メインヒロイン面した謎の美少女ごっこ 5
──たぶん、やっと普通の高校生活というやつを手に入れることができたのだと思う。
というか、一年前までは俺もどこにでもいる一市民だったのだ。
手に入れたというよりは、ただ元に戻っただけだと言ったほうが正しいだろう。
なんかヤベー悪の組織とバトッたり、明らかにワケありな少女を助けたり、別の世界線へ飛んだり犯罪者として国外を飛び回りながらの逃亡生活をしたりなど、流石にそこまでしなくていいんじゃないかと思えるような数多の冒険を経験してきたせいで感覚が麻痺していたが、そもそも普通の高校生は普通に学校に通っていればそれだけで普通の高校生活を送れるはずなのだ。美少女ごっこで自らそれを手放した俺がおかしい。とてもかなしい。
しかし、そのようやっと取り戻した輝かしく愛おしい普通の高校生活だが、実は一点だけどうしても無視できない部分が存在している。
ここのところ俺はずっとそれに悩まされているのだ。
「んんっ。……ぁ?」
だらりと布団の上で目を覚ました。
枕元にあるスマホで時刻を確認すると、いつも家を出ている時間のほんの十分前だと気がつき、焦って飛び起きる。
もう冬休みは終わっているのだ。早くしないと遅刻してしまう。
「やべ……っ」
朝餉は不可能だと判断し歯磨きだけ済ませて、慌ただしく制服に着替えていく。……あ、ワイシャツのボタンかけ違えた。時間無いのに。
「マユのやつ先に行きやがって……起こしてくれりゃいいのに」
同居人の少女は早朝から既に家を出てしまったらしく、両親も相変わらず多忙で家には俺一人しかいなかった。
ほんの少し前までは違ったのだ。
具体的にはクリスマス前までは朝はいつも二人で朝食をとっていた。
しかしとある事情から同居人であるマユはクソ早起きになった挙句、俺を置いてすぐ家から出るようになってしまった。
その事情だが──
「あっ、ポッキー! おはよっ」
アパートから出て少し進んだ先に“彼女”がいた。
学園指定の女子用制服を身に纏う、前髪の一部に赤いメッシュが入った、長い黒髪の小柄な少女が。
──事情とは彼女のことだ。
この少女は登校日の早朝、この曲がり角で立って待ってくれている。
彼女はいつもここで待っているのだ。
そう、いつも。
文字通り、毎日ここで。
「うぅ~、今日も寒いねえ」
「……そうだな」
「あ、年越しの日にボクがあげたマフラー、ちゃんと使ってくれてるんだ」
「……寒いからな」
「えへへ。プレゼントしたアイテムを身に着けてもらってるの、嬉しいけどちょっと恥ずかしいな……」
そう言いながらさりげなく俺の隣を陣取って、並んで歩き始める。
彼女は今日も上機嫌だ。
別に今日に限らずいつも上機嫌だ。
あの日からずっと、上機嫌で余裕綽々で小悪魔めいた態度の彼女に翻弄され続けて、まるで美少女ごっこをして親友をからかって楽しんでいたかつての自分が嘘かと思うほど、俺の心はその親友の手のひらの上で転がされまくっている。
この少女の本当の名はレッカ。
レッカ・ファイア。
かつての俺の親友であり──ここ数週間ずっと俺の隣でメインヒロイン面している謎の美少女だ。
◆
あのクリスマスの夜、ついに俺の美少女ごっこが終焉を迎えた。
親友に対して隠していたこれまでの秘密の全てを打ち明け、彼に対して『男に戻る』か『女のままでいる』かのどちらかを選択肢として掲示したのだ。
アポロ・キィという男子高校生か、コクという黒髪の少女のままでいるのか、その決断を彼に委ねた。
どちらを選ばれようと、俺としては全力でその道を生きていくつもりだったから。
それが出来るだけの自信があったのだ。
しかしあろうことか親友は、俺が提案した結末へ進むための選択肢をどちらも潰し、無法にも彼自身が新たなエンディングへ至るためのルートを生み出し、なんとそれを選んでしまった。
その結果がコレである。
俺から美少女に変身するためのアイテムを奪い、今度はレッカ自身が謎の少女に成り代わり俺のメインヒロインとして参上した。
レッカがそんなとんでもない道を選んだ理由は、たった一つだけだ。彼が直前に自分で明かした。
──俺を困らせるため。
本当にただそれだけの為に、レッカは世界を救ったイケメン男子の姿を捨て、小柄な謎の美少女として俺の隣へ降り立ったのであった。
「……はぁ」
四限目の終了を知らせるチャイムが鳴り響き、昼休みが始まると共に疲弊のため息が自然と出てきた。
もちろん授業に疲れたワケではない。
基本的な学校生活に関しては何も不自由なところなど無い。
以前のように悪い大人たちに命を狙われることもなければ、街に出現した怪物を倒すために駆り出されることもなくなった。
登校して、授業を受けて、クラスメイト達と時間を過ごしながら一日を終える──そんな何の変哲もない普通の高校生活である。
俺は戻れたのだ。
ただの一般市民という、どこにでもいる存在に。
「ふひー、ようやく授業終わったね。食堂いこ、ポッキー」
唯一返ってこなかったものと言えば、常日頃からバカみたいな話をしながら一緒に過ごしていたあの男友達くらいだろう。
いや、物理的には今も隣にいるのだ。
会話の内容も以前とさして変わっていない。
最近見た動画やマンガの話をしたり、生徒間のくだらない噂話なんかを話題にしている。そこは極めていつも通りと言っていい。
だが、現在の彼は彼女になっていて。
年明けからこのクラスに襲来してきた謎の美少女から何故か異様に好かれている俺は周囲から奇異の視線で見られることになり、あと数ヵ月で入学してから三年目を迎える在籍校にいるにもかかわらず、俺は非常に肩身の狭い思いを強いられているのであった。
──そう、レッカはここにきてなんと学校内で美少女ごっこを始めやがったのだ。
ほんと何やってくれてんだマジで。
あのクリスマスの日から、かつての俺と同じく身分を詐称して、謎の少女としてこの学校へやってきた。
いま現在の名前はホムラ・ファイアと言い、年末年始にいろいろあって休学扱いになったレッカと入れ替わるように転校生としてうちのクラスに入った彼女は、特に取り繕う様子もなく堂々と初日から俺に引っ付いてきている。
そうして困惑と誤解がどんどん肥大化していき、今のように周囲から怪しむような目で見られてしまう状況が生まれてというわけだ。
「はぁー……落ち着いて昼食がとれるって幸せだね。あんなに毎日闘ってたのが嘘みたい」
「そうだな。もう俺たちが呼ばれることもないらしいし……」
食堂の端っこでカレーをつつきながらそんな話をする。
少なくとも俺の周囲に限って言えば、世界は平和になったのだ。
レッカのお兄さんが本腰を入れてなんか立派な組織を立ち上げて、警察では対処できないような裏の勢力を対処するようになってくれたおかげで、市民のヒーロー部は文字通り困ってる市民からちょっとした依頼を受けて活動する程度のボランティア部活動として落ち着いたため、もう俺たちのような高校生が命懸けで異能バトルを繰り広げるターンは終了した。
だが所感としては、そんな平和な世界になってからが今のところ一番大変だ。主に精神的な面で。
こいつは想像以上に本気でメインヒロイン面した少女のロールプレイに取り組んでいる。
一切の隙がないほど、彼女はボロを出すことなくホムラという少女として成り立っている。
そんなかわいい少女として男をからかう仕草がやけに上手いのは、元を辿れば“それ”をやっていた過去の俺をずっと間近で見てきて学んだからだろう。因果応報をひしひしと感じる。
距離感自体はかつての男同士の頃のままであり、逆にそのせいで肩はくっつくわ顔は近いわで逆に攻撃力がクソ高いのもお困りポイントだ。こまった、ちょっと勝てない。
「──あっ、キィくん!」
食堂でレッカ……ホムラと向かい合って食事をしていると、横から声をかけられた。
「お、おう……風菜か」
「キィくんもカレーだったんですね。お隣いいです?」
「あぁ」
そうして俺の隣の席を陣取ったのは、サイドテールが特徴的な翡翠色の髪の少女だった。
彼女は風菜・ウィンド。
双子の姉と一緒にヒーロー部に所属しているチームメイトだ。
あの波乱万丈極まる旅の中で何度も触れ合い、俺が変身した姿の美少女に恋をしてくれたりなどいろいろあった末に、先月の下旬辺りに真正面から告白してくれた少女でもある。
「あ、スプーン忘れちゃった……」
バタバタと忘れた食器を取りにいった。
程なくして戻ってくると彼女は恥ずかしかったのか少し頬を赤らめている。かわいい。
「えへへぇ……──あっ、ホムラちゃんもいたんですね」
「こんにちは、フウナ」
ようやく気づいた風菜に声をかけられてもホムラの態度は相変わらずだ。
女に変身した自分の前に見知った相手が現れたにもかかわらず、動揺する様子が欠片もない。
……コイツ本当にあのレッカなのか?
ヒロインたちに抱き着かれて顔を赤くして焦ったりしてた純情ボーイなあいつはどこへやらだ。あまりにも精神的に成長しすぎてるだろ。
「ホムラちゃん、今日もキィくんと一緒なんですね?」
「まあね。ポッキーはボクが傍にいてあげないとダメだから」
平然とした顔で言ってるけどその発言普通じゃなくない?
もしかするとレッカは昔の俺と同じで美少女体だとガチでスイッチを切り替えられるタイプなのかもしれない。まさしく秘められていた才能というやつだ。
「むむ。……キィくん、あたしのカレーを一口食べませんか?」
「いや味は一緒だろ」
「どうぞっ!」
「……いただきます」
「ふふっ。あ~ん」
風菜の見せつけるようなあーん攻撃!
「……ほう、やるねフウナ」
こうかは いまひとつみたいだ……。
「でも実はさっき既にボクの麻婆豆腐をあ~んしているんだ。よってボクの方が先なんだな、これが」
「なっ、なんですと……!」
どういう争い?
