紙が貼られ、裸足で歩いても温かい雲の上のようなふかふかの絨毯が敷かれ、自室に噴水の温室、ガラス張りのシャワールーム、囀る声が美しい小鳥のための部屋だとか、裸で抱き締めるとウットリと陶酔できる柔らかな毛並みの長い大きな猫を飼うための部屋など、個性に溢れた見て回るのにも感慨深い趣向が凝らされてるものだ。この間入ってきた子などは、美しい栗色の馬を二頭飼っていてこの子達と一緒でないと嫌だなどと言い、朽ちかけていた平屋の馬小屋を改装して住みだした。裸で裸馬に跨がって駆けるのが死ぬほど好きなのだと言うのだ。身一つで入って来たての子や、離れて暮らす親や子に仕送りを目一杯にしていて自分は物を持たない主義の子も中にはいるが、そんな子達も少なくとも、何か一つくらいは金のかからない趣味の道具を部屋に置いてるもんだ。琴とか、扇とか、森に自生してる蔓草を編んだ自作のリースとか、ドライフラワーとか、庭でいくらでも摘んでこられる香しい旬の生花とか、何かで個性を表し自室を少しくらい飾ってるものだ。しかし、ここは・・・
まるで無個性…空き部屋も同然・・・
書棚に近付いて一冊、二冊を手に取り、パラパラめくってみたが、セリナには興味が無い経済書ばかりで、中身もポカンとしてしまう横文字ばかりで、意味が入ってこない。パタンと本を閉じ、また書棚に戻す。
「ルンバで掃除するの?」弟の仕事を邪魔したいわけでは無いが、退屈でまた話しかけてしまう。「女の子達はよくプレゼントしてもらってる。部屋が広くて掃除の手が回らないでしょうって言って、お客さん達から。でも、絨毯の襞やらちょっと置いた荷物とかにも反応して迂回ばっかりしたり、おんなじところばっかり何度も掃除してそこはピカピカなのにすぐ隣は掃除してくれなかったり、ちょっとの段差ですぐピーピー鳴って止まって文句言ったり、ペットみたいに世話が焼けるんだって。自分で充電器まで戻って充電するって宣伝されてるけど、蹴躓きそうなところでジッと止まっちゃっててチワワみたいに危ないって・・・」
「僕にまで使えないルンバが回ってきたよ。でも俺も部屋の中を勝手にウロウロされると気が散るから。捨てた」
「あらら・・・」
「うん・・・」
「・・・そう」
「・・・」
弟との会話はこんなにも話題が見当たらなくて弾まないものだったろうか、と姉は考えた。左右あるベッドの右で眠る事に決めて、ついに静かに腰を下ろした。
さっきまでは、弟と明かす一夜を思うだけでも緊張した。最近久しくとらなくなった新規客を珍しく相手にする夜よりももっともっと何倍も何百倍も、緊張していた。しかし今は、同時に眠りに就くのでないなら、さほど気に病むことも無かったのかも知れない、とさえ思えてきた。トロリ、と、既に眠くなってきていた。弟はまだしばらく忙しそうだ。
「先に寝てて良いのね・・・?」
「うん、そうして。まだ終わりそうにないから・・・」小さな声で確認を取り合い、セリナは履いてきたスリッパを脱いで、ベッドに潜り込んだ。
自分の部屋の布団の中では電気毛布を使ってぬくぬくにしていたが、そうしてと頼んでなかったので熱源は無い。布団の中は冷たく素足が凍え、つかの間、目がもう一度冴えてきそうだったが、やがてまた自分の体温が伝わって寝具が温まり保温され、眠気が戻って来た。
ゴソゴソ寝返りを打ったせいでか、明るくて眠れない?と気を遣って、弟が立っていって部屋の灯りを消してくれた。机の灯りだけで残りの作業をやり遂げる気みたいだ。
欠伸が出て、セリナはすぐに眠りに落ちた。
今朝は早朝から絨毯に巻いた鹿島君を安全に外へ逃がす手続きを踏んで、それから何食わぬ顔で正午過ぎには、日課の仕事に戻った。そのため、あまり眠っていない。目を閉じるとトロッと簡単に、ソフトクリームが溶け落ちてスカートに染み込みシミになるように、シーツに頬を埋もれさせて、甘い眠りに落ちた。
ハッと目を覚ます。膝のあたりが重たくて目が覚めたのだ。部屋は真っ暗。まだ夜は明けていない。眠りに就いたのが割と早く、10時代には寝入っていたから・・・今は何時だろう?
