市民のヒロイン
風菜に迫られた日の放課後。
「妹が大変ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ……」
なんとか彼女を落ち着かせて、コミュニケーションが暴走しがちなヒーロー部を上手く躱しながらこの日を乗り切り、俺は誰の目にもつかないようコッソリと帰宅をしていた。
そしてその数分後に、自宅に来客が訪れた。
事前にスマホへ『お家にお邪魔させてもらってもいいかしら?』という旨のメッセージを送っていた、部活メンバーの一人。
風菜の双子の姉こと、カゼコ・ウィンドだ。
自分の家に女の子をあげて、あまつさえタイマンでお話をするなんて生まれて初めてなのでバキバキに緊張しています。バキバキ童貞、バキ童です。
こんな時に限って何でマユちゃんは家にいないの?
「大体の事情は察したけれど……解決策ならいくつか思いついてるわ」
「ど、どんな感じのヤツ……?」
カゼコは色々あって俺の現状をある程度把握しているようだった。
ヒーロー部に所属しているが、肝心の部活動メンバーと一緒にいると周囲から目の敵にされる──という詰んだ状況であるという事を。
「常にレッカと一緒にいる、もしくはアンタも裏で活躍してたって情報を、テレビやネットを通じて拡散させる……とか、それくらいかしら」
正座でお茶をすすりながら告げたカゼコの案は、なるほど合理的なものだと思えた。
レッカと一緒にいれば、少なくとも襲われることは無い。世間一般の認識で言えば、ヒーロー部で最も強いのはレッカという事になっているから、下手に手出しは出来なくなるだろう。
俺の今までの旅の活躍をネットに拡散するというのも、なかなか悪くない方法だ。
確かに実績だけで考えれば、俺もヒーロー部と共に活動していたわけだから、少なくとも『どこの馬の骨とも知らぬ奴』ではなくなると思う。
カゼコの提案した案は、どれも根拠がしっかりしたものだ。
……なのだが。
「普通に考えてずっとレッカの傍に居るのは……」
「まぁ、物理的にムリね」
「今更『実は部員がもう一人いて、裏ではヒーロー部と一緒に頑張ってました』なんてアピールしても……」
「信憑性の欠片もないし、証拠も映像も残ってない。警視監の撃破に至っては、あの時のアンタはコクの姿だったから……証明するってなると全世界に、コクと二重人格の細かい事情を赤裸々に公開しなきゃいけなくなるわ」
「……やだ」
「分かってる」
という事であった。
つまりは俺のワガママだ。
さすがにコクなどの俺がついた嘘の諸々を世界中にも共有させるのは……何というか、気が引ける。あまり大規模な話にし過ぎると、本当に一つも逃げ場が無くなってしまう。
俺を妬んで嫌がらせをしてくる人間が増えることを踏まえても、どうしてもそこだけは譲れなかった。
元を辿ればレッカのヒロインごっこをしたかっただけで、世界中を巻き込んだ物語を展開したかったわけでもないし、これ以上無闇にコクを拡散させたくはない。
「なぁ、カゼコ」
「うん?」
短いスカートで正座してるせいか、太ももの奥の秘境が見えそうになっている事に気がつき、反射的に彼女から目を逸らしつつ声を掛けた。
「俺、やっぱりヒーロー部をやめ──」
言いかけた瞬間チラリと彼女の方を見ると、お茶を飲んでいるカゼコがジト目になったのが視界に映ったため、口に出そうとした言葉を引っ込めて軌道修正。
「──るわけにはいかないから。……やっぱ、地道に部活で頑張っていくしかないと思うんだ。一年前のカゼコたちがやってたみたいにさ」
「……はぁ。まあ、そうなるか」
露骨に言い直したことを察しつつも、特に指摘はしてこなかった。俺が考えるようなことは最初からお見通しだったのかもしれない。さすがお姉ちゃん。
「なら、部に届いた依頼はみんなアンタに回すことにするわ。全部とはいかないけど、できる限りたくさん割り振る。
街でいっぱい依頼をこなしていれば多少は認知されるだろうし、少なくとも『素性の知れない謎の男子生徒』ではなくなるでしょ」
「……それ、大丈夫なのか? あっ、俺のことじゃなくて」