「……流石はホムラちゃんですね。でも、負けません! あたしキィくんのハーレム三号ですから!」
「風菜、ちょっと声のトーンおさえてくれ」
「なるほど。ボクもその称号はまだ持っていない……ふふ、面白いねフウナ。ならばボクはこれまで秘匿されていた伝説のハーレム零号と名乗らせてもらおうかな」
「おいホムラも乗るな」
二人の美少女が俺の目の前でハーレム云々を主張しているせいか、次第にがやがやと周囲が騒がしくなってきた。俺の社会的地位の失墜がとどまることを知らないからそろそろホントに勘弁してほしい。
「むっふっふ、序列の割り込みはルール違反ですよ、その地位は誰も保障してくれません。あたしは正式に衣月ちゃんに認められたハーレム三号なので称号の価値が違うのです」
「……そっか。でもフウナ、ポッキーがお風呂に入る時……いつもどこから最初に洗うのか知らないよね」
「な──ッ!!?!?!?」
レスバの激化に伴い周囲からの視線も増えていく。
この世界を救って一躍有名人になったヒーロー部の一員である風菜と、レッカ・ファイアの親戚にあたるミステリアスな謎の美少女転校生の間に挟まれている当の本人である俺が何者でもないため、他の生徒たちは困惑するばかりだ。
一応ヒーロー部としての活動を通して俺を知ってくれている人たちもいるにいるが、それでも普通の生徒の域を出ない誰だアイツ状態の俺では、なんか有名人に囲まれてるよく分からんモブという認識がせいぜいだろう。地獄。
──おそらく風菜はホムラの正体がレッカであることに気づいている。
というかヒーロー部はもれなく全員、この秘密については認知済みだろう。
なんせクリスマスの翌日、行方不明になったレッカの代わりに俺と一緒に彼女たちの前に現れて、なおかつ俺が失った変身用のペンダントを彼女が持っていたのだから、むしろ気がつかない方がおかしいというものだ。
そもそもレッカ自身がほとんど取り繕わないのだ。
一応ホムラという名前を名乗ってはいるが、俺のことは男の時と同様にポッキーと呼ぶし、ヒーロー部の面々に対しても、基本的に態度は変えていない。
変に新しいキャラを作るよりも、元のままでいったほうが俺を困らせるのに有効だと気づいていたのだろう。
レッカは今ホムラとして、これまでの親友という関係性を利用して誰よりも俺の近くに居座っている。
そうすることで俺に対して『好意を抱いている』と明言してくれた少女たちの壁になって、立ちはだかっているのだ。
ハッピーエンドなラブコメを俺に過ごさせない為に。
コクという少女に扮して彼を振り回し、恋心すらも乱しまくった俺への意趣返しでもあるのだろう。自分はこんな気持ちだったんだぞ、と暗に伝えてきていて、俺もまさに今それをバッチバチに感じまくっている。本当にすいませんでした。
俺を好いてくれている少女たちからすると、今のレッカ──いや、ホムラは現状最強のライバルだ。
彼女を諦めさせて男のレッカに戻さない限り、ここから先に進むことはできない……らしい。
なぜレッカがこんな暴挙に出たのか。
遊んでいるだけなのか、それともガチでヒロインとして俺を狙っているのか。
もしくは俺とレッカの間にしかなかった秘密があって、そこから本当にホムラという新しい存在が発生したのか。
ヒーロー部の少女たちはその真実をまだ知らないが、とにかく今はホムラに好き勝手させないために、食堂に現れた風菜のように毎度目を光らせている──というのが今の学園生活の現状なのである。毎分胃が痛い。
いや、まぁ、俺が本気で止めようとすれば終わる話な可能性は捨てきれない。
学園生活を送りながらヒーロー部と青春を謳歌したいなら、きっとそうするべきなのだろう。
しかし俺には無視できない責任があるのだ。
レッカに選択を委ねた、という当事者としての責任が。
まず一度、俺たちはこれまでの行いに対して清算をおこなった。
俺が騙していた事や、レッカも俺を騙していたことなど、それまでの全てを話してそれらをスッキリさっぱり終わらせたのだ。
だから一度は自由になったはずだった。
そこから俺が新たに背負う責任は、レッカが選んだ道で生きていくという、その一点のみであるはずだった。それ以外には一つもしがらみを持たずに生きていこう、と。
……なのだが、困った事にレッカは三つ目の選択肢を発生させやがり、最大限に俺を困らせる方向に舵を切ってしまった。
レッカが選んだ道には口を挟まず受け入れる──その俺が持つ唯一にして最大の責任が、この事態を延々続けさせる要因となっている。
とどのつまり、俺は立場上レッカに『やめろ』とは言えないのだ。
それが俺のたった一つの、人として、そして友として守らなければならない大切な責任だから。
……マジで最大の弱点を突いてきやがったなアイツ。どうやら精神攻撃パワーが俺を超えたみたい。あまりの成長具合におじさん泣いちゃいそうです。
◆
「ライ先輩。また町内会から手伝いの依頼が来てるみたいなんですけど」
「ん、どれどれ。……うん、この日なら私が空いてるよ。一緒に行こうか、アポロ」
「了解です。二人で向かうってメールで返信しときますね」
あれから少し経って放課後。
他のメンバーは委員会の仕事などで遅れているため、部室には俺とライ部長の二人しかいない。
パソコンで依頼のメールを確認しながら作業しているのだが、俺の隣に座った部長は先ほどからやけに機嫌がいい。どうしたのだろう。かわいいね。
「ライ先輩?」
「ん?」
「あ、いえ。なんかすごく機嫌がいいな、と」
「ふぇっ」
そう言うと部長はちょっとだけ恥ずかしそうに目線を下げた。困り顔がちょっと美人すぎて腰が抜けそう。
「す、すまない。……なんというか、こうして君と二人きりになれる時間はあまりなかったから」
俺と二人きりだから楽しそうにしてたってことですか!!? あざとかわいいにも限度あり。マジで恋煩いしてしまう。
「ふふ、これまではずっと多忙だったが……生徒会長としての任期も終えたし、かなり時間にゆとりができた。これからはもっと一緒にいられる時間が増えるはずだ」
「そ、そうですね。……そういえば、ライ先輩はもう進学先が決まったんでしたっけ」
「先月にな。ひとまずは安心だから、ヒーロー部にはなるべく顔を出すようにするよ」
そう語る先輩の表情はとても落ち着いている。
この年始の時期は、三年生の先輩方は受験を控えていて多分一番忙しいはずだ。
しかし生徒会長とヒーロー部の部長を兼任していたスーパー才女であるライ先輩は既に進学先が決まっており、余裕をもって部活に参加できるとのことだった。
「アポロも来年度から三年生だが……どこを受けるのかは決まっているのかな」
「まぁ、一応。……先輩と同じところを」
「っ!」
俺の場合は先輩と違って表立った功績がほとんどないので普通の一般受験になるが。
「そ、そうか。……そうかぁ」
表情が崩れちゃってますね。にへら笑いになってて油断と隙しかない。
それほど俺に対して心を許してくれているという事でもあるが……改めてよくこんな関係性になれたな、俺。最初は主人公みたいな親友をからかうために美少女へ変身したただの変態だったのに。
「アポロ、よかったら私が勉強を見てあげようか」
「え、いいんですか?」
「あそこに行く場合、君の成績だと少し頑張らないといけないだろう」
「うぐっ。……すいません、お願いします」
「うむ、任せたまえ」
こういうところはズバッと言ってくれるんだよな。そんなところが信頼できるとも言えるが。
元から好きな科目以外の勉強はそこまで得意な方ではないし、それに加えて俺は敵に追われながら日本や国外を旅していた時期があったせいで、周囲と比べて勉学が少々遅れているのだ。
ライ先輩に見てもらってようやく平均にギリ届くかといったところかもしれない。今年は気合い入れて頑張らないと。
「……ふふっ」
ライ先輩が小さく笑った。どうしたのかしら。
「いや、すまない。……こうして普通の学生らしい話をできることが嬉しくてな」
「先輩……」
「クリスマス・イヴの日に君がまた悪意に狙われた時は肝が冷えたが……無事に戻ってきてくれて良かった。……また少し妙な事態に陥ってはいるが、総合的に見ればいつもの事だろう。何はともあれ皆が揃って学園にいることが一番だよ」
この妙な事態というのは間違いなくホムラのことだろうが、流石は部内で唯一の三年生といったところか、ライ先輩は今回の騒動に関しては少し俯瞰して見ることができているようだ。俺もぜひその余裕が欲しいところ。
「そうだアポロ。明日の休みは予定などはあるのかな?」
「……あー、えっと。……朝からホムラとイベントに行く予定なんです。予約制のチケットがないと入れないやつなんですけど……俺の分まで用意してくれてたみたいで」
「っ! ……そうか。……ふむ、先手を取られてしまっていたらしい。侮れないな、ホムラ……」
その口ぶりからして俺と過ごす予定を計画してくれようとしていたのは明らかだが、流石に先に約束していた方をドタキャンして彼女に予定を合わせるのは、生真面目なライ先輩本人から見ても地雷行為だ。今回ばかりは向こうを優先しなければ。
◆
そして翌日の昼頃。
ホムラと一緒に物販コーナーでの買い物を終えて会場内を歩いていると、偶然にもかなり予想外の人物と出くわした。
「マユ……?」
「──げっ。……アポロたちも来てたんだ」
アニメ作品のイベント会場で大きなリュックを背負ってフラフラしていた小柄な少女の正体は、同居人でありもう一人の自分でもあるマユだった。
どうやら彼女は物販でかなりの量のグッズを収集していたらしく、明らかにパンパンになったリュックを背負って疲弊している。
「やあ、マユ」
俺の隣にいたホムラも当然マユに気がつくわけだが大して気にする様子はない。
「……ホムラもチケット取ってたんだね。言ってくれたら一緒に来たのに」
「はは、ありがとう。でもポッキーと二人で行きたくて」
「ふ、ふうん。……それはいいけど、ちょっとアポロとの距離が近すぎない? 腕くっ付いてるし……」
「おっとこれは失敬」
マユに指摘されたホムラは俺から一歩離れたが、未だ明るい表情のままだ。
「ごめんマユ、ちょっと邪魔しちゃったね。ボクは外の自販機で何か買ってくるから、その間ポッキーを頼めるかい」
「えっ。……う、うん」
「ポッキー、飲み物は何がいい?」
「あー……適当に炭酸で」
「マユは?」
「えと、私もそれで」
「はーい」
そう言って彼女は一旦俺たちの前から姿を消した。
突然の待ち時間が発生したため、二人で付近の柱へ寄りかかって待機することにした。
なんというか、少し意外だ。
ホムラの事だからてっきり俺を引っ張ってすぐにでも二人になろうとするのではないかと考えていたのだが、まさか予想に反して一歩引くことでマユに俺を任せるとは思っていなかった。
引き際を見誤ることなく、場合によっては余裕をもって一時的に離れることも辞さない──なるほど。
たしかに俺が昔やっていたメインヒロイン術だ。
押してダメなら引いてみろという言葉があるように、時には相手から離れることもメインヒロインとしての格を保つ事に繋がる。
メインヒロイン面に一番大切なのは『余裕』だ。