何かが脚の上、布団の上に乗っている。この重みで目覚めたのだ、それが何か良く見ようとして上体を起こすと、弟がパッとこちらに顔を上げた。パチッと目が合った。布団の上に乗っていたのは弟の頭だった。
「何してるの?」
「起きちゃったか。ごめん」
「どうしたの?眠れないの?」
弟は何も返事をしない。ただ顔がこちらに向いてるのは濡れた瞳に光が当たって薄ら見えるので分る。手を伸ばすとサラサラした前髪に触れた。弟は黙っているが逃げるでも無い。
「こっちおいで」温まった布団をめくって自分も奥にずれ、弟が入ってくる隙間を作ってあげた。小さな小さな子供の頃はよく怖い夢を見たと言ってメソメソ泣きながらくっついてこられた。鼻水と涙で冷えた頬が冷たく、グイグイ押し付けてくるのでこっちの顔も濡れ、唇に付いたのをペロリと舐めるとしょっぱい味がした・・・
弟はそっとシーツと布団の間に体を入れてきた。寝惚けていたセリナは相手の意外な大きさに目が急に冴えハッキリ覚醒した。まだ自分よりも小さい2,3歳の子供の弟を夢見心地で一緒に寝ようと誘ったつもりだったのだ。ベッドスプリングだけがギシギシと軋む。相手は黙ったまま、急に熱いくらいに温度が上がった布団の中でセリナの体に腕を回してソーッと腰に抱き付いてきた。セリナもソロソロと手を伸ばして弟の髪と肩を撫でてやった。男の子の成長期が始まる前の幼児とは似ても似つかない、大きな肩、太い重たい筋肉質な腕。
心臓は激しくドキドキして、相手が何を考えてるのかサッパリ分らず、胸中ヒヤヒヤしたが、好奇心のような冒険心のような気分にもくすぐられた。どうするつもりなんだろう、どうでもなれ、どうせ死にはしないだろうさ、と一種開き直りもあった。相手の出方によっては布団を蹴って逃げ出さなければ・・・とまでは思わなかった。したいことをすれば良い、何でも受け入れようという気持ち。
弟の大きな背から地震のように細かい揺れが始まりやがて高まり、それが腕を伝ってき、肩を這い上がってこちらの背まで震えた。
「怖いの?夢を見た?」
「いつも怖い。なんで分る?」
「いつものことだから。小さいときから」
「・・・」
「どんな夢?」
「・・・」
恥ずかしいと思ってるのかな、どうしたんだろうと口の重い弟を励ますようにセリナは背中をポンポン叩き続けた。根気よく。胸を押し付けてギュッと腕を回せば抱き締めきれない事は無い、大きいけれど痩せた大人の男。グングン背が伸び骨が太り逞しく鎧のような筋肉が付く男児の二度目の成長期には一緒に過ごすことができなかったせいで、久しぶりに再会した日は、なんだか気味が悪いくらい弟にソックリの別人に出会ったみたいに見えた。
セリナの中で時を止め、成長せずに華奢なままで、背も自分より低いまま女の子に見間違えられることが多かった可愛くて手がかかる生意気なあの自分が良く知る弟は永久にどこかにいなくなってしまい、二度と会うことができなくなったみたいで恋しく寂しかった。かわりに現れたこの大人になった弟が上手く愛せるか自信が無い気がした。距離感もあやふやに、しかし大して話し合う話題も一緒に過ごす時間も無く、まぁいいやそのうち・・・そのうち・・・とそのままで、ここまで来た。
今、互いに長すぎた別離を埋め合わせたくても、何からどう話せば良いのか分らないで、途方もない隔たりを前にして戸惑っている・・・
