死にかけポッキー
これはたぶん、明晰夢ってやつだ。
自分が見ている光景を夢だと自覚したまま夢を見続けられるっていうアレ。体験するのはこれが初めてになるかもしれない。
俺がいる場所は──魔法学園だ。
校舎には見覚えしかないし、自分が今座っている教室の風景からして、それは間違いない。
ていうか俺が学生服を着ててなおかつアポロの姿に戻ってんだから、これが夢じゃなかったら何なんだって話だ。
「じゃあ補習はここまで。次は赤点取るんじゃないぞー」
気だるい声音でそう言い残した教師が荷物をまとめて教室を出ていく。
すると教室内の雰囲気が緩和し、俺と同じくテストで赤点を取ったアホ生徒たちは、各々解散していった。
……あぁ、なるほど。
夢っていうより、これは記憶の再現だな。
テストで赤点を取って補習を受けさせられたのなんて、もう随分と前の事だ。
確かレッカはもうこの頃には、ヒーロー部に入り浸ってたか。
当然の如く、この補習クラスにあいつはいない。
烈火の魔法に目覚めた我が親友は、実技においては遅れを取ることもなくなって、勉学の面においても生徒会長であるライ先輩に面倒を見てもらうようになったから、この時期はもうすっかり落ちこぼれから脱却している。
分かりやすく言えば、俺とレッカに距離が生まれ始めている時期だ。
アイツは着々とハーレム主人公になっていって、俺は友人キャラからモブ生徒に降格されてどんどん関わらなくなる時期。
ここら辺のレッカは異様に忙しかったっけな。
例えるならレギュラーメンバーが固定されて、敵との戦闘やら日常回やらヒロインたちとのイベントやらで、めっちゃドタバタする中盤のバトル系ラブコメアニメそのものだった。
その思い出も今となっては懐かしい。
いい機会だし、もう少し夢の中の自分に入り込んで、今は無き学園生活を過ごしてみようかな。
実はこれまでほとんど明かされなかった、アポロ君の過去編の始まりだ。
「……適当に昼メシ食って帰るか」
土曜日だったか、日曜日だったか。
休日に補習をやらされた俺は、辟易しながらもカバンを手に取って教室を出ていった。
魔法学園は部活やクラブ活動が異常に盛んで、休みの日にもかかわらず学園の敷地内にはそこそこの数の人間がいる。
故にそういった休日でも青春をしまくる若者たちをサポートするという名目で、学園の食堂や購買は土日でも営業しているのだ。
ということでこの日の俺は、帰る前に購買にでも寄ろうと考えたのだろう。
学園の購買はとにかく安い。お財布にも優しいし、今すぐ腹を満たしたい俺はその魅力に抗えなかった。
休日でも食堂は人が多いから、購買でカップ麺でも買って静かな場所で食うのが良さそうだ。
「購買、全然ヒトいねぇな……んっ」
「いらっしゃいま──ぁっ」
大盛況な学園食堂に比べて、シャッターだらけの廃れた商店街並みに客がいない購買へ到着すると、そこにいたのは見慣れたおばちゃんではなく。
「あー、えぇっと……あ、そうだ。確かレッカ先輩と仲良しの……」
「アポロ・キィな」
「そっすそっす。へへ、別に忘れてたワケじゃないっすよ」
デカいマフラーが特徴的な女子生徒が、いつもおばちゃんの座ってる椅子に腰かけて、購買を営業していた。
……あいつ、ヒーロー部のメンバーだったよな。
何だっけ名前。
「どうもこんにちはっす、先輩」
「結局名前は呼ばないんだな」
「いいじゃないっすか、先輩で。名前を呼ばないのも一種の信頼っすよ。ほら、名前を呼ぶ必要もないくらい仲良し~みたいな」
「……俺の名前、もう一回言える?」
「…………えへへ」
もう忘れてんじゃねぇか。どんだけ俺に興味ないんだよコイツ。
てか思い出したぞ。
こいつヒーロー部の中で唯一下級生のヒロインだったよな。れっちゃんは色んな子に手を出しすぎです。
名前は……あぁ、そうだ、ノイズだ。
なんとかノイズ。
「じゃあノイズ、そこのやつくれ」
「えっ、何でウチの苗字知ってんすか。ちょ、怖い怖いもしかして先輩ストーカーか何かなんです? 割と普通に気持ち悪いんでこっちじゃなくて食堂の方でご飯食べて頂けると助かります」
「俺レッカの友達なんだから名前ぐらい知っててもおかしくないだろ……」
ほんとアイツのハーレムってどいつもこいつもキャラ濃いな?