「わかってるわよ、皆が心配してついてこないか、でしょ?」
その通りだ。
俺一人で活動し、俺自身がヒーロー部の部員として認知されることに意味があるため、他の部員と一緒に活動していたら『自分も頑張ってますよアピールをしているヒーロー部の金魚のフン』みたいな扱いを受けるかもしれない。
ひねくれた考えかもしれないが、現に俺が洗脳でヒーロー部に取り入っただとか、とんでもない勘違いをする輩も出ているのだ。考えすぎるくらいが丁度いい。
多少……いやかなりの重労働だとしても、そうしなければ俺は彼らの隣にいられないのだ。
「ま、部員の皆はあたしがうまく誤魔化しておくから。……てかアンタこそ、結構大変な数のお助け要請を受ける事になるけど、そこ平気なの?」
「だーいじょぶだって、んな難しい事を求められてるわけじゃないし」
少なくとも世界中のあらゆる場所から、命を狙われながら逃げ続けるよりかは、格段に要求値の低い事だ。大変だが、こなせない道理はない。
「……そうですか。決意は固いみたいね」
「わるいな、カゼコには皆を騙すようなマネを……」
「気にしないでいいってば。アンタのに比べたら大したことないし」
部員たちをうまく誤魔化すのはそれなりに大変そうだと思ったのだが、彼女からすればお茶の子さいさいのようだ。やはりお姉ちゃんは格が違った。
「あっ、そうだ」
何かを思いついたのか、両手を合わせたカゼコの、緑髪のサイドテールがふわりと揺れた。
「キィ、あんた風魔法をよく使ってるわよね。気に入ってるの?」
「気に入ってるっつーか……まぁ、使いやすくはあるかな。風菜にコントロールも教わったし」
「じゃあ基本的な技能は身に付いてるワケね。……うんうん、よし」
藪から棒に何なんだ。風魔法の話が始まってから、急にカゼコの目がキラキラし始めたぞ。
なに、風魔法オタク?
「やる事も増えるんだから、出来ることも増やしといた方がいいと思うの」
「それは、そうかも」
「でしょ! この際一緒に風魔法を鍛えましょうよ。アンタの知らない風魔法、この機会にいろいろレクチャーしてあげるから。……ふふふ、レッカとか他の皆は付き合ってくれなかったから、腕が鳴るわ……」
「お、おう。よろしく……」
勢いに負けてつい承諾しちゃったけど、コレ本当に大丈夫なのだろうか。既に不安になってきた。
「依頼の何もかもをキィに任せるのは無責任だし、バレないようにあたしも陰からコッソリ手助けするから。で、空いた時間に魔法の勉強をしましょ。はい決まり」
「い、いや待てカゼコ。やっぱり今のは──」
「放課後、二人きりで……ねっ?」
「はい」
勢いに負けてよかった。カゼコの世界一レベルで様になってるウィンクを前にして、俺にはその思考しか許されなかった。
明日から放課後は人助けをしつつ、翠髪美少女と二人きりで秘密の特訓だ。ひゃっほい。
◆
──死 ぬ ほ ど 忙 し い 。
アレから一週間が経過しているが、俺の学生生活は社畜そのものだ。学生なのに社畜とはこれいかに。あまりにも多忙すぎて禿げそうです。
バイトをしながらヒーロー部の職務を一手に担うという行為の重みを、一週間前の俺は理解していなかったようだ。反省してくれポッキー。
「あ゛ぁー……つっ、かれた……はぁ」
暖かい昼は身を潜め、肌寒い風が夕暮れを乗せて首筋を撫でた。
身震いしながら公園のベンチに腰かけて、体の中から疲労を吐き出すように溜息をする。もうしばらくは立ち上がりたくないと、体全体が主張しているかの様な気だるさだった。
「人気すぎだろ、市民のヒーロー部とかいうグループ。ただの高校の一部活じゃないの……」
レッカたち部員が、世界的に名の知れた著名人になってから、ヒーロー部への依頼の量は右肩上がりだ。
相変わらずアプリの方に来る依頼は少ないが、それを補って余りあるほどの大量の依頼が、電話や魔法学園公式サイトを通じて、ヒーロー部に流れ込んできやがるのだ。
迷子のペットを一匹探し出すだけでも一苦労だというのに、ボランティアの手伝いや街のイベントのサポートなど、助けが本当に必要なのか怪しい依頼まで紛れ込んでいるため、単純に活動量が異常だった。
