むっつり忍者
おそらく人生で一番情けないであろう姿を、後輩に目撃されてから数分後。
「……」
「……」
俺たちは二人ともベッドの上で、正座になって向かい合っていた。
今の俺の心境を表すとすれば、さながらイタズラがバレて教師に叱られる直前の生徒みたいな心持だ。あとちなみにズボンは履きました。
「……何なんすかね、これ」
「アヒんッ♡♡ 急に突っつくな!!」
「あ、ごっ、ごめんなさい」
まだ覚醒したままである俺の息子の先端を、ズボンと掛け布団の上から指でタッチしてきやがった。
いろんな布で防御されているとはいえ、突然急所を指で突くなんて信じられん。恐ろしい娘だ。
「でも、まだ勃ってる先輩もおかしくないです?」
「……否定はできない」
そうなのだ。
めちゃくちゃに恥ずかしい場面を見られて、本来なら一瞬で萎えて縮こまるはずなのに、俺の珍宝は暴れん坊将軍のままなのだ。一体どうなってる。
もしかしたら女の子に変身しすぎて、肉体そのものがバグっているのかもしれない。こんな事になるならペンダント使うのやめようかな。
……終わった。俺の物語はここでお終いのようだ。
よりにもよって数少ない仲間である音無に、男なら確実に見られてはいけない瞬間を目撃されてしまったんだ。もうどう取り繕っても俺の評価はマイナスだろう。
今までだってそこまで頼りがいのある先輩としては見られていなかったんだろうが、今この瞬間をもって彼女は俺に心底失望したので、もはや人間としてすら認識されなくなったに違いない。
すまない父さん。遥か高みを目指すアポロ・キィの夢は、こんなにも呆気なく潰えてしまったよ。
「くぅ……」
「先輩、そんな赤くならないでも……思春期の男の子ならよくある事ですよ。……たぶん」
「むり……」
顔から火が出るとかそういう次元の話じゃない。このままだと感情が爆発して闇落ちする。世界を滅ぼしちゃう。
「ほんと、穴があったら入りたい……」
「えっ? ……え?」
「ちょっ、待て! 変な意味じゃない! お前だって分かってるだろ!?」
ただのことわざを深読みされる状況、端的に言って地獄だ。
「……いや、マジですまなかった。見られた時は事故だって言ったけど、これは確実に俺が悪い。変なもん見せてごめん」
頭を下げて謝罪。元の体勢が正座なので、そのまま奇麗な土下座となった。
本当に死にたい。こんなん母親にバレるのより精神的にキツい。
「……私は別に構いませんけど、他の人が入ってきてたら……先輩どうするつもりだったんですか」
「ゃ、それは……ほら、ヒーロー部がホテルを出ていくのは見えてたから。……その、大丈夫かと思って」
「カギ、普通閉めませんか? ここ先輩の家じゃないんですよ?」
「何とでも言ってくれ。俺は世界で一番ダサい男なんだ」
あの時の俺はどうかしていたんだ。
そうだよ、何で部屋の鍵をかけなかったんだ。下半身に忠実すぎるだろうがよ。アポロくんガバも大概にして……。
「……まぁ、その、私も……はい、本当にすみませんでした」
音無も小さく頭を下げてきた。何事かよ。
「いえ、勝手に部屋の中に入りましたし……強引に布団を剝いだりもしたので、申し訳ないです」
「分かればいいんだよ、分かれば」
「調子良すぎません?」
こうでもして気持ちを誤魔化さないとやってられない。俺はいまここで自爆してもいい心構えが出来上がってるんだぞ。
「……相変わらずおっきいままだし」
「掛け布団で見えねぇだろ」
「表情や体の動きで分かりますよ。忍者なので」
絶対ウソだ。お前の忍者の認識どうなってんだよ。流石に万能すぎるぞ。
「基本的には何でもできるって、前にも言ったでしょ」
「……ロールキャベツは?」
「作れます」
「ブルドーザーの運転とかは?」
「ぜんぜん余裕ですね」
「房中術は?」
「だからできっ──いま、なんて言いました?」
房中術。
あれだよ、アレ。昔の人がやってたあのエロい事して相手を油断させる技的なヤツ。
「できんの? 房中術も」
「…………」
おや。赤面して黙っちゃったぞ。
「忍者って何でもできるらしいからなぁ。そういう相手を陥落させる初歩的な技術なんて、当たり前のように心得てるんだろうな~」
「……で、できますよ? えぇ、出来ますとも。あまり忍者を舐めないで頂きたい」
「えっ。……じ、実戦経験あんの?」
「うぇっ!」
彼女の返事に対して思わず怯んでしまった。煽ったのは事実だが、ここでは『出来ませんけどそれ今関係あります?』みたいな感じの正論で、俺のことボコボコにしてくると思ってたから。
マジかよ、出来るんだ房中術。
忍者ってそういうのヤるのが当たり前だったんだな。これからはもっと音無に優しくしよう。
「ば、バカっ! した事なんてあるわけないでしょ!? 知識ですよ知識ッ!」
「ふむ。音無後輩はむっつり忍者だった、と」
「わたし先輩のことキライになりそうです」
恨めしい顔になる音無。どうやら煽りすぎてしまったらしい。
この場の恥ずかしい雰囲気を誤魔化すために、何かをやろうとした結果だったのだが、裏目に出てしまったようだ。
「ごめん音無。その、俺……」
「うるさいです。大体むっつりとか言ってますけど、先輩だって度を超えた変態じゃないですか。人のこと言えないでしょ」
「なっ」
度を超えた変態だと……? アンタいつからそんなに口が悪くなったんだい……!