なにも絶対に自分が余裕でい続けるという意味ではなく、なんとか周囲に自分の真意を悟らせずそれっぽい雰囲気を維持し続けること──それが謎の美少女ごっこの極意なのだ。……こんなもんに詳しくても意味ないけど。
「……はぁ」
隣にいるマユが小さくため息をついた。
「アポロがハマってたアニメのグッズを密かに手に入れて、プレゼントして驚かせる作戦だったんだけどなぁ」
「……その為にこのイベントまで出向いてくれたのか?」
「ホムラの読みで泡沫に帰したけどね。どうせチケットを取ったあの子に連れて来られたんでしょ?」
「まぁ……」
概ね認識は間違っていないものの、断るわけにもいかず無理やり──というわけではない。
このイベントには前から行きたいと思っていたのだ。
あくまでレッカと、だが。
普通に親友と男二人で遊びに行きたい、といった気持だったわけだが実際はコレだ。
美少女ごっこで彼の心を弄んだ罰としてはこの上なく上出来で、むしろイベントに不参加になるよりもダメージがデカい。
だが改めて考えてみると、自分のことを一番に考えてくれている可愛い女の子が毎日一緒に登校してくれて、四六時中一緒にいる割には距離感自体は男友達のそれで心地いいし、休日には遊びに誘ってくれたり自分の趣味にも普通以上に共感を示してくれる──という、お前それで何が不満なんだと周囲から文句を言われそうな状況ではあるのだ。
いま明確に『何に困っているのか』と聞かれたら、とても一言で答えられるとは思えない。
だから、きっとこれは贅沢な悩みというやつなのだろう。
俺がモヤモヤしている理由は親友が非の打ち所がない美少女にTSしてしまったからだが、その原因を作ったのは間違いなく俺であり、それでいて基本的な私生活には特に支障はきたしていない。
故に困っているのだ。自分が何をすればいいのかがまるで見えてこない。
「……どうするの? ホムラのこと」
「どうするって言われてもな……全面的に俺が悪いし……」
ホムラがレッカに戻れば万事解決──というわけでもない気がする。
既にヒーロー部に立ちはだかってしまったレッカが彼女たちと元の関係性に戻れるとは思えないのだ。
かつては俺もヒーロー部と対立していたが、その時は曲がりなりにも衣月を隠し通すことで『世界を守る』という建前上の大義名分があったものの、レッカには今それがない。
ホムラはコクという謎の美少女として活動を始めた頃の俺と何もかもが一緒なのだ。
ただの一つも後ろ盾がない状態で、周囲の人々を相手取ってヒロインを演じるという、一般人なら全く理解できないような限界ギリギリの崖っぷちな状況に自ら踏み入ってしまっている。
だから、分からない。
なんか紆余曲折あって結局は元鞘に収まれた俺には、今の彼女がどうするつもりなのか、そして自分自身が何をすべきなのかが分からない。マジで困り果てた。
「でもアポロ、この状況……実はちょっと楽しんでるよね」
「うぇっ!?」
マユにジト目で指摘され、思わず上ずった声が出てしまった。恥ずかしい。
「だって毎日鼻の下を伸ばしてるし」
「い、いやそれは──」
つい言葉に詰まり、一瞬黙ってしまった。
言われて気づいたことではあるが、思い返してみると否定できる材料など一つも持ち合わせてはいない。
マユが突っついてきた部分は間違いなく真実で、俺という人間は今の状況を困った顔しつつも確かに楽しんでいる。
その理由は明確だ。
いま、俺は“レッカ”になっている。
謎の美少女ごっこを始める一番の理由となった、去年の春ごろの彼とほとんど同じような状況になっているのだ。
一年を通して大勢の悪意と戦い抜き、その中で絆を深めた複数の少女たちみんなから、誰から見ても明らかなほど自分に対して好意的に接して貰えている。
俺という存在そのものを取り合われている。
そう、言うなればこの状況、まさしくハーレムというやつだろう。
──ん?
「……あぁ、なるほど。ありがとうな、マユ」
「えっ。……なにが?」
「自分がどうすればいいのかようやく分かったんだよ。だからそのお礼だ」
「は、はぁ……」
マユの言葉でふと我に返り、一旦落ち着いて考えてみれば、欲していた答えは驚くほどすんなり出てきた。
──今なら当時のレッカの気持ちがよく分かる。
あの時はアホみたいにモテやがってカス野郎がという気持ちでいっぱいだったが、彼と現在の自分と重ね合わせてみると、あの頃の親友特有の受け身主人公ムーブのワケに説明がつく。
それはあまりにも単純明快なものであり、高校生の男子としては至極当然のものだったのだ。
楽しい。
気持ちいい。
このままがいい。
本当にただ、抱いている感情はこれだけだ。
たとえ大勢の命を救っていようが、滅びゆく世界の運命を変えていようが、結局は十七歳の男子高校生。
もちろん多少の精神的な成長はあったかもしれないが、別に極端に人格が変わるほど長い時間を戦いに費やしたわけではないし、普通の男子が抱く『女子にモテて嬉しい』という当たり前の感情は、立派な使命を果たしたところで消えるようなヤワなものではない。
だって、それは間違いなく本能から来る想いであるはずだから。
できれば女子にモテたい。
別にそんなの興味ないと思っていても、実際にモテたとしたら、きっとそれはそれとして嬉しい。
陽キャだろうが日陰者だろうが、誠実な主人公だろうがカスみたいな変態だろうが、俺たち男子高校生はきっとみんなそういう風にできているのだ。
だから俺もあの時のレッカも、この現状の維持を望んでなぁなぁな態度を取っていた。
例えあからさまに邪な感情を抱いてなくとも、無意識にそうしたいと行動していた。
確かにこの環境は気持ちがいい。
けど、きっと良いものではない。
許されるか許されないかではなく、俺自身がこれから生きていくうえで良いか悪いかを考えた場合、これは良くないと感じたのだ。
そして“ハーレム”を終わらせる方法を、俺は既に知っている。
あの日の夜、他でもない親友自身が俺に証明してくれた。
決して放棄できない責任を背負っていたとしても、それがあればきっとなんとかなる。
この事態を終焉へ導くための鍵は──誠実さだ。
◆
「ポッキー、この漫画って十二巻で終わりなの?」
イベントの日から一週間後。時刻は昼過ぎ。
ホムラは俺の家の畳の上でゴロゴロしながら漫画を読み耽っており、完全に油断しきった状態だ。
だらけきった体勢も相まって胸元やスカートが少々危ないことになっているが、それを眺めたいという思春期の性欲は今は我慢しなければ。
「そこのダンボールに続きの巻あるぞ」
「わーい」
ぽわぽわしてるホムラはどう見ても休日モードだ。
タイミングとしては今日しかない。
俺たちが二人きりで、且つホムラが他の少女たちへの警戒意識を解いているこの緩んだ状態でなければ、作戦の成功確率が著しく低下してしまう。
今しかないのだ。
マジでチャンスは一度きり──覚悟しろよホムラ。
「なぁ、ちょっといいか」
「んー?」
お前は確かに完璧に近いメインヒロイン面をこなしている。
レッカだった、という立場を利用した大立ち回りはまさに感服の一言だし、他の少女たちを寄せ付けないオーラはまさにメインヒロインに相応しいものだ。こうして俺の家に入り浸っているのもポイント高い。
「あ、お昼? 確かにそろそろおなか減ってきたねぇ」
しかしお前は美少女ごっこを始めて日が浅い。
ヒロインとしての振る舞いは見事だが、あの頃の俺と明確に違う点として『正体がバレてはいけない』という緊張感が存在しない。
故に発生してしまうのだ──油断が。
今のだらけたお前は謎の美少女ホムラではない。
あぁして無防備を装って興奮を煽るやり方も存在するが、どう見てもアレは違う。
アレは普通に俺ん家へ遊びに来た親友のれっちゃんだ。親友だからこそれっちゃんが今『狙ってやってるわけじゃない』というのが分かるのだ。
なので確信できた。
今が攻め時だということを。
「ホムラ」
俺は見ていたスマホを丸テーブルの上に置き、立ち上がって彼女の近くまで移動した。
まだ漫画に夢中なホムラはさほど気にしていない様子だが好都合だ。
あぐらをかいて漫画を読んでいる彼女の後ろを無事に陣取った。
「……」
「ん? どしたのポッキ──」
そして、完全に油断しきったホムラの身体を、後ろから腕一杯に抱きしめてやった。
「っ!?」
「……」
「ぽ、ぽっ、ポッキー……!?」
ホムラは予想通りの狼狽っぷりを見せており、今の彼女からは普段のような余裕は少しも感じられない。
もし彼女がいつもの鷹揚な態度だったらこうはいかないだろう。仮に物陰で壁ドンしたとしても『ふふっ、どうしたのかなポッキー?』と軽く一蹴されるのがせいぜいだ。
「どっどどうしたの……? なんで急に抱きしめてきて……アハハ、ぁあれか、発情しちゃったか!」
しかし今はご覧の通り。頬が紅潮しておめめぐるぐる。
これが事前準備のパワーである。
どうしてもこのセッティングが必要だった。
今の俺は男だが──メインヒロイン面した謎の美少女ごっこの極意、その一。
こっちが基本的に弱い立場である以上、対話時に相手のペースのままだとなんぼなんでも勝ち目が無ぇので、死ぬ気で最初から最後までずっと自分のターン! を心掛けるべし。
「ホムラ、聞いてもいいか」
「なっ、なに……?」
そして極意その二は迅速果断。
相手が落ち着きを取り戻す前にボッコボコに畳みかけるべし。
「お前、クリスマスの夜に『メインヒロイン面する』って俺に言ったよな」
「う、うん」
「それなら、これからちゃんとヒロインになる覚悟はある……って考えてもいいんだな?」
「へ……? ひ、ヒロインに……?」
一定のラインを超えた場合の謎の美少女ごっこは、自身の運命をかけたチキンレースであって決して遊びではない。
もし、仮に、万が一、億が一、例えそれが何かの間違いで合ったとしても──相手に選ばれた場合は、その答えを示さなければならない。
「俺は沖縄でレッカに対して想いを告げたとき、相手が本気ならそれを受け入れていた。これは親父の開発した未来演算装置でも実際に証明されたことだ。そういう世界線も確かな可能性として存在していた」
「……っ!?」
そう、一歩ミスっていればコクは既に沖縄でレッカにブチ犯されている。
もっと正確に言えば、海で二人きりだったコクたちを他のヒーロー部が探しに来た段階で、呆然としたままだったあの時のレッカが『邪魔されたくない』と強く思って、コクと一緒に水の中へ隠れていれば、そのルートは間違いなく実現していた。
「そのペンダントを使った美少女ごっこは綱渡りだ。……あの時レッカを誘ったコクは、彼の選択次第ではそのまま堕ちていた」
「ぇっえ……」
「メインヒロイン面するってことは、選ばれる側に回る──つまり相手に選択権を委ねるってことなんだよ」
コクとしてのスタンスを今一度思い出してみてほしい。
私だけを選んで、ではない。
他の娘を見ないで、でもない。
遊んでからかうけど求められても拒否して遊びのまま終わらせる、なんて事でもない。
──私を選んでもいいよ、だ。
謎のヒロインってのは選択肢だ。
たくさんの美少女に囲まれた主人公に対して、他のヒロインたちより関心を引くような立ち回りをして『こっちじゃなくてそっちにしたい』と、主人公自身に第三の選択肢というものを自ら自覚させるための方法だ。
