ムラムラする
──めっちゃオナニーがしたい。
「どーしよ……」
夕方過ぎ。
自室として割り当てられたホテルの部屋のベッドの上で、俺はゴロゴロしながら一人悶々としていた。
「……ぐぬぬ」
体勢を変えてベッドに座り、両手を組んで唸る。
それほど悩ましく、また早急に答えを出さねばならないほど追い詰められている。
──そうだ。
何を隠そう俺は今、信じられないぐらいムラムラしているのだ。
この沖縄に到着してから、もう数日が経過している。
親父とお袋が完璧な隠れ蓑を用意してくれたおかげで、家の前で衣月を拾ってから続いていた、慌ただしい逃走劇は既に終わっているのが現状だ。
つまり平和なのだ、ここは。
今までは生死の境目を行ったり来たりするほど忙しく、気持ちの余裕もあまりなかったせいで、まず自慰行為そのものを封印していた。目の前のことだけに必死だったから当然と言えば当然だ。
しかし、こうして普段の日常に近い状況──精神にゆとりが生まれる状況になると、おのずと暇な時間が生まれる。
暇になると、当然だがこれまでに自分が何をやって来たのか、冷静に振り返る機会が増えるだろう。
その結果が、これだ。正直に言わせてもらうと衣月を拾って風呂に入れた時から、ずっとムラムラはしていた。
流石に彼女に欲情したわけではないが、常に自分の傍に誰かがいることで、絶対にオナニーができない状況が生まれたのは事実だ。
普段していたことが急に出来なくなる。いつ出来るようになるのか分からず、夜中こっそり抜くこともできない。
おまけに衣月はいつも俺に引っ付いてちっぱいを押し付けてきやがるし。
音無と正面から抱き合ったり手を繋いだまま眠ったり、フウナにはセクハラと同時に柔らかい身体を押し付けられ。
しまいには脱出用ポッドという狭い空間の中で、よく見りゃスタイル抜群でムチムチしてる氷織と、エロ漫画のロッカーに閉じ込められるシチュみたいに、互いに密着して体を温めあった。
……いや女子との肉体的接触が多すぎる。こんなんばっか体験しておいてムラムラしない男子高校生は人間じゃないだろ……。
俺は人間なので、今までの体験がフラッシュバックした事に加えて、長いこと射精を我慢していた日数も相まって、もう涙が出る程にムラムラしているのだ。俺よく頑張ったよ。ここまで我慢できてえらい。
強制的に性欲を押さえつけると、ここまで気持ちが昂ってしまうもんなんだなぁ。
「俺は主人公じゃない……なので許される……」
ブツブツと呟きながら部屋の中を徘徊している。
詳しい状況は分からないがきっとレッカも同じ状況だろう。しかしアイツには一年間女の子たちと過ごした時間と、それまで貞操を保ち続けた強い精神力がある。
きっと、おそらく、ハーレム系の主人公はオナニーしない。だかられっちゃんは悶々としつつも、性欲を我慢できるから、自慰をしなくても自我を保てるのだ。
だが、俺は違う。
先日そのレッカに性的に迫ったことで、そういえば俺自身もずっと一人遊びしてないな……と自覚をしてしまった。だから無理なんだ。女の子になったり色々としてきたが、中身は思春期真っ只中な少年だからよ……。
「そうだ。第一、あいつらが気安く触ってくるのが悪いんだ。確かに絆を深めた仲間ではあるけど、俺たちは家族でも兄妹でもない。触られたり抱き着かれたりしたら、興奮して当たり前じゃねぇか」
改めて声に出して自覚することで、距離感のバグった優しいクラスの女子みたいに勘違いを誘発させようとしてくる、あの少女たちに非があるという真実を導き出した。俺はわるくない。
「よ、よーし……」
ティッシュ箱とスマホを手に取り、ベッドの上に横たわったあと掛け布団で体を隠した。
ここまで様々なことを思考してきたわけだが、つまるところ溜まった性欲を発散したいだけなのだ。
「さっき窓から外を覗いたけど、なんかヒーロー部は全員で出かけたみたいだからな。安心して俺一人だけの時間を過ごせる……」
時刻は夜の八時前。自慰をするならもっと深夜の時間帯の方が好ましいんだろうが我慢できん。俺はもう抜くぞ。
エロゲの主人公でもなければハーレムの中心でもないんだから、俺には抜く権利がある。男の子として当たり前の権利だ。
いいか、これは応急処置だ。
性欲を発散させることで、邪な感情を排除するためにやるんだ。なんせウチの味方はレッカ以外みんな女の子だからな。良からぬことは最初から考えないようにしなきゃならない。
今この精神状態であのヒロインたちと対面したら、まず間違いなく胸か太ももに目線がいってしまうだろう。それは不快な思いをさせてしまう──だから抜く必要があったんですね。
「このスマホでもログインできんのかな……ぉ、いけた」
俺が持っているスマホは本来俺のモノではなく、衣月経由で親から受け取った特殊なデバイスだ。
ネット機能があるなら使えると踏んで起動したのだが、どうやら上手くいったようだ。
「……へ、へへっ」
ベッドに横たわりながら、つい笑いが出てしまう。まだ何もしてないのに。
こうやって男の姿でまったりするの、いつぶりなんだろう。嬉しくて笑っちゃったくらいだから、俺は相当長い期間、女の子として生きてたみたいだな。
俺は男だ。男の子にしかできないことをやるぞ!