「起きていても見る事がある。白昼夢として・・・ふっ、と気が付くと、誰も自分の信頼した人が傍から居なくなってる・・・悪夢だよ」
「それは・・・怖いね・・・」
「それに、殺した奴等が部屋に溢れて、ベッドの周りに犇めいて立ち、俺を見下ろしていて、寝付けないこともある」
「それは・・・幻覚だよ・・・」
「見えるんだよ。金縛りに遭って瞼を下ろせないんだ。奴等、忘れるなよと俺に警告してくる。お前も殺されるぞ、お前が殺したように・・・って・・・」
「それこそ夢だよ・・・」
「夢でも、現実を蝕む。睡眠の質が起きてる間の動作・作業能率に影響する。気が狂いそうだよ・・・」
「私はもうどこにも行かないよ。」
「いつまで?」
「ずっとここに居るよ・・・」
「何を証拠に?・・・あんたはあいつと一緒に死んじゃいたいと思ってるみたいだったけど・・・」
あいつとは、鹿島君のことだろうか?
「・・・そんな風に見えた・・・?」
「見えたよ」
「私達が眠ってるときに見に来たの?」
「・・・うん・・・」
「・・・」気が付かなかったな、いつだろう、部屋の中まで入ってきて手の届くところまで来て眠ってる私達二人をジロジロ見下ろしたのだろうか、・・・とセリナは考え込んだ。その時自分はどんな寝相で寝ていたか、鹿島君の耳の中に口付けながら眠りこけてたのではなかったか、それとも・・・彼の体に抱き付いて脇の下の匂いを嗅ぎながら眠ってたんではなかったか・・・付き合ってた当時の鹿島君の眠ってるときの癖、ちゃんと付いてるかなと確かめるみたいに、チョロンと自分のペニスに触れてみたり、右手でそこを押さえながらムニャムニャ寝言を言ったりする癖が、まだ今も継続してあるのを微笑ましく懐かしく感じ、自分も彼の隣で眠っていた付き合ってた当時の18歳に返ったようなつもりになって、眠ってる彼の手に手を重ね彼のものを触りながら寝入ったりした・・・腕枕をしてもらえる形に彼の腕を引っ張り寄せ・・・
一度などは・・・いや、あの時は・・・確かに部屋の鍵を掛けた覚えがある・・・それとも今みたいに寝惚けていて感情の赴くままにやったのだったか・・・?
・・・何にせよ・・・
イヤなところを見られたな・・・
「あいつは何度か薄ら目を覚まして俺を見上げたよ。」
「えっ?」セリナは弟の目を(目と思しき暗闇の濡れた箇所を)見た。「鹿島君が?」
「うん。ここはどこか、あなたは誰か、みたいなこと聞いてきた。」
「その時って、私は・・・」
「あいつの胸に手を置いて寝ていた。看病疲れだろ・・・」
「・・・何て返事してあげたの?」
「何とも答えられない質問だ。ここがどこか、僕が誰か・・・」
「・・・そうだね」
「ここは天国か地獄かと言うのには返事しといたよ。」
「何て?」
「そうだ、って」
「どっちのこと?」
「さぁ。俺が聞きたいよ・・・誰かが教えてくれるなら」
セリナは頷いてから、声に出さないと伝わらないと気付いて「そうだね」と言った。
部屋に沈黙が降りた。
セリナは口元まで引っ張り寄せた布団の下で、でも・・・と首を傾げた。
「だけどあなたにとってはこの世は天国でしょう?今は?」
「いいや」
「どうして?この巨大な組織のトップじゃない?比類ない絶対王者。右を見ても左を見てもかしずく者達ばかり。それも、成りたくて成ったんでしょう?ここの君主に?」