明らかに一度フラれたがっていたあのクリスマスの夜以外なら、どのタイミングで選ばれても、表面上ちょっと抗ったあとすぐコロっといっていた事だろう。実際あの後も俺自身の処遇は彼に委ねていた。
つまり選択を受け入れるという“覚悟”を持つことが、そのペンダントを用いた美少女ごっこの本質なのだ。
「メインヒロイン面するって言ったよな、ホムラ」
「そ、そうだけど……」
「なら、今ここで俺がお前を求めても、それにヒロインとして応えてくれる覚悟も持ってるってことでいいんだよな?」
「それは……──えっ。ぁ、あぇっ……!? そそれって……!」
後ろから抱きしめた手を少女の胸元──そこにある変身ペンダントへ伸ばした。
そのまま耳元で囁くように警告する。
「これ。今から終わるまで、絶対に押さないって約束できるか」
そう言った、次の瞬間。
「~~~ッ゛♡!!?!?」
「……? ──うおっ」
少女は俺の腕を振りほどいて、腕で自身を抱きしめながら向かい側の壁に背を預けた。
頬どころか耳の先まで真っ赤にして、視線も右往左往しまくりだ。
「はっ、は……! ぇっ、あ……ぼ、ボクは……っ!」
あまりにも焦燥しすぎているこの様子を見るに、俺の作戦は大成功を収めたようだ。
まだ遊び感覚の抜けない“レッカ”に問うのだ。
美少女ごっこに対する誠実さを。
マジでお前このままくんずほぐれつする覚悟あんの? と。
その結果は──見ての通りである。
「どうしたんだ、れっちゃん」
「っ! ぁ、う…………ぼ、僕っ、今日はもう帰るね……ッ!!」
完全に気が動転してるレッカは、引き留めようとする俺の言葉を聞く間もなくバタバタと荷物をまとめて家を出ていってしまった。
「……まさか、あそこまでクリーンヒットするとは。れっちゃんもまだれっちゃんだったか。……はぁ゛ー、よかった……」
次第に彼女の足音が遠のいていき、そこでようやっと安心して大きな息を吐いて、俺は全身の力を抜いて仰向けに倒れることができたのだった。
はぁ。
ようやくホッとした。
元がかなりの純情くんだったレッカだからこそ、勝算があると踏んで実行した作戦ではあったが、もしも耳元で囁いた時に無抵抗で頷かれていたら、もう完全に俺の負けだった。
マジのマジでギリギリだった。
ほんっっとうに超危ない綱渡りだった。
この上なく追い詰められた、まさに史上最強の相手だった。
だが──そう、このギリギリ感だ。
俺が美少女ごっこに邁進していた大きな理由の中に、この削ったメンタルを糧に勝負する対話バトルで感じるスリルがあったのだ。
これもまたメインヒロイン面するのに大切な要素だった。
もちろんレッカのロールプレイにも目を見張るものがあって、実際かなり驚かされたが、この運命の崖っぷちに自らを追いやる限界ギリギリのスリルを楽しむ度胸がなければ、本当の美少女ごっこというものを遂行するのは不可能だろう。先輩からの一言です。
「……まあ、とりあえずしばらくはコレで大丈夫か」
天井を眺めながら安堵の声を漏らした。
もうペンダントを返せだとか、責任と約束を反故にするようなセリフを言わずに、ホムラの心をレッカに戻す作戦はなんとか上手くいったので、当分の間は安泰だ。
ここから先、レッカがどういった判断をするのかは彼次第である。俺にできることは全部やった。後悔はない。がんばったです。
「……散歩でもすっか」
闘い終わって安心したおかげか、急に空腹が訴えかけてきた。
このまま家にいるのもなんだしコンビニで適当な物を買って、気分転換に近所をフラっと散歩してこよう。れっつごう。
◆
ちょっと周囲をブラついて帰るだけのつもりが、ついつい駅付近まで足が伸びてしまい、なんやかんやでゲームセンターに寄ったり映画で時間を潰したりしていたら、いつの間にか夕方を過ぎて夜になってしまっていた。
良さげなフィギュアがあったクレーンゲームには大敗して、レッカとのコミュで削れたメンタルを回復させようとコメディ系っぽい映画を選んだら構成ぶっ壊れなとんでもないクソ映画で逆に困憊に陥ってしまい、財布も気力も底をついたままフラフラと帰路についているのが現状だ。
「なんかこういうのばっかだな……」
ついつい苦笑交じりに呟いた。
何か物事がうまく運ぶと、その後に決まって大失敗したり痛い目に遭うのがお約束みたいになっている気がする。主に自己責任で。
本当に思い通りにいかない人生だ。
まあ人生ってそういうものなのかもしれないが、高校生でそんな世知辛い真理を知りたくはなかったぜ。もっと夢が見たい。
「……ん? ……ここって確か──」
せめてどこかの景色でも眺めてから帰ろうと、少しだけ遠回りの道で歩いていたところ、ふと見覚えのある場所を通りがかった。
「まだ工事中だけど……橋は繋がったのか」
俺が辿り着いた場所は、かつて俺がヒーロー部の皆の前から正面切って逃げ出した──沖縄へ向かう旅の始まりの地でもある大橋だ。
海を跨いで向こう側と繋がっているこの名前も知らないなんとかブリッジは、確かその時は真ん中の繋がる部分がなくて分断されていたんだっけか。
あの時はいろいろ逡巡した結果、もっと本気でコクをメインヒロイン面した謎の美少女として認識させたくて、雨の中でレッカに別れを告げるというそれっぽい演出を披露した後──貴重な実験体として扱われていた白髪の少女を、両親が悪の組織から外へ逃がして。
そのまま俺の家の前で震えていたその無表情な彼女を拾い、流れで半強制的に身元を隠しながら沖縄へ向かうことを余儀なくされて。
家がぶっ壊されて、なんとか出発した翌朝には、俺自身がちょっとしたヘマをして──それを一人の少女に目撃された。
たしかそんな感じだったよな、あの旅の始まりって。
いま思い返してみても全てがライブ感というか、その場その場のノリでピンチを何とか誤魔化して先へ進むグダグダな冒険だった。
まぁそういう計画性が皆無な旅ではあったものの、結局はこうして思い出として当時のことを振り返ることができている。
それは俺が今もちゃんと生きて息をしているからで。
何よりクソハードモードな命懸けのバタバタ珍道中が約束されていたあの過酷レベルマックスな激ヤバ冒険の中において、ロリっ娘一人も満足に守れないような弱い存在だった俺に対して、唯一最初から味方として接し、肩を並べる仲間となって協力してくれた、とある一人の少女の存在があったからに他ならない。
「うわー、懐かし。あの後レッカがブチ切れながら空を飛んで追いかけてきたんだよな」
少し歩いて近づき、もう完成間近な橋を眺めながら感慨深く呟いた。
半ば巻き込んだ形ではあったが、ヒーロー部の中で唯一俺の秘密を共有した部員である彼女と一番最初に行動を共にしたのが、当時は向こう側と繋がっていなかったこの大橋だった。
その後も時には優しく時には厳しく、とにかく根気強く支えてくれるその少女がそばに居続けてくれたからこそ、今俺はこうして無事に生きていると言っても過言ではない。……マジで揺るがない事実だな、うん。
……とても急ではあるが、何か無性にアイツに会いたくなってきた。
かつての俺のような美少女ごっこをするレッカと接し続けていたせいか、最近やけに原点を振り返る機会が多い気がする。
柄にもなく感傷に浸り、なんとなく胸に残っている小さな痛みが疼いて、それがどうして心地いい。
これは何かのキャラムーブを楽しんでいるとかではなくて、きっと俺だけが、感じることを気持ちいいと思える痛みだ。
昔の親友のような人々を救う主人公としてではなく、世界の運命を握る謎のヒロインでもなく、よく分からん事態に巻き込まれながら面白おかしい冒険を経験した──ただのアポロ・キィという一人の人間だからこそ感じられる心地よさだ。
この思い出だけは、絶対にこの俺だけのモノであるはずだ。
「──……なーにしてんですか、こんな何もないとこで」
ふと、背中に声をかけられた。
つい反射的に肩が跳ねてびっくりしつつ、後ろを振り返ってみる。
「……お、おぉ……なんだ、音無か」
「音無かぁ、じゃないですよ。まったく」
そこにいたのは学園指定のコートに身を包み、黒髪をハーフアップで結びあげた一人の少女だった。ちなみにちょっと呆れた顔をしている。
彼女を知っている。
あの少女は先ほどまで頭ん中での回想の大半を占めていた張本人だ。
先ほどは、この思い出は俺だけのものだと考えていたが、よく考えたらもう一人だけそれを共有できる存在がいた。
それが一学年下の後輩である彼女。
オトナシ・ノイズだ。
なんか普段とちょっと髪形が変わってて可愛いね。
「……てか、音無こそどうしてここに?」
「スマホ見てないんですか。マユちゃんからメッセージ来てると思いますけど」
「いや、一時間くらい前にバッテリー切れちゃってて」
「あー……なるほど」
スマホが使えなくなり暇潰しが不可能なったからこそ、いい機会だと遠回りして散歩する理由になったといってもいい。
「実は二十分くらい前にマユちゃんからこっちに連絡が入ったんですよ。今日はホムラちゃんとずっと家にいるって言ってたのに、二人ともいないし夜になっても既読がつかない~、って」
「そりゃ悪いことしたな……ん? てことは音無、俺を探しに来てくれたってことか」
「……まあ、先輩は裏社会の人たちから襲われた前例とかあるんで、一応ちょっと心配で」
手を後ろに組んでそっぽ向く音無。なに、どした。
……あぁ。心配だから探しに来たってセリフ、真正面から言うのは恥ずかしいもんな。
ここ最近はずっと平然とした態度のまま近い距離で接してくるホムラといたせいで、普通の女の子がどういう感じなのか少し忘れてた。
これが普通なんだよな。
歯の浮くような言葉なんてのは言い淀んで然るべきなのだ。やっぱホムラは距離感バグってたわアレ。
「……先輩、なんか良いことでもあったんですか?」
「え、何で」
「いえ……さっきからニヤニヤしてるというか、やけに上機嫌と言いますか……」
怪訝な表情で聞いてきた音無に言われてようやく気づいた。
やばいな、顔に出てたのか俺。
直近であった良いことと言えば、昼頃にホムラの心をレッカに戻せた件だが──俺の顔を崩していたのはきっとそれとは別のことだろう。
無性に会いたいと思っていた存在に会えた。
それも向こうから探してくれていた。
そんなの、普通に嬉しいに決まっているだろう。
ついつい無意識に破顔してしまっても不思議ではない。
「ちょっと昔のことを振り返っててな。思い出し笑いっつーか……そんな感じ」
「はぁ。この大橋に思い出が──」
そこまで言いかけてようやく思い当たったようで、やっと音無も思い出したように小さく笑って、こちらへ歩み寄ってくれた。
「あ……ふふっ。そっか、私たちが衣月ちゃんを連れてヒーロー部の皆さんを撒いたとこだ。えーと……そうそう、確かあそこら辺でしたっけ」
工事中の看板の向こう側を眺めながら、かつて俺たちが風魔法で空を飛んだ当たりの場所を楽しそうに指差した。
やはり彼女もあの頃のことを覚えてくれていたようだ。
一年間ヒーロー部として戦った思い出や、忍者として活動していた時期もあった中で、それでも俺との旅の思い出のを鮮明に覚えてくれていたことが何より嬉しい。
あんなのでも俺にとっては高二の大切な青春の一部なのだ。
普通の人たちから見れば辛さや大変さにばかリ目が行くかもしれないが、俺としては本当に楽しい旅だった。
「懐かしいな、音無」
