夜会への招待状
薔薇にスズラン、クレマチスと日を追うごとに庭の緑は鮮やかさを増していく。
季節は夏に向かって動き出すなか、ダナン侯爵家も政治的に難しい舵取りを迫られていた。
カモミールティーの香り広がる書斎では、アリシアの父と将来の夫が小さな応接セットで向かい合って座っている。
ふたりとも難しい表情を浮かべていた。
「侯爵家としては、アリシアに無理をさせるつもりはないのだが。いかんせん貴族社会は足の引っ張り合いが激しい。評判ひとつで風向きが変わってしまう」
リチャード・ダナン侯爵は眉間に深いシワを刻みながら正面に座るレアンに話しかける。
「そうですね。私としてもアリシアのことは守ってあげたい。でも、隠しておけばよいとは考えていません。閉じ込めたいわけではないし、牽制をかけるためにもお披露目は必要でしょうね」
「そうだな。なぁ、アリシア。お前はどう思う?」
レアンの言葉にリチャードはうなずき、執務机の方に顔を向けた。
アリシアは執務机に向かって座り、王の刻印が刻まれた招待状をクルクルと回しながら眺めている。
「んー。わたしは……分からないわ。積極的に夜会へ出たいとも思わないけど、絶対にイヤというほどでもないの。お父さまたちの意見に従うことにするわ」
「それならば、夜会には出席ということでいいかな?」
「はい、お父さま」
「アリシアとふたりで出席するとなると、婚約のお披露目は夜会で、ということですね?」
レアンはアリシアとリチャードの顔を見ながら確認すると、ふたりは大きくうなずいた。
「そうなりますね、レアンさま」
「ならば、抜かりなくその場を活用させていただきます」
レアンは腹に一物ある者特有の油断のない笑みを美しい顔に浮かべた。
「夜会までは時間があまりないですけれど。支度の方は間に合うかしら?」
アリシアは側に控えていた侍女マイラに確認する。
「そのことでしたら、レアンさまにお聞きになった方がよいのではないでしょうか」
静かに答える侍女が意味深な視線をレアンに投げた。レアンは軽く動揺しつつ聞く。
「あっ……ドレスとかのことかな?」
「レアンさま。ご令嬢が夜会に出席なさる時に必要なのは、ドレスだけではありませんわ」
「あっ……そうだね。そうだね」
慌てた様子のレアンに、侍女は揶揄うような視線を向けている。そんなふたりを、アリシアは不思議そうに見ていた。
(レアンは何を焦っているのかしら?)
アリシアは首を傾げて、ひとり汗をダラダラ流している婚約者を眺めている。
その耳元で侍女はそっと囁く。
「うふふ。お嬢さま。レアンさまは父も巻き込んでドレスやら宝石やらを買い込んでいらっしゃるようですわ」
「まぁ!」
何も知らなかったアリシアは驚きの声を上げた。
「お嬢さまに喜んで頂きたいというのもあるのでしょうけれど……父から聞いた話を総合的に考えてみましたところ、レアンさまは着飾ったお嬢さまをアチコチ連れ回して自慢したいようですわ」
静かに秘密を暴露する侍女の言葉を聞いたレアンは、頬を赤く染めてモゴモゴと早口で言う。
「だって、仕方ないじゃないか。こんなに美しい婚約者を得たのだから。そりゃ、自慢したくもなるだろう?」
「あら、レアンってば……」
アリシアもポンッと赤くなる。
赤く染まったふたりに、リチャードは軽くヒューと口笛を吹く勢いで冷やかすような視線を投げた。
「では支度の方は、レアンさまにお任せでいいでしょうか?」
揶揄いたい様子のリチャードに、レアンはコホンと小さく咳をしてから言う。
「はい。ドレスと宝石……その他、諸々お届けするように手配します」
「諸々……」
アリシアは夜会に出席するために必要なモノをひとつずつ頭に思い浮かべた。
その思案顔を見て優秀な侍女は先回りして答える。
「お嬢さま。夜会のお支度で足りない物がありましたら手配は私が致しますのでご心配なく」
「ええ。ありがとう。お願いするわ」
「はい」
にっこりと笑う侍女に、アリシアも笑みを返した。
(ちょっと前まで夜会なんて日常的に出ていたのに。一度行かなくなると何が必要だったか、すら分からなくなってしまうものね)
伸ばした両腕を執務机に置いたアリシアは、両手の指先でつまんだ招待状を改めて見る。
綺麗な紙、綺麗な刻印、綺麗な字。
(だからって、特別に何も感じないわ)
国王主催の夜会だ。出席すれば王太子も元男爵令嬢も居ることだろう。
(ペドロさまやミラさまと会うことになるだろうけれど……ん、何も感じないわ)
ふたりと会うことになるであろうことにも、それについて何も感じないことについても、不安はない。
(だって、わたしの隣にはレアンがいてくれるもの)
応接セットの方に向き直ったアリシアは、婚約者と目を合わせてニコッと笑う。
(レアンがいれば、赤毛の王太子やピンク髪の元男爵令嬢が何を仕掛けてきても怖くないわ)
笑顔で見つめ合う婚約者たちを眺めながら、アリシアの父と侍女は笑みを浮かべて安堵の溜息をついた。




