バッドエンドルートのオトナシさん
──くだらないことが脳裏によぎる。
ヒトがこの世に生を受けるとき、そこには必ず感情の揺らぎが発生する。
自分が《《発生した》》世界で他人を知っていくたびに、私のそういった考えは徐々に確信へと変わっていった。
誰かと誰かが愛し合ったり。
誰かが誰かを憎んでいたり。
母胎から排出されたソレを人間と呼び、周囲はソレに対して様々な感情を抱く。
生まれてくれてありがとう、とか。
産まなければよかった、とか。
彼と彼女の愛の結晶、だったり。
望まれたわけではない悲しき命、だったり。
どんなヒトであっても、それが生まれた時点で、もしくは生まれる前には、必ず周囲に『強い感情』が存在する。
歓びや悲しみ。
嫌悪や拒絶。
望まれていようといなかろうと、人間はソレに対して必ず感情を抱く。
たとえどんな経緯であっても。
それが《《ヒトであるならば》》。
『おまえは何者なんだ。コクなのか?』
もう一人の自分に等しい少年の言葉を思い出す。
私はコクではない。
彼でも彼女でもない。
何者でもない、なにかだ。
私はそこにあった。
人間同士の『強い感情』など無く、気がつけばただそこにあった。
誰も交配していない。
誰も実験していない。
誰も開発していない。
命が芽吹くように仕組んだ者はいないし、誕生を見届けた者も当然いなくて。
どこかの世界のアポロ・キィが『諦めた』結果、自然に発生した《《現象》》としか言いようがなかった。
思考の停止。
感情の棄却。
そこには愛も欲も、悦楽も苦悩もなく。
およそ生命など生まれるはずがない運命の流れによって自己を獲得した私は。
分裂でも生殖による世代交代でもなく、意思を持つようプログラムされたわけでもなく、そこにただひとつの『わたし』として出現した自分は、たぶん。
──ヒトではないのだろう、と。
そう思えてならなかった。
◆
物事を順序だてて整理して、改めて頭の中でくだらないモノローグを語ってみると、不思議なことに自分がまるで物語の主人公にでもなったかのような錯覚を覚えることができた。
謎の出生。
謎の存在。
まさしく主人公──もしくは悲劇のヒロインにピッタリの生い立ちと立場だ。
アポロだったら手放しで喜びそうな状況である。
「……マユ?」
「なに。寝てたんだけど」
世界線を移動してから3日ほどが経過した。
私とアポロは『アポロ・キィを騙るニセモノ』としてカゼコに拘束され、二人とも縄に繋がれたまま彼女に連れ回されている。
現在はどこかのビルの屋上で放置されており、建物の下で魔王の洗脳が解けた少数の人々を避難させているカゼコの帰宅待ちだ。やることがない。
そのため腕をロープで縛られているにもかかわらずコンクリートの床に寝そべって寝たフリをしながら、モノローグを語る主人公ごっこをしていたのだが、声をかけてきたアポロのせいで中断を余儀なくされてしまった。
仕方なく起き上がると、彼はなんとも不安げな表情。
こんな状況なのに眠ってしまったせいなのか、アポロはどうやら私が疲労困憊ではないのかと心配してくれていたようだ。
「ごめんね。アポロみたいにモノローグを語りながら、ちょっと物思いに耽ってただけだから」
「……俺ってそんなことしてる風に思われてたの?」
いつものように適当な言葉ではぐらかしつつ、屋上の柵から眼下を見下ろす。
一言でいえば荒れている。
よく聞くところの世紀末だとか、そんな感じの荒廃した世界だ。
廃墟と化した建物ばかりで、そこかしこに瓦礫やらゴミが散乱している。
カゼコに聞いた話によれば、悪の組織によって洗脳されたままの人間は、人並みの生活を放棄して魔王に祈りを捧げ続けている、とのことだった。
生きていくために最低限の食事をして、あとはほぼ四六時中魔王にお祈りするだけの信者。
食って寝て祈るだけなので、広義の意味ではもはやニートみたいなものだ。
反してヒーロー部の活動の余波で洗脳から抜け出せた人たちは、反逆者を取り締まる悪の組織の刺客たちから逃走を続ける生活を余儀なくされている。
魔王に従っていれば生活を保障され、抵抗すれば命を狙われる──という、とても単純な世界だ。
「大変そうだよね、この世界の人たち」
「……そんな他人事みたいに言うもんじゃないぞ」
「実際アポロにとっては他人事でしょ。この世界の人間じゃないんだから」
あっけらかんと口にすると、アポロは困ったように目をそらしてしまう。
彼は本来面倒くさがりな人間だ。
ここで挑発的な言動をとったとしても、救世主然としたレッカのように『それでもこの世界を救いたい』だなんて、正義に満ちた意思表明はきっとしてこない。
「アポロはどうするの。いつ帰る?」