こんなにふてぶてしい態度取れるんなら、アイスとかウィンド姉妹とも対等に渡り合えそう。末恐ろしい後輩だ。
「だいたいお前、なんで休日の購買で働いてんの」
「あー、なんかいつものおばちゃんが腰をやっちゃったらしくて。平日は流石に無理っすけど、休日のお昼時くらいなら代われるってことで、ヒーロー部が週替わりで担当してるっす」
そりゃまたご苦労なことで。
ボランティア部に名前変えてもよさそうじゃない?
「とりあえずそのカップラーメンくれ」
「まいどあり。ストロー付けます?」
「いやお箸つけて」
急に口の中を火傷させようとしてくるじゃん。怖いよこの後輩……。
「そうだ先輩、レッカ先輩の好きな食べ物とか教えてくださいよ」
「ヤダ」
「え~、なんで」
「どうせお料理対決とかレッカに弁当作ってくるとかだろ? ベタすぎんだよお前ら。マジでどこまでも王道だよな」
「……もしかして、レッカ先輩が羨ましいんすか?」
は~~~???? 違いますが。別にハーレムを抱えるのとか気苦労が増えるだけだし俺はそんなの求めてませんが。女の子から胸を当てられて照れてるレッカを見て羨ましく思ったことなんてたった一度もありませんが。勘違いすんなよなホント。
「誤魔化すのに必死っすね。かわいいんだ~」
「煽ってんじゃねぇぞ」
「照れちゃって。……もしよかったら、私が先輩のお弁当作ってきましょうか?」
「えっ!?」
「ウソです」
「てめぇ……」
「きゃー、こわーい」
俺に対してこんなメスガキムーブをかましてきやがるコイツも、レッカの前じゃ乙女チックな表情になるんだろうな。
『レッカ先輩♡ ウチがお弁当食べさせてあげるっすよ♡ はい、あーん♡♡』みたいな感じでよ。親友に対しての敗北感で脳が壊れそう。
「帰るわ……」
「え、もう帰っちゃうんすか」
何で引き留めようとするんだ、と考えたところで気づいたことがある。
コイツたぶん暇なんだろうな。客もいなければ話し相手も存在しないし、部活動の一環で手伝ってるだけだろうから給料なんかも出なさそうでモチベも上がらないのかも。
ふん、いい機会だ。
先輩を煽り散らかした罰として、お前には最大級の暇をプレゼントしてやるぜ。
「おう帰るぞ。せいぜい暇に苦しむがいい、ふはは」
「ひどい! 可愛い後輩を置いてまで家に帰ってもどうせレッカ先輩以外に友達いないからゲームやるか昼寝するしかないのに! 鬼、悪魔!」
「ケンカ売ってんなら買うぞお前?」
「あ、何だかんだ言ってやっぱり残ってくれるんすね。いやぁ頼りになる先輩だなぁ。これがレッカ先輩だったらもっと良かったんだけど、そんなワガママは言えないっすよね」
「そんなにレッカがご所望なら電話かけてやるよ。お前んとこの後輩が俺をいじめてるよ~ってな」
「待ってください先輩。一旦ジュースでも飲んで落ち着きましょう。ねっ」
──そう、だったな。
思い返してみれば、こんな一幕もあった気がする。
クラスで他人行儀な挨拶程度を交わす氷織やヒカリを除けば、多分初めてレッカのヒロインとまともに会話をした日だった。
確か、この後も数回程度だがヒーロー部と関わった事がある。
そのどれもがちょっとした会話程度に過ぎないが、レッカから話を聞くこと以外でヒーロー部を知れた数少ない機会だったこともあってか、そのほとんどが記憶に新しい。
特に印象に残ってるのは──
「れっちゃーん、帰ろうぜ」
部活が終わった後、レッカと一緒に帰る約束をしていた。
早めに終わらせると言われたから、放課後になって一時間後くらいに、ヒーロー部の部室を訪れてみた。
「レッカくん、どうかなコレ?」
「感想が聞きたいですわ♪」
「お姉ちゃん……このかっこ、はずかしい……」
「だいじょーぶ似合ってるわよフウナ! これで朴念仁なこいつも一発で悩殺ね!」
「ところで部長は着替えないんすか? これ着るとレッカ先輩がいやらしい視線を送ってきてくれますよ」
「だったらなおさら着替えないだろ!? 生徒会長がこんなハレンチな格好できるか……!」
「…………はぁ。なるほど」
「ち、違うんだポッキー。これは潜入捜査に使う時の衣装を、みんなで調整しているだけで……あの」
扉を開けたそこには、バニーガールのコスプレをした少女たちと戯れる親友の姿があった。
そりゃもう見せつける様に彼女らとイチャイチャしていやがった。ヒロインが多くていいですね!