「・・・」
「何か悩んでるの?」
「・・・うん、まぁ、悩みは尽きない・・・」
「どんなこと?」
弟はモゾモゾ寝返りを打ち、深呼吸した。それでも、まだ話し出さない。どこから話そうか考えてるのか・・・
「時々怖い。」
「あなたが?」驚いた声が出た。だって本当にビックリしたのだ。最強とかアンドロイドと呼ばれる弟が何かを怖がっているなんて。
「眠ると毎晩、自分が首を刎ねた相手が現れる・・・」
「だってそれは悪い夢・・・」
「夢なんてもんじゃない。血の海の匂い。僕は全身に浴びた返り血に濡れ、ここに横たわってる。このベッドの周りに数え切れない死んだはずの者どもが犇めき、俺は取り囲まれ見下ろされて眠ろうと努める。これは夢だ、幻視だ、と唱えながら。明日もシャキッと皆の手本となり立場に甘んじることなく率先して働きたいからね。しっかり眠りたいんだよ。ちゃんと疲れをとり除きたい。翌日ボンヤリしたくない。朝から、眠りにつくまで、いや眠ってる間も、どんな些細な違和感も見逃さないアンテナを張り巡らせ、サッと対処できないといけない。いつ何時、自分が起こしたような反乱を自分も起こし返されるか分らないから・・・」
セリナは弟の口調に鬼気迫るものを感じ、安易に慰めを口に出来ない雰囲気だった。何を言っても気休めにしかならない。
(可哀想に・・・)と思った。そんなこととは露知らなかったのだ。弟は我が天下、面白くて笑いが止まらない日々だろう、あの革命の後からは・・・と勝手に思い込んでいた。
「性格だね・・・可哀想に・・・私があなたならせいぜい今を楽しむのに・・・苦労した分を取り戻して余りある、贅を尽くした料理、夜な夜なの宴、自分を崇拝する部下達老いも若きも、全員一度には大広間に入りきらないから、日ごと順々に呼んであげ、・・・上手な者には歌わせ舞わせ、楽団の朝まで途切れぬあなたを讃える賑やかな演奏は続き・・・飲みきれないシャンパンタワー・・・うちの従業員の綺麗な女の子達も、そうじゃない子達も、みんなあなたにメロメロに夢中なのに・・・ここはそういうところでしょ・・・男性の夢を叶えるテーマパーク・・・何故一番偉いはずのあなただけが欲望を抑え付けてるの?・・・私が男で、あなただったら、さあ我を崇め奉れとどっしりと腰を据えて杯を手に、綺麗な若い子にラメだけを纏わせクジャクの羽の内輪で右から左から扇がせたりなんかして、宴の最後には大広間をずいと見渡し、従者の耳に『今夜はあの子を』とか囁いて、毎晩違う女の子と過ごしたりなんかするのに・・・一晩に一人だけじゃ物足りないなら二人でも三人でも百人でも良い、それこそ寝室をバージンの少女達の甘い吐息、華やぐ香水の甘い香りで溢れさせ、悪夢の付け入る隙も与えないのに・・・」
「・・・ふうん・・・」弟が姉の腕の中で首を傾げた。
「多分、そう言う成金主義みたいなのはもう他人がやってるのを子供のうちからさんざん見せられて、見飽きてイヤになったのかも知れない・・・姉さんは自分が舞い歌う側、内輪を扇がさせられる側だったから、風に当たって物見する奥座からの風景を眺めてみたいんだね・・・でも、いざそんなこといつでも可能な身になってみると、別にやりたいとは思わないもんだよ。凄く、下らないような気がして・・・女性達も僕が好きなんじゃなく、権力の座の頂点に君臨してる男が好きなだけ、最初からそれに気が付いてたら、やる前から虚しいよ・・・」