「…………」
無言のままズボンを下ろした。スマホをポチポチして、お気に入りのお供を迎えにいく。
うおぉ、宴の始まりだ──
「先輩いますかー? 急ぎなんで、入りますよー」
──ッ゛!!?
な、なっ、何事だ!?
「あぁ、いたいた。……って先輩、もう寝ようとしてたんですか」
「お、おう。あの、えっと、アレだ。ペンダントのメンテナンスしてたから、そう、目が疲れちゃって。仮眠をだな」
「それはそれは。ご苦労さまっす」
おい、来るな。なんでこっち来るんだよお前は。
ちょ待て! ベッドに座るな! よりにもよって何で今なんだ!?
「呼びに来たんですよ、先輩のこと。この周辺でおすすめの美味しいお店を予約できたらしいので」
「ほ、他のヤツから呼びに行ってあげれば?」
「レッカさんたちはもう行っちゃいましたって。先輩が最後」
さっきヒーロー部がみんなで出かけてたの、そういう事だったんだ。そういえばもうディナーの時間ですね。
でも。
でもね音無。
俺はいまズボンを履いてないんだ。
それどころか情緒がバグって息子が覚醒している。お前が座ってるところのすぐそばにヤバいブツがあるんだぜ。気をつけてください。
「……頑張るのは結構ですけど、たまには息抜きも必要じゃないですか。みんなでご飯食べましょうよ」
横になっている俺の頭を優しく撫でる音無。
クソが……。俺はたったいま自分に必要なイキ抜きをしようとしてたんだよ……! みんなでじゃなくて一人でのお時間だったの!
「……わかった。すぐに準備するから、先にエントランスで待っててくれ」
「先輩のご両親からお金は預かってますから、お財布はいりませんよ? さっ、一緒に」
「まてまてまて」
何でこんなグイグイ来るんだ。頭を撫でてきたことと言い、コイツもしや俺のことが好きなのか?
ちょっ、布団を剝がそうとするな。やめろ。
「はいはい、お目覚めの時間で──」
らめぇっ。
「…………す……?」
布団を剥がし、ついに固まってしまった音無。
奇跡的にも脱いだズボンが大事な箇所の上に乗ってくれて、肝心の本体こそ直接見えてはいないものの。
そこにテントが設営されているのは、誰がどう見ても明らかであった。
「……ふぇっ……」
「まて、俺は悪くない。そしてお前も悪くないんだ、音無。これは本当に、どうしようもなかった事故なんだ」
苦しい言い訳は余計に場の雰囲気を悪くする。
そう分かっていても、言わずにはいられなかった。
だって音無が絶句してるから。
「………………ぇ、っと……その……」
みるみるうちに顔が真っ赤になっていった音無は、動揺で体を動かすことができないのか。
まじまじと俺のズボン越しのお城を見つめたままで。
「……はぅ……っ」
怯んだ声を漏らし、目をつむって俺の下半身にそのまま掛け布団をそっと戻すのであった。
──死にたい。