「……ていうか、今日もだいぶ嫌な顔されたな」
はは、と自嘲気味に笑い飛ばしたが、やはり気分の良いものではない。
ぶっちゃけた話、依頼主たちはヒーロー部のメンバーに会いたいとか、もしくは彼らの知名度を利用して人を集めたいだとか、そういった裏の事情が透けて見えるような連中がほとんどだ。
なので、華のある彼らではなく、知名度の欠片も無い俺一人が『ヒーロー部でーす』と依頼解決に赴いても、依頼主たちは分かりやすいため息を吐いて、物凄くテキトーに扱ってくるのが、ここ一週間の現状である。
期待外れ、お前じゃない、そんな言葉を胸中に留めながら、奴らは表面上だけ笑顔のまま接し、終わればさっさと俺を追い出していった。
「……さむっ」
前方から木枯らしに吹かれて、反射的に身震いした。早く帰った方がいいのは分かっているが、体を動かすのがとても怠かった。
求められていないのは、最初から分かっていたのだ。
だが、実際に雑用のような扱いをされると、意外なほどムカっ腹が立つ自分もいるのもまた事実だった。
ヒーロー部も最初期はこんな感じだったんだろうな……と、彼らの苦労を慮ることで耐えたが、これがこの先何ヵ月も続くのだと考えたら──少し、嫌になってくるかもしれない。
「どーすっかな……流石に、まだ大丈夫だけど……」
このままだとストレスで頭がおかしくなって、また周囲を顧みない壊れた美少女ごっこを始めちゃうぞ。どうにか自分をコントロールしないと社会生活に支障が出てくる。
カゼコのおかげでやれる事自体は増えてるし、彼女のサポートもあってか、まだ耐える事は出来ているが、それも時間の問題な気がしてきている。
このままだとカゼコに甘えきりの、カゼコお姉ちゃんたすけてルートに突入するかもしれねえ。……レッカとの二択になって、結局俺がフラれる未来まで見えちゃった。かなしいね……。
『うわああぁぁァァッ!!』
コクの声でバーチャル配信者にでもなってオタクから金を巻き上げてやろうか──なんて邪悪な思考が脳裏によぎったその時。
遠くから年若い男性の悲鳴が、俺の耳に飛び込んできた。
「…………マジか。……えぇ、まじか……」
レッカやヒーロー部の女子たちなら、思考する前に声の方向へ飛び出していけるのだろう。
しかし、俺が今までに思考抜きで助けに飛び込めたのは、衣月とマユの二人だけ──つまり身内だけなのだ。
面倒ごとに巻き込まれたくない心と、危険なイベントには頭を突っ込みたくない恐怖が、俺の足を地面に縛り付けている。
というかこの街、危ない事象が起こり過ぎてない?
『だずけてーッ!!!』
悲痛な叫びに頭を叩かれたような気分だった。
流石に見て見ぬふりは出来ないと、頭の中をリセットする。
「が、がんばれポッキー……、お前ならできるぞポッキー……!」
以前、一度だけ怪人から子供を庇ったことがあり、それを思い出した。
命を投げ出すつもりはないが、少なくとも助けに向かえる行動力はあるはずなので、俺は『自分は出来る』と半分自己暗示をしながら、声が聞こえたビルの路地裏の方へと駆け出すのだった。
◆
駆け付けたその場所では、両手にメリケンサックを装着した大柄な男が、魔法学園の制服を着た男子生徒を襲っている姿があった。
男子の方は以前見たことがある。
校門で俺の腕にヒカリが抱き着いていた時、遠くから恨めしそうな視線で睨みつけていた生徒だ。
言わずもがなヒーロー部のファンであり、俺を快く思っていない人間の一人である。
とはいえ彼も一般市民。
助けないわけにはいかない為、メリケン男を突風魔法で怯ませ、その隙に彼を俺の後ろに庇った。
「お、お前っ、グリントに抱き着かれてた男子……!?」
やっぱそういう認識になってるのね……。
連鎖的にあらぬ誤解が生まれそうだし、ヒカリといる時はもっと距離感を意識しよう。
「きみ、名前は?」
「えっ? さ、サイトウ……」
「俺はキィだ。サイトウ君、今のうちに警察に電話を」
「むっ、無理だ! さっきあの男にスマホを奪われちゃって……」
言われて前方に向き直ると、メリケン男が素手でスマホを握りつぶしていた。あの握力は人間やめてない?