「ホントですね。……あっ、ていうかあの時の私、冗談抜きでめちゃめちゃ大変だったんですよ? レッカ先輩がお熱になってる女の子の正体が親友のあなたで、それを知った途端に『ヒーロー部を裏切って協力してくれ』、だなんて」
「その節は大変ご迷惑をおかけいたしまして……」
思い出話をしながら歩き始める。
この大橋が街外れということもあり、時間帯も相まって河川敷の付近に人影はなく、まるで世界に二人だけしかいないかのような静けさを感じる。
「そういえば聞き忘れてましたけど、今日お家にいらっしゃってたホムラちゃんはどうしたんですか?」
「……いろいろあって帰ったんだよ。おそらく当分は大人しくなるんじゃないか。……それこそレッカに戻るかも」
「え、そんなことありますかね。あの人結構本気でしたけど……」
どうやら音無から見てもレッカはホムラとして完全にスイッチを切り替えているように感じていたらしく、俺が彼を負かした話を聞くと素直に驚く様子を見せた。
「……やっぱり先輩はスゴいですね。人を変える才能があるっていうか……」
「そ、そうか? へへ……」
「……良くも悪くも、ですけど」
「う゛っ……」
照れる前に釘を刺された。つらい。
よく考えてみれば確かに手放しで褒められるようなことはあんまりしてないし、レッカの件も事の発端はそもそも俺だ。やっぱり格好つかないな。
「──ね、先輩」
落ち込んで項垂れたまま歩いていると、急に音無が数歩先へ進んでこちらを振り返ってきた。
どうしたの突然の美少女しぐさ。
「クリスマスの日のことなんですけど、私ちょっと気になっちゃって」
「気になるって……何がだ?」
音無の言うクリスマスの日のこと、とは街外れの廃ビルの中で二人きりで話をした時のことだろう。
まず初めに学園が悪いやつらに襲われて隔離されてしまい、その日に決闘の約束をしていた警視監へ会いに行くためにギリギリで俺だけが外に出て、実は学園の襲撃は盛大な囮で、敵の狙いは俺だった──みたいな流れだったはずだ。
そして捕まりそうになったところを音無が助けてくれて、逃げた先の廃ビルの一室で、お互いに改めて言いたいことを言い合って。
そこに至るまでずっとグダグダだった俺たちの関係性が、そこでようやく一歩前進することができた……と。
思い出してみるとやっぱり少し恥ずかしいシチュエーションだったが、彼女は今になって一体何が気にかかるのだろうか。
「ほら、私たちってあの時いろいろと話したじゃないですか」
「そうだな。そのおかげで俺も決心を固めてレッカに会いに行くことができた」
「それなんですけど……結局、私たちって付き合ってるんですか?」
──えっ。
「どっ、ど、どういう……?」
「何と言いますか……先輩が私のことを好きなのは分かりましたし、私も先輩だけの味方でいたいって言いましたけど……なんかシリアスな雰囲気に流されて、ただ遠回しな言葉ばっかり使ってただけな気がしまして」
「そ、それは…………それは、確かに……?」
そうかな。
そうかもしれん。
いや、マジで言われてハッとした。
──俺たちって今どうなってるんだ?
「改めて言葉にした方が……いいですかね?」
「そう……だな。そうかも」
確かに関係性が前進するような会話はした。
お互いに溜め込んでいたものを吐露して、自分たちの気持ちに正直になった。
しかし、言われてみれば確かにあの時の俺たちは、なんか『それっぽい雰囲気』で『それっぽいセリフ』を言っていただけな気がする。
お互いにこうしていこうだとか、明確にこれからどうしていくのかなど、ハッキリとした答えは一つも言葉にしてしなかった。
そこからレッカがホムラになってひと悶着が発生してしまい、なんの憂いも無く改めて話せるようになったのは、それこそ今日が初めてだ。
「……すまん音無。こう……なぁなぁになってたな。また周囲の雰囲気に流されてたみたいだ」
「い、いえいえ、こっちも全然指摘しませんでしたし」
焦ってブンブン手を振った音無は、ちょっと気まずそうな苦笑混じりの表情になってしまっている。
──こんなんじゃダメだ。
いつもその場その場のアドリブで乗り切っていた俺だけど、これだけは頭の中で何度も反芻して、いつか言おうと決めていたのだから。
「えーと……じゃあ私から──」
「ちょっ、いやあの、待ってくれ音無……っ!」
「あ、はい」
咄嗟に彼女の言葉を遮った。
思い返してみるといつも──それこそクリスマスのあの日ですら、俺は彼女の方から言わせてしまっていた。
それじゃあ先輩としての面目丸潰れだろう。
既に地の底についた先輩の威厳がさらに下がってマントルに突入してしまう勢いだ。
しっかりと言葉にして伝えるべきだ。
こうして外で二人きりでいられる機会もそう多くはない。
だから今しかない。
今しかないんだぞポッキー。
ちゃんと正直になって、それでいて絶対に噛むなよ。
今こそ人生における大一番ってやつなんだからな。いけ、がんばれ!
「……俺から言わせてもらえないか」
夜の帳が下りた頃、周囲には誰もいない河川敷の上で、二人きりで向かい合う。
本来なら指先まで凍るような冷たい風が吹く新年の上旬だが、途端に爆発しそうなほど鼓動が早まってきた心臓のおかげで、今は全くもって寒くない。
身体が冷えると口が回らなくなるものだ。
だから安心した。
心も体も温かいどころかクソ暑い状態の今なら、しっかり噛まずに言えるはず。
「あの……ちなみに、私も自分から言いたいんですけど」
「えっ」
「どうします?」
「……い、いや、俺から言いたい。たのむ音無」
ここで本当なら相手を尊重するべきなのだろうがそうは問屋が卸さない。
思い出してみてほしい。
あの旅が始まったときから、今日この瞬間に至るまでの俺を。
……たぶん本当にずっと永遠に悲しくなるほどダサかった。
悪を倒しても、暗い過去を背負った少女を助けても、ここだけじゃなく他の世界を救ったあとも、結局最後は締まらないというかなんか格好がつかなかった。
こうして目の前にいる彼女こそが、この世で一番良いところを見せたい相手だというのに、気がつけばいつも助けてもらってばかりだった。泣ける。
だからこそ、今回だけは譲れない。
もういつものような展開はまっぴらごめんだ。
コレを最後にしたいのだ。今度こそ、これまで有耶無耶にしてきたこの流れを。
「今日だけは……俺にカッコつけさせてくれ」
マジの全力で羞恥心をこれでもかというほど押し殺し、ただまっすぐに彼女の瞳を捉えた。
いまこそ美少女ごっこで培ってきた大胆さを披露するときだ。
「っ。…………わ、わかりました。じゃあ、先輩にお任せします……」
俺の眼光から本気の意思が伝わってくれたのか、音無は自分の手を後ろに回して待ちの姿勢に入ってくれた。
この機を逃すまいと、意を決して一歩前進。
二人の間がサッカーボール一つ分くらいになるまで距離を詰める。
「……っ」
そして少女が俺を見上げた。
彼女もまた気恥ずかしい気持ちを堪えて、ほんのちょっとだけ緊張しながら、しっかりと俺の瞳を見つめてくれている。
──機は熟した。
ペンダントから始まった冒険を終わらせ、ここから俺の物語を始めるときだ。
「……音無」
「は、はいっ」
数えきれないほど迷惑をかけて。
それを超えるたくさんのものを貰って。
時には引っ張ってもらったり、また時にはこっちが背中を押したりもした。
そうして次々と移り変わっていく物語の中で、確かにこの感情だけは、最初に抱いた時からずっと変わることはなかった。
「好きだ。俺と……付き合ってください」
なので精一杯の誠実さを見せなければと思い、最後だけはカッコつけた言い方をせずに、心からの想いを告げてみた。
カッコつけさせてくれ、と言っておきながらこれではもっとカッコ悪いかもしれないが、それでも言葉で誠意を表したかった。
この想いだけは間違えずに伝えたかったから。
「…………っ」
ド緊張しながらゴクリと唾を飲む。
あとはただ、少女からの返事を待つのみだ。
「──」
時間にして五秒……いや、十秒?
もしかしたら一分は経ったか。
まるで無限にも思えるその一瞬を突き破ったのは、一度目を伏せた後に、もう一度見上げてしっかりと俺の目を見つめてくれた、最愛の後輩からの一言であった。
「……はい。私でよければ、喜んで」
少女が答えてくれたその言葉は、まさしく──俺の心を射抜く一撃だった。
「──音無ッ!」
「ひゃっ」
そこから途端に我慢できなくなって、正面から彼女を腕の中へと抱きしめてしまった。
本当は堪えて最大の優しい笑みを浮かべて『ありがとな』とか言って手を握るくらいに収めるつもりだったがそうはいかなかった。
とにかくあまりにも嬉しすぎて、もう理性ではこの感情を制御しきれないことが頭で分かる。
「まっ、マジでありがとう……っ! ぁ、くそっ、めちゃくちゃ嬉しい──!」
「そ、そうですか……でも、ぁあの、急に抱きしめるのはどうなんですかね……っ」
「っ゛!!? ご、ゴメンっ!」
「あっ……」
後輩が言ってくれた言葉で、ついそのまま押し倒してしまいそうな勢いの抱擁だったことに気がつき、俺はバッと手を放して一歩下がった。
やってしまった。
マズい、ヤバい。
せっかくの一世一代の人生をかけた告白を受け入れてもらえたってのに、これでは早速嫌われてしまう。
「……先輩、そういうとこですよ」
「す、すまん」
「……ハァ。そうじゃなくてですねぇ──」
「っ!?」
しかし、なぜか今度は音無の方から俺の胸に倒れ込んで体重を預けにきてくれた。
咄嗟に彼女を抱き留め、それを確認したシノビ少女は、先ほどと違って自らしっかり俺の背中へ腕を回して抱擁してくれた。うおっ全身やわらか……。
「……ふふっ、まったくもう」
「な、何かミスったよな俺……」
「だーかーら、そういうのですよ。こういう時は何を言われても気にしないで、そのまま抱きしめちゃってていいんですってば」
「そういうもんか……?」
「えぇ、そういうものです」
こちとら女の子と付き合ったことなんて一度もない童貞ゆえ。
基本的にうまく捲し立てて逃げることを前提に動いてる美少女ごっこ内でのそれっぽい振る舞いならともかく、完全に本当にマジで好き合った経験は、間違いなくコレが初めてなのだ。ごめんなさい。
アホみたいに嬉しいってこと以外もうなにも分からん。うれしい……この後輩ホントかわいい、すき……。
「……本当に嬉しいよ。ありがとうな、音無」
「ん、私も先輩が自分から言ってくれて嬉しいです。ちょっとカッコよかったですよ」
「ちょっとかぁ……」
まぁ今までのダメダメ具合を鑑みたら、ほんのちょっとでも成長できていてよかった。勇気を出した甲斐があったというものだ。
とりあえずこのまま三十時間ぐらい抱きしめ続けたいところだが、人通りが少ないとはいえ一応往来の場所なので、俺たちは一旦離れて抱擁をやめた。
「……あはは。先輩そんなに名残惜しいんですか?」
「え。……顔に出てたか」
「それはもうはっきりと」
「恥ずかしすぎる……ぐぅ」
「そんな残念そうにしなくても。これからはいつでも抱きしめ放題なんですから」
「──っ!? ……お、おう」
その発言はちょっとセンシティブに片足突っ込んでない? あー! いけませんお客様! えっちすぎます! いけませんお客様! あーッ!!