「この前の夜だって、女の子に変身した状態でレッカさんに迫ってましたし」
「──────」
心臓が止まった。
「ぉ、おま、ぉっ、え、おまえ、おぉ……?」
「言語能力を失ってる……」
まさかアレ見てたのか!? 俺とレッカの怪しい情事の現場を!
バカな、そんな気配はしなかったはずだ。
あの場にいたのは俺たち二人と、その遠くから向かってきていたヒカリだけだ。
何度も周囲は確認してたし、間違っても音無に見られてたなんてことはあり得ない。ハッタリに決まっている。
「あのですね、自分の気配を消すのは忍者の初歩的な技術ですよ。それが出来なかったら忍者になんてなってるワケないじゃないですか」
ニンジャ、すごい……。
「今までありがとう。さよならだ」
「窓から飛び降りようとするのはやめてくださいね」
「はなせッ! 俺はもうこの世では生きていけないッ!!」
くそっ、押さえつけられてベッドに戻された。
単純な力だけなら俺の方が上なのに、対人戦の技術に差がありすぎる。
後輩の女子に拘束されるなんて情けない限りだ、もう舌を嚙み千切るしかない。
「落ち着いて。どうどう」
「うるさい慰めるな。もう煮るなり焼くなり好きにしろ」
「別に先輩を辱めるつもりなんてありませんから……」
また頭を撫でてきやがった。こいつ俺のことを完全に下の存在だと思っていやがる。事実その通りだから何も言えねぇ。
頼むからもう優しくしないでくれ。憐れむくらいなら殺しておくれ。俺みたいな人を弄ぶようなクズは、ここら辺で地中に埋められて地獄行きになるくらいの罰を受けるべきなんだ。
「……先輩は」
悲しみに暮れながらベッドの上で座る俺の隣に、音無がゆっくり座った。
間違いなく説教タイムだ。
「先輩は……そんなに溜まってたんですか」
「は?」
「で、ですから。女の子になってレッカさんに迫る程、精神的に追い詰められてたのか、って話です」
そういう認識になっちゃう? いやまぁ、追い詰められてるのは事実だけども。
……よく考えてみたら、普通の人間じゃやらないような事ばっかやってるな、俺。
そういう意味では、レッカがバトルラブコメをしていたあのとても退屈な時期に、俺は暇によって精神を破壊されたといっても過言ではないのかもしれない。
最初の動機はレッカをビックリさせたいだとか、ちょっと物語に混ざりたいだとか、そんな単純なものだったのに。
いつの間にか俺は引き返せない場所まで来てしまっていた。
両親が悪の組織の一員だったことや、研究所から逃げ出してきた衣月のこともあるが、結局俺から面倒事に顔を突っ込んだことに違いはない。俺がペンダントを使っていなければ、きっと両親も衣月を俺ではなくレッカに任せていたことだろう。
「……えっと」
まずい。音無の一言で冷静になってしまいそうだ。俺なにやってんだろうって少し考えちゃった。
ダメだぞ、ここでやめたら俺自身を否定することになる。
止めてくれる資格を持つレッカによって物理的にストップさせられるまで、俺は美少女ごっこはやめないんだ。
……やめない、よな?