「じゃあ俺のを使って──」
「禁止ィィィィィィッ!!!」
「おわっ!?」
ズボンのポケットから携帯を取り出したその瞬間、メリケン男が壊したスマホの破片を、俺たちに向かって全力投球してきた。
狙いすましたかのように破片は俺のスマホに直撃し、路地の奥へ吹っ飛ばされてしまった。
振り返ると、スマホは煙を立てながらバチバチと嫌な音を響かせている。どう見ても完全に破壊されてしまったようだ。
人通りの少ない路地裏。
後ろは行き止まりの壁。
機転が利いた相手の行動により、俺たちは完全に孤立してしまったのだった。
「禁止、禁止、禁止ッ! 拘置所の刑務官はそればっかりだったので! ……オレも倣って禁止してみた。どう?」
「……よくできました、って言えばいいのか」
「いらねェよこのクソガキィッ!! ありがとう」
ヤバイ。やばいやばい。
待って、本当にコレはまずい。なにアイツ。何なのマジで怖すぎる。
完全に情緒がぶっ壊れちゃってて、まるで話が通じないんだが。もしかしてバトルアニメ出身の方?
少なくとも学園生活で四苦八苦してる学生の前に出てきていい敵キャラではないだろ……。
「あっ、あいつ! テレビで見た事あるぞ!」
知っているのかサイトウ!?
「数ヵ月前に死刑判決が出てた凶悪犯だ……も、もしかして脱獄を……っ!」
解説してくれたサイトウ君の顔が青ざめた。どうやらマジで相手は死刑囚のヤベー奴だったらしい。
バキバキ童貞のバキ童、最凶死刑囚編が開幕してしまった。冗談じゃねぇぞおい。
「……なんでオレが死刑なんだ? 顔面をグチャグチャにしただけなのに」
自分で理由を言っちゃってるじゃん……。
「そうそう、整ってる顔を見るとイライラするんだよな。だからグチャグチャにしたくなる。とりあえずオレと同じくらいにはグチャグチャになって貰わないと、とても困る」
いや誰も困らないから! お願いだから自制して!
「お前えええぇぇぇっ!!! ……普通だな。イケメンじゃあない。普通だ。髪ぃ真っ黒だし、組織に聞いたレッカとかいうヤツではない」
組織ってたぶん、警視監が言ってた正義の秘密結社ってヤツの事なんだろう。
まさか一般人に危険な魔法を渡すだけではなく、死刑囚レベルの凶悪犯までもを脱獄させるなんて、あまりにも無法すぎる。
自分たちが所有する怪人だけで組織を構成していた悪の組織の方がマシに見えてくるレベルだ。正義の秘密結社は見境が無さすぎるぞ。
……なんで俺がこんな事考えないといけないんだ? バトルアニメの住人ではないんですけど……。
しかしレッカが狙われてるとあれば話は別だ。
少なくともコイツだけは、この場でなんとかしなければ。
「殺さないッ! お前の顔面は普通だが、やはりグチャグチャにする。殴りまくって顔面をグチャグチャにするだけだ! 殺しはしない、安心しろ」
「今のセリフの中に安心できる要素がどこにあったんだよ」
イカレ野郎だ。野に放ったままにしていい人間じゃないのは確かなんだ。
倒せるかどうかは半々だが、逃げるという選択肢はない。そもそも逃げられないからだ。
「き、キィ……どうするんだ……!」
「逃げたいところだが逃げられない。風魔法で宙に浮いても、空中浮遊のスピードでは奴の投擲を躱せないんだ。立ち向かうしか手は残されていない」
「立ち向かうったって、あんなヤベー奴に勝てるワケないだろ!?」
そう考えるのが普通だ。サイトウの言っている事は正しくて、何もおかしなことはない。
俺だって衣月を守る旅に出る前だったら、きっと同じことを口にしていただろう。
しかし今の俺は、良くも悪くも普通ではない。
こういった悪に立ち向かえるだけの経験がある。
衣月と音無からは勇気を、風菜とカゼコには戦う為の手段を与えて貰った。
もう敵を前にして怖気づいたりはしないし、あまつさえ守らなければならない存在が後ろにいるのだから、猶更退くわけにはいかないのだ。
……た、戦うぞ。がんばれポッキー!