やっぱ主人公さまは格が違うよな、合法的な言い訳を用意すれば、学校で4Pでも5Pでもできるんだから。
「帰るわ」
「待ってポッキー!? ほんともうすぐ終わるから!」
「だまれ早漏野郎」
「不名誉なあだ名が……っ!」
なんとか撤回しようとしたレッカだったが、職員室へ持っていかなければならない資料というものがあったらしく、彼は俺に待機するよう何度も念押ししながら、一旦部室から姿を消した。
その間、俺は部室で待つことになって。
たぶん初めてヒーロー部の少女たち全員と、同じ空間で過ごすことになった瞬間だった。
「また会いましたね、トッポ先輩」
「ポッキーな」
「大差ないっすよ」
「それは俺も同感」
「……あらま。オトナシさん、いつの間にキィさんと仲良しに?」
どこをどう見たら仲良しに見えるんだよコレが。
「お友達が増えるのは良いことですわ!」
「ヒカリ先輩ピュアっピュアで眩しすぎ……あれ、先輩? 何で目ぇそらしてんすか?」
「うっさい」
きわどいバニー衣装じゃなかったら素直にかわいいと思えたんだがな。この空間、えっちが過ぎるだろ。
どいつもこいつもアニメ本編の放送終了後に発売されがちなちょっとお高いフィギュアみてぇなエロ衣装しやがって。羞恥心ってものが無いのか。
こんな露骨に女子複数人から誘惑されてて、れっちゃん何で耐えられてるんだろう。俺だったらもう数人には手を出しててもおかしくないってのに。えらいねお前は本当に。
「ねぇねぇキィ君」
「なに、アイス」
「来週レッカ君の誕生日じゃない? プレゼントって何あげたら喜んでくれるかな……」
自分で考えて、どうぞ。
ていうか近いんだよそんな甘い匂いを醸し出しながら胸の谷間を見せつけるのは青少年の精神に大変よろしくないぞうわあぁぁぁ他にも来た……。
「ウチも知りたいっす! この中で一番最高級のモノを用意するっすよ~」
「抜け駆けは許さないわよオトナシ! わざわざ高い物を渡されてもレッカが気後れするだけじゃない! みんなで考えないとダメよ!」
「お姉ちゃんが急にまともな事を……」
「皆さーん、あんまり激しく動き回ると、お胸が危ない事になってしまいますわ……あっ」
噂をすれば、ヒカリのお胸がポロリ。
「ぶ、部長~っ!」
「まったく何をしているんだ……ほら、他の部員も早く着替えなさい。部長命令だぞ」
「うぅーん……もう少しレッカくんに見てもらいたかったなぁ」
「じゃあ見せに行くっすか? 何とここにはレッカ先輩が持っていき忘れた、余りの資料が……」
「あぁー! ズルい!」
「わっ! お姉ちゃん待って! 胸がやばい事になってる!!」
「騒がしい部員たちだ……やれやれ」
溜息を吐きたいのはこっちだ──と、当時の俺ならそう思ったんだろう。
こんな風にヒーロー部はいつ様子を見に来てもレッカが中心で、誰もかれもがアイツに対して好意を隠していなかった。
それだけレッカが魅力的なのは分かっていたし、羨ましいとは思ったが同時に当然だなとも理解していた。
……ちょうどこの頃だったかな。
このヒロインたちからレッカを奪ってやったら、どんな顔をするんだろう──って変態みたいな思考が生まれ始めたのは。
結果的には状況を引っ掻き回しただけで、俺は何者にもなれなかったわけだが。楽しかったから別にいいんだけどね。
ともかく、みんなレッカが大好きだった。