「性欲でレッカさんを困らせるのは、本意じゃないでしょ」
「それは、その……」
咎めるのではなく俺の良心に訴えかけてくる音無。こうかは ばつぐんだ!
「まぁ、不用意に寝室へ誘ったり、衣月ちゃんと一緒に先輩とくっ付いて寝てた私も悪いですよね。先輩だって年頃の男の子ですし」
音無が悪いってことはないと思う。それで興奮する俺の方が圧倒的に非があるんじゃなかろうか。
「……そんなに溜まってるなら、抜いてあげましょうか?」
「ッ!!?」
思わず反応してしまった。こいつは急に何を言い出しやがるんだ。
おい、おかしいだろこれは。なんでレッカじゃなくて、俺がエロゲの主人公みたいな展開になってるんだ。逆だろ普通。
……落ち着け。
これは罠だ。
こんな都合よくエロゲみたいな美味しい展開など起こるはずがない。だって現状俺が悪いことをしただけなんだぞ。えっちな雰囲気になる理由がまるで存在しない。
「だっ、だ、だめだぞぉ?↑ そんな、不用意な発言はするもんじゃあないって……」
「……プッ。ふふ」
何笑ってんだ……!
「もう、冗談っすよ。あー、おもしろ」
「テメェな……」
「この状況ならこう言えば先輩が喜ぶかな~、ってセリフを言ってみただけです。予想通り、口では繕いつつも期待した眼差しになりましたね? ぷぷっ、単純な人」
口に手を当ててあざ笑う音無。
この後輩許せねぇ。そんなに純情な少年をからかって楽しいのか。あぁ楽しいだろうよ。男の子をからかうの楽しいよね……分かるよ俺もやったから……。本当にごめんなレッカ。
ちくしょう、俺には音無を怒る資格が無いぞ。タイプ相性が最悪だ、有効な技がひとつもねぇ。
「先輩。もしかしなくてもコクちゃんに変身するの、ちょっと楽しくなってるでしょ」
「違うなそれはお前の単なる勘違いだ」
「すごい早口」
ふぇぇ……僕の語彙力じゃもう誤魔化せないよぅ……。
「別に責めたりはしませんよ。先輩がロクでもない人だってのは前から知ってますし」
むしろ怒ってくれた方が嬉しいまであるのだが、そうは問屋が卸さないようだ。
ここまで知ってもなお失望してすぐに見放さないなんて、どうかしてる。音無に関しては好感度が高いのか低いのかすら見当がつかない。
「仕方なく始めたことでも、後から楽しくなってきちゃうこと……ありますもんね」
「えっ」
「忍者の活動をしてて『楽しいな』って感じたことは、全くもって一度もなかった──と言えば嘘になりますし、私も経験ありますよ。衣月ちゃんを守るためとはいえ、先輩は女の子に変身する時間が長すぎました。ちょっとくらい楽しくなっちゃっても不思議じゃありませんよね」
「音無……」
ここまでの話を聞いた限り、音無からの認識は事実とは少しズレているみたいだ。
本当は衣月を守るために始めたんじゃなくて、TSを始めてから衣月と出会ったんだけどな。
そこはいい。
とにかく自分の感情のためにTS変身を始めたわけではないって認識をされてるなら、なんとか致命傷は免れている。
救いようのない変態男ではなく、ちょっと誘惑に負けてしまっただけの変態男ってことだ。……おっと大して変わらない気がしてきたぞ。
「もうこの際レッカさんに全部明かしませんか? 余計な設定を増やしたことは、私も一緒に謝ってあげますから」
こいつは聖母の生まれ変わりなのだろうか。
こんなにどうしようもない男を庇うばかりか、自分は悪くないのに一緒に謝るだなんて、あまりにも精神が高潔すぎる。自分では裏切ったと言っているが、やはり彼女の根底にはヒーロー部で培った慈しみや優しさの矜持があるのかもしれない。
……だが。
「それは……でき、ない」
「……どうしてですか」
「音無には明かしていない真実がある。……俺はそれを守るために、レッカに対して秘密を隠し通さなきゃならないんだ」
俺の中にあるのは矜持や誇りといった立派なもんではない。
性癖──抗えないサガに突き動かされているに過ぎない。
しかし、それでも俺は美少女ごっこを続ける。続けなければならないのだ。
コレこそが俺を俺たらしめる証そのものだから。