「下がってろ。怪我をしないように離れているんだ」
「えっ? ま、まさか」
「早くッ!」
急かすと、ようやくサイトウは俺から離れて、壁にへばりつくように身を固めた。
これでようやく戦える──そう考えた瞬間。
唐突にメリケン男が駆け出した。
「お前の顔面を治せなくしてやるよぉッ! 殻が割れた生タマゴみてぇになあーッ!!」
変わった比喩表現をお使いになりますねと、煽る暇もないスピードだ。
鋼鉄のメリケンサックを装着した右手が、何の迷いもなく、一切の躊躇なく俺の顔面に伸びてきた。
ある程度は予想していたが、本当にヤツの狙いは顔面のみだったらしい。
「っぶね!」
体を動かすだけでは間に合わない為、更に風魔法で自分の肉体を吹き飛ばし、横へ吹っ飛ぶ形で攻撃を避けた。
「あ゛ぁ゛ッ!?」
叫びながら、誰もいない場所を殴りぬけるメリケン男。
奴の拳は空を切ったわけだが、そこはまるで金属バットをフルスイングした様な、凶悪な轟音が吹いていた。
……やっば。
当たってたら首が千切れてたんじゃねぇの、アレ。
「こわすぎる……」
「反射神経だけは一人前じゃあねぇか。ただの高校生のガキだと思ってたが、意外とやるようだな」
初撃を躱した程度で、そこまで過度な期待はしないで欲しい。
こっちとしては向こうが本気を出す前に決着をつけたいのだ。
というわけで先手必勝──この場合は後手になるが、ともかく攻撃を避けてからは俺が仕掛ける番だ。
カゼコに教わった護身用の風魔法を使う時が来たようだぜ。
「空気弾ッ!」
指を二本前に突き出す鉄砲の形に変え、叫んだ瞬間目に見えない高速の風が射出された。
これは空気を圧縮して魔法でコーティングし、物体にしてから弾丸の様に発射する技だ。
わざわざ名前を叫んだのはカッコつけたわけではなく、口に出して正確に意識しないと、魔法のコントロールが上手く出来ないからである。既に風魔法のエキスパートである風菜やカゼコは無言で発射できるらしい。すごい!
「オレにはバリアがある。無駄だ」
「……マジで」
メリケン男の周囲に半透明の壁のようなものが出現して、本当に弾かれちゃった。ウソでしょ。
「う~~ん。やはり組織からバリア魔法を受け取ったのは正解だった。ただ暴れるよりも効率が良い」
「……暴れるのが目的なのか。幼稚だな」
「なに?」
困ったので適当に会話で時間を稼ぐ事にした。
この間に魔力を指先に集中させつつ、バリアで現状ハイパームテキになっているコイツを、倒せる手段を考えないと。
「俺のことをガキだ何だっていう割には、行動原理が幼稚だって言ってんだよ。癇癪起こして駄々こねてる子供となんら変わらねえ」
「キサマッ!! きさま……きさまぁ、なるほど時間稼ぎか? そうはさせんぞアポロ・キィ!」
バレてるぅーっ!!
うわぁ来たっ!!
「あぶっ! ぉ、おまっ、何で俺の名前をっ!?」
「抹殺リストには目を通した! 今思い出したんだよ、お前の顔と名前をなぁッ!」
「──ッ゛」
パンチは数発躱したが、まるでラッシュの様に早いそれを全て避けることは出来ず、頬に一発貰ってしまった。
男が振り抜いたことで吹っ飛び、付近にあったゴミ袋の山に落下。
たった一発だというのに、かなりのダメージを受けてしまった。
「……ぅっ、鼻血が……っ」
「キサマァ゛ッ! ……なるほど、オレの拳に突風をぶつけて、パンチの勢いを軽減させたか。直撃すれば骨が砕けるはずだからな。賢いぞ、戦い慣れている。ふざけるなぁッ!!」
「まじで、情緒どうなってんだよ……」
ホントに怖いよこの人……。
鼻の中が切れてしまったのか鼻血が出てきたし──というか脳みそが揺れている。フラフラだ。
「うぷっ……」
頭痛がする! は、吐き気もだ! なんてことだ、このアポロが……気分が悪いだとォ……ッ!?
普通に考えて屈強なムキムキマッチョの成人男性に殴られたら、こうなるのが普通なんだよな。……うわっ、口から歯が一個出てきた。
「ハハハッ! いいぞ! 歯が抜けるのは『顔面が崩れる第一歩』だ! ざまぁみろマヌケ面めッ!!」
「こ、こんなガキ相手に本気になって、楽しいのか、おまえ……」
「楽しい……弱い者イジメ大好き……」
ダメだこれ喋りじゃ時間稼ぎができねぇ。
戦って勝たなきゃいけないわけだが、アイツに勝つには肉体に直接空気弾をブチ込まないとならない。
当たれば勝てるが、当てる事が出来ない。……詰んでない?