「女の子達ならみんな、あなたの事は本当に好きなのに!もったいない!本気って、この業界では珍しいことなのに・・・」
「本気と嘘とはどうやって見分ければ良い?あんたは詳しいだろ?」
「えっとねぇ・・・疑いながらも付き合ってみて、手探りで心を、感触を掴むしかないんじゃない・・・?続いていけば全て本物、嘘も本当にさせるの。あなたがいつもやってることでしょ!それこそ!大それた夢だと笑われた計画を全て実現させて来たはずでしょ?トモヤ君・・・」
「計画は実現するまで完遂すれば成し遂げられる。大きな山も一歩一歩登れば天辺に到達する・・・だけど、女の人の心はそうはいかないじゃないか・・・?横入りしてきた奴にヒョイッと持って行かれてばかり・・・」
「そんなの、私があなたなら、スパーンと相手の男の首、刎ねちゃう!」
真っ暗で実際には何も見えないけれど、弟が呆れた顔をしてやれやれと首を横に振った。
「姉ちゃんの方が俺より暴君だな・・・」
「・・・女の人が好きじゃないの?寂しくならない?」
「好きだよ。寂しい。」
「じゃあ・・・
・・・あなた、何て噂されてるか知ってる?童貞君主って・・・」
「知ってる。でも童貞ではない。俺は・・・貴女が一番良く分ってるはずだ。やらされただろ・・・子供の頃・・・」
しかしセリナはとうに忘れ去っていた。弟に苦い声で言われて初めて、暗闇の中にあの光景がバッと走馬灯のように映し出され、突如として、思い出させられた。
二人がまだほんの小さな頃、くっつき合って離れられず、楽園にもまだ連れてこられる前の段階で、別々に売られるために売人に引き剥がされそうになり、互いの体に真剣にしがみ付いていた、すると面白可笑しげに『じゃあやってみろ』と言われたのだ。『そんなに離れがたいなら、子供同士でやってみせろ、そうすれば一緒くたに買ってやる』と・・・
・・・そうだった・・・自分が弟の筆下ろしをした・・・あの時は何をさせられてるのかまだよく分からずただ無我夢中で言われるまま言うことを聞いただけだったが・・・弟が着てる物を脱がせ、自分も裸になり、一緒に風呂に入って洗ってやる時みたいに、あちこちさすったりくっつけたりして・・・二人とも男にも女にもなってない小さな体でそれが異常なこととは思わずいつもお風呂でやってたことだった。ただ、あの時、嫌な笑い方をしてジロジロ見ている大人の前で無理にやらされてる感じがたまらなく嫌だった・・・自分だけなら良いが、弟まで貶されてるようで・・・でも嫌だけれどやるしか無かったのだ、一緒に居るために・・・
裸にした弟の口や乳首や臍や睾丸に口付けし、勃起させろと言われても意味は分らないままに口に含んで舐めてれば膨らむと言われてそのようにしていたつもりだったが、どうもならず、しまいには弟が寒い、痛い、嫌だと言って暴れて泣き出し、自分もクシャミ鼻水涙が出て来た・・・その時はそれで終いになったが・・・その次か次の次の時には、弟が腕に強壮剤を注射され・・・
・・・あんなことがあって、何故忘れたり出来たのだろう・・・弟に言われて思い出すまで、何故忘れていられたのか、その後にも数え切れないほどのイヤなことを沢山沢山させられ続けてきて、いちいち全部覚えていられなかったから・・・?