「あー……それなんだが、まだ物理的に帰れないんだよな。俺たちがつけてるこのリストバンドを起動させて帰還するみたいなんだけど、ワープのための魔力が足りてなくて」
「どれくらいでエネルギーが溜まるんですか」
「えっと、俺自身から少しずつ吸収して貯蔵するっぽいから……だいたい一か月くらいか?」
「……そう。じゃあ、準備ができたらすぐ帰ってね」
「ま、待て。なんだよその言い方。お前もいっしょに帰るんだぞ」
「面倒くさいからヤダ」
「なんで!?」
私たちはあくまで”実験”によってこの世界へワープしてきただけなのだ。
それ以上の目的などなく、自分たちのいた世界線を放棄してまでこちらに肩入れする理由だって存在しない。
あくまでアポロは。
……私は出生の秘密というか、故郷がこちら側だったという真実が明るみになったから、無関係を装って帰還することはできない。
ものすごく簡単にいえば、私はこちらの世界のアポロの生まれ変わりだから。
彼が死んで私が生まれた。
だから──というわけでもないけど、本来こっちの彼が背負うべきだった責務は、彼の死骸から生まれ落ちた寄生虫の自分が全うするべきだと思っている。
……ちょっと卑下しすぎたかな。
「こっちよ、音無!」
屋上の扉の向こう側からカゼコの声が聞こえた。
ほどなくして開放される出入り口。
そこから現れたのはカゼコと、もう一人。
「……アポロ、あれ音無だよね」
「お、おう……なんか、だいぶ雰囲気ちがうけど……」
カゼコが連れてきたのは見慣れた黒髪の少女──オトナシ・ノイズだったわけだが。
なにやら殺気立ったオーラをビンビンに醸し出しており、正直こわい。
正規世界線の彼女と比べるとあまり余裕が感じられないが、いったいどんな修羅場を潜り抜けたらあんな風貌に様変わりしてしまうのだろうか。
「………………」
無表情。
その一言に尽きる。
マフラーで口元を完璧に隠してしまっていて、ジト目からピクリとも表情が動かず、彼女の心境を窺い知ることが《《完全に》》できなくなっているのだ。
余裕はないが、あちらと違って真意がまるで読み取れない。
なんというか、目に光が宿っていない。
「なぁカゼコ、なんで音無を……」
「うっさいわね。さっきまで洗脳が解けた市民の避難を手伝ってもらってたのよ」
カゼコお姉ちゃん、バッドエンドルートで荒んだ結果口が悪くなってもちゃんと質問には答えてくれるんだ。
「…………」
音無がジッとアポロを見つめている。
一見すると興味のなさそうな顔に見えるが、はたして。
突然クナイとか投げてきたらどうしよう。
「さぁ、どう音無? キィと一緒にいた時間が長いあなたなら、こいつらが偽物かどうかの見分けもつくと思うけど」
「………………」
カゼコの声に反応してはいるが、一貫して声を口に出さない音無。
そんな正規世界線ではあり得ない様子を目の当たりにしたせいか、彼女を心配してしまったアポロが恐る恐る一歩踏み出した。
「おとなし……? あの、カゼコ、音無ほんとうに大丈夫か?」
死んだ人間の姿で油断を誘い接触してきた偽物の敵、という疑いで拘束されていることを自覚していないのか、アポロは心の底から音無を慮って心配の眼差しを向けている。
「…………────」
すると、それを目にした音無が目を見開いた。
不思議とその瞬間に、まとっていた殺気のようなものが霧散した気がした。
「──」
彼女が一歩。
「────」
また、一歩。
「………………」
気がつけば、音無はアポロの目の前に立っていて。
彼が声をかけるよりも先に、少女は少年を抱きしめた。
「……えっ? あ、ぇっ。音無?」
アポロの声にはピクリとも反応せず、彼女もまた信じられないといった表情で彼の背中に手を回している。
「急にどうしたんだ……」
困惑する彼をよそに、音無はアポロを触診していく。
首筋の匂いを嗅いだり、一度離れて頬をぺたぺたと触ったり、もう一度抱きしめてみたり。
次第に困惑の色が抜けていき、無表情のまま彼女の目じりに水滴が浮かんでくる。
抱擁されているアポロには知る由もないが、音無は確実に彼を《《そう》》だと認識し、確信し、波のように押し寄せる感情を制御しきれず──ただ泣き始めてしまっている。
「────は、……っぁ」
少女の口から漏れ出たソレは、まったく意味を持たないただの”音”にしか過ぎないが。
私にはそれがどういったものなのかが理解できた。
別に理解しようとしたわけではないけど、目の当たりにすればあんなの誰でも察せるだろう。
たぶん、あれは感動の再会とかいうやつだ。
ずっと一緒にいたからこそ、アポロを本物だと確信できた。
例えるなら信頼? 愛の力?
