ポッキー・本能の覚醒
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「──ということで、私と音無は本当にただ、転んでケガをしただけ」
「えぇ……」
「ごめんなさいごめんなさいほんっっとうにドジでごめんなさい、先輩は何も悪くないですマジで申し訳ない……ッ!」
レッカとの通信が途絶してからだいたい三十分後。
俺は一旦女の姿に戻った状態で木陰に腰を下ろし、衣月と音無による応急処置の手当てを受けていた。
探知の能力で敵の残存兵力は常に確認していたため、もう敵がいないことは分かっている。
通信が切れたあとにレッカが単独で倒したであろう敵と、先ほど魔力が切れた俺を襲撃して半殺しにしかけるも、助けに来た音無の音魔法で倒されたヤツで最後だった。
ひとまずは安全が確保されてよかった。正直これ以上は絶対に戦えないレベルで魔力も肉体もボロッボロだ。
「あー、その、気にしなくていいからな、音無。もとはと言えば俺の早とちりが原因なんだし」
「こ、こんなに怪我をするまで無茶して貰っちゃったんスよ!? 気にしないなんて無理です……! ごめんなさい、先輩……」
「だから大丈夫だって。この通り無事に生きてる」
転んだという真実を知ったところで、正直そこまで後悔とか恥ずかしさなんてものはなかった。……いやウソ。やっぱり少しだけ恥ずかしくなった。
でも飛び出していったおかげでレッカと協力できて、結果的にはこの場を切り抜けることができたんだ。結果オーライってやつだろう。
「先輩、何でも言ってください。ほんと何でもします」
「そういうの軽々しく口にするんじゃないよ」
「いやもうマジっす。先輩はここで遠慮しちゃダメっすからね」
「……じゃあ、この先の町で寝泊まりできるとこ確保してきてくれ。風呂と夕食も用意しといてくれると助かるな」
「お任せあれ! 行ってくるッス!」
「場所決まったら公衆電話とかで連絡しろよー」
言うが早いか、音無はすぐさまその場を駆けだして森の出口へ進んでいった。夕陽に向かっていくその姿はまさに青春だ。
……ていうか衣月も連れてけよ。
「今は紀依を一人にする方が、危険」
「そりゃそうかもしれんが」
予想以上に戦闘が長時間だったこともあり、もう日が落ち始めている。
辺りはオレンジ色の陽の光に照らされていた。
完全に暗くなる前にこの森を抜けよう。
「んっ、電話か」
着信したのは──父さんだ。謎にビデオ通話。
「もしもし」
『おぉアポロ! よかった、無事に切り抜けることが出来たんだな!』
「えっ? ……この状況の事、誰から聞いたの」
『誰って……さっきオトナシという少女から連絡が来たぞ。確か仲間だっただろ』
あいつ行動の何もかもが早すぎるだろ。
ニンジャとかもうそういう次元じゃない気がする。逆に転んでケガするとか、人間らしい部分が見えてホッとしたわ。
『ふむ。それにしてもやはり女の子への変装はバッチリだな。なぜ純白の位置が敵に割れたのかは分からないが……見た目の性能に関しては、私が使用していた時から一切劣化していないようで安心したぞ』
その言い方もしかしなくても、父さんもコレを使って美少女になったことがあるってことだよな。
確かに自分の研究なんだから性能の実験をするのは当然だし、俺が初めてペンダントを使ったあの日以前にも、変身後の少女姿を見せてもらったことはあったけども。
「父さんはこの姿になって何をしてたんだ? いつも通り過ごしてたの?」
『いや、見た目の完全な変化が楽しすぎて、変身するときはダウナー美少女として振る舞っていた』
うわぁ……俺やっぱ、確実にこの男の血を引いてるわ……。
『顔や目の造形から体躯に髪の長さまで、全て自分が計算し尽くした最強の美少女をこの世に顕現させて、あまつさえ自分がそれになれたんだぞ? そりゃあ興奮するし、ごっこ遊びもしたくなるだろう』
「理解できるのが悔しい」