「殺してやるぜ~ッ」
お前さっき殺さないって言ったじゃん……。
クソ、遠距離ではまるで話にならないし、こうなったら少しずつ距離を詰めて、アイツがバリアを張れない距離を探らないと。
……
…………
「う゛ぅ゛……」
「ギャアッハハハハハ!!!」
「あわわ……キィの顔がボコボコに……」
はい、滅茶苦茶にボコられました。流石に正義の秘密結社が目をつけた人物ってだけの事はあったようで、戦闘技術に関しては圧倒的にヤツが上だった。ちゅよい。
だが何とかギリギリ立てているし、何よりバリアの無効範囲も正確に割り出せた。
鼻とか完全に折れてるけどもう全身痛すぎて逆に気にならなくなっている。頭が冷静になってアドレナリンが切れる前に、早期の幕引きを図らねば。
「い゛っ……今から、テメーを再起不能に……する」
「ハァ? 何処をどう見たらンなことが出来ると思うんだ貴様。いい加減飽きたし、そろそろ顔面ごと頭蓋骨を粉砕してやるからな」
急にめっちゃ恐ろしい事をのたまっているが、どうやら俺には手加減をしていたらしく、痛めつけるのを楽しんでいたようだ。
それは好都合。
いい時間稼ぎになってくれた。お前が遠慮していてくれたおかげで、俺はお前に勝つことが出来る。
「っ来い……クソ外道。お前のガキ大将みたいなくだらねー暴れん坊人生に、ここで引導を渡してやる」
「~~ッ゛!!? 遂にイカレやがったかアポロ・キィ!」
指でクイクイと分かりやすい挑発をしてやれば、予想通りメリケン男は乗ってくれた。
突然怒ったり冷静になったりと、掴みどころのない奴だが、少なくとも気性が荒く短気なヤツだという確信はある。
「いいか! 最後は華々しく散ろうったってそうはいかねぇッ! 貴様のグチャグチャになった顔面はこの後、オレが『ハンバーグにして食っちまう』んだからな? 貴様の最後はオレのウンコだッ!! ウンコにしてやる!!」
こいつ食人趣味もあったのかよ、とことん救えない奴だな。あと排泄物の名前連呼しないで。
最初は俺の時間稼ぎに感づくなど、多少の冷静さは残っていたようだが、今は違う。
明らかに戦闘で疲弊しているし、もう戦闘を楽しむよりも終わらせたいという気持ちが先行していることは、先ほどのセリフからも明白だ。
冷静じゃないという事は、俺の行動も大して読もうとしない、ということだ。
「殴り飛ばしてやるッ! その顔面を叩き潰してやるッ! 死ねアポロ・キィ──ッ!!」
今のヤツには不意打ちが通じる。
その一度で、俺は勝てる。
逆に言えば外した場合は殺される事になるが、殺されそうになった経験なんて、死刑判決を受けたコイツよりも多いんだ。いまさら怯むなんてことはない。
覚悟はできている。
そして俺は壁に背を預け、奴のパンチが届くのを待った。
「オレのウンコになれッ! ウンコォォォォォォォォッ!!!」
拳が鼻尖に迫る。
瞬間、俺は首元のペンダントを握りしめた。
「あ゛ぁ゛ッ!! ──…………ぁっ?」
繰り出した剛腕の拳は、この俺に直撃することは無かった。
男のパンチは壁に激突した。
コンクリート製のビルの壁に、全力で拳をぶつけた。
メリケンサックが破壊され、右手の骨が砕け、肉が裂けて出血する程の威力で。
「……当たらなかったな。無駄だった。お前の『自慢の拳』は、残念なことに俺には届いていない」
「ッ!? なっ、なにィ──ッ!?」
本来なら俺の顔がある場所を殴りかかった。
奴の狙いは完璧だった。
だが当たる事は無かった。
「あっ、アポロ・キィの姿がッ! いつの間にか『見知らぬ少女』に変化しているッ!?」
メリケン男の拳が俺の顔面に到達する直前に、俺はペンダントを使って『コク』に変身したのだ。
だから、当たらなかった。