「……帰るか、音無」
「そうですね。もう遅いですし」
「えと、それから……手、繋いでさ」
「ぁ……えへへ。はいっ」
そうして隣に並んで手を──
「……あの、音無?」
「どうしました、先輩」
「いや、指摘されなかったから言うんだが……いきなり恋人繋ぎでいいのか?」
つい自然とこの握り方をしてしまって、あとから気づいたので『急に段階を飛ばし過ぎじゃないですか?』とか『がっつくと嫌われますよ?』とかそういう感じの呆れた発言をされると思って身構えたのだが、一向に指摘される様子がない。あれ……?
「……? だって私たち恋人同士じゃないですか」
「ぁっ、お゛、そっ、そうっすね……」
さっきそうなったばかりだけど、既にそうなったからOKって判定なのかな。
「──あっはは。あー……もう、さっきから緊張し過ぎですよ先輩。……まあ、そういうところもかわいいんですけど」
「す、すまん。……ぇ、いまかわいいって」
「変に気を張らなくたっていいんです。これからもずっと一緒なんですから、いつも通りでいましょ」
「……そう、だな」
流石にちょっとおっかなびっくりが過ぎたというか、告白後の興奮のせいで少々気が動転していたみたいだ。
音無の言った通り、きっと気取らずいつも通りに振る舞った方がいい。
こうして告白の承諾こそしてもらえたが、急に生活が大きく激変してしまうとか、別にそういうわけでもないのだ。
変にカッコつけた俺ではなく、俺が俺だからこそ音無にも受け入れてもらえたんだし、彼女も普段通りの距離感を望んでいるはずだ。
くっつきすぎず、離れすぎず、それでいて以前よりはもう少し近く──そんな接し方を心掛けることとしよう。
「んー……それにしても先輩、なんかちょっと暑くないですか。真冬の夜のはずなんですけど」
「そりゃあ、お前……告白したし。かなり緊張したんだから火照りもするだろ」
「……意外ですね。さっきまでの先輩ならもっとキザな返事をすると思ったのに」
「勘弁してくれ。いつも通りに戻ろうって言ったのは音無じゃないか。俺のライフはもうゼロだぞ」
もうここから先は着飾ったセリフなんか一個も言えないし言わないからな。
もし次に言う時があるとしたら、あとはプロポーズの時くらいだろう。もう恥ずかしいセリフは当分の間ごめんです。今でも顔から火が出そうなんだぞ! だれかたすけて!
「ちなみに私は言えますよ。恥ずかしいセリフ」
「お、おいやめとけって。後悔するのは音無の方だぜ」
「うーん……そうですかね? 私としてはもっとくっ付く口実が欲しいところなんですけど」
「…………」
ちょっと後輩ニンジャさん? こっちはいつも通りに戻ったつもりだったのに、なんかいつもより素直に甘えてきてない? いつもと少しどころかかなり態度が違くない?
「どーんっ」
音無の肩をくっつける攻撃!
こうかは ばつぐんだ!
「ちょ、おまっ、流石に脈絡ねぇって」
「ふふ。言葉は不要かな、と」
「さっきまでの流れなら多少は必要だろ……。せめて何か恥ずかしいセリフを言ってからにしてくれ、こっちの心臓が持たん」
「先輩、そんなにドキドキしてるんですか? かわいいですね」
「ぐっ……そ、そっちこそまだ耳が真っ赤だぞ。実は結構恥ずかしいじゃないの」
「うぇっ。……ぁ、あはは、バレちゃいましたか。
……ええい、照れ隠し~」
「──っ!?」
ば、バカな、反撃してみたら逆にもっとくっ付いてきただと……ッ!? 恋人繋ぎじゃなくて腕にくっ付くレベルに到達しちゃった……。
どれだけ俺の理性を揺さぶれば気が済むというのかねこの後輩。さすがはニンジャといったところ。忍ぶどころか暴れてるぜ。
「お、おいちょっとは忍べって。忍者だろ」
「シノビは主様に対しては全幅の信頼を寄せるものなので……」
「いや限度……」
マジでこのまま顔が爆裂しそうな勢いなんだが。頼むから手加減してくれ、まだ付き合ってから十分も経ってないんだぞ。
「ていうか主様ってお前な……」
「あ、別にウソじゃないですよ? 私にとって最初で最後の主様が先輩ってだけの話なので」
おいちょっと待ってくれ、聞き捨てならん。
「……その言葉の響き、俺の世間体が危うい気がするんだけども」
「でも旅を始めたばっかりの頃に『ご主人様って呼んでもいいぜ』って言ったのは先輩のほうじゃないですか。言質とってますよ、むふふ」
「た、確かに言ったけど! でもあの時は音無こそ『は? いやです』って言ったろ!」
「むぅー……今ならいいんですっ」
どういうことなの……。
「だって私、ちゃんと先輩の忍者ですから。前にデートへ誘った時に『俺の忍者なんだろ?』って言われてます。なので公認です。えっへん」
「お、おま……そんなことまで覚えてたの? 記憶力が良すぎるだろ……」
てかなにえっへんって。かわいい。
全然いつもの音無じゃない……ッ!
「ふふ、私ニンジャなので基本的に何でもできますよ。試しに何か命令してみますか」
「……いや、恋人に命令するのは……なんかアレだろ」
「っ! ……う、嬉しいですけど、忍者は私のアイデンティティでもあるので。そこも尊重してくれたら、もっと先輩のこと好きになっちゃうかもです」
「うっ……それなら……あ、来週の休みとか空いてたら、ウチへ泊まりに来てくれないか」
「来てくれないか、ではなく……?」
「…………泊まりに来い、音無」
「えへへっ。はい、了解です!」
なんだか少し……いやかなり妙な部分もあるが、これもまた音無からの信頼の証なのだろう。
流石にちょっと俺の方が自分に対して厳しくなっておかないと、命令にかこつけて音無にアレな要求をしかねないので、なんとか頑張って理性を抑え込もう。さもなくば卒業する前に結婚してしまう。
言えば命令を聞いてくれるだなんて、ちょっとこっちの支配欲が刺激され過ぎてヤバいからね……気をつけようね……。
「音無、もう街中に入ったけど……」
「そうですね。休日の夜ですしまだ人がいっぱい」
「……自分の知名度、わかってる?」
「魔王から世界を救ったヒーロー部の一人ですね。……あっ、そこのコンビニに私が表紙の雑誌が置いてありますよ」
「いや、だから……人の目があるって話なんだが」
人通りの多い区域に入った途端、マジでめっちゃ周囲の通行人たちからの視線が一点集中してる。やばい。
「別にいいじゃないですか、もう恋人なんですから。自慢しちゃうくらいがちょうどいいですよ」
そう得意げに言いながらニコニコしたまま腕にくっ付く後輩ニンジャ。
音無ってこんな性格してたっけ……それとも、本来の姿がこうだったのだろうか。
「お前なぁ……」
「えへへ……」
……そんな気がしてきたな。
しっかり者というイメージで通ってる音無だが、それでもやっぱりまだ高校一年生の少女なのだ。
これまでずっと大変な道を歩んできたわけだし、ようやく素の自分でいられる相手を見つけたという事なら──俺がその存在であり続けられるよう努力しないと。
ようやく音無が俺にありのままをみせてくれたのだから、それに見合うだけの自分になろう。
もうこの少女が自らの心を殺して、あんな命懸けの闘いに身を投じるターンはとうの昔に終了した。
俺たちは高校生なんだ。
これまでヤベー奴らとバトってきた分、他の人たちよりも何十倍も青春を楽しんでやる気概でいこうじゃないか。
それこそ音無との仲を自慢するくらい堂々と、だ。
◆
あれから数日後。
今日も今日とてヒーロー部の部室で放課後を過ごしており、現在はパソコンを使ってメール返信などの作業をおこなっている。
ちなみにこの部活において、外部と連絡を取り合ったり依頼の処理などをする事務担当が今は俺になっており、他の部活よりは半年ほど遅れたが部長もようやく代替わりを終えた。
ヒーロー部の現在の部長だが、名義上は氷織が務めている。
本来であればレッカが任されるはずだったのが──
「おぉ……ホムラちゃんが珍しく大人しい……?」
俺の隣でヒーロー部の新しい勧誘ポスターの下書きを手書きで作成している氷織が、向かいの席にちょこんと座ったまま俯いて大人しくしている小柄な少女にふと意識を向けた。
──いまのあんな状況に陥っているレッカでは、とてもではないが部長を務めるのは不可能だ。
それなら次の部長はどうするのか、という話になった際に、真っ先に名前が挙がったのが氷織だった。
まだヒーロー部がライ先輩一人しかいなかった頃、レッカと同じタイミングで入部した最古参のメンバーであり、人当たりがよく責任感もあり何より二年間に及ぶヒーロー部の闘いの、その全てを間近で見てきた彼女だからこそ、部長に相応しいとみんなが納得した……というのが一連の流れである。
「ねね、アポロくん」
「どした」
「ホムラちゃん……何かあったの?」
「ちょっと話をしただけだよ。……どちらかと言えば今のアイツはレッカだな」