「今は・・・?そんな、大昔のトラウマは忘れて・・・私達二人の間から漏らさなければ誰にも知りようのない過去の出来事なんだから・・・あれは・・・」
姉は幼い弟の心に自分が刻みつけてしまったらしいトラウマに気付かされ、内心居ても立ってもいられぬ思いで、どうにか早く何とかしてやらねばと急に急きだした。
「最初は権力を笠に着ても良いじゃない?試しに、色んな女の子と毎晩寝てみたら・・・?何かしようとしなくったって良いし、とにかく部屋に呼んでみて・・・そうすればとにかく変な噂は立てられなくなるし・・・
・・・とにかく、大勢の女の子があなたの事狙ってるんだから!本当に!良いじゃない、玉の輿狙いだって、権力が好きなだけだって、それこそが本物、生命の、子孫を残したい遺伝子の正しい選択、嘘がなくて回りくどくなくて、それこそ本心じゃない?強い雄に雌は惹かれるんだから、あなたの権力はあなたの実力よ・・・!?」
「・・・うーん・・・でも、・・・大勢の女性と一度に触れ合いたいわけじゃないんだ・・・」
弟はモゾモゾ身悶えした。「・・・ただ、今は、一人の人に傍にいて貰いたいだけなんだよ・・・」
「誰か好きな子がいるの?今?・・・」
「・・・女性ならみんな好きだけどね・・・」核心に迫ってきたかと思えば、急にプイと、はぐらかそうとする。
「誰か教えてくれとは言わないけど、早くしなさいとは言いたいなぁ、あんたのお姉ちゃんとしては・・・」
表情の見えない相手に対し、セリナはいつの間にか幼い頃の弟のべそかき顔が闇を透かして見えて、やんわり教え諭すように上から物を言い出した。「この世界、早い者勝ちよ。競争相手はいっぱいいて、良い子ほどアッと言う間に持って行かれちゃうんだから、早くアプローチして!私も、可愛い甥っ子姪っ子が見てみたい・・・」
「・・・難しいんだよ、なかなか・・・」
「何か事情があるの?」
「うん、まぁ・・・ね・・・」
「もしかして、もう誰かの奥さんなの?その子?・・・奪っちゃえば?・・・あなたと一緒になった方が幸せになれたって、思わせられれば良いだけでしょ?結局。・・・それか、ちょちょいのちょいとお抱え殺し屋に耳打ちして秘密裏にその相手の男の首をスパーンと・・・」
「他人事だと思ってまたおちょくりだしたな・・・
・・・まぁ、なんとか、それはそれで考えるよ。自分で・・・取っ掛かりは掴んだんだ、実は」
「そう!良かったじゃない!じゃ私が心配することもなさそうね。誰でもあなたの事ならすぐ好きになるから!私が保証する!」
「本当かよ、適当だなぁ・・・」弟はついにケラケラ笑い、姉はその明るい声を聞いてホッと心が明るく軽く、自分も嬉しくなった。
「もう眠れそう?」自分のベッドに戻って寝るのだろうと、促すように聞いてみる。すると、弟はまたモゾモゾ身じろぎした。まだ姉のベッドから出ていきたくなさそうだ・・・
「他にもあるの?悩み事・・・」
「んんんん・・・」
「例えば?言ってごらんな」
「・・・例えば、・・・自分のやって来たことは正しかったのかな、とか・・・」
「嗚呼・・・」
「・・・新しく、働きやすいシステムで、出入りも自由、完全に個人の選択次第な組織を俺は作った、つもりだった、けど・・・それまでには大勢殺したり追放したり、・・・俺を恨んでる者も多い。かと言って、今、ここで働いてくれてる若い従業員達は、まだまだ不満たらたらだ・・・」
「以前の体制の恐ろしさを知らないからよ・・・」
「本当にこれで良かったのかな、俺はただ、自分が王様になりたくて暴れただけだったんじゃないのか、って、不安になる。静かな廊下を歩いてるときも、どこかから笑い声が聞こえてきたりすると・・・皆、俺を嘲笑ってるんじゃないのかと・・・」
「考え過ぎだよ・・・」