多分研究してたのが俺でも、人目を盗んで父さんと同じことをしていたと思う。
「母さんに止められなかったのか?」
『はは、もちろん止められたさ。それも一度や二度の話じゃない。母さんはとても意志が固い人だったから、何百回も僕の奇行をやめさせようとしていた』
懐かしむように言いながら、ちらりと後ろを見る父さん。そこには布団に包まって寝ている母さんの姿があった。追手から逃げ続けているせいで、睡眠不足だったのかもしれない。
ボロアパートの一室で潜伏生活をしている親と電話をする息子なんて、おそらくこの世で俺一人だ。
『それでようやく折れた私は、そのペンダントを箱にしまって母さんと一緒に組織を逃げ出したんだ。
私たちの子供が箱の中身を知ってもなお、自主的に開けようとするその日まで、こいつは封印したままにする──と母さんに約束してね』
「……そっか。父さんはやめたんだな、美少女ごっこ」
『やめてなきゃアポロが生まれてないよ』
恐ろしい話だ。俺は母さんにもっと感謝しなければいけなかったらしい。
『まぁ、欲望だけだった私と違って、アポロは友達を救うために変身しているから、変身を解く機会が明確になっててよかった。組織を倒すことが出来れば、またアポロの姿で外に出られるよ』
「……そ、そうだな。全部終わったら……うん、戻るよ男に」
『苦労をかけてすまないな。では、また連絡する』
俺の返事を待たずに通話が切れた。相変わらずマイペースな父親だ。
そっか。あの頑固な母さんに何度も何度も止められて、それでようやく父さんは美少女として振る舞うことを辞めたのか。必死の思いで道を正そうとしてくれる人が居たから。
俺もいずれそうなるのかもしれない。
……もっとも、俺の場合はこの場で今すぐに、道を正さないといけないようだが。
「──紀依、誰か来る」
魔力が枯渇してもはや探知を使えない俺は、衣月に言われてようやくこちらに近づいてくる気配に気がつくことができた。
走る足音。
遠慮も慎重さもない一定の歩調から察するに、この気配の正体はレッカだ。そもそも敵は一人も残っていない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「……レッカ」
俺たちの後ろから現れた親友くん。肩で息をしているレッカの表情は、まるで信じられないものを見るような、何か言いたげな顔だった。
彼から見れば、コクは数十分前のアポロと同じくらいの負傷をしている。
手当てで包帯やら湿布やらは張ってあるものの、戦っていなかったコクがこれほどまでに負傷しているのは明らかに不自然だった。
なにせ間違いなく、この森の中にいた全ての敵は、アポロである俺とレッカが相手取っていたのだから。
「コク……」
「…………衣月、先に行ってて」
「……うん」
流石に、潮時か。
ここまでは何回もラッキーが重なって、運よくバレなかっただけだ。
ライ会長に説教される前の状態のレッカが少し鈍かったのも、秘密を隠し通せていた要因の一つだったんだろう。
だが、彼はもう成長している。
察しの良い主人公になったレッカの前に、俺が組み立てた計画性皆無な美少女ごっこ計画は、あまりにも無力極まる。
「……アポロ、なのか」
もう、観念しよう。
逆にいい機会だったのかもしれない。今日だけでも、レッカがどれほど俺のことを想ってくれていたのかが理解できた。これ以上俺のくだらないワガママに付き合わせるのは、あまりにも酷だ。
どのみちバレてるし。
ここで白状してしまった方が、色々と罪も軽くなるかもしれない。
「……レッカ、ごめ──」
「どっちなんだ!!」
「ひっ……」
うぅ、やっぱりめっちゃ怒ってらっしゃる。
今のどっちなんだ、ってのはどういう意味なんだろ。
俺の意思なのか、それとも巻き込まれただけなのか、ってことかな。この際ハッキリ言っちゃうおうか。
「きみはアポロと……どんな契約を結んだんだ……!」
「…………?」
え?