「この姿は男の俺よりも一頭身ほど背が低いからな。女になって急激に身長が縮んだ俺の顔面は『男だった俺の顔面を狙っていた』お前のパンチに当たる事は無かった。縮むことでその位置から俺の顔面がズレたからだ」
「ば、バカなっ、何だその意味不明な変身魔法は!?」
「そして──」
俺は右手を鉄砲の形に変え、拳が砕けて怯んでいるヤツの体に潜り込むようにして胸部の中心に、それをあてがった。
「ゼロ距離ならバリアは張れない」
「やっ、やめ──」
奴は最大限まで自分の近くにバリアを張る事が出来る。これまでの戦いでそれは突き止めた。
そしてバリアが張れない位置とは、メリケン男の素肌そのものだ。スーツの様に肉体を覆う形でバリアを張ることは出来ないのだ。
慈悲は無い。許しを請われてももう遅い。
許しならお前がこれまで傷つけてきた多くの人たちに請えと、そんな気持ちを込めて、一言。
「空気弾ッ!!」
強く言い放った数瞬後──戦いは終わっていた。
「……き、キィ? やった、のか……?」
奥からサイトウが恐る恐る近づいてくる。
心臓に空気弾をブチ込まれ、完全に戦闘不能になり俺のそばで沈黙する死刑囚を一瞥し、彼はすぐに俺の方へと首を向けた。
当然だ。困惑するのも無理はない。
「おまえ、その姿は……いったい……?」
何故なら、俺の姿はアポロ・キィではなく、全く見たことのない黒髪のロリっ娘になっていたのだから。
これ以上外部の人間には明かしたくない秘密だったが、この窮地を脱するためにはこうするしかなかった。
……とはいえ、どうしよう。
とりあえず意味深なことを言ってここを立ち去るのが先決か。俺のことは言いふらさないで貰えると助かるんだが。
「サイトウ君は、どっちが本当の姿だと思う?」
「えっ。……そ、それは」
風菜の時と同じやり口だ。芸がないと言われたらそれまでです。
「私は……いえ、俺たちはこの事を秘密にしている。でも、きみが知った秘密の行使は、きみ自身が決めるべき事。言いふらしても、かまわない」
「そっ、そんな事はしない! お前が秘密にしているのなら、なおさらだ!」
ふふふ、やはり。
だ、駄目だ、まだ笑うな……こらえるんだ。し、しかし……。
こういう時は『黙ってて』と言うのではなく、敢えて相手に秘密の公言を許可するものなのだ。そうすればこっちの意思を汲んで、逆に秘密の黙秘を約束してくれる。サイトウ君が良い子でよかった。
「グリントたちとの関係も、その……野暮だろ? 聞かないよ。でも、一つだけ……たった一つだけ、質問をさせて欲しい。
……お前は、何者なんだ?」
通りすがりの仮面ライダーだ、覚えてお……わっ、めっちゃ真顔。真剣な顔しすぎててふざけた事言えなかった。
茶化せないなコレ。全然そういう雰囲気じゃない。
仕方ないからこっちも多少はまともに応対しないと。
結論を誤魔化すにしても、ほんの少しだけ真面目に、だ。
真面目に、意味深に。
謎の美少女の雰囲気で。
「さぁ。言うなれば──市民のヒーロー……かな」
小さく微笑み、痛む肩を押さえながらその場を去っていった。
◆
翌日の朝。
久しぶりに少しだけ謎の美少女ごっこをできた気がして、俺は寝起きから気分が良かった。
怪我や歯のことは、人体を回復してくれるヒカリの光魔法で何とかなっている。流石にすべての青あざが消えることは無かったが、それらは時間の問題ということもあって気にしていない。身体に数か所湿布や包帯を巻いているくらいだ。
衣月をささっと小学校へ送り届け、相も変わらず隣を歩こうとするヒカリにはうまいこと他の女子生徒をあてがって躱し、俺は校門に到着した。
「おい、見ろよアイツ……」
「ヒーロー部の人たちに気に入られてるからって、調子乗ってる男子だ」
「同じ部活ってだけなのに……!」
ふっふっふ、美少女ごっこによってメンタルが回復した今の俺には、そよ風にも等しい罵倒だぜ。バリアー! 効きませェ~ンッ!!