わかんないけど、音無にしかわからない『これがアポロ・キィなのだ』という判断基準があって、あそこにいる童貞が見事にそれを突破した、というわけだ。
そりゃそうだよね。
別の世界線から来たとはいっても、アポロ・キィ本人であることは変わりないんだし。
「ね、ねぇアンタ。音無が抱き着いたまま動かないんだけど、あれどういうこと?」
「不思議なことじゃないよ。あのアポロ本物だし」
「エェッ!?」
そんなこんなの一幕があって。
私自身の説明はおいといて、ひとまずアポロは本物だと信じてもらうことができた。
以降、音無は無表情でアポロの制服の裾を掴んだまま離れなかったけど、警戒されるよりはマシということで私たち二人は事情説明を少しだけ延期することにしたのであった。
……はぁ、それにしてもちょっと面倒くさいな。
実際アポロが死んでるから当たり前なんだけども、かなりシリアスというか、正規世界線のテンションだと厳しいところがあると思う。
なんやかんやでアポロの自己犠牲によって成り立っていた正規ルートだったが、やりすぎて命を落とすとここまでひどい状態になってしまうんだ。
やっぱり不思議な存在だな、アポロって。
勇者の末裔でもないし、魔王とも関係ないし、彼が自称する通りモブに等しい友人キャラって感じの立ち位置だったのに。
特別な選ばれた人間でもないけれど、美少女ごっこで親友をからかいたいっていう欲望だけでここまで世界を変えてしまうのだから、本当に恐ろしい逸材だ。
──そうそう、世界を変えるといえば。
『この崩壊しかけた世界を創り直すのよ。魔王が保有する絶大な魔力を逆に利用してやれば、超超規模世界改変の術式を発動することができる。……それで悪の組織の計画が頓挫した世界に創造し直すの』
私たちを少なからず信頼してくれた(らしい)カゼコが語った、この世界での最終目標だ。
世界すべてを洗脳して支配してしまうようなチート野郎の力を逆に利用して、強制的にこのバッドエンドルートをトゥルーエンド世界線に切り替えるチートを使おう──という話である。
まぁ、それくらいやらないと取り返しがつかないくらい、この世界は終わってしまっているからしょうがない。手段を選んでいる場合じゃないのは理解しているつもりだ。
問題はそれがあり得ないほど大変というか《《アポロがこの世界に残って活動する》》のが前提なことで。
全く関係ない別世界からきた彼に頑張ってもらうのは筋違いな気がしないでもない。
ところがアポロ本人が若干乗り気なため、私から強くやめるようには言えないのが現状だ。
なんで頑張れるの、と聞いたら一言。
──ここには俺がいないから。
それだけだった。
「……うん。やっぱ私がやらないと」
深夜。
場所は秘密基地として使われている山奥の宿泊施設。
布団の中でぐうすか寝息を立てているアポロを眺めながら、私は消え入るような声で小さく呟く。
「がんばらなくていいよ、アポロ。この世界のアポロ・キィは私だから」
起こさないよう、そっと髪をなでる。
アポロ・キィは人格を失い肉体を再構成され、私が生まれた。
私という存在の地盤は間違いなく彼だ。
だから……なんというか、使命感に駆られてるわけではないけど。
本来彼がやるべきだったことは、いま彼の魂と身体を間借りしている私がやるべきなのだと考えている。
世界を創り直せばきっと私になる前のアポロも『死ななかったこと』になって甦るだろうし、モチベーションはそれなりにあるほうだ。
最後に”マユ”というナニカがどうなるのかは知らないけど。
「ふふっ……」
──わからないのか。俺のこれからの美少女ごっこに、お前の存在は必要不可欠だという事を。
あのときのことが脳裏によぎるたびに、やっぱりこの世界を彼に任せるのは間違っていると思ってしまう。
彼のために頑張ろうと切り替えることができてしまう。
マユという生命体はよくわからないナニカだけど、アポロにとっては必要な存在だと言ってくれたから。
私を求めてくれたから。
美少女ごっこだなんていう意味不明な、珍妙にして滑稽な目的のためだけど。
それでもやっぱり──マユを肯定してくれたから。
「……うーん、ダメだな。エモかったりシリアスだったりって、やっぱり私たちの雰囲気じゃないよね」
アポロのほっぺをツンツン。
まぁ、まぁ。
私の心境はおいといて、とりあえずシリアスな世界観にのまれずやれることからやっていこう。
「アポロの分までがんばるぞ~。……はむっ」
「──っ!!?」
あっ、耳たぶ甘噛みしたら起きちゃった。