そう言った瞬間バッとホムラの方を向き、再びこっちを見る氷織。なんだなんだ。
「まだ全然普通に女の子のままなんだけど……」
「俺にペンダントを返すか迷ってるんだろ。どの道俺から返すようには言えないから、今は見守ってやっててくれ」
「ふうん……?」
訝しむ氷織だが本当にこれ以上は説明のしようがない。
この明るい水色髪の少女からすれば、ハーレムをやめ誠意をもって自分をフッたはずの男が女の子になって帰って来て、挙句なんかメインヒロイン面した謎の美少女ムーブを発揮したかと思いきや、急に反省したようにしょぼくれている──といった不可解な怪奇現象に見えていることだろう。マジで変としか言いようがない流れだよな。本当に申し訳ないと思っております。
「あ、ところで新しいポスターなんだけど、アポロくんは何かいい案ないかな」
「……手書きは確かにかわいいかもしれないが、普通に現行メンバーの集合写真にした方がいろんな人に注目してもらえるんじゃないか? 俺以外はハリウッドスターにも並ぶ知名度の鬼なわけだし……」
「ふふ、なんたって世界を救ってるからね!」
ムフー、と自慢げに胸を張る氷織。
かわいいけどおっぱいが揺れてて直視できん。
「……でもアポロくん。これからの私たちって、ただの市民のヒーローじゃない? 来年度の新入生たちは悪~い敵なんかとは闘わないだろうし、なし崩し的に得た私たちの知名度を使うのは違うかなーって……」
「あー……まあ、確かに変な期待をさせ過ぎるのもな。実際はもうただのボランティア部活動だし」
「そうそう。だから来年以降も使えるような、普通にちょっと良さげなくらいのポスターにしたいな、と」
「普通にちょっと良さげって一番難しくない……?」
そのままああでもないこうでもないとデザインについて話し合っていると、ガラガラと部室の戸が開かれた。
「お疲れ様ですわ~」
「あ、ヒカリ!」
やってきたのはゆるふわな雰囲気の金髪縦ロールお嬢様こと光莉だった。
いつも通りに氷織の隣に腰かけると、彼女もまた座ったまま大人しいホムラに気がついた。
「あら? ホムラさんはどうされたのでしょうか」
「心の整理中なんだって。アポロくんに口説かれて」
「なんと……!」
おい聞き捨てならない言葉が聞こえたんだが。誤解が広がるからその言い方やめてください。
確かにちょっとは過激だったかもしれないが、俺はあくまで彼女の覚悟を問うただけだ。何をどうしろとか具体的なことは何も言ってないからな。そこら辺よろしくね。
「場合によってはレッカくんに戻るかも」
「は、はぁ……よく分かりませんわね、殿方の考えることは」
ビクッとホムラの肩が跳ねた。今の若干呆れたような声音は、レッカの立場なら俺でもビビる。
あの柔和なヒカリもこの一年間でいろいろと学んだようで、彼に一度フラれた事も相まってか、彼女がかつて自分で言っていたような『盲目的に恋に恋している』という状態からは、無事に卒業することができたらしい。一皮むけた、と言ったところだろうか。
「アポロさんはいいのですか? ペンダントがあのままで……」
「……まぁ、あげたようなもんだから」
「なるほど。……では、もうずっとアポロさんのままなのですね」
ヒカリは安堵したような、優しい声音でそう呟いた。
ちなみにヒーロー部の面々はコクという少女がいた過去に対して、既に心に区切りをつけている。
最終的にどうなかったかというと、あれは俺が自らの心を守るために生み出したもう一人の人格だった──という話で一旦落ち着いた形だ。
言われてみると確かに、俺はコクになることで心を保ってた節があるため、あくまで意識的に切り替えていただけでもう一人の人格というのも一概に嘘とは言えない。
ヒーロー部の中での俺は、紆余曲折あって心の闇を乗り越えた……的な感じの扱いになっているようだ。もうそれでいいけど。
クリスマスの夜に“コク”とは別れを告げた。
これまでもう一人の自分として後生大事に抱えていた彼女は、レッカとのやり取りを経て無事に役目を全うし、一旦眠りについたのだ。
このヒーロー部にとっては、もう俺はどうあがいてもアポロ・キィだ。
もし。
万が一、億が一。
奇跡的にまた彼女が復活することがあるとすれば、それは戦いの物語を終えたヒーロー部の前ではなく、また異なるストーリーを紡ぐ別の主人公たちの前で、登場することになるだろう。
ぶっちゃけ正体を隠して他の誰かを手助けするならこの上ない手段だし。
また手を貸さないと世界が危ないなんて事態に陥ったのなら、その時は前作主人公のヒロインみたいな感じで、再び漆黒の少女として舞い降りようと思う。
そんなヤバいイベントなんて起きないに越したことはないが、一応心構えだけはしておくつもりだ。
だから、それまでは一旦のお別れ。
誰よりも常に俺と共にあり続けてくれたあのメインヒロインにも、そろそろ休息の時が必要なのだ。
なので、とりあえず今は──お疲れさまでした、コクちゃん。
「お疲れー。頼まれてた昔の資料もってきたわよ」
「カゼコさん!」
程なくして、部室にまた一人メンバーが増えてヒカリが反応した。
大きなクリアファイルを何冊も抱えて部屋に入ってきたその翡翠色の髪の少女は、風菜の双子の姉である風子だ。
ドサッとテーブルの上にファイルを置いたが、俺はこれがなんなのか知らない。
「カゼコ、これは?」
「昔のヒーロー部の記録よ。旧校舎の資料室でホコリ被ってるってライ部長が言ってたから引っ張り出してきたの。ポスター制作の参考になればと思って」
「カゼコちゃん、カゼコちゃん。ちなみに今は私が部長だよ」
「ん……そういえばそうだったわね。コオリ部長さん」
「えっへへ~」
カゼコの氷織に対するあしらい方がお姉ちゃんすぎる。
ライ先輩を除けば、部員の中で精神年齢が一番高いのは、もしかすると彼女なのかもしれない。
もし氷織が辞退していたら、次期部長はきっとカゼコになっていた事だろう。それくらい頼れるお姉ちゃんオーラに溢れている。
……世界中を逃げ回ってボロボロになったあと、確か真っ先に隠れ家で俺を看病してくれたのもカゼコだったっけか。
あの時は死ぬほど優しかったし面倒見も良かったしで、もはや俺からしてもお姉ちゃんなんだよな。
「──で、ホムラはコレどうしたのよ」
「レッカさんに戻るかどうか悩んでいらっしゃるそうですわ」
「ふーん? ……まぁ、選びたい方を選べばいいんじゃない。どうせこれからも同じ部活なんだしさ」
ポンポン、とホムラの頭を撫でるカゼコ。
彼女もクリスマスの夜にレッカから改めてフラれて初恋が終わったことで、ようやく心に一区切りをつけることができたらしく、ツンデレというかデレデレだったかつての雰囲気もすっかり落ち着き、今は常にどこか余裕のあるクールで抱擁感たっぷりな自分を獲得することができたらしい。
一年前の春頃のような、失礼ながら俺が個人的に感じていた、あのいかにもヒロインの中の一人といった雰囲気は、もう全くと言っていいほど皆無だ。ただ一人のスゲぇ魅力的な少女として完成されている。
そのせいかヒーロー部の中でも、特に他の男子たちから好意を持たれる機会が増えたとの事だが、どうやら告白は全て断っているらしい。今は恋愛には興味なし、という事なのだろうか。
「そういえばアポロ」
俺の向かい側の席に座ったカゼコが思い出したような声をあげた。
「音無とのこと、おめでと。自分から伝えたんですって?」
「え゛っ」
まさか急にその話題が飛んでくるとは思わなかった。
部室の中に他の皆がいるのに平然と聞いてくるとは、なかなか侮れないぜお姉ちゃん。
「あ、あぁ……まあ。サンキュ」
気恥ずかしい気持ちを誤魔化すように頭をかくと、次は隣にいる氷織がひょっこり首を出してきた。なんですか。
「ほぇー、アポロくんやるねぇ。……ん? それじゃあ、風菜ちゃんが言ってたハーレム何号とかってどうなるの?」
それ衣月が勝手に言い出して風菜たちが乗っかっちゃっただけで、別に正式な決まりとか何もないから。
勝手に消滅するというか、むしろみんな自然とその事は口に出さなくなると思ってました。向き合わねば……。
「気持ちは嬉しいが、俺は音無と付き合ってるから──」
「あ、そっか! じゃあ音無ちゃんが一号に昇格なんだ!」
「ちょっと待って氷織?」
ぜんぜん違うよ? ハーレム何号とかそれ自体が消滅って話だよ?
実はもう彼女に告白したことは、ヒーロー部の全員にしっかり伝えてあるのだ。晴れて音無と付き合う流れになったことも、一言一句正確に。
だから一号とか二号とか無いから。俺の彼女は音無だけだから。
「ヒカリは順番覚えてる?」
「ええ、確か衣月さんからマユさん、風菜さんでライ部長、最後に音無さんだったので、音無さんが一番上に来て一個ずつ降格……ですわね!」
「違う違う違う」
マジで順番とか無いから! 恋人は一人しかいないから!