「ポッキー……」
遠くかられっちゃんが不安げな表情で俺を見守っている。
隣に立つことで俺を守りたいのだろうが、それが根本的な解決にはならないという事を、彼は既に気がついている。
だが、いずれは我慢できなくなってこちらへ走って来るだろう。いつもの事だ。
極力周囲は気にしないように教室へ向かおう──そう思って歩き出した、そのとき。
「キィっ!」
後ろから男子の声が掛かってきた。
この学校にキィという苗字の生徒は俺しかいない。俺のことを呼んでいることは明白だ。
振り返ったところにいたのは、俺を必死に追いかけてきたのか、額に汗を滲ませたサイトウ君だった。
「サイトウ君、おはよう」
「えっ。ぁ、ああ。おはよう……って、それより!」
待って、サイトウ君ちょっと声がデカいわよ。
俺と仲良くしている風に見られたら、周囲から嫌われる可能性もあるので、なるべく手短に済ませてこの場を去ってほしい。彼の平穏な学園生活の為にも。
「お礼を言ってなかった。……本当にありがとう、キィ! マジに冗談抜きで命の恩人だ!」
「や、やめて、そんな大声で……」
恥ずかしいから勘弁してほしい。
さっきの数倍はみんながこっちを見ているぞ。ひぃぃ。
「放課後、また会えないか? 何か礼をさせてほしいんだ」
「そんなの別に……」
「頼むっ!」
「……わ、分かったよ。じゃあ、俺を手伝ってくれない? 放課後、街全体でゴミ拾いがあるんだ」
「了解だ! それじゃあまた放課後!」
風の様に走り去っていくサイトウ君。
なんだろうサイトウ君、いかにも普通の男子って見た目とは裏腹に、結構義理堅いというか……熱いヤツというか。
とにかく良い子だった。
これはアポロの評判を上げよう計画の、記念すべき第一歩なのではないだろうか。うへへ。
「おはー……あっ。あそこにいんのヒーロー部のキィじゃん。なんかあったの?」
「男子から命の恩人がどうとか言われてたけど……」
「はぇー。ヤバくね」
近くを女子生徒が通りかかった。何で俺の名前知ってるんだろう。ちょっと有名になってるのかな。
「そういえばアイツ、この前地区のマラソン大会で設営とか司会とかやってたよ。ウチ参加したから見かけたわ」
「えっ、ヒーロー部の人たちが来てたの?」
「別に? あいつ一人だったけど……」
地区のマラソン大会って、あの子供と元気な老人しか参加してなかったイベントか。景品はお菓子とかお米とかシェイバーとか、そんな感じだった気がする。
そう言えばあの女子もいたな。唯一と言っていい高校生だったから、よく目立ってたわ。
弟だか妹だかと一緒にのんびり走ってた覚えがある。こっちに手も振ってくれた。すき。
「……ご、ごっ、ご高齢の方と施設で触れ合うボランティアにも……き、キィ君、いた……よ」
さっきのギャルのそばに、前髪がめちゃめちゃ長くて挙動不審な女子が見えた。
対照的な二人ではあるがあの距離感の近さから見て、どうやら普段から一緒にいる友達ではあるらしい。
「ま? 何したん」
「くくっ、く、車椅子を押してお散歩したり……他にもいろいろ……」
「へー。忙しいね、あいつ」
あー、思い出した。あのボランティアか。
そういや俺の隣で車椅子を押してた変な女子もいたな。アレあの子だったのか。魔法学園の生徒が俺たちだけだったから、やけに注目を浴びてた。
「キィー、おはよ」
「ぉ、おっ、おはようございます、キィ君……」
「うぇっ……。お、おう。おはよう……?」
「何でビビってんの。ウケる」
さっきのギャルと根暗っぽい女の子が挨拶をしてくれた。怯んでしまったせいか陰キャ全開の返事をしてしまったが、特に気にする人じゃなくて助かった。
その女子たちを見送ると、そこでようやくレッカが駆け寄ってきてくれた。
しかし、何だかれっちゃんは笑顔だ。
「すごいよポッキー。僕たちよりずっと『市民のヒーロー』をしてるじゃないか」
「え、そっ、そう……? 照れる……」
それもこれも、大体の仕事を俺に回してくれたカゼコのおかげなんですけどね。
秘密なので黙っておくが、めっちゃ言いふらしたい。自分でアピールしたら白い目で見られるから言わないけど、本当はめっちゃ頑張りましたアピールをしたいよ、れっちゃん。
「き、キィのヤツって意外と、がんばってるんだな……」
「はぁ? あんなの点数稼ぎだろ。頑張りましたアピールだって」
ギクッ。
「でも実際に行動してるじゃん。それは事実だべ?」
「……そ、それはそうかもだけど……いや、でもさぁ」
少々訛りの入っている男の子が庇ってくれたおかげで、周囲からのピリついた視線も減ってくれたように思う。
まだ俺のことを信用しきれていない人たちも多いが、少なくとも『ちょっと良いことしてる男子生徒』程度の認識は広まってくれたようだ。
この人が集まりやすい校門で、今のやり取りがあったのはかなり大きいぞ。やったー!
「……ありがとな、コク」
「ポッキー?」
「コイツのおかげでもあるんだよ。……交代したら、れっちゃんも後で褒めてやってくれ」
「……うん。分かった」
ここでもう一人の美少女の事もアピールしてレッカからの好感度もアップだ。すごい、とても上手くいっている。
フハハハー! ……油断するとすぐにガバを発生させるのが俺だから、今日一日は帰るまで気を張って生活しよう。
がんばるぞ、えいえい、むんっ。