考えすぎるな、能天気になれと言ったって、性分だから仕方ない事なんだろう。自分の楽観主義を半分分けてやりたい。そして弟から悩ましい働きすぎる頭脳を半分貰ってやりたい。そうすれば二人はちょうど良く一般的に思考する人間になれるかも知れない・・・
そろそろと手を伸ばし、弟の額に触った。指先で前髪を撫でてやり、恐れていたような反応(腹を立てられるでも、バチッと手をはたき落されるでもないのをみて、)さらに手を伸ばし、頭を耳を手のひらでヨシヨシと撫でた。暗闇の中で濡れたビーズのように弟の目が月光りに反射し光っていたが、やがて不貞腐れながらも撫でさせてやろうではないかと不承不承納得した元野生の保護猫みたいに、目を閉じて、されるまま、撫でられるままになった。
(なんだ・・・この子、寂しかったのかな、)と姉はまだ内心オッカナビックリしながら弟の髪を撫でていた。(そう言えばそうだった、昔からこの子にはちょっと素直じゃないところがあった、分りにくい子だった、すぐに拗ねる。ひねくれ屋で頑固で・・・でも基本的に寂しがりなのだ・・・不器用な甘えん坊、でも自分の本心は隠すのが上手だから・・・今まで気が付かなかっただけだったんだ・・・寂しかっただけだったんだ・・・)
「あいつを運び出しただろ、今朝」
寝入ったかに見えた弟が不意にまた喋りだした。「僕は殺さなかった。自分でも不思議なくらいだけど、全て姉さんのためにだよ。手を下すのは控えておいた。これが後で自分の命取りになるかも知れないとは思ったが、・・・それでも貴女があの人に死んで欲しくないと思ってるのは分ってたから」
セリナはヒヤリとした。この楽園の中にいて弟の知らないことは何も無いのだ。やはり。
・・・否、楽園の外も同じだ。弟はこれからは私に知られず鹿島君をいつでも手にかけられるのだ、とセリナにはハッと分った。
「・・・死なないで欲しいとは思ってるよ、昔お世話になった人だし・・・昔お世話になったお客さんには皆にそう思う。例え指名替えされても、もう会えなくても、元気でいてくれたら良いな、って思う・・・」
「あいつは客じゃ無かったはずだ」
「お客さんとして知り合ったの。“お城”で。それからプライベートでも支えて貰った・・・」
「あいつには特別みたいだったけどな。異様に・・・」
「そうかな?・・・」
「・・・」何事かを深刻に考えて弟の体温が上昇するのを密着している肌がヒシヒシと感じ取った。
「・・・俺が事故っても、」弟の声は聞き取りづらいほどごく小さかった。「あいつにしてたみたいに、俺にもするのかよ・・・」その口調の中に、拗ねてる響きを聞き取った。
「当たり前じゃない」セリナは何を言うのかとビックリし、心外で、弟の肩を抱いて揺さ振った。「あんたが車で山道を転落したら、あたしはすぐに救急車を呼ぶよ!止める人もいないし、あたしはあんたと違って馬鹿だから、それしか思い付かないもん!早く大きな病院で専門家のお医者さんに診て貰うのが一番!自分のパジャマも持って来て、看病にも泊まり込むよ。だけど、あんたは金持ちなんだから、鍵付きの個室の病室で、あたしなんかじゃなく、美人ナースを夜な夜なよりどりみどり・・・」
「もう良いって、そう言うのは!」弟の声は明るく乾いて、笑っていた。「姉ちゃんが一人そばに居てくれれば・・・」
弟が姉の腰に巻き付けてきてる腕の力をより強め、高い鼻の骨をゴリゴリ姉の胸の谷間に擦りつけ、柔らかい頬を摺り寄せてきた。姉もより深く受け入れる態勢に姿勢を整え、弟のサラサラ髪の頭をギュッと強く抱いた。布団から出ている弟の剥き出しの肩の上まで布団を引っ張り上げてやる。ますますきつく抱きしめてやろう、こちらからももっと、と、弟の背を抱きながら、脚やお腹も近づけようとしたが、するとかすかに、自分が近寄せた分だけ弟はスッと腰を引いた。気のせいかと無自覚に、またもう少しぐっと近寄ろう、近寄せようとすると、やはり弟は下腹だけをへっぴり腰みたいになって向うへ遠ざける。上半身だけはきつく抱き締め合ってるのに変に隙間の空いてる臍から下で、脚をもぞもぞ動かそうとして、弟の硬直している物に膝が触れ、姉はハッと息を飲んだ。