「たのむ今すぐ答えてくれ。きみの今の状態はアポロの意思なのか、それともきみ自身がアポロを利用しているのか」
「ちょ、ちょっと何を言ってるのか分からな」
「しらばっくれるな!!」
「ひぃっ」
えぇマジでなに怖い怖い。
俺の知らないところで何かが起きてんだけど。
レッカの中で不思議な現象が発生しているんだけど。何なんだよコレ。
「僕は……きみのことが好きだ。あの時は拒絶されたが今でもその気持ちは変わらない。一緒に戦ったとき、一緒にジュースを飲んだ時、アポロと同じような安心感を覚えた。本当に……本当にきみを、大切な友人だと思ってる!」
そ、そうなんだ。今でも大切な友人って認識なんだ。田舎でのコミュニケーション、意味あったんだね。……でも『きみが好きだ』って言い方は誤解を招くからやめた方がいいと思った(小学生並の感想)
「だけど! 僕は……オレはアポロも大切なんだ! 今日みたいにまた話がしたいと思ってしまっている! また学園に通って、馬鹿な事をして、一緒に過ごしたいと改めて考えてしまった!」
「レッカ……? 落ち着いて?」
「落ち着けるかッ! ……くっ」
思わず俺から目をそらすレッカ。見るからに彼の葛藤は本物だ。俺の正体に気がついて、演技をして茶化しているワケじゃないという事は明らかだった。
だが本当に分からない。
レッカは何をどう解釈したんだ。発言から彼の認識を推測する事が出来ない。
「……お人好しなアイツのことだ。きっと自分から体を差し出したんだろ」
ちょっと一人で盛り上がりすぎじゃない? 目の前にいるのに俺、話から置いてかれてるんだけど。
えぇい我慢ならん。こっちは怪人にボコされて、若干意識が朦朧としてるんだ。推測で話を進められても困るぞ。
「待って。レッカは、どこまで把握しているの?」
「……アポロの親父さんの過去を知る怪人と出会った。そこで聞いたんだ。……きみは実験でペンダントに封印された少女で、他人の体を依り代にすることでしか、肉体を取り戻すことができないのだと」
「…………なる、ほど」
ぜんっぜん俺の知らない設定だ。レッカはそっちの情報を信じたことで、いまこの場にいる『コク』に対して言葉をかけているらしい。
コクの正体が俺──ということではなく。
なにやらシリアスそうな設定の少女が、俺の肉体を使って活動している、という解釈で間違いなさそうだ。
……なんそれ。
え、どういう流れ?
もしかして、研究者時代の美少女ごっこをしてた父さんを見て、拡大解釈しちゃった敵がいたってことか?
それでその本人がレッカに秘密を話して、この有様と。
いやコントじゃねぇんだぞ。あり得なくないかそれ。もう宝くじの一等が五連続で出るくらいの、奇跡の思い違いが発生しちゃってるよオイ。
「……どうしてもと言うならオレの体を使ってくれ。アポロはもう……自由になっていいはずだ」
めっちゃ深刻な顔してるじゃん。なんなら泣きそうになってるよ。
「…………はぁ」
この際しょうがない。
俺から真実を伝えることにしよう。
いったいどれほど叱られるのか、もしくは絶交されるのか、はたまた怒りでぶっ殺されるのか。
それは分からないが、こんな姿の友人を見ていると心が痛む。
これ以上からかうのはやめよう。俺の美少女ごっこはここで終わりだ。
「レッ────」
口に出そうとしたその瞬間、眩暈がした。
「ぁ」
思わず膝をつく。ほんの少しだが、身体の制御が利かなかった。
額に手を当ててみれば、指がべっとりと紅く染まっている。
音無に包帯を巻いてもらっていたはずなのだが、怪人に殴られた額の傷が開いてしまったらしい。
「コクッ!」
「…………」
レッカがこちらに駆け寄ろうとしたが、俺が咄嗟に手を前に出したことで、彼は驚いて静止した。
近づくな、という意思は伝わったようだ。
何だろう。
これはなんだろうか。
「……れっちゃん」
「っ! ぽ、ポッキーなのか……?」
怪人に殺されかけたからか?
頭をブン殴られておかしくなってしまったのか?
分からない。
自分の思考が理解できない。
ただ、これだけは本能で感じ取ることができた。
俺は今、これ以上ないほどに──高揚している。
「私、は」
間違いなく、この状況を嬉々として喜んでいる。
自分の嘘で、他人の勘違いで、友人の心が痛みを負ってしまったというのに。
まるで嘘のように”まだバレていないことが”信じられず、僅かながら口角が釣り上がってしまう。
「は、ハハ。痛い。いたいな。奇麗な顔なのに、ホントもったいない。傷がついて、血も出てきちゃった」
「ぽ……ポッキー……?」
どうしてだよ。もうバレていいだろ。
こんだけ状況証拠が残っていて、何でこんな設定の齟齬が発生するんだ。本当に信じられねぇよ。
言え。
さっさと口にしろ。
全部嘘でしたって言葉に出せ。
そうしたい、俺は心から秘密を打ち明けたい、間違いなくそう思っている。
レッカに全部話して、あいつを安心させたい。
お前が救おうとしている少女なんか、初めから存在しないのだと教えてやりたい。
男の姿を見せて、これからはずっと一緒だと──
──あぁ、ダメだ。お前は誰だ?