……てかそういえばこの三人、『一夫一婦制をどうにかすれば』とかそんな話をしてたって、沖縄にいた時にレッカから聞いたな。
本当に俺は侍らせるとかハーレムだとかそんなつもりないからな。
「──お疲れ様でーす」
「すまない、待たせたな皆。……おや、なんだか盛り上がってるみたいだ、オトナシ」
「ですね。どしたんでしょうか」
あ、音無とライ先輩が来た。
「あ、先輩。お客さん来てますよ」
「うぇっ……」
「──こんにちは、紀依」
「い、衣月……!? お前、なんでここに……」
ついでと言わんばかりに、彼女たちの後ろには純白の髪の少女が引っ付いていた。
──藤宮衣月だ。
俺が一年前に旅を始めるきっかけとなった、全ての始まりの少女だ。髪がふわふわでかわいいね。
いまは普通の小学校に通っているはずなのだが、どうしてこの学園に。
「ん、依頼をしにきた。ヒーロー部に」
「俺たちに……?」
「そう。友達の家の猫が外に出たまま帰ってこないから探してほしい、という依頼」
まさか依頼の為とはいえ、わざわざ学園まで出向いてくるとは思わなかった。
ヒーロー部のアカウントにメールを送ってくれたらそれでいいのだが──
「あと、紀依に会いにきた」
「だからって校内に入ってまで──ちょっ、おい衣月……! 急に膝の上に乗るなって……」
こっちが狼狽している隙に彼女が太ももの上に腰かけてきた。軽いし柔らかいけどそういう事じゃない。何なんだ急にどうしたというのか。
俺が衣月の相手をしている間に、あとからやってきたライ先輩と音無後輩も部屋にいたメンバーから話を聞いたらしく、面白そうに笑いながら荷物を置いている。
「うぅむ、アポロのハーレム順番問題か」
あのちょっと顎に手を添えて本気で考えないでください先輩。なんかノリで出てきただけのしょうもない話題なんで、本当にスルーしてほしいですお願いします。
「お、音無っ。もうおまえからもみんなに言ってやってくれ……ッ!」
氷織とは反対の俺の隣に腰かけた後輩に頼み込んだ。
どうやら俺ではこの流れを制御できないらしいのだ。ここで彼女である音無がビシッと言ってくれたら、きっとこの流れも終わるはず。
「……んー。──ふふっ」
そこでなぜか小さく笑う後輩ニンジャ。
かわいいけど何、どうしたの。
「や、別にいいんじゃないですか。市民も世界も救ってきたわけですし、それくらいの役得があっても」
──え。
「ハッ……!!?!?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、俺の恋人であるはずの少女が、突然とんでもない爆弾発言をかましやがった。
その言葉に合わせて他のメンバーがみんな一斉に反応したが、音無は気にせず俺と衣月の手を重ねて握ってきた。
「なっな、なに言って……!」
「だってほら、元々は衣月ちゃんのおかげで始まった縁じゃないですか」
「た、確かに最初はそうだったかもしれんが……」
「始まりって結構大切ですよ? というか、どちらかと言えば先輩と衣月ちゃんが二人だったところに、あとから私が割り込んだワケですし」
そういう認識だったの。でも割り込んだんじゃなくて手を貸してくれたんですよ貴女は。
ちょっと待て。
なんか流れがおかしいぞ。
音無がズバッと言って終わる話じゃなかったのかコレ。
「……むしろ、私と付き合うからって衣月ちゃんを蔑ろにされるほうが嫌と言いますか……」
「いや蔑ろになんてしないって……! ただ、ほら、ハーレムって言葉はなんかこう、違うだろ!?」
「やだなぁ、違いませんって。衣月ちゃんだって一人の女の子なんですよ? 旅を始めた頃からずっと先輩はハーレムだったじゃないですか」
「えっ、え……?」
わからん。なんもわからん。
俺からすれば音無が『先輩は私の恋人なので』とか言って場を収めてくれるかと思ったのに、なぜか聞けば聞くほど俺が追い詰められている。どうして。
いや、衣月がちゃんと一人の少女だって事は俺も分かってるとも。
あくまで守る対象であって、決して妹とかそんな関係ではない、旅を共にした対等な少女だと理解している。
でも、なんか“ハーレム”は違くないか? 俺たち三人にしかない絆とかそんな感じのやつがあったじゃん。
……お、俺って、音無が言うように、本当に最初からそうだったのか……?
「紀依は……私のこと、きらい?」
「ばっ、そんなわけないだろ」
「じゃあ一緒にいる。音無がいるから、私はハーレム二号」
まてまて、一緒にいるってそういう事じゃないだろ。
「私は衣月ちゃんが一号でいいよ?」
「ん、だめ。音無が先に告白したから」
「あの、頼むから俺の話を──」
そう言いかけた瞬間、ドンガラガッシャンとけたたましい音を立ててドアを開け、また一人部室に少女が登場した。なにこの勢い。
「──話は聞かせてもらいましたっ!!」
「ふ、風菜……!?」
得意げな顔をして登場した風菜はテーブルの下にサッと潜り込み、すぐ俺と衣月の足の間から顔を出して目を輝かせた。
「では既にキィくんに告白済みなのでやっぱりあたしがハーレム三号ですねっ!! ふへへっ!」
お前そんな勢いだけで何とかなると思ったら大間違いだぞ美少女こら。お願いだから一回落ち着いてくれ。
「ははっ。その条件であればハーレム四号は変わらず私かな、アポロ?」
この流れに乗ったライ先輩は椅子に座った俺の真後ろに陣取って、両肩に手を置いて小さく笑った。おい最年長でしょ、あなたが鎮めないでどうするんですか。
くそ、ヤバい。いよいよ収拾がつかなくなる気がする……っ!
「……あっ。いいこと考えた。ヒカリ、カゼコちゃん。耳を貸して」
「はい? ──ふむふむ……ほわっ、なるほどですわ! 名案っ!」
「いいじゃない、面白そうね。それであの子がどう出るのか楽しみだわ」
ちょっとそこのお三方。何の作戦会議をしているのか知らないが、とにかく風菜あたりから引き剝がしてほしいんですけど。助けて。
「はいはーい! じゃあマユちゃんが空席の五号で、わたしがハーレム六号になるね!」
「うふふ、コオリさんが六番目なら、私は七号をお勤めいたしますわ」
「じゃ、アタシはヒカリに続いて八号ってことで」
「待て待て待て待て」
戦国武将も腰を抜かすような名乗りを上げた三人は、それぞれギュウギュウに距離を詰めてくっ付いてきた。
コレは流石に違くない?
ギリギリ告白されてたライ先輩まではこのノリに乗ってもおかしくはないが、君たちまで参加しちゃうことある?
「ちょっ、お前ら三人は逆にそれでいいのかッ!?」
「レッカさんにはもうフラれてしまいましたし……あえて振り返らず、新しい恋を始めるのもよいと思いますわっ♪」
「そうそう、アンタが良い男だってことはアタシたちも知ってるしね」
「あ、わたしも結構まんざらでもないよ。ワープ装置で二人きりになった時、唯一アポロくんと素肌でくっつき合った中でもあるし~」
「氷織、私もお風呂で紀依とくっついたことがある。唯一じゃない」
「な、なんですとぉ……!?」
そうしてとんでも発言とスキンシップで次々と迫ってくる少女たちに翻弄される中で──ふと視線が前へ向いた。
そこにいるのは、数日前に覚悟を問われてつい逃げ出してしまい、自分がどうするべきなのか分からなくなってしまっているホムラ──いや、レッカだ。
紅いメッシュの入った黒髪の少女の姿のまま、親友は現在の俺の光景を前にしてワナワナしている。
……そうだな。
分かるよ、レッカ。
ペンダントを使っていた俺だからこそ、お前のその気持ちがよくわかる。
そう──悔しいんだよな。
メインヒロインの風格が崩れたことが。
決して男として相手のハーレムが羨ましいんじゃない。
そうではないのだ。
かつて美少女ごっこに真剣だった俺も、皆に囲まれて積極的にアプローチを受けていたレッカを目の当たりにして、深く絶望したことがある。
ヒロインは、俺なのに。
そいつを誰よりも理解しているのは、親友としての数多の情報とアドバンテージを持っていて、なおかつただならぬ雰囲気で彼を翻弄している自分なのに──と。
俺を困らせるつもりでメインヒロイン面した謎の美少女を始めたってのに、今やハーレムを八番目まで埋められてしまっては立つ瀬がないと考えて言うのだろう。
迷った事なら俺もある。
ヒロインの座をビビるほど脅かされている──それが何より悔しいのだ。
「レッカ……」
「っ……!」
でも、あの時の俺の気持ちを理解できた今のお前なら、この事態を解決できるはずだ。
わかるだろう親友。
俺の道を、一度はお前に委ねたんだ。
「れっちゃん、頼む……」
「──ッ!!」
彼女はハッとしたように目を見開いた。
そうだ。
やはりそのペンダントが鍵なんだ。
お前が変身を解いて正真正銘のレッカに戻り、ペンダントを俺の首にかけてスイッチオン。
そうしてまたあの漆黒の少女に戻った俺をお前が抱えて、この部室から攫ってくれ。
二人きりでここから逃げ出す……それが唯一の解決法だ。
伝わってるよな、親友。
わかってくれるよな、このアイコンタクトだけで。
「……うん、そうだね。ポッキー」
そうだよ、れっちゃん。
唯一無二の親友である、お前なら!
「──ボクがハーレム零号だッ!!」
そう叫んで、少女は膝に乗った衣月ごと、正面から抱きしめてきた。
────ちげえええええええええッ!!!?!?
「ポッキー♡♡」
「ばかっ、おま! ちげぇよ! そうじゃないって! 察したんじゃねえのかよ!?」
「なにが違うのさっ! さっきのは『ちゃんとヒロインを全うしてくれ』って意味のアイコンタクトでしょ!」
この状況でそんなわけねえだろ!!!!!!!
「むう。レッカ、くるしい」
「ふふふ、衣月、音無。ボクは絶対負けないからね。ポッキーとの付き合いの長さならボクが一番なんだ」
「あらレッカ先輩ってば大胆ですね。でも私たちだって譲りませんよ。ね、衣月ちゃん」
「うん。紀依の初めて、私たちがもらう」
ヒトの膝の上で派閥争いすんな! あとサラッととんでもないこと言わないで!!
「おいレッカぁ!」
「ん、そもそもはコクが発端だぞ、ポッキー。ボクを含めてみんなを変えたのはポッキーなんだから、ちゃんと責任とってね」
いやっ、それは、ちが──くはないけど!
よく考えたら確かに俺がめちゃくちゃ元凶だけどもッ!
クソッ、どうすれば! 一体どうすればいい……っ!?
あれだ、誰かへ助けを求めねば。……そうだ、もう一人の自分にも等しいあの少女に!
「スマホっ、電話電話──ぁ、もしもし、マユっ!? 今すぐ助けに来てくれッ!!」
『いやー、無理でしょ。神妙にお縄についてください』
「お、お前……相棒だろ……!」
『でも私だってアポロのこと好きだもん。じゃ、これから私もそっちに行くねぇ』
「ウソだろオイっ……あぁ、嘘って言ってくれ──!」
マジの四面楚歌で逃げ場、無し。
そんな人生最大のピンチが訪れたとき、そこでようやく俺は気がついたのだ。
少し前に『一般人に戻れた』などと嘯いていたが、潔く前言撤回。
俺は普通の高校生活なんてものは、まるでまったく手に入れていない。
こうして結局はこれまでの責任を取ることになり、丸く収まるだなんて都合のいい終わり方にはならないのだ。
あぁ、求めたのはこんなんじゃない。
これがどうして、もう既に心の奥底へ沈んだはずの、俺の本能が再び叫び始めてしまっている。
一度目はひどく退屈すぎて。
そして今度はあまりにも忙しすぎて。
あの背負うものが一つもない、この身一つで世界の全てを相手取っていた、ただひたすらに楽しかった頃のことを、思い出してはまた《《やりたい》》と考えてしまう。
くそう、また深いことは何も考えず、ただ欲望の赴くまま──メインヒロイン面した謎の美少女ごっこがしたい!
終わり
〇●●
これにて完結になります。
長くなりましたが約二年半の間お付き合いいただきありがとうございました。
一度完全に更新が止まった作品にもかかわらず、その後の投稿でも閲覧してくださった読者の皆様には感謝の言葉もありません。嬉しくて涙がちょちょぎれました。
最終話とはいえ本文が三万文字強になってしまい申し訳ありません ぎゅうぎゅうに全部詰めました 満足
長すぎるとアレなので後書きはこの辺で
またどこかでバリ茶の名前を見かけましたらその時はまたよろしくお願いします
ここまでお読みいただきありがとうございました まる