(どうしよう、気が付かなかったことにしよう、)咄嗟にそ知らぬふりを決め込むことにした。
弟も、姉のウエストが千切れそうなくらいギチギチと腕に込める力ばかり強めたまま、息も止めたようになって全身で石のように硬直していた。
二人して石化したようになったまま、どのくらい息を潜め抱き締め合っていた事か…
弟が先にスゥ、と寝息を立て始めた。寝入るときはコトンと突然で、もう一度そろそろ自分のベッドへ・・・と姉が促す隙もなかった。
ミントのスッとする香りのシャンプーで洗ったサラサラの髪を姉の腕に擦り付け、大きな重たい腕と脚を片方ずつこちらにのしかからせて、まるで逃げ出さないように封じ込めようとしてるみたいな姿勢で寝入ってしまった。
普段からあまり眠れないと聞いたところだし、今朝は確かに目の下の隈の濃さも目の当たりに見た。大人の男の体温で布団の中は熱いくらいだった。
どうしようか、このまま自分も眠って良いものだろうか、大人として、姉として・・・
弟の腕と脚の重みで苦しく、身動きも取りづらく、かと言って起こしては可哀想だし、諦めてしばらくボーッとジーッとしてると、そのうち漆黒のビロードを纏った死神の従妹、睡魔がまたゆっくりと戻って来た。
ムニャムニャ、弟が寝惚けながら何事か呟いた。
「あいつは居なくなったけど、でも、これからも一緒に寝ても良い?」
ムニャムニャ、「良いよ」姉も半分寝ながら返事した。
食堂でヒリヒリピリピリ緊張感をもって相対した今朝には、きっと今夜は一睡も出来ないだろうと覚悟していた。ところが弟に抱き付かれ硬い短い髪を撫でてやりながら地肌の香りを吸い込み、大きくなった背中をさすってやってると、弟の強張った体からトロトロと緊張が溶け出ていき、それにつれ自分も癒やされていった。
互いへの恐れも不信も全てが消え去りただ温かい眠りの訪れを拒まず受け入れただけ・・・
二人とも、翌朝にはすっかり隈が薄くなり、肌には潤い、内側から溢れる艶が戻り、いつぶりか分らないぐらいに
(よく眠れた・・・)
(疲れがとれた・・・)と実感した。
考えてみれば、歳を取るごと重たく積み重なって下へ下へと潜り込み、忘れていた記憶の最初の最初のページ、人生の始まりの始まりには、姉弟は凍え死なないように一枚の毛布に包まって抱き締め合って眠っていたのだ。ここ最近特に酷かった、大人になってからの二人の疲れは、互いへの不信感から来る緊張が原因だった。その根源が解消されれば、溜まっていた疲れを癒やす深い眠りがドッと押し寄せ、二人は久しぶりに昏々とまるで死んでから蘇るようによく眠り、もう一度生まれ直したように翌る朝、目覚めた。
スッキリ爽快に。
まるで二人の新しい夜明けが到来したかのようだった。
珍しく施錠されている上司の部屋のドアの前に立ち尽くし、この日一日をトモヤに同行することになっている直属の部下が、時間が過ぎてます遅刻ですと自分ごときが指摘して良いものか、首を文字通り刎ねられはしまいか、どうすべきかと背筋に脂汗を流して思案していると、ドアノブが回り、中からセリナさんがまず滑るように出て来た。
「あら、待ってたの!ごめんなさいね、弟はもうすぐ着替えて出てくるから」
どう言う事なのか、訳を尋ねられるはずもない。
「へ、はぁ・・・」と言うような変な音を喉から発し、トモヤの部下は廊下を蝶のように軽やかに羽のような薄物を翻し歩み去って行くセリナさんの後ろ姿をボウッと眺め見送った。
3、おしまい! ウラ君・後編・4 に続く!