俺と一緒に行動していた少女たちも、本当は彼に惹かれていたんじゃないだろうか。俺と一緒に行動するうえで、俺を扱いやすくするために、わざと好意的な態度を取っていたのかもしれない……と、いまなら冷静にそう考えられる。だって、こんなにレッカにゾッコンだったんだから。
ヒーロー部、元に戻れてよかったな。
ヒロインレースがどうなるのかは分からないけど、俺がいなくなってようやく平和になったんだ。どうにでもなるだろうし、俺自身もう二度とここへ戻ろうと考えることはないだろう。
きっとそれが、彼女らにとっての幸せに繋がる選択肢なんだ。
◆
──長い夢だった。
どこかも分からない馬小屋で夜を明かし、今は無き学園生活に想いを馳せながら、俺はみっともなく逃走を再開する。
記憶が正しければ現在は国外にいるはずだ。貨物船に忍び込んで日本を出ていった気がする。ここがどこなのかは見当もつかないが。
なんだか、頭が痛い。昨日も刺客と戦ったせいだろうか。
拭き取るのを忘れていた手の甲の血が固まっている。ズキズキと痛むが、洗う場所も絆創膏も無いから我慢だ。
ていうか右目が見えなくなってんな。すっげぇ痛い攻撃を直撃されたから、まぁ失明しててもおかしくない。
こんなボロボロになっても、自業自得の因果応報ということで納得できるのがせめてもの救いだろうか。もはやそれが一種の心の支えみたいになってる節がある。
「……ぁ、ダメだな、これ」
呟き、うつ伏せに倒れ込んでしまった。
心は負けていないが、身体がほとんど死んでいる。
自分が何日くらい飯を食ってないのか、どれくらいの期間逃げ続けているのか、その何もかもが分からない。どうやら身体だけでなく、とっくの昔に俺の脳みそも限界を迎えていたようだ。
うーん。
まぁ、さすがにもう無理か。こりゃ死んじゃうわ。
でも俺にしては珍しく頑張ったほうだろ。えらいぞポッキー。
って、あー! 視界が暗くなってきた! こわい……たすけてれっちゃん……。
よもやよもやだ。我が運命もここまでである。それなりに楽しい人生だったし及第点なんじゃないすかね。
「──先輩」
誰かの声が聞こえたものの、確実に耳と意識が遠くなってるので、全くもって聞き取れない。もしかしたら刺客に発見されちゃったのかもしれない。無念。
ヒーロー部のメンバーは、ハッピーエンド後の後日談みたいな感じで、学園でレッカとよろしくやってる筈だから、絶対にここには来ない。
通りすがりのめっちゃ優しい人でもなければ、相手は確実に悪の組織の残党だ。ここに来てお祈り要素とかやめたくなりますよホント。
「先輩、先輩。私です、音無です、わかりますか。……よかった、呼吸はしてる」
抱き上げられた気がする。首でも絞められんのかな。なるべく苦しまないやり方で殺して欲しいところだけどそれはワガママか。女の子の姿だし手加減してくれてもいいんだぜ。
「あっ、氷織先輩! こっちです!」
「っ! アポロく──っ……ひ、ひどい、状態……」
「病院はまずいですよね。とりあえず隠れ家に運びませんか」
「分かった。待って、いま部長に連絡を──」
はい無理ー。気絶します。
最悪の場合はこのまま死にます。描写されないモブの最後ってこんな感じなのかしら……。
できれば親友か好きな女の子あたりに看取って欲しかったが、それは叶わない夢なんだなぁと自覚しながら、俺は眠るように意識を手放したのであった。