自らの意思でこの戦いを降りてしまったら、俺はアポロ・キィではなく、中途半端に人助けをしながら周囲を引っ掻き回した──ただの友人キャラになってしまう。
それは嫌だ。ガキみたいな思考だと思われたって構わない。
俺はここで『やめない』という判断ができてしまうような、どうしようもない馬鹿なのだ。
そんな馬鹿でクズな男ですらなくなってしまったら、俺は──
「先輩」
「……おと、なし」
いつの間にか、俺の左手が握られている。
ふと首を横に向けた。
そこには『仕方ないな』と言われなくても伝わるような、微笑を浮かべた音無の姿があった。
「その真実ってやつ、先輩にとってはよっぽど大事なものなんですか」
「……あぁ、そうだ」
「なら無理強いはしないですよ。……多分、それは先輩を形作るものなんですよね」
俺の意思は無事に伝わってくれたようだ。
「今は止めません。私にその資格はありませんから」
そう静かに告げた音無は、より一層俺の手を強く握りしめる。
「でも、状況が悪化するのは目に見えてます。先輩が私を認めてくれたら、そのときは何をしてでも先輩を止めますから、そのつもりでいてくださいね」
「……あぁ、分かった。ありがとう音無」
ようやく気付いたことがある。
俺はこれまで、自分が思っている以上に様々な人たちと交流を重ねてきた。
その中にはとても近い距離で、絆を深めた人間もいる。
もしかしたら、俺を止めてくれる存在とは、レッカだけを差すものではないのかもしれない。
「……ところで先輩」
「どうした」
「おちんちんは小さくなりましたか?」
「うぉぉっと本当に話題が変わったな」
◆
「……逢引?」
俺たち二人がいつまで経ってもフロントへ降りてこない事に痺れを切らした衣月が、俺の部屋に突撃してきて最初に放った言葉が、それだった。
「違うぞ」
「でも、手を繋いでいる」
「衣月とだってよく手を繋ぐだろ。それと一緒だ」
「それはおかしい。紀依の股間が膨らんでいる。私と手を繋ぐときは、そうはならない」
「…………」
遂に反論できなかった。
後輩のやわらかプニプニな手に自分の手を握られ、あまつさえ肩が触れ合う距離で『おちんちん』なんて言われてしまったせいで、俺のロケットは天を衝くが如く屹立してしまったのだ。あと音無ちゃん良い匂いするんだわ。
「おい待て衣月、どうして逃げようとする」
「エロシーンを邪魔する輩は絞首刑に処すと、いんたーねっとで見た。断罪されてくる」
「ちょっ、ダメダメダメっ!! 衣月ちゃんまって!?」
弾かれたようにベッドから飛び出し、そのまま衣月を正面から抱きしめて拘束する音無。見事な早業だ。
「あのっ、これは本当に何でもないから! 一人にしてゴメンね!」
「責めているわけではない。……こうして捕まえたということは、私も参加をするの?」
「参加っ!?」
お前はその変な知識をいつどこで吸収してるんだ……。
「乱交。……ちがう。確か三人なら……さんぴぃ?」
「おいおいおい」
「先輩っすか。衣月ちゃんの純真無垢な精神を汚したのはアンタなんスか。やっぱりこの場で縁を切ったほうが良さそうっすね……」
「待ってくれ誤解だ」
もしかして衣月にデバイスをたまに貸してたのがよくなかったのか。
確かにフィルタリングは設定されてなかったけど、怪しいサイトは検索しないように言ってたはずだ。何かがおかしい。
「ついったーというツール、とても便利。単語の学習にとても役立つ」
よりにもよって光と闇が交差する特殊な環境に、ネット慣れしていないにもかかわらずいきなり突っ込んでしまったらしい。こんなのもう実質事故じゃねぇか。おとなしく猫の動画でも見とけばよかったものを……!
「この状況は……じぇーけぇと、小学生ろりの、さんぴぃハーレム?」
「オマエ意味全部わかってて言ってんだろ!?」
「お願い衣月ちゃん今言葉にした単語全部忘れてぇ……っ!!」
……ということもあり、子供であるがゆえに何でも吸収してしまう衣月に四苦八苦しつつ。
そんな彼女のおかげで逆に落ち着いた俺の性欲も沈静化され、俺たち三人はかなり出遅れてからホテルを出発したのであった。