俺の中に何かがいる。
これまでずっと押さえつけてきた感情の源が溢れ出している。
良心と友情を侵食し、木っ端微塵に喰い荒らしていく。
俺の中に潜む俺が。
陰に隠れていたその姿が露になってしまう。
震える。
躰が。
赤く染まった指先が。
心が、心臓が。
脳が震える。
まだ続けられる。
この場でウソを口にすれば、漆黒という少女が存在し続けられる。
良心を捨てて親友を騙せば俺はまだ物語の中心にいられる。
裏切れ。
裏切れ。
裏切れ。
裏切れ。
「うっ……うぅっぁ……!」
「アポロ!?」
ふざけるな。どこまで親友をコケにすれば気が済むんだ。彼を想うなら、そんな下らない事など今すぐにやめろ。
それは奇麗事だ。
俺は何回も彼を騙し、裏切ってきた。
いまさら親友ぶってレッカの元に戻ることなど、許されるわけがない。
いや、それでも──
あぁ、あぁ、いろいろな思考が頭をよぎった。
きっとそれらはすべて本当の感情だ。
しかし折り合いをつけるための時間稼ぎでしかないことも、また事実だった。
最後に俺の頭に残ったのは、たった一つだけだ。
「……レッカ」
俺はコクという存在を諦められない。
「悪いけど」
本当の自分が、俺の中の本能がそう叫んでいる。
卑劣で、最低で、人の心を弄ぶ、所詮は黒幕でも何でもない、弱い小悪党でしかないクズな自分を何度戒めても、俺を俺たらしめる揺るぎない信念が間違った方向へ歩を進ませる。
レッカの反応を楽しみたいんじゃない。
もはやコレを続けることが楽しいのか辛いのかも分からない。
ただ、俺は自分を誤魔化せない。
「アポロを返すことはできない」
「──ッ!」
レッカがすべての真実を知って俺を断罪するその日まで、俺は絶対に隠しヒロインごっこを──やめない!
「……どうしても、なのか……」
「そう。約束だから」
思わせぶりな言葉を言って、コクという少女の存在を確立させるんだ。
「大切な友人だと言ってくれて、嬉しかった。私もレッカのこと、本当は嫌いじゃない」
「コク……」
俺はもはや人間を辞めている。道徳を捨て去り、友情を踏みにじってしまった。
俺たち二人の状況は、両親の時とは比べ物にならないほど、進んではいけないルートに舵を切ってしまっている。
父さんには常に母さんという理解者がそばにいた。全ての事情を知っていて、尚且ついつも止めようとしてくれるストッパーが。
だが、俺にはそんなもの存在しない。
俺の中に秘めた感情を理解している者は、この世のどこにも、誰一人としていやしない。
母のおかげで正義に目覚めた父とは違い、俺は親友を前にして悪に堕ちてしまった。
誰にも内情を打ち明けることはなく遂にここまで来てしまったのだ。
自分の中に眠っていた猛獣は──もはや俺の意思では止められない。
美少女ごっこをやめられない。
こうなったらバレるその日まで全力で隠しヒロインをやってやると、信念に深く刻み込まれてしまった。
「でも、アポロは渡せない。私たちは離れられない」
やっぱり俺は主人公なんかじゃなかった。
衣月という守るべきヒロインと、音無という頼れるバディと共に過ごしても何も変わらなかった。
主人公になれるかもしれない状況に身を置いてもなお、少女の救済を建前にこれまでの嘘を正当化させるような事はできなかったんだ。
偽りの継続を望み、その先にある全ての罪の断罪を求めた。
「言い訳はしない」
あぁ、言い訳はしない。俺は悪人だ。だから偽善者ぶっていまさらヒーローに戻ろうとだなんて考えない。
世界なら救ってやる。
組織の目を掻い潜り、責任をもって衣月を沖縄まで送り届けよう。
だが、美少女ごっこはやめない。
俺はレッカのヴィランであり続ける。
「私にはアポロが必要。……だから、レッカには返さない」
「おまえ……っ!」
攻略してくれ。
「どうしても親友を取り返したいのなら」
頼む、レッカ。
お願いだ、親友。
「アポロを選ぶのなら、私を殺して」
厄介な設定を抱えた、このめちゃくちゃに攻略手順が面倒くさいヒロインと化した俺を止められるのは、ただ一人。
お前しかいない。
どうか──俺を止めてくれ。